2015年10月1日追悼記念日礼拝 「私たちの本国は天にあり」フィリピの信徒への手紙3章17節~4章1節 学院評議員・日本基督教団 安行教会牧師 田中 かおる [1] 「私たちの本国は天あります」 これは、キリスト教初期の伝道者、パウロが、フィリピにある教会の人達 に書き送った手紙の中に書かれた言葉です。 そして、過ぐる1年、天に召された87名の東洋英和女学院の関係者の 方々を覚えてこの場に集っているすべての人に向けても語られている言葉で す。 「私たちの本国は天にある」 本国と訳されている言葉には「国籍、家庭」という意味もあります。… つまり、私たちは天からの移民であり、私たちが本来所属しているのは、 「天」である、という宣言です。それは、そもそも私たちが属するのは 「天」であり、国籍は「天」にある!という認識に基づきます。そして、 「天」とは、神のおられるところ、救い主イエス・キリストのおられるとこ ろ、を意味します(白い雲がふわふわしていて、白いおひげの御爺さんがい るところ、あるいは、地図でここ、と示すような場所とは違います。神とつ ながっていられること、とでもいいましょうか。)。 この言葉は、私たちの生涯を、「地上での歩み」と位置付けます。私たち の人生を肉体が生きている限りのものと限定しません。帰るべきこところ知 っている者たちにとっては、人生は「地上での歩み」なのであって、地上で の歩みを終えたら、帰るべきところ「本国」に戻るのだ、と位置付けます。 それが、キリスト者の仰ぎ見ていることだということを、伝道者パウロはよ く知っているのです。だから、 「私たちの本国は天にあります」 と宣言できるのです。 しかし、この宣言は、やがては、本国に戻るのだから、この地上は「かり そめの場」に過ぎない、ということとは違います。地上において、私たちは その与えられた人生を、与えられた時を、精一杯、走りぬくことを喜びとす る。それも闇雲に走るのではなくて、走るべく「目標」を知って走るのだ、 といいます。 パウロは同じ手紙の中で、こうも書いています。 「…なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向け つつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を 得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ 3:13b-14) パウロは、具体的には、神の恵み、救い主キリストの福音を伝えるために、 ひたすら走った人です。それは、教会の中にキリストの福音に反することを している人達に対して、そうではない生き方を示さんがためでした。キリス トに捕えられた者として、ただひたすら、キリストの福音を宣べ伝える…そ れが、彼の地上での使命、生きる目的であり、目標でありました。 それを一生懸命、言い得たのは、 「既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけで はありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリス ト・イエスに捕えられているからです。」(フィリピ3:12) と、いい切ります。 パウロはいいます、 「私に倣う者になりなさい。」 これは、パウロがおごり高ぶっているから出てきた言葉ではありません。 自分がキリストに捕えられたこと故に、神に与えられた使命に生ききること ができる…そういうことを倣って欲しい、という願いです。人は、具体的な お手本をみて、育てられます。パウロは、自分が決して完全だから、倣なさ い、といっているのではなく、まだその途上であっても、人生の目的を知っ た者として、その目的のためにひたすら走っているその歩みに倣って欲しい、 と言っています。キリストの恵みを知った者、国籍が天にあることを知って いる者の歩みに倣って欲しい、と言っているのです。 [2] 事実、パウロに倣って、キリストの福音を伝えるために、キリストの愛に よる教育をなすために、地上での生涯を献げた多くの信仰の先輩たちを、私 たちは知っています。私たちを育ててくれた、この母校、東洋英和女学院は、 初代校長のミス・カートメルを初め実に100人およぶ宣教師の方たちの、信 仰の祈りと教育への熱意によって育てられてきた学院です。遠くカナダの地 より、海を超えて、日本まできて、熱心に信仰に基づく教育を実践してくだ さった多くの宣教師たち。その宣教師たちの原動力は何だったのでしょう か?…それは、いうまでもなく、神の愛・キリストの福音にその源泉があり ます。キリストの福音に触れて、「神を愛し、人を愛すること」を喜びとし、 また「神を愛し、人を愛すること」を人生の目的とした方たちが、日本の若 い人達の教育のために力を注ぎ、ご自身の人生そのものを献げてくださいま した。また、そういう宣教師の姿に直接、あるいは間接に触れて、大勢の日 本人の教師たちもその生き方に「倣って」、教育の現場に立ってきてくださ いました。地上の国籍は違っても、「本国は天にあり」を知っている方たち によってこの学院は育てられてきたのです。又、この学院で多くの園児、生 徒、学生たちが育てられてきたのです。 宣教師の方たちのそういう姿勢は、日本にいる時だけに留まりませんでし た。カナダに帰ってからも、地上の国籍を超えて、「愛の業」に励んでおら ました。その顕著な例が、第二次世界大戦下に、帰国を余儀なくされた宣教 師たちのお働きでした。帰国を余儀なくされた宣教師たちは、カナダにおけ る日系人収容所に収容された日系人たちを、周囲の偏見をものともせず、支 えてくださったのです。 その中のお一人、東洋英和女学院に派遣されて宣教師のお一人、フランシ ス・ガートルード・ハミルトン先生(1888-1975)のお働きをご一緒に辿りた いと思います。(折りしも、昨年、学院創立130年の年に、学院行事として 深町院長先生をはじめ、20名をこえる同窓生の方たちがカナダに行き、カ ートメル先生やハミルトン先生たちのお墓を尋ね、墓前で先生方のお働きを 覚えて感謝の祈りを献げる、ということが適いました。この学院130年の歴 史は、宣教師の先生方を用いてくださった、主なる神さまの御業の実である ことを再確認する時となりました。) ハミルトン先生は、戦争を挟んで戦前、戦後ともに東洋英和をご指導くだ さり、今の東洋英和の基礎を固めてくださった先生として有名です。ハミル トン先生は戦前の、校長在任中(1925-1938,第15代、第17代)に、東洋英和 創立50周年を迎えましたので、それを機に学院の組織や様々な制度・形態を 整えてくださいました。制服、校章、「敬神奉仕」の標語、校旗、校歌など の制定、またヴォーリス氏設計の校舎の建設、土地の拡充、学校組織を文部 省認可の財団法人として改組、初の日本人校長をご自身の後任に選ぶなど、 多岐にわたって東洋英和女学院を整えてくださいました。ご自身が、校長職 を退任なさる時の挨拶の最後に 「キリストをすべてのことの中心とすることは人生の最も幸福にしてかつ、 真に有益な道である」 と結ばれました。まさに伝道者パウロに「倣って」キリストの福音に生きる ことに徹したお方でありました。 更に、戦後、再び日本に戻っていらしたハミルトン先生は、まず、山梨英 和の復興にご尽力なさり、その復興をみとどけて、東洋英和に戻られました。 英語の教師を経て、1950(S25)年、短期大学の保育科主任となられ、幼児教 育者の育成に力を尽くされました。 戦争を挟んで、戦前・戦後、まさに、人生のすべてをかけて、東洋英和の ために、いえ、キリストのために力を尽くしてくださったハミルトン先生で す。しかし、先生の献身ぶりは、日本の地においてだけに留まりませんでし た。戦時中も、カナダにおいて、日本とカナダの両国のためにお働きになり ました。日系人が収容所に抑留された時、当時のカナダ人の反感にもかかわ らず、カナダ合同教会は、収容所内にハイスクールを設立し、日本人子弟の ために教育を始めました(ブリテイッシュ・コンビア州レモンクリーク収容 所)。この時、ハミルトン先生も収容所内の学校の教壇にお立ちになりまし た。不安な中にいた日本人たちは、カナダの教会、また宣教師たちのこうし た愛にみちた行為に、どんなに励まされたことでしょう。政治的には、敵国 同士になってしまった状況の中で、「キリストを中心とすること」の深い喜 びと意義を、実践してくださったからです。まさに、キリストの福音に生き ることに徹してくださったのでありました。 また、ハミルトン先生以外にも、日本への宣教師だった他の方たち…たと えば、オリビア・リンゼー宣教師(静岡英和女学校校長)、メイ・マクラク ラン宣教師(静岡英和女学校、山梨英和幼稚園園長、バンクーバー・タシメ 収容所)たちが収容所での学校教師、あるいは日本人教会の牧師(リンゼー 牧師)として、それぞれ、戦時下のカナダにおける日本人たちを励ましてく ださっていたのでした。 どのお方も、地上での国籍を超えて、地上での政治的対立を超えて、「神 を愛し、人を愛する」ことに徹しておられた方たちです。「私たちの国籍は 天にあり」ということをよく知っていた方たちです。 東洋英和女学院は、こうした方たち…パウロに「倣って」キリストの福音 に生きた人たち、「国籍は天にあり」ということを知っていた方たち…によ って、導かれ、学院としての方向を整えられてきました。もちろん、それら の人々を用いて下さったのは、神さまです。どの宣教師の先生がたも、また 宣教師の先生方に薫陶を受けた日本人の先生方も、神さまによって導かれ、 また用いられたお方たちです。私たちの学び舎は、そういう「倣う」べき信 仰の先輩たちによって、整えられ、導かれてきた学び舎です。 [3] 過ぐる1年、この学び舎で、園児・生徒・学生達を愛をもってご指導くだ さった先生方、あるいはこの学び舎で共に学んだ友のうち、在校生1名、元 評議員・旧教職員であられた方1名、旧教職員の方たち6名、同窓生の方たち 79名、合計87名の方たちを天におくりました。 地上においては、どの方も、この東洋英和で「神を愛し、人を愛するこ と」=「敬神奉仕」の大切さを、それぞれのお立場でいろいろな形で吸収し て過ごされた方たちです。「私たちの本国は天にあり」ということを知らさ れて過ごされた方たちです。その方たちは、地上での生涯が天寿を全うする 歩みであった方もおられれば、もしかしたら志半ばの思いを抱いて召された 方、あるいはあまりにも短い地上での歩みだったと思える方もおられるかも しれません。しかし、時間の長短ではなく、「人生の質」ということにおい ては、学院で過ごされたことの意義は等しくお一人お一人の中に刻まれてい ると思うのです。「消すことのできない」事実として、この学院での生活が あり、そこには「神を愛し、人を愛すること」「神を敬い、人に仕えるこ と」(=敬神奉仕)の精神をシャワーのようにあびた事実があります。地上 での生涯を終えた方たちは、今や、神の御手のうちに置いていただいている ことを、私たちは信じましょう! [4] 伝道者パウロが仰ぎ見たキリストは、十字架の上で私たちの罪のとりなし をして下さった救い主であり、復活して私たちに希望を与えてくださるお方 です。その同じキリストを多くのカナダ人宣教師たちも仰ぎ見ました。その 多くの宣教師たちを送り出してくださったカナダの教会の方たちも仰ぎ見ま した。その宣教師たちに薫陶をうけた多くの日本人教師たちも仰ぎ見ました。 そして、そこで学んだ者達も仰ぎ見ました。 キリストを仰ぎ見る、ということは、ほっておいたらいつのまにか神に背 を向けてしまう私たち人間の問題をよく知っている、ということに他なりま せん。「神を愛し、人を愛する」ことから、いとも簡単に離れて行ってしま う私たちの問題をよく知っているからこそ、その私たちの導き手、救い主・ キリストを仰ぎ見ないではいられないのです。 キリストを仰ぎ見る時、 「私たちの本国は天にあり」 という宣言が、清かに響き渡ります。 この宣言は、イエス・キリストに結ばれていることの幸いを意味している ことに他なりません。それは、この学院の中心におられるイエス・キリスト からのメッセージ、既に天にある者、未だ地上での歩みを続けている者に等 しく語られているイエス・キリストからのメッセージ、であります。 祈りましょう。 すべてのものに命を与えくださる天の神さま、 あなたの御名を崇めます。 今日、ここに、過ぐる1年、天に召された学院関係者87名の方たちを覚 えて、私たちは集っております。それぞれのお立場で、それぞれの地上での 歩みを終えられた方たちを、どうぞ、あなたが御手のうちにおいてください ますように。この学院で、「神を愛し、人を愛する」「神を敬い、人に仕え る」(=敬神奉仕)の精神をシャワーのようのあびて過ごされたことを思い 起こし、またそれがあなたからの深い恵みであったことを確信致します。 どうか、その消すことのできない事実が、ご遺族の方たちへの深い慰めと 平安となりますように。「私たちの本国は天あり」との宣言に、励まされま すように。 私たちに、復活のキリストによって再びまみえることの希望の内に歩むこ とを得させてください。 イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン
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