文書 - えりにか・織田 昭・聖書講解ノート

福音のために生きたパウロ
新約単篇
使徒言行録の福音
福音のために生きたパウロ
20:17-24
前講と同じテーマを、福音書ではなく、パウロの視点から眺めます。
22.そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこで
どんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 23.ただ、投獄と苦難
とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっき
り告げてくださっています。24.しかし、自分の決められた道を走りとおし、
また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任
務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
キリストの使徒パウロの最終コースが、パウロ自身の言葉で予告されてい
る文章です。実際には、今のトルコやギリシャにいた、ユダヤ系でない信徒
からの救援資金を、エルサレムとユダヤへ届ける旅でしたが、これには難民
援助とか、貧困者救済を超えた「福音の原則」そのものが関わっていた―と
いうのが、使徒行伝の著者ルカの鋭い洞察でした。そのあたり、25 年前の使
徒言行録後半の講解で私自身が模索していました。どんな意味でパウロが「こ
の命すら惜しくはない」とまで言ったのか……。これはそのあと、ローマ書
やガラテヤ書を読んで、良く分かりました。ルカの文章から、もう一つ、使
徒言行録 23 章の 12-13 節の記録を読みます。
12.夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲
み食いしないという誓いを立てた。 13.このたくらみに加わった者は、四十
人以上もいた。
これはただ事ではありません。どうしてそれほど憎まれて、命まで狙われ
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たのか……これはユダヤ人という民族の怒りや執念ではありません。ヨーロ
ッパの教会は、ユダヤ人への故なき反感と差別に振り回されました。ベネデ
ィクトさんがアウシュヴィッツへ、ジェスチャーをしに行くと報じられます
が、“ホロコースト”の正体を、劇的に暗示しています。
神と信仰は人を大事にしますが、信仰の生き方が“宗教”に組織されると、
異質の相手を殺すまで止まらなくなるとは、何度か述べました。これは“多
神教”の国では起こらない、という安易な安心感も一部にはありますが、“贔
屓の引き倒し”だと思います。信長なども、自分を神とする妄想を持つまで
は、比叡山を抹殺しようとはしなかったでしょうし、比叡山や本願寺自体も、
戦う宗教組織に発展していたのです。
パウロは、「シリア人もギリシャ人も、神の目にはイスラエルと同じ」と
いう福音の視点と、「イエスの食卓にいた徴税人や娼婦の席は、ガラテヤ人
やコリント人に占められる」という福音の適用を、初めて教会に提出したの
ですが、ユダヤ教会はもちろん、初めはキリスト教会も疑問視したのです。
すでに一つの宗教パターンが、教会を縛りかけていました。エルサレム教会
の長老たちの、パウロへの疑念をルカは使徒言行録の 21 章に描いています。
今日の諸教派の影絵が見えます。
今読んだテキストの時点では、ユダヤ人の怒りは、モーセのやり方で神を
拝まないパウロの弟子たち向けられています。入信式を果たしていない外国
人を聖なる民と同じ位置に置く。食べ物のタブーや生活習慣を統一しない。
神を正しく拝む道を離れた彼は、我々の宗教の敵だ!
東の教会が西の教会と決裂したのは、800 年ほど前でしたが、490 年前には、
西の教会の宗教が腐敗して聖書から離れたと言うので、ドイツやスイスを中
心に、聖書の宗教に引き戻す“改革運動”が起こります。その運動から生ま
れた教会が、固定した教義と儀式を作り、教職を叙任し始めると、これを変
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革したい人たちの運動が次々に起こりました。
よく人から尋ねられるのは、「キリスト教にはどうして、こんなにいろい
ろな宗派や団体があるのでしょう」という疑問です。
「全部間違っています。
キリスト教などと関わるのはお止めなさい」という訳にも行かず、「お好み
に合う教会を選んで、そこから初めてみたら……」と言うのも無責任です。
もともと質問者自身が、宗教というものに身を置いて安心したいのに、どれ
が正しいのか迷うという場合が多いので、その人に、「宗教を当てにするの
を止めなさい。むしろ一人の人間として、仲間を尊重する“わたし”を見出
すことだけ考えなさい」と言ってあげても、現実に存在する宗教が目に入っ
て、判断の邪魔をするでしょう。
私なども今でこそ、「キリスト教と教会からは、もう外に出ました」とか、
「“キリストの教会”運動とか、その精神を教える神学校も、尊敬して愛し
てはいますが、もうその一員ではありません」と言いますけれど、それに情
熱を注いでいる先輩や仲間を見ると、言い方を和らげます。
教会は、パウロが「キリストの教会」(ローマ 16:16)と言ったほど貴重
なものです。「キリスト教の教会」などではないのです。私に神の“息”を
吹き込む御業に関わり、命の“息”を共有して私と繫がっています。何派の
団体というのではなく、ひとり一人の生きた人間の総体が「教会」です。仲
間の同志―それも同じ主義や共通の興味などで繋がる同志ではなく、天の
父とイエス様が与えて下さった、キリストの命で私と結び合わせて頂いた個
人です。一度として粗末に思ったことはありません。
「教会」は私の所属する組織ではありません。生きた生の人間です。例え
ば、60 年前に私に英独対訳の聖書をくれたカトリックの阿部君とか、ベネデ
ィクト会に属して姫島に住む田中さんとか、東方正教会の人で 42 年間交流の
あるアテネの近藤()さんとか、いちばん近いところでは、
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ここにいらっしゃる皆さん方とか、鳥取の河口さん、日本基督教団の今井さ
んや中森さん、アセンブリー教団の能城さん―この方はペンテコステ運動
の精神と歴史の論文を書いていますが、中野さんや野村さんが“復帰運動”
の文章をお書きになったのと同じです。数年前まで大会でお会いした高知の
服部さん、鹿児島の歯科技工士の瀬口さん、寝屋川の庭師の新納さん……み
んな同じ程度に、この私とっては「教会」です。私の主が所有なさる人たち
です。私に命を与えて復活したキリストへの愛と畏れを、その人たちにも感
じます。例えば、門柱の工事をした新納さんは、牧歌の主筆より格が下では
ありません。
ただ、同じ視点から見た神を、同じ素朴な拝み方で拝む「同じ主義の仲間」
としての教会に対する熱意と献身は整理しました。そのような形で“純粋な
キリスト教”を広めて存続させる主義の高貴さと、それがパウロを殺すまで
燃え上がる恐ろしさを“二重写し”に見たからです。脱線したように感じら
れるといけませんから、ルカの視点に帰ります。
パウロは「神の“息”の力で駆動されてエルサレムに行く」と言いました。
そこで「どんなことがこの身に起こるか」―少なくとも「投獄と苦難とが
待ち受けている」ことだけは気づいていました。「四十人のパウロを消す血
盟団」は見えていなかったでしょうが。その殺意の根は「聖書に従う宗教の
伝統を福音で崩すパウロ」への憎しみからでした。もっと具体的に言えば、
「真剣に忠実に神の言葉に従った者は、神の目には功績を認められて然るべ
きで、資格も実績も無しにイエスの食卓に着く輩と“みそくそごった”には
できない」と信じる、宗教の正統派をパウロが真っ向から否定して、信仰で
服することだけを教えたからでした。
更に具体的に言えば、
「イスラエルの家に入る割礼を生後 8 日目に受けて、
資格のある先生(ラビ)から聖書を教えてもらって、シェマーくらいは暗誦
できて、安息日は正しく守り、エルサレムの本部への献金は充分な額を納め
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て、困窮者への援助も恥ずかしくないだけしている」者が神の民なのに、そ
の最低基準も満たさない異教徒を、イエスを信じるだけで聖餐のパンに与ら
せるのは、堕落も甚だしい」と言うのが、ユダヤ教徒だけでなく、初期のキ
リスト信者の理解であった所へ、そうでないものを「福音」として伝えたパ
ウロへの怒りが、燃え上がったのです。
これに対してパウロは、「主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力
強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して
惜しいとは思いません」と、エフェソの長老たちに語りました。
「聖書に忠実で熱心なキリスト教」の中で育って、確かにその恩恵にも与
って少しずつ成長した私自身、「キリスト教会が大事にする“キリスト教”」
と「失格者と落第生を包み込む、異邦人のための福音」との違いを見分ける
まで、何年もの時間を必要としました。今、病気の恵みもあって、キリスト
教と教会に割くエネルギーを最小限にケチって、パウロの言った「神の恵み
の福音」だけに命を絞り込むことが可能になりました。それで賢くなったり、
偉くなった訳ではありません。キリスト教と教会に今も燃える人たちへの、
尊敬と友情も充分持っています。
先日、薩摩で 50 年の生涯を献げて、大隈半島にいくつかの教会を根づかせ
た宣教師が残した一つの群に、牧者として赴任する若いカップルが、出発前
に入院中の私に会いに来てくれました。日曜日にはいつも個人的に話し合い
たいと思いながら、果たせなかったのですが、聖書を学んで段々はっきりし
た「キリストの福音」と、新任の福音伝道者としての自分の役目との間に立
たされて、どうしたら良いか……日頃の疑問を聞いて欲しかったのです。眼
科病棟の談話室で、彼に話した中心点はこうでした。「一つの形のキリスト
教を伝えるのに命をかけた先輩が残してくれた、形あるものへの尊敬も忘れ
ないように。また、そうして受けたものへの愛着と、純粋忠実と信じる教会
への執着も軽んじないように。」自分はパウロの単純な福音だけを説きなが
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ら、付いて来る所まで来ていない仲間への愛と思い遣りを大事に。」使徒言
行録の人たちでもやはり、パウロの「異邦人の福音」に波長が合うまで、何
十年もかかったのです。
もう一組の若いカップルは、東京都のある教会に赴任しました。やはり米
国人の宣教師が生涯かけて基礎を築いた群です。この人も長い年数をかけて
ローマ書の福音と律法の違いに開眼した人です。電子メールに「明後日就任
式を迎えますが、キリストの教会派のではない、普遍的教会の福音の使者と
して、その働きに専心するつもりです」とありました。この人とは、薩摩の
新任牧者に話したような内容は、ここ数年のメールで充分語り合っていまし
た。牧師館はもと宣教師の住まいだったので、葉書には、「牧師館のリビン
グルームには、サンタクロースも通れるような暖炉があり、広々としていま
す」とありました。私は、「リビングルームの暖炉を想像しています。教会
学校の子供たちにサービスをして、落ちたりしないように願っています」と
書きました。私がサンタクロースに込めたものは、教会が造り上げた「キリ
スト教文化」の滑稽な部分です。
家内の友人で、足の骨折が治って、パリやローマの街を歩いた人の話を聞
きました。足が疲れると、どこの街角でも気安く教会堂に入って、会衆席の
椅子で休めるのが嬉しかったと言います。その方の印象に、会堂での安らぎ
は充分味わったけれども、壁やモザイク窓に描かれたキリストの十字架の絵
の残酷さには目を背けたそうです。イエスの死と復活は命を失った人間への、
天の恵みの業ですが、それをあの槍で刺されて血が流れる絵で描くことが、
信徒に強い感動を与えて信仰を深める―という発想は、やはり中世の修道
士や芸術家の生んだ「キリスト教」の副産物です。パウロがローマ書の 3 章
で語った十字架の贖いもコリント書の 15 章で語ったキリスト復活の福音も、
必ずしも西欧の民族が感じた通りに表現するのが私たちには自然だとは言え
ないと、私は思っています。「ああ、おいたわしいや!」という茨の冠や、
「これほど残虐に殺された」とショックを与えるほどの流血の図がないと、
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深い信仰は持てないと決めつけるのは、一つの形の強烈な民族文化であって
も、福音そのものではないのです。私たちもある意味で、その「西欧的な文
化」に惹かれたり、反発したりするところから始まって、福音そのものの感
動まで歩みを続けてきた結果、今日のキリスト信仰があります。
ルカが描いた使徒言行録の最初の頁で、復活したイエスに弟子たちが尋ね
る場面があります。「主よ、聖書の予告した私たちの神聖な宗教を立て直し
て下さるのは、もうすぐですか」(使徒 1:16)。弟子たちの理解はその程
度だったとおもうのですが、そこから 50 数頁あとに、エフェソでのパウロの
意味が、少なくとも基本的には分かる長老たちが、生まれていたのです。「わ
たしは、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという
任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いませ
ん。」その「恵みの福音」にこめられた意味はあの「自分の義ではなく、神
がくださる義」(ローマ 10:3)。「『だれが天に上るか』ではなく、口と
心を持つ人なら今すぐ告白できる信仰の言葉」という、最もシンプルな福音
に波長を合わせる弟子たちがいたのです。
私たちの聖書の学びが、キリスト教と教会の文化に感動する所からスター
トしても、最終的にその福音に近づいたとすれば、聖書を読んでよかった、
キリストを信じて良かったと喜んで良いのだと思います。その中心点を見極
めれば、教会が造り上げたマリア像やユダ像を破壊して痛快がるような今日
の流行にも、乗らないで済みます。
(2006/05/28)
《研究者のための注》
1.最後の 2 行で少々風刺をこめて触れたのは、今年の「流行」とも言える「ダヴィンチ・
コード」などに見る、イエス像の「見直し」や、マグダラのマリア像の色づけの傾向
です。後者は前世紀 1951 年の文学作品、カザンザキスの「キリスト最後のこころみ」
があり、スコセッシ監督の映画(1988)も物議を醸しました。
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2.「教会と伝統的キリスト教文化が固定化した概念や人物像を見直す」意味では、一つ
の世紀に一二度提出される、このような試みは有益な面をも持っています。
3.このような聖書批判の試みは、現代に始まったことではなく、1945 年に発見された「ナ
グ・ハマディ写本」に代表される「異端」グノーシス派の文書の中に既に現われてい
ます。これらの文書は恐らく A.D.200 年頃から知られ、上記文書自体の成立年代も 350
~400 頃と推定されます。処女懐胎や体の復活を「ナイーヴな誤解」として批判する
「トマス福音書」や「ピリポ福音書」も注目されましたが、特に、最初は断片として
のみ存在し、2000 年に初めて明るみに出た「ユダの福音書」について、ハーバート・
クロスニーの「ユダの福音書を追え」が、その発掘、隠匿から発見までの歴史を物語
ります。―参考:エレーヌ・ペイゲルズ「ナグ・ハマディ写本」(白水社,1981);
毎日新聞 2006/5/28「今週の本棚」
4.これらの文書が 20 世紀半ばまで知られることが無かったのは、古代キリスト教会の
「正統派」が「異端」と見なした文書を、見つけ次第焼却処分して残さなかったため
ですが、これを聖霊(神の命の息)の吹きかけによる「正しい福音の書の篩い分け」
と見るか、それとも「正統派」以外の思想への、正統派による検閲・弾圧・暴力と見
るかは、福音に触れた者自身の洞察に委ねるしかありません。
5.聖書に個人的に触れることなしに、時代の傾向としての批判を読んで「納得」する人
は別として、聖書の内容とくに「イエス・キリストの福音」に近づこうとする読者に、
福音書やパウロ書簡そのものを疑問視させる結果を伴うとしても、これらの試みに教
会が「教会として」立ち上がって反対を唱えるよりも、聖書と取り組む読者ひとり一
人が「神の息吹の込もった書」に直接触れて、個人としての判断と結論
を大事にすることが必要だと、私は考えます。
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