[アイディ英文教室 連載コラム] 2014 年 9 月号 柴田耕太郎 夏休みを利用し、モリエールの戯曲「タルチュフ」の翻訳を始めた。一か月もあればと 思ったが、思いのほか難物、まだ四苦八苦している。 言葉は 30 年で古びるといわれる。古典新訳がちらほらと始まったのも、ようやく出版業 界がその必要性を感じたせいか。 今回は新訳をする際の、旧訳の位置付けについて、経験をもとに述べてみたい。 Ⅰ なぜ新訳か 40 年前、当時代表的な新劇団であった俳優座の「守銭奴」を観劇したが、少しも楽しめ ず、モリエールがシェークスピアと並ぶ大劇作家であるのが理解できなかった。そのあと すぐフランスに遊学し、コメディ・フランセーズでこの演目を見て、びっくりした。とに かく面白いのだ。演出・演技が洗練されていたこともあろうが、一番は言葉の問題だろう。 具体的にはテンポ。同じ内容の台詞が日本語の倍の速度で喋られる。読む場合はともかく、 上演用の翻訳としては出来るだけ短く訳すことが必要だ。ずっとこう思っていてようやく 翻訳の機会を得た次第。 Ⅱ 新訳の工程 旧訳をいくつか並べて、いいとこ取りしても全体としての統一感は望めまい。解釈に難 儀する箇所だけ既訳に頼っても、それが誤訳だったらどうなる(シェークスピア戯曲で坪内 逍遥が誤訳した箇所は以後の訳者も右へ倣へしている点は、本コラムの姉妹版「誤訳に学 ぶ英文法」―(㈱アイディのホーム・ページ参照―で指摘した)。 そこで「タルチュフ」訳出に当っては、次のような手順をとった。 ①日本語訳二種(鈴木力衛訳、秋山伸子訳)、英訳二種(オックスフォード版、ペンギン版) を用意⇒信頼できる訳でなければならない ②鈴木訳、秋山訳をざっと読む⇒梗概を面倒なく知るため ③仏語原文を克明に読む⇒語義と掛かり方を特定化する ④直訳する⇒解釈まで至らぬ仏文和訳 ⑤疑問箇所を検討⇒日本語訳と英訳、自分の直訳、都合五種を原文と突き合わせる ⑥解釈を出す⇒文法的、論理的、文脈的観点から妥当と思われる理解を選定する ⑦和文和訳する⇒直訳に手を入れ、読んでおかしくない日本語にする ⑧台詞にする⇒舞台の台詞として俳優が朗ずるに足る、かつ簡潔な言葉に練る ⑨点検する⇒原文と突き合わせ、訳し漏れ・訳し過ぎがないか確かめる Ⅲ 気付いたこと いつも言っているが、翻訳といっても様々。私が商品として手掛けたものだけでも産業 翻訳・出版翻訳・映像翻訳・舞台翻訳がある(質はともかく、これだけの分野を手掛ける 翻訳者は先ずいない) 。そしてそれぞれの分野がまた細かく分かれる。舞台翻訳といっても、 ミュージカルとセリフ劇では訳のスタイルが異なる。セリフ劇にしぼっても、小劇場用(会 話調の訳文がおおむね相応しい) 、大・中劇場用(聴かせる硬めの訳文がおおむね相応しい) では求められる訳文が違ってくる。 モリエール戯曲は散文で書かれた「スカパンのわるだくみ」を既に訳したが、韻文の「タ ルチュフ」とでは、翻訳の面倒さで天と地ほどの差がある。韻文は、アレクサンドラン(十 二音綴)で記され、行末に韻を踏む。そのため、無理な語順転倒、語義の転用が避けられ ない。その上、英語よりあいまいなフランス語の前置詞、それと絡む掛かり方の問題があ り、へとへとになりそうだ。これから見れば、英語の何と易しいこと! モリエールの邦訳全集は、昭和初期になされた吉江喬松編のものが嚆矢だ。今回は参照 しなかったが、だいぶ誤訳・悪訳があるそうだ。むべなるかな。だがそうした初訳者がい たからこそ、それを乗り越えるようにして、新しい訳が生まれるのである。「翻訳なんて、 後からやった方がいいに決まっている。でなければやる意味があるまい」とシェークスピ ア作品の翻訳もある英文学者中野好夫は言い放った。私も「意味がある」翻訳を目指し、 モリエールに取り組んでいるところだ。
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