4章:事例研究(1):マルセイユ 35

IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010: 22 頁-25 頁
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ORiN を用いた点滴事故防止システムの開発
―画像解析によるアプローチ―
岩上
優 美 *,**, 今 泉
*東 京 医 療 保 健 大 学
医療保健学部
**電 気 通 信 大 学 大 学 院
***東 京 大 学
一 哉 *, 山 下
和 彦 *,***
医療情報学科
電気通信研究科
情報工学専攻
先端科学技術研究センター
要約
点滴による投薬は多く行われている治療法であるが,滴下流量や滴下状態を管理する
システムはメーカ依存したものが多いため,既存の院内システムに導入することを目
標とした点滴管理システムの開発を行い,基礎的実験の結果から本システムの有効 性
と応用的利用方法を検討した.
1. はじめに
2. 点滴による医療過誤
近年,我が国では医療安全に対する国民の関心が高
点滴による水分補給や与薬は,臨床現場でよく行
まっている.日本での医療過誤件数は年間16,800人
われる方法である.点滴には,輸液の流量を手動で
[1]
~36,300人と推計されている .これには,医療従
調節するものと機械によって流量を制御するものが
事者の不足から勤務の激化が増し,過密労働下で医
ある.手動管理の点滴は,ローラークランメと言わ
療従事しなければならないという現状がある.2006
れる部分を調節し,チューブを圧搾することで注入
年において,日本の人口千人当たり医師は2.1 人で
量を調整しており,時間あたりの滴下数を目視で確
あり、OECD 平均の3.1 人をはるかに下回る .
また,
認し,滴下数から流量を設定する.機械で流量を制
日本の人口千人当たり看護師数は2006年で9.4 人で
御するものには輸液ポンプやシリンジポンプがある.
あり,OECD 平均の9.6 人をやや下回る[2].
図表1に点滴の仕組みを示す.
臨床現場はこのような過密労働下にあり,ヒュー
輸液バックもしく
は輸液ボトル
マンエラーを起こしやすい環境にあると考えられる.
最高裁判所の調べによると,
医療関係の訴訟件数は、
1993(平成5)年には442 件であったのが,2002 年
チャンバ
には896件となっており,約10年間で倍増している[3].
ー
ローラークラン
メ
特に点滴や輸液ポンプによる投薬は病室やICU,
処置室など1人で処置を行うこと場合は多く,
防止が
図表 1 点滴の仕組み
難しいと考えられる.実際に点滴による医療事故は
点滴業務においては薬剤・使用機器・指示の伝達
医療事故の第8位に上げられており.全15件中,7件
という多くの要素がからみ,1つの業務にチェック項
は死亡事故に至っている[4].
目が多いと考えられる.
そこで本研究では,点滴による投薬や水分補給時
以下に過去の過誤の事例[5]を挙げる.
の事故防止に焦点を当て,点滴の滴下状態を監視す

るシステムの開発を行った,
2本の点滴の3方活栓の間違いで,片方のみから
流れ一方の流量が多くなった.
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

20ml/hで滴下するところを120ml/hで滴下して
ばならず,全ての病床に導入するには多大なコスト
いた.
がかかる.また,既存の院内システムと連携を図る
点滴ラインにミルクの入ったチュ-ブをさし
には,既存のシステム全体を見直し,システムの変
込んだ.足の付け根から点滴をしていた時,ラ
更を行う必要がある.これを踏まえて,本研究で開
インの接合部分がしっかり接続されていず,外
発したシステムは工業用ミドルウェアORiN(Open
れていた事があった.
Resource/Robot internet for network)を用いて,
このように点滴の過誤の要因として点滴ルート
既存のシステムを変えることなく連携することを目
のルートミス,調整弁閉め忘れ,輸液ポンプやシリ
標とした.
ンジポンプの予定量・時間注入量・流量の設定ミス
ORiNは,製造業における生産ラインで様々なメー
などのヒューマンエラーの可能性と患者の動きによ
カのロボット,精密検査機器などが同一の製造ライ
り,針先が血管壁に密着する,患者による抜針やク
ンに導入する際に,他の機器との連携を取り,全て
ランメの操作,針内の凝結,ラインの屈曲や接続部
のシステムのプログラムを書き換えることなく,保
の緩み,漏れなどにより,滴下速度の変化,滴下不
守,管理が困難であることから,全てのシステムを
良,フリーフローなどのインシデントやヒヤリ・ハ
一元管理実現したミドルウェアである.医療現場で
ットが報告されている
も単体で稼動している機器や電子化されていない機
これらを防止するには,自動モニタリングなどの
器,また既存のシステムがメーカ依存している場合
技術的な要素を取り入れることがじゅうようである
があり,新規にシステムを導入する場合,既存シス
と考え,本研究ではチャンバー部の画像を取得し,
テムを考慮する必要があるが,ORiNを用いることで
画像処理及び解析を用いて,滴下状態を監視し,輸
全てのシステムの入れ替えや管理,保守の効率化が
液の滴下状態の異常時に迅速に対応できるシステム
可能であると考える.
の開発を試みた.
3.1. システムの概要
3. 開発システム
本システムではORiNを利用して市販のコンピュ
現在用いられている点滴管理システムは異常時に
ータと市販のIPカメラ等を使用した.これにより新
アラームが鳴りスタッフに知らせるようになってい
規に専門的な機器を導入せずに実現が可能である.
るため,近くにスタッフがいる場合や患者がナース
図表2にシステムの概要を示す.
コール等を使ってスタッフを呼ぶことができる状態
ORiN
搭載
であることが前提である.また,慎重に投与するこ
とが必要な薬剤に優先的に利用されており,すべて
LAN
の点滴に使用されているわけではない.
輸液ポンプにドロップセンサが付属しており,コ
病室・処置
ンピュータに接続できるUSBのインターフェースが
LAN
室
付いているものやチャンバー部分にセンサをつけ,
異常時に
コール
異常時に
アラート
滴下が検出できない時に,無線によってスタッフが
院内 PHS
携帯する専用のレシーバからアラートを鳴らすシス
スタッフステーション
テムも開発されているが,専用のセンサとレシーバ
が必要である.
図表 2 システム概念図
上記に挙げたシステムは単体で稼動しており,新
病室内にカメラとクライアントPCを設置し,画像
規にハードウェア及びソフトウェアを導入しなけれ
を取得する.取得した画像を解析し,滴下部のみを
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抽出して滴下を検出する.滴下量が異常だった場合
CaoSQLプロバイダのデータロギング機能により複数
や,
一定時間以上滴下が検出されなかった場合には,
のカメラからの状態を管理し,どのカメラで異常が
スタッフの携帯する院内PHSへの連絡,
ナースコール,
検出されたか判定が可能である.画像解析結果のロ
スタッフステーション内のコンピュータにアラート
グは一定期間,データベースに保存される.
を出す人の手を介さずに迅速にスタッフに連絡する.
4. 実験
本システムは図表3に示すように画像取得部,画
今回は基礎実験として,画像の取得実験と画像解
像解析部,トリガ部に分かれる.
析実験を行った.
4.1. 画像取得
カメラから
画像を取得
画像取得部
本システムの有効性検証のため,今回は基礎実験
として滴下が全くない滴下不良とフリーローの検出
取得した画像
を 2 値化
の可能性を検証した.
実験では滴下の検出をしやすいように,生理的食塩
画像解析部
滴下部分を
抽出
水を赤インクと1:1で着色し,20滴/分で滴下した.
この点滴セットのチャンバー部分全体が写るように
滴下量を
判定
トリガ部
チャンバーから15cmの距離にwebカメラを設置し画
異常なし
像の取得を試みた.
実験環境は通常の病室で使用することを想定し,
異常値
室内灯を全て転倒させた状態で,空調を稼動させた
スタッフに
連絡
状態とした.以下に実験装置を示す.
図表 3 システム構成
3.2. 画像取得部
画像取得部はカメラからコンピュータへ画像を取
得し,画像ファイルをして保存する.カメラを制御
するプログラムのメーカ依存等を避けるため,本シ
ステムではORiNのライブラリである,OpenCVプロバ
図表 4 実験装置
イダを採用している.取得した画像はビットマップ
実験にはB5サイズのノートPC(CPU:Pentium Core
形式で保存される.
Duo,RAM:2.0GB,OS:windows Vista)とLogicool社製
3.3. 画像解析部
webカメラQcamを使用した.
画像解析部は画像取得部で取得した画像ファイ
画像のサンプリングは20Hzとし,200×200のビッ
ルを2値化処理し,事前に取得しておいた,滴下前の
背景画像との差分を用いて滴下部分のみを抽出する.
トマップ形式のファイルで取得した.以下の図は画
このとき,滴下が一定時間以上検出されない場合や
像のサンプリング画面と取得画像である.
フリーフローが検出された場合,異常とする.
3.4. トリガ部
トリガ部は画像解析部で滴下異常が検出された場
合,自動的にナースコールやスタッフステーション
内のコンピュータにアラートを鳴らす,
院内PHSにコ
ールする.トリガ部にはORiNのライブラリである,
図表 5 画像取得システム画面と取得画像
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以上の実験環境で3分ごとに手動で画像取得の開
後検討する必要がある.
始と停止を行い,7回試行した.
しかし,輸血や透過率の低い薬剤については,本
4.2. 画像解析
手法で検出が可能である.このことから在宅におけ
4.1.
で取得した画像の各ピクセルから輝度を求め,
る経管栄養法(PEG)に適用が可能ではないかと考え
閾値判定を行い2値化した.閾値設定は目視で110の
られる.
固定値と決めた.同様の処理で背景画像も2値化し,
7. まとめと展望
差分を求めることで滴下部分の抽出を行った.図表6
本研究では,医療過誤の中で発生頻度の高い与薬
に画像解析手順を示す.
の中でも点滴による過誤に着目した.点滴による医
療過誤の要因は多くの要因が存在し,自動的なモニ
タリングによる事故防止のためのシステムを開発し
た.開発システムは既存の院内システムとの連携を
輝度を算出
2 値化
差分
目標としているため,工業用ミドルウェアORiNを使
図表 6 画像解析の流れ
用した.
5. 結果
開発システムの有用性の検証として,着色水を用
画像のサンプリングは同じ条件下で7回試行した
いた基礎実験を行い,その結果,画像解析を使用し
がいずれも正常に画像を取得することができた.
た滴下の検出が可能であり,アルゴリズムを改善す
次に,画像解析後の実験結果を図表7に示す.
ることで検出精度の向上が可能であると考えられる
ことから,本システムの有効性が示唆された.
今後,アルゴリズムの改善による背景除去の精度
向上,既存の院内システムとの連携,さらに経管栄養
図表 7 実験結果
法への応用を検討していく.
本手法では完全に背景を除去できず,背景が一部
文 献
ノイズとして残ったが滴を確認することは十分に可
[1] 米国医療の質委員会が 1999 年に発表した調査
結果(To Err Is Human: Building a Safer Health
System)からの推計
能である.
6. 考察
[2] OECD Health Data 2009
今回の基礎実験では,基礎実験では取得画像の背
http://www.oecd.org/health/healthdata/
景となる部分が多いため,
図6のように輸液と同じ輝
[アクセス日:2010年3月20日]
度の部分がノイズとして多く残ってしまった.これ
[3]
は,設定時に画像取得の対象となる範囲をチャンバ
恩田裕之:医療事故の現状と課題-医療事故への対
ー部分のみに限定することで改善できると考える.
応 策 の 整 備 を 中 心 に - ,ISSUE BRIEF NUMBER
本システムは背景差分法を用いているため,背景
433,2003
や照明の環境が変化する可能性の高い一般病棟での
[4] 出口真弓:報道情報からみた医療事故の現状分析,
与薬のように与薬中に点滴代を移動するケースには
日医総研,Annual Report 2005 第1号,2005
向いていない.よって,本システムはICU(Intensive
Care Unit),NICU(Neonatal Intensive Care Unit)
の重症患者や外来で化学療法を行う処置室などで有
効であると考える.また今回は着色水を用いたため,
輝度値から滴下のみの分離が可能であったが,透明
の薬剤が多いため,透明輸液の検出方法について今
25
[5] http://knisino.hp.infoseek.co.jp/45jirei9.html
[アクセス日:2010年3月20日]