黄金伝説

黄金伝説
益田清風高等学校
2年
高木大勢
昔々、都に黄金色(こがねいろ)の羽をもつ鶏がいました。
都の民たちはその鶏を黄金の鶏と呼んでいました。黄金の鶏は都の姫とその夫によって
大事に育てられていました。その鶏は毎年元旦の朝になるとご来光に向かって、高らかに
鳴き声をはげていました。
しかしある年、都で戦がおき、あの平和で美しかった都の面影はなくなりました。戦が
起きて初めての新年を迎えました。しかし、鶏は前のように高らかな鳴き声をあげません。
さびしそうな声でしか鳴きません。それからも戦は終わることなく、ますます激しくなる
一方でした。そして、ある年の元旦の朝、鶏は日の出の方向に飛び去ってしまいました。
姫はこの戦のせいで鶏が去ってしまったのではないか、と思い、都の民たちに戦をやめ
るように訴えました。戦が終われば、また鶏が戻ってくるのではないかと、姫は思ってい
ました。
ある夜、姫が寝ていると、夢の中に優しい表情をした観音様があらわれて言いました。
「東の日の出の方向にある村に行きなさい。その先に深い谷があり大きな滝がある。そこ
にあなたを待つ者がいる」と言い残し、消えていきました。
姫はこの言葉を信じ、都に夫を残し、日の出の方向に向かって都を旅立ちました。長い
年月をかけ、ようやく飛騨の山深い村に着きました。村では、子どもたちの間ではやり病
がはやっていました。
村の大人たちは毎日、自分の家にいる鶏をつれて、山の中の祠へ向かっています。姫は
そのことが気になり村人に尋ねました。すると村人の一人が、
「あの祠に家の中で一番立派な鶏をお供えすると、子どもの病気が治る」と言いました。
祠には薬師如来がいて、村人の無病息災を叶えてくれているというのです。村人の話を聞
き、姫は、あの黄金の鶏を供えれば、村の子供や都におきる災いがなくなるのではないの
かと思いました。
姫は滝へ行き、黄金の鶏が現れるのを待ちました。そして、毎日大岩の上でお経を唱え
ました。しかし、黄金の鶏はなかなか現れませんでした。
その年の大晦日、突然滝壺が黄金に輝き
だしました。姫はお経を止めずに唱え続け
ました。すると、滝壺から黄金に輝く仙人
が姿を現しました。姫は仙人に鶏のことを
聞くと、仙人の姿が変わりました。それは
姫が探していた黄金の鶏でした。
姫は黄金の鶏に村で今起きていることを
すべて話しました。すると鶏は、
「ここを離れるわけにはいきません。
」と言
いました。鶏はこの滝の清流を守る神にな
っていたのです。黄金の鶏は自分の羽を姫
に渡し、
鶏鳴滝(下呂市金山町)
「これをその祠にお供えしなさい。しかし、あなたの命も供えなければいけません。」
と告げました。姫は自分の命を捧げることによって村の人たちや都の民たちが平和になれ
るなら自分の命を使ってもいいと誓いました。姫は羽を手に迷うことなく祠に行きました。
祠に着いた姫は、黄金の鶏の羽を供えました。後は自分の命を捧げれば終わりという時、
祠の入り口が眩い光に包まれ、光の奥から夢の中に出てきた観音様が現れました。
「あなたには、新たな命が芽生えている。その命を捧げてはならぬ。その命とともに生き
なさい」と言いました。姫は、
「自分の命を捧げなければ村や都が助からない」と言うと、観音様は、
「私の命を使いなさい」と言いました。姫は本当にいいのだろうか、と疑いましたが、観
音様は自分の命を捧げました。次の瞬間、祠の薬師如来像が光り輝き、それから光が徐々
に消えていきました。
姫は村へ戻ってみると、病に苦しんでいた人々が本当に病に苦しんでいたのかと疑うぐ
らいに元気になっていました。黄金の鶏や観音様の言った通りでした。村人たちは歓喜の
渦に包まれました。姫は村人に頼み、夢の中に出てきた観音様の像を作ってほしいと伝え、
再び滝に行き、鶏にお礼を告げました。都に帰ります、と言い、立ち去ろうとした時、
「これを持っていきなさい」と、鶏は黄金の卵を預けました。そして、
「この卵は都に着く頃に孵化するでしょう。そしたら都にまた輝きが戻るでしょう」と言
い、滝つぼの中に消えていきました。
都に着いて数日たったある日、卵から雛が生まれました。それからまた数日たったある
日、姫と夫の間には女の子が生まれました。その女の子を都の民たちは黄金姫(こがねひめ)
とよびました。雛も女の子も成長するにつれ、美しく光り輝くようになりました。そして、
それとともに、都の争いはなくなり、昔のような平和な時代が訪れました。
同じころ、飛騨のあの村人たちは観音像をつくり、それを薬師如来像のある祠に奉りま
した。それから、その祠は子金(こがね)神社と名づけられました。また、その村は金山
(かなやま)とよばれるようになりました。
(元になった話)
「黄金姫伝説」
今からおよそ九百年も前。郁芳と呼ばれる御殿に、都で一番器量の良い官女が、金色に
光り輝く鶏とともに暮らしていた。この鶏は、さらに千五百年も前に天竺一の名工が作っ
たもので、まばゆいほどの黄金づくり。胸の中には、お釈迦様の書かれた経文を埋め込ん
で仕上げられていた。それが大陸から都へやってくると、天皇はその姿がお気に召され、
ご自分の宝物になさった。そして、郁芳の御殿にいる官女に預け、大切に守るように言い
付けた。
官女は、この鶏を奥の仏間に置き、片時も離れないで見守っていた。静かな日々が続く
と、鶏の輝きは辺りを金色に染めるようになった。
官女は、いつしか都の人たちから「黄金姫(こがねひめ)」と呼ばれるようになった。
金色の鶏には命があった。元日の朝がくると決まったように羽音もなく飛び立ち、御殿
の屋根に降り立って、初日の空に向かって声高く新年を告げるのであった。
ところが、不思議な鶏は、姫を苦労のどん底へ引き込んでしまう。都に戦がおこり、そ
の最中に迎えた元日の朝。御殿の屋根で天に届くほどの声を張り上げると、真っ赤に焼け
た空のかなたへ飛んで行ってしまったのである。御殿の戸を開け放って祈る気持ちで待ち
続ける姫のもとへは、いく日たっても帰ってこなかった。
「天皇のお嘆きを思うと、命に代えてでも行方を捜さなければ申し訳がない。」
姫は心を決め、鶏の姿を求めて出掛けた。しかし、都の中をいくら捜しても見つけるこ
とはできなかった。姫は比叡の山寺を訪ねた。そして小さな観音堂を借りると中から扉を
固く閉ざし、二十一日間飲まず食わずに過ごす「願かけの行」に入った。
すると、満願の日の冷え冷えした夜明け、うつろな姫の目の前に観音様がお立ちなって、
「今から、東に向かって旅立ちなさい。年が暮れるころには飛騨への道に差し掛かります。
その辺りの深い谷には大きな滝が鳴り響いているはずです。きっとそこで、あなたの願い
はかなうでしょう。つらい日が続くでしょうが、くじけてはなりません。」と、優しくおっ
しゃった。
姫は、黒髪を短く切り白い旅の姿になると、観音様のお言葉を信じて都をたった。
それから百日ほど過ぎた。年の暮れらしく、すす払いをしている家も多い。姫は心も体
も疲れ果てていた。ときには、野宿のまま深い眠りに誘い込まれそうになったが、そんな
ときは、ふと浮かんでくる観音様のおかげで我に返るのだった。
ある夜明けのことである。先を急ぐ姫が坂梨というところの山道を登り切ろうとしたと
き、目指す尾根のかなたから、忘れもしないあの鶏の声がかすかに聞こえてきた。姫は息
をのんだ。我を忘れて一気に登りつめた。すると、目の下には深い谷があった。足元を揺
らすような水音が、冷たいしぶきを吹き上げてくる。
姫は、
「この下は、あの滝に違いない」と弾む心を押さえながら待った。
姫はひるまなかった。滝の上のふちに近付くと、凍り付くような水の中へ飛び込んだ。
何回も水をかぶり、滴る水をぬぐおうともせず、滝の頭で両手を合わせて声を限りにお
経を唱え続けた。すると、にわかに滝が輝き始め、その中からあの黄金の鶏が飛び立った。
がけに鳴き声を響かせながら、姫の周りを大きく一回りすると、瞬く間に滝の帯へと吸い
込まれていった。
やがてその輝きが消え辺りが静まりかえると、滝つぼの上に大きく美しい観音様が現れ
た。その姿は、あの黄金の鶏の輝きに包まれているではないか。そう、姫の捜す鶏が、こ
の美しい滝の守り主、清流観音となっておられたのだった。
それが分かると、姫の体から急に力が抜けた。しかし、見届けたことを一日も早く天皇
にお知らせし、お許しを願わなければならない。疲れをいやす間もなく、再び長い旅に出
ようとした。だが、既に、姫は病に侵されていた。ふらふらした足どりで坂梨川の外れに
来ると、そこにばったりと倒れた。そして、村人の手厚い看病のかいもなく息を引き取っ
てしまった。村人たちは、姫が倒れた小高い丘になきがらを葬ると、そこを「ひめづか」
と名付け一本の碑を建てて弔った。その夜、一羽の金色の鳥が、ひめづかから西の空のか
なたへ悲しい羽音をさせて飛んで行ったという。
そのころから、横谷川の大滝では、元日の明け方になると鶏の声がかすかに聞こえてく
るといい、その滝を「鶏鳴滝」と呼ぶようになった。また、滝の下の谷川には姫がみそぎ
をしたというふちがあり、あわれな姫をしのんでそこを「黄金ぶち」とも呼んでいる。
【参考文献】
・金山町誌編纂委員会.
『金山町誌』
.1975 年.