私とバリ島

私とバリ島
4月27日、袖山紘君から先日一緒に旅行した「バリ島記」が送られてきた。
あきつ会のHPに投稿するとのこと、いつもいつも旅行記を彼任せでは申し訳
ない。遅れ馳せながら私も自分なりにバリ島自慢を書き記して投稿することに
いたします。
今から10年ほど前の2002年の正月、14年半の間私に連れ添い私を頼
り時には私の子分であり同士であり世の中で唯一の私の理解者でもあった愛犬
「タロ」が天寿を全うしてしまった。カミさんも私も猛烈なペットロス症候群
に襲われてしまい残りのスキーシーズンの間中砂を噛むような虚ろな毎日が続
いていた。そんな折イオンカードの請求書に同封されてきた「ハワイ5日間お
得意様価格59800円」の旅行案内が目に留まり少しはペットロスの癒しに
なるだろうと考え一も二も無く飛びついてしまった。しかし5日間のハワイで
はいくらなんでも短すぎる、中3日しか滞在できなくて行ったらすぐに帰って
くるような日程だ、そこで旅行社に掛け合い一日の延泊を認めてもらい6日間
の日程を組んでもらって4月7日に出発することにした。
「タロ」の存命中は国
内の旅行しか出来なくしかも車でのお出かけしか許されず、私にとっては10
年ぶりカミさんにとっては20年ぶりの飛行機での海外旅行と目先が変われば
しばらくの間は「タロ」のことも忘れることが出来るだろうと考えた、しかも
4月8日の結婚記念日を南太平洋の明るい空の下で迎えることが出来る、こう
誘えばカミさんにとっても異存があろう筈は無い、即決であった。
4月の姫木平とは三十数度の温度差のあるハワイでの6日間は予想通りに私
たち二人の癒しになり久しぶりに{タロ}の存在を忘れさせてくれ二人だけの
世界に没頭することが出来た。しかしこの快適なハワイ行きが生来の私の放浪
癖に火をつけてしまい、ペットロスを口実に結局この年は6月にカナディアン
ロッキーを10日間、11月イタリア・フランスに10日間の旅をする羽目に
なってしまった。こうなるともう止まらない、翌2003年の4月、当たり前
のようにお正月休みをまた南太平洋で過ごそうということになり、またぞろハ
ワイでもないなと思っていた矢先にこれまたイオンカードの請求書に同封の
「五つ星ホテルに泊まるバリ島5日間59800円」が届く、これが私たちと
バリ島との運命的な出会いになってしまったのだ。同じに南太平洋にあるのだ
がハワイは一日近い時差があるのに比べバリ島と日本の時差はたった一時間し
かないしかも南半球にあるバリ島ではハワイでは見ることができない南十字星
が頭上に煌めいている。それよりも何よりも最初に宿泊したホテル「メリアバ
リ・スパ・アンド・リゾート」をカミさんが大いに気に入ってしまいそれ以降
毎年4月バリ島を訪れるのが習慣になってしまった。最初は6日間、翌年は7
日間、次は8日間、またその次の年は9日間と毎年一日づつ宿泊日数が増えて
いくほどのお気に入りになってしまっていた。バリ島は良い所だ、まだ東京で
仕事をしている頃クライアントとの打ち合わせが終わり深夜渋谷の事務所に戻
ってくると、私の部の若者が書きかけの企画書の上に突っ伏して眠ってしまっ
ていた、風邪など引かせちゃならないと起こそうとした時に彼のデスクの前の
壁に貼ってある標語が目に飛び込んできた、「佐川で三年バリ一生」、日頃いろ
いろ注文をつける私への当て付けなのか佐川急便で私の事務所並に三年働けば
バリ島で一生暮らせるくらいになるということなのか。その時はバリ島での休
暇など思いもよらなかったのだが今にして思えば彼の気持ちが良く理解できる。
私の定宿「メリアバリ」があるNUSA DUA(島・二つ=二つの島)は
KUTAやDENPASARなどの繁華街がある本島から延びる砂嘴で繋がっ
ている小さな島のようなところだ。1970年代にインドネシア政府の一大プ
ロジェクトで建設され大型ホテル・ゴルフ場などが広大な敷地に点在する高級
リゾート地で外界からは隔絶されている。オーストラリアから3時間足らずの
フライトで来ることが出来るため白人の観光客が多くそれ故テロに対する警戒
が特に厳重で、島に通じる各道路には検問所が設けられていて24時間厳重な
チェックがなされている。検問所を過ぎリゾート地に入ると車が高速で走れな
いように数十メートル間隔で道路に凹凸が造られている。また各ホテルへのエ
ントランスには更に厳重な検問所が個別に設置されていて車のトランク・ボン
ネットなどは全て開けなければならなく車体の下回りも鏡でチェックされOK
が出なければゲートが開かないようになっている。さてこの「メリアバリ」な
のだが4月の日本は年度初めということでこの時期は日本人客の滞在はほとん
ど無く若い新婚さんカップルが時たま見られるくらいで、丁度イースター休暇
中のオーストラリア人の滞在が主体となる。またホテルがスペイン系列とあっ
てスペイン系の白人客が多く朝食時やリゾート地一の面積を持つプールなどで
はスペイン語の会話があちらこちらで飛び交っている。
一年目の二日目、二年目の二日目の二日間でバリ島観光の目ぼしい所をほと
んど網羅してしまった二年目以降の私たちの休暇は日中は専らプールサイドで
ビールを飲みながら水に浸かったりのんびり過ごし、夕方になるとネットで調
べたレストランやWARUNG(食堂)巡りをすることになる、、といっても週
末はKUTAやJINBARANなどの人が多いところはテロが怖いのでなる
べく近付かないようにしているのだが。私は滞在中のほとんど毎朝10時頃か
らメインプールで行われる水中エアロビックスに参加して飲み過ぎや食べ過ぎ
で弛んだ身体を少しでも引き締めようとしているのだが、これが中々難しくて
インストラクターについていけない、おまけに熱帯の陽は容赦なく肌を焦がす、
帽子とサングラスとTシャツ着用で水の中に胸まで浸かっているのだが暑くて
たまらない、その上一時間半もの長丁場なので途中でバテてしまう、結局水か
ら上がった後ビールを注文してガブガブ飲んでしまい元の木阿弥になってしま
う。
4年ぶりに訪れた今年のプールサイドはリーマンブラザーズショックの影響
がまだ尾を引いているのか宿泊客もビーチボーイも以前に比べて極端に数が少
なかった。以前は大勢のボーイがウジャウジャいて、その中の一人が私たちに
なついてしまいプールサイドに着くや否や目敏く見付け私たちのために用意し
た特等席の花の飾られたデッキチェアに導いてくれて、私たちに密着してそれ
こそ「ビール命」のカミさん専属のボーイになったといっても良いくらいのこ
とができていたのだが、流暢な英語と片言の日本語が話せ常に私たちの傍らに
いた愛くるしい目をしたそのボーイもリストラにあったのか今回の滞在中つい
に彼の姿を見ることが出来無かったのだ。一年目の滞在中に「メリアグループ」
のメンバーに登録出来たのも彼の尽力のお陰だ。彼曰く「毎日ビールをたくさ
ん飲んでくれる良いお客様なので私がメンバー登録の推薦をいたします」。彼を
含めた若手のボーイさんのほとんどが姿を消して残っているのは融通の利かな
い古顔の年配のボーイばかりだった。おまけに今年はまだ雨季が明けてないら
しく毎日スコールの来襲に遭ってしまった。たいがい4月の第一週で雨季が明
ける筈なのだが・・・。
「メリアグループ」メンバー特権の一つはプライベートビーチ、プライベー
トプールが使用できること、そこでは一般のビーチ・プールに無いミネラルウ
ォーター・お絞り・冷たいフルーツスティックのサービスがあり3時半にはケ
ーキ・カナッペ・ソフトドリンクなどのティータイムがある。また一つはイン
ストラクター付きのトレーニングジムが自由に使用できること、もう一つは朝
食がメンバーズオンリーのレストランで食べることが出来ること、ここのフレ
ッシュジュースは特別に旨い。あともう一つが部屋にフルーツの盛り合わせが
届き夜間を除いて4時間ごとにミネラルウォーターの補充がある、などなど。
寒冷の地から来ている私たちは敢えて冷房の効いたジムの使用を避け専ら日焼
けに励むことにしている。今回帰国後にホテルから届いたメールによれば次回
からホテル内の五ヶ所のレストラン・プールバー・ビーチレストランなどの飲
食がメンバー割引で全て25%オフになるとのことだ。どれもこれも「ビール
命」のカミさんがプールサイドでジャンジャンビールを飲んだお陰と僅かばか
りのチップに喜んでくれた目の愛らしいボーイのお陰と感謝、感謝!この特権
を利用して優雅に休暇が送れることがカミさんの一番のお気に入りであること
は間違いのない事実だ。
さてお目当てのバリ島での食生活のことなのだが、最初の一年目は何も知識
が無く、おまけに旅行前に夕食を食べるレストランなどをチェックを入れたガ
イドブックをカミさんに貸したところ、愚かしくもお見事に機内に置き忘れさ
られしまい何も資料がなくまったくのお手上げ状態、仕方なしにホテル内での
食事を摂ることを余儀なくされてしまった。パティオ(インドネシア)
・さくら
(和食)
・ソレント(スパニッシュ)
・ロータス(アジアン)
・サテリア(ビーチ
バイキング)どれもこれも物価の安いバリ島では信じられないくらい高価で 1
食二人で6000円の上、日本で食べることと大差がない、とんでもない散財
をしてしまった。町で食べれば 10 分の 1、せめて隣接する今は「バリコレクシ
ョン」と名称を変えているギャレリアショッピングセンター(といってもゆっ
たりとした区画なのでとんでもなく遠い)のレストラン街で食事でもと思い、
散歩がてら歩いて出かけてみたのだが何のことはない前年のテロのあおりで閉
鎖中、周囲を一周して重い足を引きずって帰る始末。これに懲りて帰国してか
ら翌年のためにネットで調べコピーして今度はカミさんには渡さずに慎重にト
ランクにしまいこんだ。二年目からはテロの被害を避けるため出来るだけNU
SA DUAから出ないようにして選んだレストランが気に入りホテルまでの
送迎付きということもあってその後ずっと通っている、ウラム(インドネシア)、
和の家(和食)、サマサマ(韓国)、ウイークデイのみKUTAのデヴィスリ(中
華)などなど。これらのレストランはホテルの2分の1くらいの値段でまずま
ず。更に安いWARUNG(食堂)があるのだがタクシーの運転手と必ずもめ
てしまうので中々足を運べないような状態だった。今回は下調べも充分それに
袖山夫妻と一緒という大人数で強気になれプリボガというWARUNGに出か
けたのだがこれがやはり大正解、安くて旨くて大満足。ネットで調べた資料は
まだまだたくさんあるので次回からの食べ歩きに期待。
現地での会話のことなのだが、バリ島では私の片言の中学生程度の英語と現
地の彼らの片言の日本語混じりの会話でおおよそのことは充分通じてしまう。
毎度のことながら村上さんの英語の授業をもっと真面目に出席していればなあ
と思うのだが今となってはすべて後の祭り悔やまれてならない。それでも現地
に溶け込むのにはやはり現地の言葉を使うのが一番。と言っても私がしゃべれ
るのは、おはよう=サラマパギ、こんにちは=サラマシアン、こんばんは=サ
ラマソーレ、18 時過ぎのこんばんわ=サラママラン、ありがとう=テレマカシ
ー、どういたしまして=サマサマ、くらいである、斯様にまったく少ない語彙
なのだがしかしこれで充分に心が通じ合えるのだ、インドネシア語で挨拶をす
る白人を見たことがない。ちょっとした挨拶で私は凄く得をしているような気
がしてならない。自分たちの言葉で挨拶されることは何処の国の人にとっても
嬉しいことであることは間違いのない事実なのだ。おっと!大事な言葉を忘れ
ていた、ミンタ アスパ、ミンタ コピ。ミンタ ビンタン、=灰皿ちょうだ
い、コーヒーちょうだい、ビンタンビールちょうだい、とお願いして指を一本
立ててサトゥ、指を二本立ててドゥア、今まではこれで済んでしまっていた、
が、今回は袖山夫妻が一緒である、三本立ててティガ、四本立ててウンパ!ま
た少し語彙が増えた。
4 年ぶりのバリ島訪問には、4 年間バリ島を訪れなかったのにはそれなりの理
由がある。スキーシーズンに山菜シーズンに袖山夫妻が我が家を訪れるように
なってからもうかれこれ十年以上は経とうか、訪れるたびごとに中国の話題が
出てどんどん彼の豊富な中国に関する知識の広さや深さにに引き込まれてしま
う、彼等が長期滞在しているうちに一度上海に来たらどうかという一言が引き
金だった。有賀武夫夫妻をお誘いして四人で上海江南の旅行に出かけることに
までなってしまった。しかし上海に行く前に小手調べで序曲として北京にも行
ってみよう絶対行ってみるべきだと決め込んで上海を訪れる 2 ヶ月前にカミさ
んを連れて北京 5 日間の旅に出た、そしてご他聞に漏れず中国の大きさ奥の深
さに嵌まってしまったのだ。それ以降何回中国を訪れたことだろうか、パスポ
ートの余白がどんどん埋まってしまうくらいに訪れてしまい、いつしかバリ島
は忘れ去られてしまっていたのだ。今回バリ島旅行をしたのには「退職したら 4
月のバリ島でも何処でも付き合うよ」と言った袖山夫妻の言葉が思い出された
からだ。
今年の 4 月のバリ島はまだ雨季が明けきらず毎日スコールに見舞われる旅行
者にとっては一番迷惑な状態だった。果たして彼等がそれでも満足してくれた
のだろうかとそれだけが心配の種である。私としてはもうちょっとだけ長期の
滞在が出来なかったのかどうかが心残りなのだが・・・・。
福島資剛