A Letter from the U

A Letter from the U.S.A.
ピルグリム・ファーザースの子孫たち
井原
久光
11月下旬の木曜日、サンクスギビング(感謝祭)の当日は、ぽかぽかと暖かい日でし
た。たまたま私はテキストの執筆に追われていて、原稿を速達便で送りたかったので、普
段は週末も開いている中央郵便局へ行ってみましたが、広い駐車場には車が1台もありま
せんでした。営業時間を確認しようと近づくと、入り口には赤いリボンの下に「ハッピー・
サンクスギビング・デイ」とありました。
あっ。そうか。これは「謹賀新年」の貼り紙だ。サンクスギビングは「アメリカの正月」
だったのか。私は、原稿が送れなかったことよりも、こんな日に郵便局へやってきた自分
の迂闊さがおかしくなって、そう心でつぶやきました。
この祝日は「家族の日」で、多くの人が故郷へ帰ります。ゆっくり伝統料理を食べて、
食後は家族そろって散歩を楽しみますが、正月料理を頂いた後に初詣にでかける日本の様
子にちょっと似ています。
サンクスギビング前夜も日本の年末を思い出させます。帰省客で交通機関は混雑し、広
い高速道路も渋滞します。人々は特別料理の食材を求めてスーパーに急ぎますが、買い物
客は小走りで慌ただしそうです。クリスマス準備のため、この頃から店頭にツリーやリー
スが並び出しますが、それが門松や松飾りの特設売り場のようにも見えました。
ご承知のように、アメリカの起源の1つはメイフラワー号でやってきたピルグリム・フ
ァーザース(巡礼始祖)に求められます。彼らは、1620 年にマサチューセッツ州セイラム
に到着するとプリムス開拓地を建設しますが、入植当初、職人や商人が多かったこともあ
り、狩猟や耕作の仕方を知らず、大自然の中で冬を越す間に半数の者が寒さと飢えで次々
に死んでいきました。
そんな時、酋長マサソイトとネイティブ・アメリカンたちが現れて、狩りの仕方、食べ
られる木の実の見分け方からトウモロコシの栽培方法にいたるまで、大自然のなかで生き
抜く智恵を伝えます。
その年を無事に乗り切ったピルグリム・ファーザースたちが、最初の収穫を感謝したの
が、サンクスギビング(感謝祭)ですが、三日間続いた祭典には、ネイティブ・アメリカ
ンたちも招かれました。マサソイト酋長は5頭の鹿を土産にもってきて、90人の部下と
一緒にこの祭典に参加し、実りの秋をともに祝ったということです。
ちょっと面白いのは、この食事の際に、酋長の弟クアデキーナが鹿の皮いっぱいに「は
じけるトウモロコシ」を持って来たという記録です。アメリカ人が大好きなポップコーン
も、この「最初の感謝祭」に添えられたことになります。
今でもアメリカの家庭では、この時期に、インディアン・コーンを飾り、アメリカ土着
の鳥である七面鳥を焼いて、クランベリーやサツマイモを使った料理をします。クランベ
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リーはネイティブ・アメリカンの食べ物でしたし、ふだんはポテトを食べるアメリカ人が
サツマイモを食べるというのも昔の食生活と関係があります。
したがって、サンクスギビングは、建国の苦労と歴史を思い出す日といえます。ネイテ
ィブ・アメリカンが最初のサンクスギビングに招かれた話や、リンカーンがこの日を「国
民の祝日」に制定したことなど、たいていのアメリカ人が知っています。
「最初の感謝祭」には一般のアメリカ人も知らない後
しかし、加藤恭子さん※によると、
日談があるようです。ピルグリム・ファーザースとネイティブ・アメリカンの友好関係は
続き、プリムス開拓地は発展しますが、やがて、マサソイト酋長は、世代交代にあたって
2つの願いをもつようになりました。1つは、
英国名を息子に与えて欲しいということで、
もう1つは、キリスト教をネイティブ・アメリカンの間に布教させないで欲しいというこ
とでした。
最初の願いは快く受け容れられました。彼の息子は「フィリップ」と名乗ることを許さ
れたのです。ところが、2番目の願いは拒否されました。やがて「フィリップ」は狭まっ
ていく自分たちの土地に危機感をいだいて開拓民に戦いを挑み、そして敗走します。マサ
ソイト酋長の土地、マサチューセッツは、その後彼らの手には戻ってきませんでした。
誰もが知っているマサソイト酋長と、ほとんど知られていない「フィリップ」の敗走。
この2つの関係を解く鍵は、多くのアメリカ人がもつ宗教観にありそうです。おそらく、
最初の感謝祭でピルグリム・ファーザースが感謝を捧げたのは、彼らの信じる神に対して
であり、自然の中で生きるすべを教えてくれたマサソイト酋長やネイティブ・アメリカン
たちに対してではなかったのでしょう。ピルグリム・ファーザースの1人は、ネイティブ・
アメリカンを「神の使い」と書き残しています。
私たちはベイジルとジョセリンという老夫婦のサンクスギビング・ディナーに招かれま
した。世界を飛び回った外交官で、ふだんは食事の前に祈りを捧げるようなことはありま
せんが、その日は、各人が感謝の言葉を添えることになりました。招待客の中国人夫妻と
私たちは、偶然にも食事を与えてくれた「人間」と豊かな「自然」への感謝を強調しまし
たが、ベイジルとジョセリンは、「神」に感謝する意味の言葉を忘れませんでした。
多様な価値観を包括し、宗教の自由が保証されている現代アメリカで、今でもキリスト
教の精神が生き続けていると結論づけることはできないでしょうが、私が日本で考えてい
た以上にアメリカは宗教的な国のような気がします。
サンクスギビングの朝、郵便局の広い駐車場では、星条旗だけが快晴の空をバックにた
なびいていました。
(了)
※
加藤恭子『ニューイングランド物語』日本放送出版協会,1996 年
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後日談:
後にマサチュー
セッツ州セイラムを
訪れた時に撮影した
写真です。
今でも海辺にはメ
イフラワー号のレプ
リカがありますが、
その近くには、初め
てピルグリム・ファ
ーザースがアメリカ
に最初の足跡を残し
たとされるプリム
ス・ロックが保存さ
れています。石の中
央には「1620 年」の
数字が見えます。
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