いつかある日

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いつかある日
「いつかある日」
作詞:ロジエ・デュプラ 訳詩:深田久弥 作曲:西前四郎
いつかある日、山で死んだら 古い山の友よ伝えてくれ
母親には安らかだったと 男らしくしんだと父親には
伝えてくれ愛しい妻に 俺が帰らなくても生きて行けと
息子たちに俺の踏みあとが 故郷の岩山に残っていると
友よ山に小さなケルンを 積んで墓にしてくれピッケル立てて
俺のケルン美しいフェイスに 朝の陽が輝く広いテラス
友に贈る俺のハンマー ピトンの歌声を聞かせてくれと
原詩のロジェ・デュプラはフランスの登山家。1951年6月29日、ヒマラヤの高峰ナンダ.
デヴィ(7817m)にアタック隊の隊長として登攀中、同僚と共に消息を絶った。享年50才。
デュプラは遠征中いつも赤い表紙の手帳を持っており、それにいくつかの詩らしいものを書つけ
ていた。この歌の原詩もそのうちの一つである。
右の山はデュプラがよく登ったフランスアルプス
のエタンソン山の岩壁である。
日本語訳の詞を作ったのは深田久弥。作家と登山家
で「日本百名山」の著者である。作曲の西前四郎は
英語教師で関西登高会に所属していた登山家。
1958年作曲のとき、曲に合うようさらに意訳した。
彼は1967年2月28日、アラスカのマッキンリー
峰に冬期登頂に成功したが、1996年10月、交通
事故で亡くなった。
詩にあるケルンは岩を積み上げた記念碑、墓碑。フェイスは急な平面状の岩壁。テラスは
岩壁の途中にあるちょっとした広さの平な部分を指す。ピトンは岩の割れ目に打ち込む釘、ハーケ
ンと同じである。
下記は高思明さんが原詩を正しく訳したものである。
「もしもある日」
①もしもある日、山で死ぬことがあったら
②そして君にもお願いがある
ザイルで結ばれあった古い山仲間の君に
愛用のピッケルがむざむざと
この遺言を託しておく
朽ち果てていくのはいやだ
おふくろに会って伝えてほしい
登山ルートを外れた、どこかひと気のない
おれが幸せに死んでいった、と
見晴らしのいい斜面を選んで
おふくろがいつも心の中にいたから
こいつのためだけに小さなケルンを積み
苦しむことはなかった、と
そこに突き刺してやってくれ
おやじには言ってくれ
こいつが氷壁に差す朝日の勢いに照り
おれが一人前の男だった、と
山稜のかなたを真っ赤に
弟には今こそバトンを渡すぞ、と
染める夕日に映えるように
女房には、おれがいなくなっても生きていけ そして君にはおれのハンマーが形見だ
おれが彼女なしで山で暮らしたように、と
これをふるって花崗岩をたたき
息子たちにはエタンソン谷の花崗岩に
岩壁に山稜に響きあう音で
おれがつけたハーケンの跡を
おれの屍を喜びにうち震わせてくれ
いつの日にか、かたどってくれ、と
さあ行け、おれはいつでも君と一緒だからな
深田久弥の訳詩もはじめはもしかある日だったが、いつの間にかいつか或る日に
変わってしまった。これが週刊誌「女性自身」に掲載るといつかある日になっており、
西前四郎氏に雑誌社は事後承諾をとった。井上靖の名作「氷壁」にも自身の訳のものが挿入されて
いるが、歌われている深田訳と若干違っている。