私のハッピー・ゴー・ ラッキーな翻訳家人生①

TEXTBOOK 1
LESSON 1
私のハッピー・ゴー・
ラッキーな翻訳家人生①
LESSON 1
TEXTBOOK 1
○プロフィール:内田 樹
(うちだ・たつる)1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。神戸女学院大学文学部
総合文化学科教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。訳書にエマニュエル・レヴィナス
『観念に到来する
神について』
(国文社)
、コリン・デイヴィス
『レヴィナス序説』
(国文社)
ほか、著書に
『ためらいの倫理学』
(冬弓舎/角
川文庫)
、
『寝ながら学べる構造主義』
(文春新書)
、
『
「おじさん」
的思考』
(晶文社)
、
『私の身体は頭がいい』
(新曜社)
、
『街場の現代思想』
(NTT出版)
、
『死と身体』
(医学書院)
、
『先生はえらい』
(ちくまプリマー新書)
、
『身体の言い分』
(毎
内田 樹
翻訳家になりたい方、あるいはすでに翻訳家としてぼちぼちお仕事をされている方
に何か有用なアドバイスを、というお申し出を頂いた。他のことについては、どのよ
うな専門領域であれ、あまり偉そうなことを言えない立場の私であるが、ことが「翻
訳」となるといろいろと申し上げたいこともある。
自慢じゃないけど(というのは耳障りな自慢話が始まるときの常套句であるが)、翻
訳については、私はなかなか経験豊かな人間だからである。その経験について少しお
話をしたいと思う。
大学時代にバイトがなくて困っているときになぜか翻訳の仕事を次々に紹介され
た。「ウチダは英語ができる」
という噂が大学内部に流布していたからである。
そのような噂が流れたのにはまったく根拠がなかったわけではない。当時、学内の
一部で私は
「語学のテキストをとばし読みして、試験に出る箇所を当てる」
特技の持ち
主として知られていたからである。
自分が受講している科目の試験はもちろんであるが、受けてもいない科目の他人の
教科書を一瞥しても、
「うーんとね、こことここが出る」
と指さすことができたのであ
る。「窮鼠猫を噛む」
というが、人間追いつめられるといろいろな潜在能力が開花する
ものである。勉強もせず授業も出ないまま単位を積み上げてきた私のこの「ヤマ当て」
能力は当時大学内部ではかなり広範囲に知られており、まったく見知らぬ学生から電
話がかかってきて、「友人からうかがったのですが、ウチダさんは試験のヤマを当て
る名人だとか。つきましては……」というようなオッファーがなされることさえあっ
たのである。
さる大手の児童書出版社から下訳のバイトが回ってきたのもその頃だった。これは
バイヤーが海外の図書見本市に行って適当に買い付けてきた本を私がまとめて通読し
て内容を要約し、
「これはオススメです」
とか
「これはスカです」
という評価を付して編
集者にお返しするという仕事である。
ものが児童書であるから、語彙は簡単だし、話はおもしろいし、かわいい挿絵なん
かもついていて、ついわくわくと読み進み、要約のはずが興に乗ってほとんど全文翻
訳してしまったこともある。
訳の巧拙はともかく、私の付すところの書評が編集者にはたいへん好評であった
(当
時仏文の学生だった私は児童書のテキスト分析に最先端の批評理論の成果を惜しみな
く投じたのである)。編集者の裁量で出るバイト代は当時としては破格に高額で、児
童書一冊下訳しただけで一月分の飲み代が出ることもあった。市ヶ谷にあったこの出
版社にはずいぶん稼がせて頂いた。
そのあと、これは高校時代の級友から、版権の切れたアメリカのミステリーTVシ
リーズのシナリオを翻訳するという仕事が回ってきた。50年代の書き殴りのTVドラ
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ENGLISH+
日新聞社)
ほか多数。ホームページも必見。http://blog.tatsuru.com/
マ・シナリオであり、出来不出来の差がひどく、出版社は新宿の裏通りにあるいかに
も
「三流」
という感じのざらっとしたオフィスで、くわえタバコでネクタイを緩めたや
くざな兄ちゃんが「いいから、適当に面白そうなの選んで、ちゃちゃっと訳しちゃっ
てよ」
と汚いペーパーバックの束を私に放り投げてよこした。
読んでみると、どうでもいいような動機の殺人があり、みえみえのトリックがあ
り、30分以内に犯人がつかまるというまことに無内容なミステリー短編集であった。
最初は律儀に訳していたものの、そのうちに内容のあまりのつまらなさにうんざりし
て、ついに一大決意をするに至った。
書き換えてしまうことにしたのである。
最初は最後に一行だけ書き加えて犯人を別の人間に書き換えるという手を使った。
例えば、最後の犯人逮捕の場面で終わる物語の最後に一行書き加える。「容疑者を乗
せて走り去るパトカーを見送りながら、私は凶器の銃把についていた私の指紋を拭き
取った。」
驚くべきことに、くだらない三文ミステリーがいきなりカフカ的不条理に浸潤され
たあやかしの世界に変貌するではないか。
すっかり気分をよくした私は、どうせ編集者は英語のオリジナルと翻訳の照合なん
かするはずがないとたかをくくって、全編に手を入れるようになった。こうなると仕
事は捗る。三文ミステリーの中にはプロットやトリックにはいささか工夫の跡が見ら
れるが、文章がどうしようもないものが多い
(その逆はないが)
。気が向くと文章をハ
メット=チャンドラー的なクールな文体に書き換え、原著にない「うんちく」やら「引
用」やらをちりばめ、さらに犯人もトリックも「もう一ひねりだな」と思うとどんどん
変えてしまった。
翻訳者に
「倫理規定」
というものがあるなら、私は許されざるA級戦犯として永遠に
糾弾されねばならないであろうが、どう考えてもあのまま訳すよりは、私の「超訳」
の
方が出版社と読者には多くの利益をもたらしたのではないかと思う(現に、それから
数年経って、ある青年の家の書棚に私はシリーズ全巻が鎮座しているのを見たことが
ある。「この本、どうだった?」と訊いたら「すごく面白くて、一冊読んだらやめられ
なくなって」と彼は答えたのである。ほらね)
。
もちろん天がそのような私の増長に罰を与えぬはずもなく、三流出版社は私に払う
はずの原稿料を仲介した友人の会社に振り込んだと言い張り、友人はそんな金は受け
取ってないと言い張り、まとめて20万円でという最初の約束は空手形となったのであ
る。哀号。
次に来たのは翻訳会社のインハウス・トランスレイターという仕事であった。これ
をもってきたのは大学の友人で、べつに私の語学能力を彼が高く評価していたわけで
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