4章:事例研究(1):マルセイユ 35

IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 :65 頁-68 頁
16
ウェアラブルな血圧モニタリングシステムの
医療現場での応用
柳元 伸太郎
1,2
飯島 勝矢
,今井 靖
2,3
2,3
, 酒 造 正 樹 4, ロ ペ ズ ギ ヨ ー ム 4, 亀 山 祐 美
,秋下 雅弘
東京大学
2,3
,大内 尉義
1,2,3
,矢作 直樹
2,3
,山田 一郎
1,2
,
4
1 保健・健康推進本部,2 医学部附属病院,
3 大学院医学系研究科,4 大学院工学系研究科
要約
メ タ ボ リ ッ ク 症 候 群 ( MetS) に 代 表 さ れ る 生 活 習 慣 病 は 動 脈 硬 化 を 介 し て 脳 血 管 障 害 、
心 血 管 障 害 発 症 の リ ス ク を 高 め る こ と が 知 ら れ て い る 。特 に MetS の 構 成 因 子 の 中 で も 高 血
圧は有病者が多く、脳・心血管病の最大の危険因子である。現在、高血圧症のスクリーニ
ングは健康診断や一般外来などにおける単回の血圧測定が中心だが、仮面高血圧や白衣高
血圧などの存在や血圧変動の有無を把握することができず、十分 な診断や管理が出来てい
ないのが現状である。また、血圧の日内変動の把握に従来からいくつかの方法が用いられ
ているが、問題点も指摘されている。我々は脈波伝播速度を用いて連続的に血圧をモニタ
できるシステムを開発し、臨床への応用を進めているところである。現在開発中のモニタ
リングシステムの既存のシステムに対する優位性、非劣性について検証を進めており、こ
れについて報告する。また、本システムを活用した医療サービスや臨床研究について実情
や今後の展望を紹介する。
1. はじめに
心筋梗塞、脳梗塞といった、心血管障害、脳血管
障害による疾患は日本人の死因の上位を占め1)、公
衆衛生政策の力点がこれらの予防におかれるように
なってきた。こうした中、平成20年からは特定健診
制度が導入され、メタボリック症候群(MetS) への対
策が進められている。MetS(広義に生活習慣病)は
動脈硬化を介して脳血管障害、心血管障害発症のリ
スクを高めることが知られている2), 3)。生活習慣病の
中でも高血圧は有病者が多く、脳・心血管病の最大
の危険因子である。特に高齢者においては動脈壁硬
化の進んだ症例も多く、血圧の短期変動(日内変動)
を起こしやすく、
相対的臓器虚血も誘発されやすい。
現在、高血圧症のスクリーニングは健康診断や一
般外来などにおける単回の血圧測定が中心だが、仮
面高血圧や白衣高血圧などの存在や血圧変動の有無
を把握することができず、十分な診断や管理が出来
ていないのが現状である。血圧の日内変動を把握す
65
るために、患者による一日数回の家庭血圧測定や、
カフ式による24時間携帯型血圧計を用いた外来血圧
測定(ambulatory blood pressure monitoring: ABPM*)
が行われている。
しかし、
患者による自己測定では、
正確性、客観性に関して懸念があり、また、ABPM
では、患者への負荷、測定間隔の限界(最大30分間
隔)などの諸問題も指摘されている。
我々は脈波伝播速度を用いるカフを必要とせず
に連続的に血圧をモニタできるシステムを開発し、
臨床への応用を進めているところである4)。現在開
発中のモニタリングシステムの既存のシステムに対
*
ABPM(方法・装置)に関連して健康保険や種々のガイド
ラインなどによって「24 時間自由行動下血圧測定」
、
「24 時
間血圧計」など、異なる用語が用いられているが、基本的に
は同種の装置を用いた臨床上は同じ検査のことを指してい
る。測定方法については実用化されているものはカフ式のみ
である。本稿では混乱を避けるため、特に必要がない限り装
置については「24 時間携帯型血圧計」に統一する。
IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 :65 頁-68 頁
16
する優位性、非劣性について検証を進めており、そ
の概要を報告する。また、本システムを活用した医
療サービスや臨床研究について、現在検討中のもの
や、進行中のものについて実情や今後の展望を具体
的に紹介する。
2. ウェアラブル血圧モニタリングシステム
一定時間以上にわたって血圧を持続的にモニタ
リングする、24時間携帯型血圧計による外来血圧測
定が心血管障害発症のリスク評価においては有用で
あるとされている 5) 。しかし、従来行われている
ABPMは、上腕がカフにより頻回に圧迫されるなど、
被験者にかかる負荷が大きい。また、実際には測定
が始まると被験者は行動を中断して安静にせねばな
らないなど測定上の制限もある。
正確で、非侵襲的に、日常生活を中断することな
く血圧を測定することで、より実情にあった血圧の
変動を把握することができれば、従来の機器の限界
を超えて、新しい医学的な知見が得られる可能性が
期待される。
そこで、
従来の課題を克服するために、
血圧測定の原理として脈波伝播速度を元に血圧を推
定する方法6)を採用した。試作段階の装置ではエル
ゴメータを用いて自転車こぎ運動をしている状態で
も、医師によるカフ式手動血圧計での聴診法による
測定結果と比較して、大きな乖離のない測定結果が
得られた4)。
この結果をもとに、
「ウェアラブル」な血圧モニ
タリングシステムとして図1に示すような装置を試
作した。カフを用いないため、装置を装着している
こと以外には、特に測定が行われていることを被験
者が意識するようなことはない(図2)
。本システム
と従来の測定方法との間で異なる点をいくつかまと
めた(表1)
。こうした特徴を踏まえた上で、我々は、
医療現場において臨床、研究での応用を試験的には
じめている。例えば、カフの圧迫がないことは、被
験者の負担を軽減し、従来よりも広い範囲の患者を
対象とすることが可能となると考えられる。
なお、表1のウェアラブル血圧センサの特徴は固
定されたものではなく、試験運用の結果を踏まえ、
今後の開発過程において、必要があればその他の機
能も含め、改良されていくべきものと考えられる。
図2
図2.従来のABPM装置(左)と新しい装置(右)を装
着している状態の比較。開発中の機器ではカフを着
用する必要はない。
図1
表1
図1.開発中のウェアラブル血圧モニタリングシステ
ム。
センサ端子類と本体。
前胸部3カ所に電極を貼り、
耳朶にクリップをつける。写真には三軸加速度計(白
色)も含まれている。
66
24時間携帯型
ウェアラブル
血圧計(カフ式) 血圧センサ
カフによる圧迫
あり。頻回。
なし
測定時の静止
上肢固定で安静 不要
測定血圧
収縮期、拡張期 収縮期のみ
最短測定間隔
約1分※2
1秒程度※1
心拍測定
可能
可能
心電
機種依存※3
計測可能
※1 原理的には心拍一拍(通常毎分60~100回)ごと
に測定できる。※2 カフが膨張してから脱気するま
での時間が必要。※3 オプションで心電計機能が付
いているものもある。
表1.ウェアラブル血圧センサと既存のABPM装置と
の比較
IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 :65 頁-68 頁
16
3. ウェアラブル血圧センサの臨床応用の可能性
3.1 メタボリック症候群・高血圧診療での応用
既に述べたように、MetSやその予備群とされる集
団の診療においては血圧のコントロールはその後の
合併症予防のために非常に重要である。そこで、
MetSなどの生活習慣病の日々の診療のサポートと
して本機器をガイドとした高血圧予備群のスクリー
ニング(早期発見と予防)
、高血圧症例における日々
の管理と安全な運動療法の指導や、家庭血圧の測定
結果の外来診療での活用という診療サポートシステ
ムへの導入(実装実験)を計画している。機器の開
発にあたってはこれらのメニューを実施できるよう
なものも必要な機能として念頭に置いている。
も導入されているが、患者への負荷が大きいことな
どから必ずしも広く用いられているとはいえない。
しかし、ウェアラブル血圧センサのように低侵襲
で測定が容易な機器が導入出来れば、外来診療でよ
り多くの患者の正確な血圧の変動を把握できるよう
になり、より適切な治療方針の決定につながるもの
と期待される。
高血圧予備群の早期発見・予防
これは、MetSのリスクが高まる30歳以上の男女を
対象に、MetSの診断基準の一つであり、かつ日本人
の脳血管障害の大きなリスク因子の高血圧のスクリ
ーニングとして、1週間単位の日常生活における1日
単位での血圧変動パターンを測定して被験者の状態
の評価を試みるものである。ウェアラブル血圧セン
サによる血圧測定のほか、三軸加速度センサによる
行動記録を行う。日常生活のどのような状況やどの
ような時間帯に血圧がどのように変動するのかを観
察でき、血圧に影響を与える行動を把握することが
出来る。これを元に、血圧の治療が必要な場合には
薬剤の種類や服用のタイミングを最適化できると期
待される。
高血圧患者・メタボ患者への運動療法の設定
高血圧症例、またはそれを合併するメタボ患者に
対して、運動療法の負荷量と安全域を適切に設定し
て、これを患者にリアルタイムにフィードバックす
ることによって適切な運動療法を、モチベーション
を維持しながら実施させることを目指すものである。
ウェアラブル血圧センサで心拍と血圧を測定し、年
齢相応の身体運動量を達成するために、心臓負荷指
数(Double products)を算出した上でそれが医師の
指示の範囲に収まるように患者に文字や音声などを
通して伝達する。
高血圧患者の外来診療
上記のほか、高血圧患者の通常の診療でも有効な
活用が期待される。現在、高血圧診療では、主に外
来血圧や家庭血圧測定を元にして血圧コントロール
の評価や治療方針の決定を行っている。ABPM装置
67
3.2 臨床研究での応用
高血圧症患者では、動脈硬化を介して心血管障害、
脳血管障害が発症するリスクが高まるとされている。
特に高齢者においては、動脈壁の硬化が進んだ症例
も多く存在し、そうした状態では血圧の変動が大き
くなりやすい。全体に動脈硬化が進んだ状態では特
に脳や心臓といった主要臓器の血流量の減少が見ら
れるが、それに加えて急激な血圧変動によりこれら
の主要臓器が相対的虚血状態にさらされることも高
齢者では少なくない。
高齢者で生じる急激な血圧の変動の中でも、食後
低血圧7)、起立性低血圧8)は転倒の原因や認知機能障
害との関連が指摘されるなど、臨床上も大きな問題
と考えられている。特に高血圧を基礎疾患に持ち、
これに対して薬物療法を行っている患者においては
その治療方針を決定する上で、こうした現象の影響
は無視できない。
食後低血圧や起立性低血圧は非常に短い時間に
生じる。現在開発中のウェアラブル血圧センサは原
理的には一拍ごとに血圧を測定することが可能であ
り、これらの低血圧で見られるような「超短期的」
な血圧の変化をリアルタイムに把握することが可能
である。現在の試作機でも、食事や起立、臥床とい
った日常動作を含む数時間の血圧の測定や記録は可
能であり、東京大学医学部附属病院老年病科の入院
患者を対象として、機器の性能を確認するための実
証実験と、取得したデータを元に行う臨床研究に取
りかかっている。
食後低血圧、起立性低血圧のパターンと患者の基
礎疾患や属性、将来の疾患のリスクなどとの関連に
ついては更に研究が進められるべき領域であり、ウ
ェアラブル血圧センサから得られるデータが新たな
知見をもたらす可能性が期待される。
このほか、高齢者においては、日常の様々なスト
レスやリハビリテーションといった治療行為も超短
期的な血圧変動の原因となっている可能性があり、
これらが脳心血管障害の発症リスクを惹起するかど
うかも、ウェアラブル血圧センサから得られる血圧
IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 :65 頁-68 頁
16
データを用いた臨床研究のテーマとして考えられる。
また東京大学医学部附属病院内においては集中
治療部・循環器内科において観血的血圧測定を治
療・検査などの目的で頻回に実施しており、そのよ
うな測定値との整合性についてさらに検討するため、
観血的血圧測定実施中の症例においても本センサの
装着を行い、データの正確性についての評価を今後
も継続的に実施する。また本センサは脈波伝播速度
を測定していることから心機能異常、不整脈症例に
対しても使用可能であるか、各種循環器疾患を対象
としたデータ収集も必要と考えられる。
4. 考察
現在進行している実験・研究を通して、ウェアラ
ブル血圧センサの本格的な臨床応用に必要とされる
機能をより明確化していく必要がある。得られた結
果が、どのような形で有効に活用されるのかは、常
に意識されなければならない。従来の血圧治療のガ
イドラインを応用するためには、従来の機器の仕様
にあわせて、少なくとも24時間血圧を測定する必要
があるなど、逆説的な要求も生じうる。
また、従来の24時間携帯型血圧計に比べると、一
拍ごとの血圧という、格段に多い情報を得ることが
出来るわけだが、これを意味のある形で医師などの
医療者が理解できるように情報を解析、整理してい
く必要があると思われる。しかしながら、
「こうした
情報のどのような特徴が、
どのように有用であるか」
という問題に関しては、得られるデータが全く新し
いものであるため、当面はデータの蓄積と、様々な
解析の試みを繰り返しながら、指標となるようなも
のを模索していくことになると思われる。
より長期的な展望では、インフラの整備などの課
題もあるが、こうしたウェアラブル血圧センサがあ
る程度普及した段階では、その利用者のデータが定
期的に医療機関等に収集され、個別の患者の血圧管
理、
治療方針の決定に応用されることも期待される。
個別の患者の情報という点では、Personal Health
Recordという概念があり患者情報を複数の医療機関
が共有出来るようになるという枠組みに発展させる
可能性も出てくる。一方、大量のデータは臨床疫学
研究にも有用な情報源として、医学の発展に寄与す
ることも期待される。
68
新しいモダリティーを医療現場で応用するにあ
たっては従来の知見とのすりあわせが必要であった
り、新しいモダリティーから得られる新たな知見に
臨床上意味があると言うことを科学的に立証できる
までに時間がかかったり、また乗り越えるべき様々
な課題もある。新たな機器の開発には、こうした課
題が将来的に待ち構えていることを理解した上で、
長期的視点も持って取り組んでいく必要がある。
謝辞
本研究は独立行政法人科学技術振興機構(JST)が
行う戦略的創造研究推進事業(CREST)の研究領域
「先進的統合センシング技術」の研究課題「生体・
環境情報処理基盤の開発とメタボリック症候群対策
への応用」の支援を受けている。
参考文献
1) 『国民衛生の動向・厚生の指標』臨時増刊・第
55巻9号,財団法人 厚生統計協会,東京,2008
年.
2) Guize L, Pannier B, Thomas F et al. “Recent
advances in metabolic syndrome and cardiovascular
disease.” Archives of Cardiovascular Diseases.
101(9):577-83. 2008.
3) 岩本安彦,山田信博 監修.
『メタボリックシン
ドローム up to date』日本医師会雑誌,第136
巻,特別号(1),2007.
4) Lopez G, Shuzo M, Ushida H et al. “Continuous
blood pressure monitoring in daily life.” Journal of
Advanced Mechanical Design, Systems, and
Manufacturing. 4(1): 179-186, 2010.
5) 日本高血圧学会 高血圧治療ガイドライン作成
委員会 編『高血圧治療ガイドライン2009』ライ
フサイエンス出版,東京,2009年.
6) McCombie D, Shaltis PA, Reisner AT et al.
“Adaptive hydrostatic blood pressure calibration:
development of a wearable, autonomous pulse wave
velocity blood pressure monitor.” Proc. EMBS 2007,
pp 370-373, 2007.
7) Luciano GL, Brennan MJ, Rothberg MB.
“Postprandial hypotension.” American Journal of
Medicine. 123(3):281.e1-6. 2010.
8) Rose KM, Couper D, Eigenbrodt ML et al.
“Orthostatic hypotension and cognitive function: the
atherosclerosis risk in communities study.”
Neuroepidemiology. 34(1):1-7. 2010.