4章:事例研究(1):マルセイユ 35

IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 : 44 頁-47 頁
10
電子カルテ導入前後の外来診察状況の変化に関する研究
薄 雄 斗 *、 大 野 ゆ う 子 *、 清 水 佐 知 子 *、 山 田 憲 嗣 **、
喜 久 元 香 *、 中 川 里 恵 ***、 松 村 泰 志 ****
*大 阪 大 学 大 学 院 医 学 系 研 究 科 数 理 保 健 学
**大 阪 大 学 大 学 院 医 学 系 研 究 科 ロ ボ テ ィ ク ス & デ ザ イ ン 看 工 融 合 講 座
***大 阪 大 学 医 学 部 附 属 病 院 看 護 部
****大 阪 大 学 医 学 部 附 属 病 院 医 療 情 報 部
要約
現 在 我 が 国 の 急 性 期 病 院 に お い て 電 子 カ ル テ シ ス テ ム は 積 極 的 に 導 入 さ れ て お り 、今 後 ま す ま す 普 及
し て い く も と の 考 え る 。電 子 カ ル テ 化 で 様 々 な 利 点 が あ る も の の 、診 察 の 質 の 変 化 や 、他 の 業 務 が 増 加
し全体の業務量が増加する可能性があるなどの懸念がある。
本 研 究 で は 、大 学 附 属 病 院 を 対 象 に 外 来 診 察 時 の 医 師 の 様 子 を 撮 影 し 電 子 カ ル テ 導 入 前 後 で の 業 務 変
化を検討した。その結果、全診療時間に占める診察時間割合が増加している事が示された。
1.はじめに
変化したか明らかにする事を目的とする。
電子カルテ導入に関する研究は多くあるが、そ
現在、我が国の急性期病院において電子カルテ
れぞれの病院で電子カルテのシステムの違い、電
システム(以下、電子カルテと略す)は、積極的
子カルテの導入の程度、電子カルテ導入前にどれ
に導入されている。これは電子カルテ導入による
だけ電子化されていたか、病院の規模など条件が
診療報酬加算や、導入に伴う業務効率の向上、さ
それぞれ大きく異なる。そのため過去の研究をそ
らには情報の二次利用等を可能にするためであ
のまま当てはめる事ができない。そこで大学附属
る。
病院を対象とし、電子カルテ導入前後の外来診察
電子カルテを導入する事で紙カルテを運搬に
時の医師の業務変化を考察するものである。
かかる人的費用と機会費用を最小化することが
2.方法
できるが、一方で紙カルテから電子カルテに移行
する際に一時的に医師や看護師の業務が増加す
本研究では、医師1名を対象とし、大学附属病
るなど問題も存在している。電子カルテの導入は
院の内科外来診察の様子を電子カルテ導入前後
病院の情報システムのみならず業務の流れを大
に各1日間撮影し、撮影動画から検討を行った。
きく変えるものであり、その結果、一部の業務に
医師は医療情報部に所属し、電子カルテの導入に
負荷が集中するなど業務の不均衡が起きる可能
関わっているため、導入された電子カルテを熟知
性も指摘されている。
している。
本研究では、2010年4月に完全電子カルテ化(ペ
外来の診察室では患者のプライバシーの観点
ーパーレス)された大学附属病院を対象に、電子
から診察中に診察室に入り調査を行う事は難し
カルテ導入前後において医師の外来診察業務の
い。そこで患者が映らないように医師のみを撮影
比較を行い、カルテが関連する業務がどのように
44
IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 : 44 頁-47 頁
10
し、撮影動画から解析を行う事とした。また、電
ド上に手をのせている時間とした。本来的には入
子カルテ導入前に撮影した動画、電子カルテ導入
力時間はタイピングしている時間であるが動画
後に撮影した動画共に、プライバシーを考慮して
像では明確な判断ができないため上記のように
音声は取得せず、さらに、研究の同意を得た医師
定義した。
以外の患者や看護師は一切撮影しなかった。医師
診察時間は患者を呼び出すボタンを押したと
の手元、及び顔、カルテ、カルテ台が撮影画像内
きから次の患者を呼び出すためにボタンを押す
に入っているが、低解像度のカメラを用い、カル
までの時間とした。今回の実験では患者呼び出し
テに書かれている内容が判別不可能なよう撮影
後速やかに患者が来室していた。
した。
3.結果
動画は、2方向から撮影しておりカメラ1では医
師の上から見下ろすように手元を撮影している。
導入前調査は、2009年12月28日行っている。14
また、カメラ2では、医師の正面下方から手元、
名の患者診察が撮影され、合計撮影時間は約2時
及び胸元を見上げるように撮影している。この動
間であった。導入後調査は、2010年4月12日に実
画像を用いて目視で観察を行い結果の比較、検討
施した。電子カルテ導入前と同じ医師による13人
した。電子カルテ導入前のカメラ1の撮影動画を
の患者診察が撮影され、影時間は約3時間であっ
図1、電子カルテ導入後のカメラ2の撮影動画を図
た。導入前調査に撮影された患者のうち1名は、
2に示す。
紙カルテが見つからず先攻導入された電子カル
撮影結果から医師の診察における業務を行程
テを使用して診察を行ったため除外した。
単位で分解し、業務がどのように変化しているの
電子カルテ導入前後の医師の診察の流れをア
か、それぞれの業務にかかる時間変化について検
クティビティ図で示す(図3、図4)。抽出されたア
討した。
クティビティは電子カルテ導入前で17、導入後で
次に、診察時間の内どのくらいカルテ記録時間
は14であった。
として費やされているのか検討した。カルテ記録
電子カルテ導入前後の診察時間の内訳を示す
時間とは本研究では、筆記時間と入力時間の合計
(図5)。本来図3、4で示したアクティビティごと
とした。筆記時間はペンを持っている時間と定義
に時間を計測するべきであるが、撮影した動画か
した。入力時間はマウス操作時間とキーボード操
らは判断しにくいものが多い。そこで、医師の業
作時間の合計とし、マウス操作時間はマウスを手
務をカルテ関連以外、カルテ関連に分類し、さら
にしている時間、キーボード操作時間はキーボー
にカルテ関連を医師の業務を、紙カルテを見る、
45
IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 : 44 頁-47 頁
10
マウスを操作する、キーボードを操作する、ペン
で記録するの4つに大分しそれぞれの時間を計測
した。カルテ関連以外は主に記録を伴わない診察
であり、その他に待機時間等が含まれる。紙カル
テを見ていた時間は、情報収集をしていた時間で
あり、キーボード操作は入力作業、ペンによる筆
記は記録作業、マウス操作は入力又は情報収集作
業をしていた時間と考える事ができる。
その結果ペンによる記録時間は減尐し、キーボ
ードによる入力時間は増加していた。導入後紙カ
ルテを見る情報収集はなくなったが、マウスによ
る情報収集がどれだけ行われているか分からな
いため単純に比較はできない。
診察業務の内訳を、患者別に示す(図6、図7)。
電子カルテ導入により文字を書く時間が大幅に
減尐した事が分かる。一方で、マウスでの操作、
キーボードの操作の時間は増加していた。
4.考察
本研究結果から全対象の統計量から電子カル
テ導入後、全診療時間に占める診察時間割合が増
加している事が示された。これは先行研究にて電
子カルテ導入による効果として指摘される点と
一致している1)。しかしながら導入後調査で観察
された、診察時間が20分以上の3件(患者ID:
14,15,16)がいずれも診察時間割合が高くこれら
の症例の影響によるものと考察する。本研究は1
日のみの調査であり、1名の医師を対象とし、導
入前後で患者が異なる点から一概に結論づけら
れない。研究結果より診察時間の全診療時間に占
める割合は患者の個別性が高く、今後診察内容の
概要等と照合することで結果解釈を慎重に進め
ていく。
業務内容に注目すれば、撮影動画ではマウス操
作時、入力をしているのか情報収集をしているの
か判断が困難なため、詳細な行為の比較ができな
いものの、電子カルテ導入によりペンによる記録
業務は大きく減り、キーボードによる入力作業、
46
IT ヘルスケア
第 5 巻 1 号,May 23, 2010 : 44 頁-47 頁
10
マウスによる作業が増加していることが明らか
本研究はいくつかの課題を有する。患者により
となった。
診察時間が非常に長い症例や電子カルテ導入後
電子カルテ導入前からマウス操作をしている
であるにも関わらずペンによる記録の時間が長
時間は比較的長く、導入後、全診療時間の20〜
い症例が存在する。診察内容の詳細を踏まえた上
50%とさらに増加している。診察に伴う患者情報
で今後考察していく必要がある。
システムや電子カルテの操作は、一般的な作業と
また、今回研究の対象とした医師は、電子カル
比べ画面の切り替えが多く、また画面を患者に指
テの導入に関わっており、今回導入された電子カ
し示しながら説明を行ったりするため導入前後
ルテを熟知している。電子カルテに慣れていない
問わずその割合は高い。導入後は診療記録からの
医師もいる事を考えると、タイピングにかかる時
情報収集や診療情報入力に伴いマウス操作が増
間が増加する事や、マウスによる操作に無駄があ
えたものと考える。
る事、操作ミスを修正するために時間がかかる事
また導入により「紙カルテを探す」
、
「カルテに
などが起きる可能性が多くなる事が考えられる。
日付印を押す」、「紙カルテを片付ける」、という
アクションが無くなっていた。無くなったアクシ
1) Poissant L, Pereira J, Tamblyn R(2005).The
ョンは全て他業務に平行して行う業務であり、こ
Impact of Electronic Health Records on Time
れらが無くなることは業務の煩雑さを軽減する
Efficiency of Physicians and Nurses: A
事ができるものと考える。
Systematic Review. Journal of American
さらに文書への押印や署名といった印鑑、筆記
Medical Informatics Association, 12(5),
による承認行為の数が減尐していた。これは電子
505-516.
カルテ上での承認に移行したためである。承認行
為は処方等発行上必須のアクションであり、筆記
や押印では漏れる可能性が否定できない。これら
の作業を電子化する事により記入漏れを防ぐこ
とができ、本研究では観察されなかった診察室以
外での業務も減尐した可能性が考えられる。
47