先生方からいただいた情報

先生方からいただいた情報
産業医科大学リハビリ医学
佐伯
覚
先生
ポリオ罹患者に遅発性の呼吸障害が出現することがあります。四肢や体幹の筋肉の衰
え,筋力低下がポリオ後症候群(PPS)として、どうしても前面に出るため、呼吸障害や
嚥下障害が見過ごされる傾向があるようです。
呼吸障害も PPS の一つであり、加齢に伴い呼吸筋の筋力低下が生じ,換気不全(肺
活量の減少ともいえます)を起こします。また、体幹の側わんにより更に肺活量が減
少し(予測肺活量の 50%以下になると症状が出やすくなります)、進行することがあ
ります。同時に四肢の筋力低下も起きることで、歩行量や運動量が減るために換気不
全の症状(息切れ)に気づくのが遅れるようです。しかし、呼吸障害は潜在的に進行
するため、呼吸器感染症や外科手術の折に症状が出現したり発見されたりすることが
多いようです。症状としては、疲労、筋力低下、筋肉痛、頭痛、睡眠障害、呼吸困難、
チアノーゼ、いらいら、不安などがありますが、これらは他の PPS の症状と重なりま
すので、治療の必要性を検討するためにも、PPS の呼吸障害かどうか、精密検査が必
要となります。
PPS の遅発性呼吸障害の中でも、睡眠時の呼吸障害として「睡眠時無呼吸症候群
(SAS)」が重要です。これは、PPS と無関係のこともありますが、夜間睡眠中 1 時間
に平均 10 回以上の無呼吸を示すものとされ、放置しておけば呼吸不全や心不全を来た
すので、夜間呼吸器装着をはじめとする対処が必要となります。
SAS の診断・治療に関してですが、当大学病院での概要をご紹介します(標準的な
方法と思います)。通常の PPS に対する検査と並行して、胸部レントゲン検査・呼吸
機能検査・動脈血液ガス検査を行います。何らかの呼吸症状があり、SAS が疑われる
方は、呼吸器科に依頼して夜間パルスオキシメトリー検査(針を刺さずに、センサー
がついたクリップの機械を指にはめます。血液中の酸素飽和度を夜間睡眠中記録しま
す)をスクリーニング検査として行い、更に睡眠ポリグラフという検査で SAS の診断
を確定しています。現在、睡眠ポリグラフ検査は SAS を専門にされている呼吸器専門
の市内の高坊津田内科病院(元産業医大助教授)に依頼して行っています。SAS があ
れば、治療対処としてやはり夜間呼吸器装着が必要となります。呼吸器は、補助換気
の仕方の違いから、NIPPV(非侵襲的間歇的陽圧換気)、CPAP(持続的陽圧気道。シ
ーパップと呼んでいます)、Bi-PAP(2レベル陽圧気道。ビーパップとかバイパップ
と呼んでいます)があります。気管切開をしないということでは、どれも非侵襲的な
方法ですが、実際には口や鼻のマスクを装着してチューブで呼吸器と連絡することに
なります。これらの呼吸器から症状に合ったものを選択し、夜間のみ装着します。実
際呼吸器を導入して、症状が随分軽減された PPS の方もいらっしゃいます。
呼吸障害に関するこのような検査・治療を進める上では、やはり PPS に通じた先生
のほか、呼吸器内科の先生と連携をとりながら進めてゆくのがよいと思います
伊予病院
首藤
貴
先生
私も外来でポリオ後遺症の方をぼつぼつ診断させて頂いておりますが、PPS の呼吸器
障害の方は今回一人のみ見かけさせていただきました。その方の様子についても詳し
く聴取しておりませんので何とも申し上げることができません。
1)呼吸器障害の一般的な症状
運動時の息切れ(息苦しさ)、朝、起床時の頭痛、食欲低下、咳が弱くなる、痰が出
し難い、痰が増加、時には泡様野痰が出る、顔色不良、運動困難、進行すると意識
低下を生じる。脈も速くなる等の症状が出ることがあります。
検査としては、まず動脈血のガス分析を行う必要あります。(酸素濃度↓、炭酸
ガス濃度↑)血液中のガスの状態により、重症度を知ることができます。
2)治療 (呼吸機能障害状態により異なる)
酸素吸入 ∼ 呼吸リハビリテーション ∼ 人工呼吸器使用までいろいろの
段階があります。
神戸市立中央市民病院神経内科
Q.
幸 原 伸 夫
先生
神経内科ではどこでもなかなか症例が無いようですが、PPSの人が呼吸器障害にかか
りやすいという海外での報告があるようです。そのような症状が我々に出た場合は、まず
神経内科を訪れるべきなのでしょうか、それとも呼吸器の専門を訪れた方がいいのでしょ
うか?
A. 息苦しいときは、神経内科と呼吸器科のある病院の神経内科にまず行くべきでしょう。
ともかく神経内科医にまず相談することです。神経内科のないところでは、呼吸器科ある
いは内科で「ポリオのため胸の動きが悪いかもしれない」と担当医に告げてください。そ
うすればその目でみてくれると思います。
Q.
また呼吸器障害と言ってもいろいろあると推測いたしますが、一般論としてPPSによる
呼吸器障害の特徴のようなものはございますでしょうか?
A.
通常は肺胞内での換気障害ではなく、横隔膜が下がらない、あるいは胸郭が拡がらな
いための呼吸障害と考えられます。脊柱や胸郭の変形があっても同様な障害が生じます。
高齢者が多いので、肺気腫などの肺疾患を偶然合併する(とくに喫煙者)場合も頻度的に
はかなりあると思います.あとは寝ているときに、喉の筋の支持が保てず、気道閉塞によ
って生じる睡眠時無呼吸も問題になります。PPSに特徴的な症状がとくにあるわけではない
と思いますが、少し歩いても息切れをするような場合は一度みてもらっておいた方がよい
でしょう。もちろんポリオとまったく関連のない場合も多いと思います。
会員の体験談
権
鐘龍
いま思い起こしますと、睡眠時無呼吸の自覚症状として現れたのは、去年の夏以降、
昼食後に強烈な睡魔に襲われることでした。大阪ポリオ会の馬詰さんに「最近、イビキ
がひどくなった」と何気なく言いましたら、彼に「その体型からすれば、睡眠時無呼
吸かもしれません」と言われ、紹介していただいた関西電力病院に入院し、睡眠時の無
呼吸の精密検査を2回しました。
初日の検査結果としましては、1日に4∼500回呼吸が止まり、最高値は、4分
間に4回30秒ずつ呼吸が止まっていました。 2日目からは「オートT」というCパップを付けて寝ましたが、途中で無意識に機器を外してしまいました。1週間の入
院後、退院時に、「オートセット-A」というC-パップを持ち帰り1ヶ月使ってみま
したが、結論として私には馴染みませんでした。その後、BI−PAPに変えていただきま
したが、やはり私には合いませんでした。
さる方から、私の症状であれば「羽曳野病院が最適」とアドバ イスを受けましたの
で、関西電力病院で紹介状を書いていただき検査入院しました。結論から申しますと、
関西電力病院でしていただいた検査内容、治療方法と同じでした。この退院時に大阪市
中央区本町の「服部歯科」を紹介していただきマウスピースを作りました。マウス・
ピースを作った実績は200人以上あるようです。このマウスピースも睡眠中に外れ
たりするので調整手直しが必要です。
聞くところによるとBI−PAPの装着は、病気でない方は、息苦しいそうです。また重
症な方は、BI−PAPがなければ寝られないそうです。私の場合は、多分、中途半端な症
状かもしれません。
現在も、充分寝たつもりでも、朝からたくさんあくびが出、昼食後寝るようにしてお
ります。私としては一日も早くこれらの症状を治したいと思って治療しているのです
が・・・
50 才代匿名女性(下肢軽度障害)
私は生後10ヶ月ぐらいの時にポリオに罹りました。
平成13年7月に関西医科大病院に2泊3日で呼吸障害の
検査入院をし、検査を受けました。その結果、1日目は、1時
間に10秒以上呼吸停止が15.8回、2日目が28回停止し
ていると診断され、喉の所を少し切除すれば呼吸が楽になる
そうです。その切除の手術は日帰りでできるそうです。手術
するべきかとても迷っております。適切なアドバイスをよろ
しくお願い致します。
50才代
匿名男性(1 才の時ポリオ感染、下肢軽度障害)
2年前の出来事です。深夜仰向け睡眠中に呼吸停止を自覚し、ハッと目が覚めること
が数回あった。夢を見たとか、寝ぼけたとかではない間違いなく呼吸停止であった。
舌の奥が重力で下がって喉をふさいだような感じであったので、すぐに近所の耳鼻
科医院で診てもらう。声帯に多少異状があるが喉には異状はないと言われ、日赤病院で
呼吸器の検査を勧められた。耳鼻科医院の紹介状を持って日赤に行き、一泊二日の検査
入院。電極を体につけてスリープ検査、完全肺機能検査、レントゲンなど行うも異状は
見つからず、医師の説明によると『呼吸停止は10回/時ぐらいあるが正常範囲内です。
20回/時以上にならないと治療の必要はない。肺機能は人並み以上である』と誉めら
れた。
この騒動と前後してポストポリオのことを新聞で知りポリオの会へ出席したのは全
く偶然であった。その為、日赤では神経内科ではなく、呼吸器内科。ポリオの病歴も話し
たが医師は関心を持たなかったのも仕方がないと思う。
その後、枕の高さを半分にしたり、仰向け時、枕無しで睡眠したりしてこの2年間、呼
吸停止の自覚は全くない。その時神経内科でも診てもらわなかったのが残念に思いま
す。
40 才代匿名女性(下肢軽度障害)
会報も読ませていただき、同じ経験をしてこられた人が沢山いらっしゃる事を知り、
心強く、嬉しくなりました、反面自分の身体はこの先どうなっていくのかと非常に不安
にもなりました。現に私の身体は以前に比べ悪くなっていますし、私の場合左足に後遺
症があるにもかかわらず、今は右足が痛みます。また、狭心症のような症状もあり検査
の結果、心電図に異状はないとのことですが、用心の為、ニトログリセリンを持ち歩い
ている状態です。更に、ポストポリオの症状を知ると思い当たることがいくつもあり、
不安が募るばかりです。
千羽
英恵
私がポストポリオを知ったのは平成11年9月21日、読売新聞の記事でした。
「ポ
リオ後症候群」の文字が目に飛び込んでしばらくは、内容を読むことも出来ずなぜか
ドキドキしていました。ポリオのことがなぜ今頃こんなに大きく載っているの?「幼
児期に感染30−40年後に新たな障害」えっ!どういうこと!もしかして・・・。
そこには、今まで悪くなかった手足にも筋力低下や関節痛などが起こるということ
が書かれてありました。すでに5年ほど前から左手の肩から肘までが上にあがらなく
なっていた私には実に衝撃的な記事でした。
肩から肘までは肋骨に張り付いた感じ。手首のところは勝手にピクピク動く。少し
指を使うとすぐ震えてしまう。手を握っても一生懸命力を入れようとすればするほど、
どこからか力が抜けていく感じ。おかしいとは思いながらもポストポリオなど知らな
かった私は、また側弯がひどくなって、腕をあげると体全体のバランスが崩れるよう
になってしまったのか、と勝手に思い込んでいたのです。
幸い指が動けば仕事にはほとんど支障がありませんでしたので、震えがひどい時は、
左手は机の下で回復するのを待って使っていました。そんな中で知ったポストポリオ
のこと。私の左手はもしかしてこれだったのかも・・・謎が解けた気がしてちょっと安心
したところもありました。
記事にはポリオ会への連絡先がありましたが、今ここで連絡してしまうと精神的に
甘えてしまう気がして、どうしても出来ませんでした。とりあえず左手はあまり使い
すぎないようにすればいいのだ、ということがわかっただけで満足。新聞は切り抜い
てお守りのつもりで大事にしまっておきました。
じつはその頃、ほかの症状もいろいろとあったのです。何をしてもすぐ疲れてしま
う。人と話をしていてもだんだん声を出すのが疲れてきて、気が付くと小さな声にな
ってしまうなど・・・でも左手に異常を感じはじめた頃から動悸・頻脈(原因は不明)の
お薬を飲んでいましたので、そのせいかもしれないとも思っていました。症状は時々
だし、すぐ回復するし、きっと精神的なものだろう。もっとしっかりしなきゃと思っ
て頑張っていました。
しかしその後、体のだるさに耐えられない日がだんだん増えてきました。どんな風
に表現すればよいのか、アルコ−ルを飲んだ時のようにだるくて眠くて頭はボケてい
てという感じでしょうか。
(もともとアルコ−ルには弱いので適当な表現かどうかわか
りません。ごめんなさい。)お風呂に入りすぎた時といった方が適切でしょうか。時に
激しい頭痛もありました。
それでも病院へ行くとどこも異常はないと言われましたので、やっぱり精神的に弱
いのだと思うしかありませんでした。なぜなら、これらの症状が一日中続くというこ
とがほとんどなかったからです。例えば朝は体中の力が抜けた感じで、どんなに頑張
っても動けない状態。仕事を休んでいると午後はすっかり回復したり、逆に朝は元気
で仕事に行くのですが、ある瞬間から全身の力が抜けて同僚との会話も辛くなる、そ
んな不思議な体でしたので、やはり自分は精神的に弱い人間だと思わずにはいられな
かったのです。こんなことではいけないと、仕事以外のことも積極的にやりました。
何もかもそれまで以上に頑張りました。しかしわずか 1 年で限界は訪れたのです。
平成12年9月、とうとうお守りの新聞記事を出して
きて、ポリオ会にはじめてお手紙を書きました。(電話
でもよかったのですが勇気がありませんでした。)本当
はたくさんたくさん書きたかったのですが、弱い自分を
出すのが嫌だったのと、それでもなお、今までどおり働
きたい、という気持ちが強くありましたので、お手紙は
ほんの短いものになってしまった記憶があります。
すぐにポリオ会の通信が送られてきました。そこには
新聞には書かれていなかったポストポリオの症状、同じ
様に頑張ってきた人たちの体験談、これからどのような
生活をすればよいかなど、たくさんの情報で溢れていま
した。そしてはじめてこの疲労感が精神的なものではないこと、休むことに罪の意識
を感じなくていいこと、頑張らなくていいことを知ったのです。私はやっと決心がつ
きました。あと半年正社員として働いたら、その後はパ−ト職員に変えてもらって、
無理しない程度で働くことにしよう。
ところが私の体はその時すでに限界を超えていたようでした。今まで異常を感じな
かった右手からだんだん力が抜けてきました。(左手の時と同じです。)仕事中スタン
プを押そうとしても震えて位置が定まりません。勝手にピクピク動く攣縮も出てきま
した。
何をしてもすぐ疲れてしまって、仕事をする以前に一日中車イスに座っていること
さえ苦痛です。とにかく横になりたくて、お昼休みは買い物に行くふりをして自分の
車の中で休む毎日が続きました。声を出すことがつらくて、心の中ではなるべく私に
話し掛けないでって叫んでいましたが、そうはいきません。そのうち電話の会話では
相手に聞き返されることも出てきました。首のところもピクピク動くようになり、皮
膚の下で勝手に虫が動いている感じがして、夜もよく眠れませんでした。頭を支えて
いるのも重く、フラフラと傾いてしまいます。頭痛がひどくなると顔や歯まで痛くな
ることもありました。以前にも増して、あらゆる症状がひどくなり、現れる回数もあ
きらかに増えてきました。
職場から自宅までは車で30分なのですが、車イスを助手席の後ろに積み込んで、
ドアを閉める。そのまま1時間ほど車の中で休まないと帰れない日が続きました。や
っと車を走らせても 15 分ほどでまた疲れてしまうので、本屋さんの駐車場でしばらく
休んで帰る。次の信号が赤信号で止まれますように、
(止まっている間少しでも休める
から)と願いながら自宅までたどり着く、そんな毎日でした。帰宅するとへとへとな
のに、両親にはそのことを気付かれたくなくて、わざと元気を装っていました。
幼い頃から人には甘えず何事も自分の力で頑張るように、そう言われて生きてきた
私たちの親もまた、同じ様に頑張ってきたことをなによりも知っているだけに、つら
く苦しいことはとても言えないのです。無理をしてはいけないことはわかっていなが
ら、明日は今日より楽になっているかもしれない。だからもう一日頑張ってみよう。
今日は昨日より少し楽だった気がする。これだったら明日も頑張れるかも知れない。
毎日、毎日がその繰り返しでした。目には見えないけれどとても大変なものと戦って
いる気分でした。とにかくあと3ヶ月あまりもってほしい・・・・・・でもそんな気持ちと
は裏腹に私の体は日一日と耐えられなくなっていく・・・・・・・いったい私はどうなるの
だろうか・・・・・・。
平成12年12月14日ついに私はもうこれ以上頑張れない自分を受け入れること
にしたのです。ポストポリオを診ていただける病院へ行きました。
先生はもうこれ以上頑張らなくていいからとおっしゃってくださいました。職場の
上司にも理解していただけるように、先生のほうから直接お話してくださったりと、
精神的にも本当に助けていただき感謝しています。
これで楽になれる。ハズでした。ところが私の体はその後どんどん進行してしまう
のです。年が明けて平成13年1月4日安静と廃用防止のリハビリのため 1 ヶ月の予
定で入院しました。入院前は右手の痙攣は指先だけだったのが、腕をあげると余計に
震えが強くなってきました。日常生活のほとんどを右手だけで済ましていましたので、
その右手が使えなくなることはとても不便でした。またある朝起きると舌の動きが悪
くなっていて「らりるれろ」が言いにくくなっていていました。「ありがとう」が「あ
いがとう」としか言えないのです。ある日はストロ−が吸えなくなっていることに気
づきました。休めばよくなるはずではなかったのか・・・私の体はこの先どうなるのだろ
うか不安な毎日でした。
そんな入院中のある日、朝目覚めた瞬間から体中が重くだるく食事も出来ない日が
ありました。いつものようにリハビリの先生が来られて、ぐったりしている私の背中
を何度か押してくださいました。すると体中に溜まっていた空気が抜けていった感じ
がして、さっきまでだるかった体がずっと軽くなって、ボ∼としていた頭がスッキリ
し、眩しくて開けていられなかった目は、はっきりと物を見ることが出来るようにな
りました。思わず「何これ」と叫んでしまった私の声は、自分でも驚いたくらいとて
も大きくてしっかりしていました。そして「今までこんな呼吸したことがないです。
みんなこんなに楽な呼吸してるのかなぁ」と言ってしまいました。
リハビリの先生は「そうよ。これが普通の人の呼吸の感じよ。」って教えてください
ました。
「手や足の筋力も大事だけど、最後は呼吸が一番大事だから、少しでも自分で
呼吸できる力を残しておきましょうね」とも言われました。はじめて知った呼吸障害
のこと。自分がちゃんと呼吸していなかったことに気付いてもなかった私。この時痛
切に感じました。仕事なんてしている場合じゃない。
私は吸気(息を吸う)よりも、呼気(息を吐く)が弱く、BiPAP(バイパップ)とい
う人工呼吸器も使ってみましたが、この呼吸器では私の呼吸が弱すぎてうまく感知で
きないらしいのです。ですから今は、4人のリハビリの先生が毎日交代で私の呼吸を
介助してくださっています。新しい体外式人工呼吸器(イギリス)の Hayek oscillator
が私に合いそうですが、日本ではまだ使用認可が下りていないため使うことができま
せん。早く日本での認可が下りて使えるようになるまで、せめて今の状態を維持でき
ていればいいのですが、呼吸する筋力は疲れたからといって休める訳にはいかず、な
かなか難しいところです。
最近ふと思い出したことがあります。そう言われてみれば幼い頃、肺を鍛えるため
に歌をたくさん歌いなさい、と聞いたことがあるような・・・。徐々に落ちていった筋力
に気付くことなく、呼吸というものはこんなものだと思っていた私。この疲れかたは
異常だと思って病院へは行ったものの「どこも悪くないです」
「ところで足はどうされ
ましたか?」「ポリオです。」「そうですか。」これで終わってしまうと、やっぱり頑張
るしかないかって思うしかなかった私。せめてお医者さんがポストポリオのことを知
っていてくだされば、ここまで進まないうちに何とか手だてがあったような気もしま
すが、これも私の運命だったのだと思うことにしています。なってしまったものは仕
方がないですから・・・。
結局半年あまりの長い入院生活を送ってしまいましたが、今では理解のある優しい
お医者さまとも出会えましたし、リハビリの先生方も本当に熱心によくしてください
ますので、その点ではとても幸せに思っています。
<最後に自己紹介>
昭和38年11月生まれ。生後11ヶ月でポリオに感染。はじめは両足だけだったの
が、数日後、手もだらんとして動かなくなってしまったのだが、1週間ほどで手はだ
んだん動きはじめ、やがて完全によくなったとのこと。
(今となっては、この時が回復
期だったのだなぁと思われます。)足のほうはといえば、両足に全く力はありませんで
したが、膝のところが後ろにうんと反った状態でしたので、つっかい棒の役目をはた
していて、見かけは松葉杖で歩く?ことが出来ました。本当は、立つとか歩くという
感覚ではなく、全体重は常に腕で支えられており、腕が疲れると脇で杖によりかかり、
そのうち手がしびれてくるとまた腕で突っ張る、その繰り返しです。前に進む時はか
らだをゆすって、全体を引きずりながら前へ進みます。靴の先はいつもすぐに擦り減
ってしまいました。常に不安定な状態で、誰かに少しでも触れられると、すぐバラン
スを崩して倒れてしまいそうな感じで、いつも神経がピリピリしていました。そんな
状態ではありますが、中学までを普通校で過ごしました。
その後養護学校高等部に進学。時代遅れのポリオだった為に、同じ障害の人と出会
えなかったのは残念でしたが、精神的にはずいぶん楽な3年間を過ごすことが出来ま
した。しかしその頃から膝が少しずつ反らなくなってきて、つっかい棒としての役目
をはたさなくなってきてしまったので、車イスを使うようになりました。ついでにか
なりの側弯もあります。
じつは、音楽が好きで4歳からピアノを習っていましたので、将来は自宅でピアノ
教室くらいはできるだろうという考えもあり、短大の音楽科を卒業しました。今では
ピアノの鍵盤は重すぎて、とうてい無理な話になってしまいましたが、とても楽しい 2
年間を過ごしました。そして短大卒業と同時に金融機関に就職が決まり、車の免許を
取ったのもその時です。
昭和59年4月から平成13年3月までの17年間(今回の入院中に退職願を提出
しました)社会へ出て働いたということが、何より今の私に大きな自信を与えてくれ
ています。最後は少し頑張りすぎたかなとも思いますが、決して後悔はしていません。
この先どんなに大変なことがあっても、ポリオ会の皆様と知り会えたお陰で頑張って
いけそうです。これからもよろしくお願いします。
どなたでもメ−ルください
趣味の音楽でバンドをやっていました
大阪ポリオの会
[email protected]
http://www3.ocn.ne.jp/ shakeh/
馬詰富保
初めて私が睡眠時無呼吸症(以下、無呼吸症と略します)に気づいたのは3年前に
友人とアメリカ旅行に行ったときです。私はずっと一人暮らしなのですがまさか寝て
いるときに呼吸が止まっているとは夢にも思っていませんでした。
鼾(いびき)は以前からかいていると言われていましたが、まさか、呼吸が止まって
いようとはね。みなさんたまには友人と旅行に行くのも健康にいいですよ。その旅行
中、寝ているときに突然起こされたのです。
「おい、生きてるか。鼾をしないしおかし
いと思ったら、息も止まってたぞ。死んだかと思ったで」と友人は言いました。これ
が旅行中毎晩続いたのです。毎晩息が止まっていたわけです。そりゃ、驚きました。
私も友人もね。
たまたま、私も友人もNHKで以前放送された睡眠時無呼吸症の番組を見ていたの
で「睡眠時無呼吸症ちゃうか」と二人で話したのです。
日本に帰って文献で無呼吸症について調べると、呼吸は一時的に止まっても呼吸停
止にはならない。だから命に関わることはないという学説があるのを見つけたのです。
ただ熟睡できないので昼間眠たくなると書いてありました。
まあ、これならほっといても大丈夫だなと思ったのです。
その後、私はPPSの存在を知りました。
「うそ! こんなのありかよ。1才の時に
罹ったポリオがまたぶり返すなんて。」
私はそのときまでポリオは後遺症は固定してしまえばもう進まないと思っていまし
た。中枢神経のポリオウィルスからのダメージから後遺症が加齢とともに重くなると
は知りませんでした。養護学校でも聞かなかったしね。
そういうことで各地にポリオの会が出来ていることも知ったのです。そして神戸の
「ポリオの女性の会」で関電病院の川西先生を紹介していただき、すぐに電話をして
診察を受けました。
睡眠時無呼吸症の診断は、センサーを体じゅうに張り付けて一晩寝なければなりま
せん。少なくとも一日は入院が必要です。私は一週間の入院しましたが、症状が軽け
れば、もっと早く退院できると言われました。
その結果はあきらかに無呼吸症でした。PPSの患者には無呼吸症が出やすいとい
う学説もあるようです。その後、更に私は1ヶ月入院して各種検査とPPSの治療を
受けました。
私の症状分析の結果、C−PAPという無呼吸症者が睡眠時に付ける装置が有効で
あることが分かりました。睡眠時にマスクを鼻に付けて加圧した空気を強制的に送り、
気道閉鎖を防ぐ装置です。これを付けることにより、加圧空気を送り続けて呼吸停止
を防ぐのです。人は呼吸しないでは生きてはいけません。それは体内に酸素が必要だ
からです。呼吸機能が弱くなり体内に入ってくる酸素量が減ると、心臓は必死になっ
て血液循環のために働きます。少ししか入ってこない酸素を出来るだけ体内に取り込
むためです。この状態が続けば心臓は働きすぎて様々な病気になるのです。無呼吸症
の最大の問題は、呼吸が止まることよりも体内酸素量の減退による心臓負担の増加な
のです。
私はC−PAPの効果により血液中の酸素量も増え、高血圧の症状も軽くなりまし
た。そして夜間、呼吸が止まるために熟睡できず、昼間に眠たくなることも減りまし
た。
私は神戸の会にPPSの存在を教えていただきました。そして川西先生を知りまし
た。私は両方にお礼を言わなければなりません。PPSを教えていただきありがとう。
川西先生ありがとう。