福祉サービスリスクマネジメント研修報告書 日時:平成19年10月2日(火) 会場:東京都社会福祉協議会保険福祉センター 講義1:リスクマネジメントの意義と基礎知識(10:00~12:30) 講義2:これからの福祉施設とリスクマネジメントの課題(13:30~14:30) グループ討議及びグループ発表「利用者支援とリスクマネジメント」(14:30~17:00) 1,参加目的 障害者自立支援法施行により、福祉施設と利用者との関係は「措置」から「契約」とい う対等なものとなり、それにともなって、施設側の責任も措置制度のもとでの受託業務か ら、クライアントのニーズを提供するサービス業者としての位置づけとなった。 対等な立場であるからこそ、適切なサービスが提供されているかクライアントのチェッ クはより厳しくなってくる。 またインターネットによる情報の即時共有化とクライアントの権利者意識の向上により その傾向は近年とみに顕著であり、昨今の大手食品メーカーの不祥事や大手介護事業社の 例を出すまでもなく、ひとつのリスクの具現化が経営体に致命傷をもたらす事例も少なく ない。 その中で人対人のサービス提供が基本である福祉業界はもともとヒューマンエラーによ るリスクは非常に高い。またリスクが顕在化したときには人の命に関わる致命的なことで あることが多い。 それらの背景の中で福祉事業者はその潜在するリスクをどう回避しているのか。 人員の削減が進行しつつも、よりよいサービスの提供(リターン)を求められる法的要 求に応え、リターンに付随して必ず生じるリスクをどのように回避すべきであるのか? 以上のような、現在、全ての施設が悩みとして抱え、同時に緊急に取り組むべき課題と して今回のリスクマネジメント研修に臨む。 以下、当日の講義内容を統轄し、若干の補足説明を加えて記す。 -1- 2,リスクマネジメントの基礎 ①何故リスクマネジメントが必要なのか 措置から契約への時代背景 措置:行政サービスの代行業者 施設責任の増大 ・利用者管理 契約:サービスの提供主体 ・苦情処理 ・施設間競合→サービスの質の競合 ex.. 事故・苦情等発生時にどうなるか・・・ ・責任を問われる主体となる(今までは行政。これからは事業者の責任) ・同業者間の競合の敗北→経営危機 だから、リスクを具現化させないことは・・・・ ・経営体への影響を回避 ・クライアントの安心感及び信頼感 ・競合の勝利 事故や問題を起こさない事は結果としてサービスの質の向上と経営の安定につながる リスク管理(リスクマネジメント)の重要性 ②リスクとは何か リスクとは事故その物ではなく、ある事故がある主体にとって重大な結果へとつながる 可能性のことと言ってよいだろう。 例えば施設での転倒事故を考えてみる。 転倒事故という事象によって起こりうるリスクは利用者本人にとっては骨折などの外傷 によって体の自由が利かなくなるリスク、入院費用がかさむリスクなどが考えられる。ま た対応した職員にとっては、責任が問われるリスク、施設にとっては信用が問われるリス ク、損害賠償請求をされるリスクなどが想定される。 経営体(経営リスク) 利用者本人 転倒事故 (身体的リスク) 対応した職員 (職業的リスク) -2- ③リスクとリターンとの関係 前述の事故の場合、転倒事故という事象がいくつものリスクをはらんでいることになり、 事故を回避することでリスクの顕在化は一応避けられることになる。 ではリスクを回避するにはどうすればよいのか。 リスクを回避する一番の方法は何もしないことである。 転ばない為には歩かない、立たないことであるし、火事にならないためには火を使わな い事。車の事故を防ぐには運転しない事。誤燕を防ぐにはすべて流動食にしてしまうこと である。 しかし我々はそうしない。生きて活動することそのものがリスクと隣あわせなのだから、 リスクを封鎖することは生きることその物の否定であるからである。 リスクの対立概念はリターンである。すなわちよりよいことを求めて動く、歩く、食べ る、そういった全ての行為というリターンを大きくすればするほどリスクは大きくなるの である。だから、必要なリターンとそれによって生じるリスクとのバランスを計算するこ とが重要となる。 想定される事故内で、致命的なものを予測し、致命的となる部分は徹底的に回避するこ とがリスクマネジメントであって、単に事故そのものを減らしましょうということではな い。万が一事故が起こっても耐えられる部分までリターンを伸ばしてゆくことが、リスク マネジメントなのである。 例えば転倒しやすい人や発作のある利用者であっても、本人に歩きたいというニーズが あるのならば、車いすに縛り付けるのではなく骨折しないような環境を整えて歩く練習を することである。 ④リスクマネジメントとは何か? リターンを求めることと比例してリスクが大きくなっていくのであるのならば、他者の リターンに対して責を負う福祉の現場においては、抱えるリスクそのものが潜在的に大き い。 ではその中で我々はどのように対処すべきであるか。 事故が起きると致命的だから事故が起きないように気をつけましょうという反射的な答 えは意味がない。 リスクマネジメントとはある事象が重大な結果へとつながることを回避するプロセスそ のものである。転倒事故を防ぐ予防的対応はそのプロセスの一部分に過ぎない。 転倒事故を例にとれば以下のような段階が考えられるであろう。 ex. ⅰ)利用者が転倒しないような工夫(ハード・ソフト両面から) ⅱ)万が一転倒しても利用者本人が怪我などしないような工夫(床を緩衝剤にするなど) ⅲ)万が一転倒し怪我をした場合に、施設側としてどのように対処するかの取り決め(あ らかじめ責任の範囲を明確化しておくなど) ⅳ)万が一訴訟となった場合の対応(証材データの蓄積、訴訟対応のマニュアル化など) -3- 3、福祉現場にとってのリスクマネジメント 前述のようにリスクとはそこに関わる様々な人の立場によってとらえ方が違うし、また そのプロセスごとの対処法があるのであるが、今回の研修においては、主に現場の直接の 事故(転倒や、無断外出など)のリスクとその予防法に絞っての話が主であった。 そのため以下はリスクに対して組織としてどう対処するかの講義概要を説明する。 ①組織体制を整える ・責任を一個人に負わせない→組織全体の問題としてとらえる ・原因を見極め、組織全体で共有する。 ・有効な対応策を協議する 事故を対応した職員一人の責に帰することは、「事故が起きないように気をつけましょ う」というスローガン同様に根本的な対策を導き出さない。なぜならば職員は事故の全体 の中の一因子に過ぎないのであるから、その他の因子をみつけて対策をたてない限り事故 はいささかも減じないであろう。 まず事故の起きた構造的な要因に目をむけそれをどうすれば回避できるのかを考え、事 故もしくは事故につながる要因のデータを集積し分析する。 そのような専門的な分析のためには専門的な委員会の結成が有効である。それが安全管 理委員会(リスクマネジメント委員会)である。 一般的なリスク回避のプロセスについては、以下の表を参照されたい。 まず組織の方針としてリスクマネジメント委員会を設置し、リスクマネジメントに関す る専門的機能と権限を持たせる。 そして、リスクマネジメント委員会が中心となって、リスクに関する自社データを集積 し適切な対応を考えるということである。 -4- ②記録を整備する ・事実を客観的に記録し、分析する ・記録から因果関係を分析する ・記録を職員全体及び利用者・家族間で共有する ・致命的ではないが、重大な事故につながるインシデントを見逃さず分析する ・クレームに対しては真摯に対応し、その分析にあたる 潜在するリスクについてはハインリッヒの法則を参照されたい 通常1件の苦情の下には24件の何も言わない不満があるとされそのうち6件は重大・ 深刻なものと言われている。 たった1件の事故が致命的なものになるのは不運ではなく、その水面下の潜在的リスク を見逃していたからである。 そのため水面下の事故を把握し、対策を講じることで1件の致命的な事故を回避するこ とが可能になる。 それにはヒヤリハット報告等日々のデータをベースにしたインシデントレポートの作成 が何よりのデータとなる。 一般ヒヤリハット報告は始末書同様ネガティブな印象でとらえられがちだが、むしろそ れはリスク回避の為の貴重なデータの集積である。 リスク回避のためのデータであるからその集積は多ければ多いほど良いのである(イン シデントが多いほどよいという訳ではない) ③情報を公開・共有する ・利用者・家族に情報を提供する ・予測に応じた「対策」を同時に情報提供する ・事業者に不利な情報も提供する 適切な情報を共有することで事故に対する共通の取り組みができるとともに、利用者・家 族等との信頼関係を築くことで信頼が壊れた時のリスク(訴訟等)をある程度回避するこ とができる -5- 4,まとめ 今回の研修は、主にリスクマネジメントの基本事項を説明するにとどまり、実際の福祉 現場における事例研究等に触れられることもなく、午後のグループワークにおいては、実 際に福祉現場における様々な現実が嘆息まじりに聞こえてくる現状であった。 今、福祉現場のリスクマネジメントは十分に確立しているとは言えないのが現状である。 それでもリスクマネジメントの基本を知ることは重要なことであり、すべて職員が基本 を習熟することによってその組織にとって最良のリスクマネジメントが構築されてくるの であろう。 ここまでの要点をまとめると以下のようになる ①人間の行う作業である以上、事故は起こるものである。 大切なのは予防すること。またその事故から重大な結果を導き出さないこと。その一連 のプロセスがリスクマネジメントである。 ②リスクに対しては組織全体での対策が必要 事故が起こった時、全て個人の責に帰してしまうと根本的な対策を見誤る。事故発生の 構造的な要因を考えること。また職員レベルでは正確な事故報告書を提出することが肝 要。(事故報告書=始末書という考えは不適切) ③リスクを回避するためにはリスクにつながる可能性(ヒヤリ・ハット)の把握が重要で ある。ヒヤリ・ハット報告を集積し、報告をベースに事故につながる可能性の芽を摘む ことが重要。そのためには専門的な委員会が役に立つ。 例えば自動車を運転する人はまず、事故を起こさないように運転するのが基本であるが、 それでも万が一の事故に備えて保険に入る。 健康に自身のある人でも万が一に備えて医療保険や生命保険に加入したりする。 こういうことが起こると大変だ。起こらないように対策を立てておこう。またもし起こ ってしまった場合にこういう風にしようと考える。 リスクマネジメントは我々が日々至るところで行っていることでもある。 組織で行うリスクマネジメントはクライアントという相手がいる分複雑であるし、なお かつ福祉現場のリスクマネジメントは利用者、家族、行政など様々な利害関係者が複数存 在している分だけ複雑であるし、また求めるリターンも個々それぞれ異なっている。 ただしそれでも原則は同じ、どうしたら事故が起こさないか。どうしたら事故が起こっ た時に大けがを負わずに済むかを考えようということである。 前述したとおり、リターンを伸ばそうとするほどリスクは大きくなるので、求めるべき リターンの上限が定かではない福祉現場においては勢い、リターンを小さくしてリスクを 最小化しがちである。 しかし、福祉現場におけるリターンとは「よりよく生きる」という価値観に他ならない。 逆説的になるがリスクを計算しながらも、ひとりひとりの利用者に必要とされるリター ンを最大限に伸ばしていく姿勢を忘れない初心の姿勢こそが福祉現場におけるリスクマネ ジメントの基本ではないかと感じた次第である。 (報告 -6- 榎本 勝)
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