柴田教授夜話(第 9 回)「音律と数学」2014 年 4 月 1 日 ■小学生時代、私は母親の勧めで自宅の近所にあるピアノ教室に通っていた。 基本練習に留まらず、ソルフェージュや発声練習など、音程やリズムを正確に 把握する訓練を受けたことは今でも役立っている。徒歩や電車通勤の際に、ク ラシック、スタンダードナンバー、流行曲などを頭の中で再生し、音符に当て はめるのに興じるのである。お一人様を満喫する『至福のひととき』である。 ■しかし、絶対音感に乏しい私は、相対音感で済ませてしまう傾向がある。あ えて「乏しい」という理由は、中学生時代によく聴きこんだ Led Zeppelin の名曲、 ホ長調 “Good Times Bad Times” の最初のベース音 “E” や、イ短調 “Stairway to Heaven” の最初のギター音 “A” を実際に声に出してみると、体調さえよければ きちんと調律された楽器の音程に一致することが絶対音感の痕跡を示唆してい るからである。とはいえ、そんなことは私にとってどうでもよいことだ。何故 なら、私は昔から、相対音階に適した十二平均律に馴染んできたからである。 十二平均律とは、隣り合う音の周波数比が 1:『2 の 12 乗根=21/12』となるよう に、1 オクターブ間の音程を 12 分割した音律であると定義される(下表参照)。 《音程比較表(赤は完全一致・青は部分一致)》 十二平均律 同左 音程 一度 十二平均律 純正音程 同左 ピタゴラス音律 同左 周波数 (Hz) 周波数比率 相対数値 周波数比率 相対数値 実例 周波数比率 相対数値 20/12 1.00000 A 440.000 1/1 1.00000 1/1 1.00000 短二度 2 1/12 1.05946 # A 466.164 16/15 1.06666 256/243 1.05349 長二度 22/12 1.12246 B 493.883 9/8 1.12500 9/8 1.12500 短三度 2 3/12 1.18920 C 523.251 6/5 1.20000 32/27 1.18518 2 4/12 1.25992 # C 554.365 5/4 1.25000 81/64 1.26562 25/12 長三度 完全四度 1.33484 D 587.330 4/3 1.33333 4/3 1.33333 6/12 1.41421 D # 622.254 7/5 1.40000 729/512 1.42382 完全五度 27/12 1.49830 E 659.255 3/2 1.50000 3/2 1.50000 短六度 28/12 1.58740 F 698.456 8/5 1.60000 128/81 1.58024 長六度 2 9/12 1.68179 # F 739.989 5/3 1.66666 27/16 1.68750 短七度 210/12 1.78174 G 783.991 16/9 1.77777 16/9 1.77777 長七度 11/12 1.88774 G # 830.610 15/8 1.87500 243/128 1.89843 12/12 2.00000 A 880.000 2/1 2.00000 2/1 2.00000 増四度 八度 2 2 2 ■各音律の発明者探しは検索サイトに溢れる好事家の活動にお任せするとして、 十二平均律がもつ最大の利点は、変調しても耳に違和感を与えないことである。 正に、ギターのような相対音階楽器にはうってつけである。中学生のときギタ ーに出会い、どこからでも同じような指使いで『ドレミファソラシド』とアル ペジオを爪弾くことができるという、楽器の特性にすっかり魅了された。目の 1 前に拡がる開放的な音の空間が、ピアノの白鍵と黒鍵に怯えながらそれらの間 を右往左往していた自分の心理状態に光明を与えた。しかしそれは、ただ単に 楽譜の読みと指使いをマスターするのを怠っていただけのことなのだが…。 ■一方、十二平均律以前に普及していたピタゴラス音律は狭い音域では耳に心 地よいといわれるが、数オクターブに亘る音域を奏でると、異なるオクターブ の同音間に狼の吠声に似た唸り(ウルフの五度)が発生するという最大の欠点 をもっている。ピタゴラス音律は、上下に完全五度の関係にある音間周波数比 の定義(下音:上音=2:3)にもとづいている。例えば、A を起点にした場合… 低音域 ‒ E♭ ‒ B♭ ‒ F ‒ C ‒ G ‒ D ‒ ○ A ‒ E ‒ B ‒ F# ‒ C# ‒ G# ‒ D# ‒ 高音域 のうち、一番左の E♭(相対周波数 1024/729 = 1.40466)と一番右の D#(相対周 波数 729/512 = 1.42382)は、異なるオクターブに位置する同音であるにもかかわ らず、互いに四分の一音のずれを生じてしまうのである。この現象は、数学的 理論を優先し過ぎたピタゴラス音律が抱える自己矛盾であろう。 ■通常チューニングの場合、ギターの第五弦を開放弦で爪弾くと A 音(周波数 440 Hz)が響く。その半分の長さの位置(中央)にある第 12 フレットを押さえ て爪弾く音もしくはハモニクス音は、1 オクターブ上の二倍音 A(880 Hz)であ る。また、糸巻寄りやブリッヂ寄り四分の一の位置におけるハモニクス音は 2 オクターブ上の四倍音 A(1760 Hz)である。このように 2 の整数乗を繰り返す 限り、同じことが言える。一方、糸巻寄り三分の一の第 7 フレットを押さえて 爪弾くと、A 音からみた五度音 E が響くし、同部位やブリッヂ寄り三分の一の 位置でのハモニクス音は 1 オクターブ上の二倍音 E である。ハモニクスは、指 で軽く押さえた場所またはその整数倍の位置を支点とした弦の振動であり、物 理学でいうところの『定常波』に相当する。これらの事実を念頭に再度『音程 表』を見直すと、五度音の相対周波数が、十二平均律では 1.49830、純正音程と ピタゴラス音律では 1.50000、と微妙に異なることに気づく。これはどうしたこ とか?ギターのフレットが十二平均律に準拠することは確実であるが、ハモニ クスは一見直下のフレットの位置に近似しているものの、実際には純正音程や ピタゴラス音律の原理に当てはまると考えれば納得がゆく。つまり、フレット 音とハモニクスとでは音程が僅かに異なる現実を受け入れざるを得ない。格好 つけてハモニクスだけでチューニングするのは愚かな行為なのかもしれない。 2 ■ここで、振動弦長 (x cm) と相対周波数 (y Hz) との関係をグラフで表すとど うなるかを考えてみる。まず、開放弦の長さ 100 cm のギターを想定し、糸巻側 端を x 軸 100 の位置に、ブリッヂ側端を x 軸 0 の位置にとる。x = 100(開放弦) のとき y = 1、x = 50 のとき y = 2、x = 25 のとき y = 4、x = 12.5 のとき y = 8(そ んな位置にフレットがある筈はないのであくまで仮想ということで)のように、 振動弦長を半分ずつにしていくと、相対周波数は倍々に増加していく。当然の ことながら、振動弦長と相対周波数の間には、方程式 xy = 100 で表される反比 例の関係がある。一方、隣り合うフレット間距離は、糸巻側端からブリッヂ側 端に向かってどんどん短くなっていく。糸巻側端・第 1 フレット間幅は第 12・13 フレット間幅の 2 倍である。これは、隣り合うフレット間距離の比が一定であ ることを示す以下の式を 12 回かけあわせても導き出せる筈である。 《注:字が小さすぎるため、詳細は PDF ファイルを拡大の上、確認して下さい》 ■次に、相対音程を x 軸に、振動弦長を y 軸にとり、両者の関係を調べてみよう。 話を判りやすくするため、開放弦(一度)の相対音程を x = 0 としたときの振動 弦長を y = 100 と定義すると、 第 12 フレット(二倍音)x = 12 の振動弦長は y = 50、 第 24 フレット(四倍音)x = 24 の振動弦長は y = 25 となる。各点を結ぶと、両 者の間に式 1 で表される右肩下がりの曲線関係が存在することが判る。横軸は 人間が編み出したものであって、周波数が均等刻みでないことは自明である。 ■調子に乗って、y 軸を糸巻側端と押さえているフレット間の距離(非振動弦長) に見立てると、x と y の間には式 2 で表される右肩上がりの曲線関係が成立する。 3 ■式 1 も式 2 も、理論上は x 軸や y 軸との交点を貫いて、それぞれ第二象限と第 三象限まで伸びているが、現実的には糸巻側端で弦が終わっているので、第一 象限の中だけで考えればよい。両式は、y 切片を 50 とする x 軸に平行な直線(図 の赤い点線)を挟んで線対称の関係にある指数関数を表している。グラフで表 示されている第一象限内の両曲線は、x の値が小さいうちは急峻な傾きを示すが、 x の値が大きくなるにつれて緩やかになってゆく。x 軸は半音の刻みに相当する フレットの番号を均等配分しているが、フレット間距離は次第に短縮するため、 右向きに永遠に伸びてゆき、いつまでたっても理論上はブリッヂに達しない。 つまり、式 1 の y 値は永遠に 0 に達しないし、式 2 の y 値は永遠に 100 に達しな い。従って、式 1 の振動弦長 y の変動幅=式 2 の非振動弦長 y の変動幅(すなわ ちフレット間距離)は、x の値が小さいほど大きく、x の値が大きいほど小さい。 非常にまわりくどくなってしまったが、これでフレット間隔の変動様式が指数 関数にもとづくことを実感し、私なりに溜飲を下げた。自己満足に過ぎないが。 ■こうして普段使わない脳細胞を駆使したため、私の頭脳が混乱をきたす事態 に陥った。そんな時、私に手を差し伸べてくれたのは、本学物理学教室の木下 順二先生である。私は、ギターのフレット間隔を眺めているうちに音律を数学 的に理解したい欲求にかられた自分の心境を率直に語った。木下先生は、偶然 にも平均律を含むいくつかの音律の理論と歴史について調べた経験をおもちで あったこともあり、お忙しいのにもかかわらず、私の質問に快く応じて数式の 検証から思考の整理へと導いて下さった。心より感謝申し上げる次第である。 ■そもそも、音律を数学的に解析しようとする理屈っぽい方々による試みをよ そに、多くの素朴な一般人達は喜怒哀楽を含む様々な心象風景を投影するもの として、多様な音階で音楽を奏でたり楽しんだりしてきた。ヨーロッパで開花 したクラシック音楽は、長調や短調といった代表的な音階を培ってきた。一方、 民族音楽は地域ごとに独特の音階をもっている。乱暴ながら、あらゆる曲をハ 長調かイ短調にみたててみる。日本民謡や演歌歌謡の長調はファとシを欠き、 琉球民謡はレとラを欠くことが多い。イングランド民謡のグリーンスリーブス は、ファの代わりにファ#を使うことで荒涼とした自然を描き出すことに成功し ている(ように聞こえる)。私見ではあるが、ブルースやロックンロールに至っ ては、レとラとシを外すと同時に、ミの前後に装飾音ミ♭を挿入させることによ る悲喜交々感、ドとソとシ♭を共存させることによる抑圧からの解放希求感、長 調か短調かをぼやかす「長短三度はずし」を多用することによる喜怒哀楽を超 越した力強さなど、歴史的に抑圧された人々の叫びとも受け取れるサウンドを 達成している。なお、音程の刻みを 1/4 音や 1/8 音、さらに連続移行音まで拡張 した前衛音楽は、もはや異なる音律間の垣根を取り払ってしまったともいえる。 ■機会があれば、音楽のもう一つの要素「リズム」についても考えてみたい。 4
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