“我が心の曲”野平一郎 Philippe Manoury

プリュトン
フィリップ・マヌリ
野 平 一 郎
私にとって、忘れられない思い出の一曲と言
ミラーは、コンピュータのハードウェアの試作
えば、どんなクラシックの作品よりもこのマヌ
品の扉のかげにウィスキーの瓶を隠しながら研
リの「プリュトン」というピアノとリアルタイ
究していた。毎回リハーサルをはじめて二時間
ムシステムによるコンピュータのための作品で
くらい経つと休憩となるわけだが、これがコー
ある。とはいっても、一般の方々にはマヌリっ
ヒー・ブレークではなくビール・ブレークとな
て誰? プリュトンって一体どういう曲? と
り、しかも一杯のところが二杯になる。さあ、
言われてしまうだろうから、まずそのあたりか
リハーサルを再開しようということになるのだ
ら解説しなくてはならない。
が、アルコールに強い彼らの調子は全く変わら
フィリップ・マヌリは1952年生のフランスの
ない。私の方はと言えば、少々酔いが影響する
作曲家で、現在フランスの最も重要な作曲家の
頭でまた難しい曲を弾くのが辛かったが、それ
一人。私がパリに12年間住んでいたときの最も
も若かったせいもありだんだんと慣れてきた!
親しい友人だった。そんな彼が、1987年から5
詳しく説明しようとすると大変だが、リアルタ
年間に渡ってブーレーズが運営指導していた
イムで(時間差が全くない状態で)演奏者の生
IRCAMというポンピドゥー・センターの音楽部
み出す音を処理していくコンピュータのシステ
門で、楽器とコンピュータがリアルタイムで応
ムの都合上、この曲はほとんど音を間違えるこ
答し合う連作を試みていた。その第二作がピア
とが出来ないので、なおさら辛かった。
ノのための作品「プリュトン」で、タイトルは
さて、何でこの曲が一番心に残っているのか
めいふ
勿論ギリシャ神話の冥府の神のこと。この作品
という原因はいくつもある。一つは、これが初
のために彼は私を演奏者に指名してくれた。
演されたコンサートのことである。アヴィニョ
現在おそらくコンピュータ音楽というジャン
ンの音楽祭で行われたブーレーズとIRCAMのコ
ルで80%のシェアをほこるソフトウェア、MAX
ンサートで、町の郊外にある採石場の跡地のこ
はこのとき開発され、プリュトンではじめて実
とだったが、日時は7月14日の夜だった。この
際の作品に適用された。従ってリハーサルは入
日はフランス人にとっては特別な日で、フラン
念に、半年あまりの間、一週間に二回程度午後
ス革命の記念日、そしてパリ祭、みんながバカ
いっぱいを使って行われた。しかし、作曲者は
ンスに出かける「グラン・デパール」の日。7
元より、MAXを開発したアメリカの数学者ミラ
月14日だから一年で最も暑い日のはずだった。
ー・パケットも、実際に曲のためのプログラム
確かに、そこで行われたリハーサルは、南フラ
を書いていたアメリカの作曲家コート・リッピ
ンスの午後の太陽が容赦なく照りつける時間に
も、あんなに酒飲みだとは思わなかった。特に
行われ、半袖でも暑さが我慢できないくらい。
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よもやその夜が私の体験上最も「寒い」コンサ
されていた初演だったこともあり)友人の貴重
ートになるとは想像だにできなかった。すっか
な曲を台無しにしてしまった、もっと暖かいか
り日が陰る午後9時にはじまったコンサートは、
っこをしてくれば良かった等々、一瞬のうちに
この地方特有のミストラルというアルプスから
いろいろな思いが巡った。何と調整卓にいた作
地中海へと吹き下ろす寒い風のせいで、はじま
曲者があがってしまい、最終的な出力のボリュ
った時点ですでに気温が15度くらいだったと思
ームを上げ忘れたせいだと後でわかったが、あ
う。現代音楽によくある時間の長いコンサート
の時は一瞬凍り付いた。30分ほどの曲が終わっ
で、ブーレーズの新作を含む第一部が終わった
た時は、緊張と疲労でもう寒さなどどうでも良
のがすでに11時近く。普通の紺のスーツで会場
くなっていた。
めぐ
にいた私は、長袖なのにかなり耐えられないく
半年後パリのポンピドゥー・センターでパリ
らいの寒さを感じていた。観客の中には慣れて
の初演が行われたが、この間に曲は成長し続け、
いるのか、毛布を持った人たちもちらほらいる。
さらにリハーサルは続き、最終的に一時間を要
第二部に入るとさらに気温は下がり、おそらく
する曲となっていた。演奏が終わり、楽屋でブ
プリュトンを弾いた午前1時頃には一桁台の下
ーレーズが「今日は寒くなかったから大丈夫だ
の方になっていたのではなかったか。とにかく
寒くてもう指がまわるような状態ではなかった
が、何とかがんばろうと思ってステージに上が
ったでしょう」とおめでとうを言ってくれたが、
「そのぶん曲が二倍になってしまったので、大変
さは同じでした」と答えた。
った。上に述べたが、この曲はシステム上、数
曲についての思い出はつきないが、最後に一
音を間違えると曲を暗記しているコンピュータ
言。この曲が心に残っている一番の理由、それ
が、いまどこを演奏者が弾いているのか追えな
はコンピュータを使った音楽史上に残る何より
くなる事態となり、演奏者にとっては相当のプ
もすばらしい充実した作品であったからで、こ
レッシャーである。寒く凍り付いた指で最初の
の曲の影響がなかったら、私のその後の創作も
難しいソロの部分を何とか間違えなく弾けたと
より薄っぺらいものになっていたかもしれなか
思ったが、その後で鳴るべく設定されていたピ
った。
アノ音の変形が何もスピーカーから聴こえな
い! しまった、きっとコンピュータが私の演
(のだいら いちろう
作曲家・ピアニスト・静岡音楽館AOI芸術監督)
奏を追えなくてうまく行かないのだ、
(結構注目
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