ニュースレターNO.43(04-02) エッセイ お庫裏さんは宗教学者? 川橋 範子 がっても自分が「寺族」という業界用語でよ ばれる「僧侶の妻」であることなど明らかに してはいないのである。 このように大学では(クールな)宗教学者 の顔をしている私であるが、ひとたび勤務時 間がおわれば夫が住職を勤める禅寺へ「帰 宅」し、スーツから「お庫裏さん」モードの スエットの上下とおぼしきものへと着替え るのが常である。これは寺にすむ女性の大半 が気をつけていることであろうが、「わたし たちのお布施でお寺の奥さんがおしゃれを している」という批判をかわすためでもある。 また寺院というのはいつ来訪者があるのか わからない場所であり、そのため同業者の女 性の中には就寝時もスエットの上下という 人がけっこういる。朝一番に檀家の人が訪れ ても困らないように、寝巻きに見えないもの を常用しているのである。このように人目が うるさく予定がたたない、というのは寺院に すむ者の多くが共有する感覚であろう。 これでは、寺院に住む身には日常のストレ スが多い、と強調しているようにおもわれる かもしれないが、フィールドワーク系の宗教 学者である私にはすばらしいと思えること も多々ある。以前わたしは、沖縄の女性宗教 者の研究を北部沖縄をフィールドにしてお こなっていた。炎天下の沖縄を女性神役たち のナラティヴを求めて歩き回ったり、ふらふ らになってお祭りの行列を追いかけていた 院生時代を思い出せば、寺にいながらにして 現代仏教のフィールドができるのはすばら しいことなのである。とりわけ研究者として の視点と現場に日々くらす当事者としての 視点との「二重の視点」を得られたことは貴 重である。たとえば大学院時代に学んだ仏教 私は東海地方にある禅宗寺院の住職の 「妻」である。と、同時に理系の大学で宗教 学と異文化研究の講座を担当する宗教学者 でもある。こういうと、「ずいぶん変わった キャリアですねー」などといわれたりもする が、この手の「二足のわらじ」は、男性の場 合特にめずらしいことではない。宗教学者あ るいは仏教学者で僧侶、しかも自坊を持って いる、というような方はいくらでも宗門系大 学には見つけられる。(たとえば星野英紀先 生も住職と宗教学者の二重のキャリアをお つとめになっている) 。男性僧侶の配偶者(一 般に寺族、寺庭婦人、あるいは坊守やお庫裏 さんとよばれる女性たち)で宗教学などの研 究者が比較的めずらしい現状のほうになに か問題があるように思えてしまう。 理系の大学で宗教学を教えるにはそれな りの苦労がある。まず学生が本当に私の授業 を聞きたくて履修していることはまれであ る。しかし意外なことに学生による授業評価 の結果を見る限り、私が情熱的に教えている 「異文化研究」よりも、さほど理系の学生が 興味をもつとは思えない「宗教」の授業のほ うが高い評価を得ている場合が多いのであ る。このナゾがとけたのは、「異文化研究」 の学生授業評価の自由記述の中に「川橋先生 がボクにとっては異文化でした」とのコメン トを見つけたときである。つまり、異文化研 究のグルのごとく熱弁をふるう私を見て、学 生は「ひいて」しまっていたのである。その ために相対的に宗教の授業の評価が高かっ たということが解り、奇妙に納得してしまっ た。実は私は「異文化研究」に比べると、学 生に向けてはあくまでも冷静かつ客観的に 淡々と宗教学の授業をおこなっており、まち 39
© Copyright 2024 Paperzz