な 蔭 女 子 学 院 大学 宗法 セ ンター な蔭女子学虎短期大学 神戸市辞区篠原伯母野山町 1-2-1 ― 博 藤 後 本 学 学 生 の音 さ ん は 、 度 青 年 期 の真 只 中 に いる 丁 。 ま だ 大 人 では な いと 、 ま たある時 青 年 は あ る時 は観 や教 師 、 から 子 供 扱 いさ れ 、 には い ま も つ で で は 子 供 。 そ な いと大 人 扱 いされ る の意味 で首 年 は大 人 と 子 供 、 の中 間 にあ って ど ち ら の 制 か ら も は じき 出 され る 不 。 だ から 安 定 な 立 場 にあ る 青 年 を境 界 人 ヨoヽ■ ,L 3目 と名 づ け た学 者 も い 。 Z つ 物とさし て善 はな いのではな いだ ろうか ︵生活 のし か た は異な ると し ても ︶。単 に生存 し て いることだけ で 、 は 人間 の面目 はど こにも見 られな い。 、 人 間 が人間 らし い面 目を保ち うる のは これら の条 自分 を知 る﹂と いう条件 が必要な のではな 件 の上に ﹁ い と う。 こ 条件 は何ら新し い事柄 ではなく、 ギ か 思 の リシ ャの昔 から ﹁ 法自 らを知れ﹂ と いう格言 にお いて れら の条件を満 たせば 一人前 の大人 とし ての生活 は で きるだ ろう。 その日そ の時を漫然 と過ご す 生活、 お金 、 篤け や立身出世 に精 を出 す 生活 いろ いろな 生活 が で きるだ ろう。 しか し 生活 でき ると いう ことだけ では動 青年期 から大 人 にな る に 、 は次 のような条件 即ち身 、 、 体的成熟 知的成熱 経 済的独立 が必要 だと 一般 に言 。 われ ている 何 れ の条件も大人 にと って必要不可欠 な 。 条件 と思 われ る 現今 の教育 は これら の条件 を満 たす べく努 力 し ていると い っても 過言 ではな い。確か にこ 宗教 主事 件 条 の 人 大 1 9 8 6 年6 月 5 日発行 ー ・ チャベルニユ ス 6月 5日 発行 1986年 ・ ニ ュ ー ス チ ャ ペ ル u)第 24号 キ 、 も言 われ ている。 ﹁ 法自 らを知れ﹂は デ ルポ イの ア 、 ポ ロン神 殿 の玄関 の住 に刻 まれ ていた言葉 で ﹁ 自分 。 のことを忘 れ るな﹂ と諭 す格 言 であ った 哲人 ツクラ 、 テスは この言葉を自分 の内面を考察 するよう に命ず 、 るも のと 理解した。 即ち自 分 の無知を自覚 し その白 、 それ に基づ いて正 しく 党 に立 って真 の知識 を獲得 し 行為す るよう に人 にも自 分 にも課したと いう こと はよ 、 く知られ ている。 ﹁ 自分 を知る﹂と いう のは 平 たく 、 ﹁ 自 分 は三 らな い人間だ﹂と自党 する こと で 言えば 、 、 あり 自分 にはた いした能 力もな い それど ころか自 、 分 には いろ いろな欠点 があ る けれども 目 に見えな い 多く の支 え によ ってこうし て生き ている こと に気 が つ く ことと言 って いいでし よう。も っと つき つめれば宗 、 自 分を知る﹂と いう 教的自 党 に つながる のです が ﹁ 自党 の立場 にと する には、自 分を写す鏡が必要 であ る う。 そ の銃 に相当 する のが聖書な のである ︵仏典 も同 じ機能をも つだ ろう。︶ 、 聖督 は古典 の中 の古典 と いわれ ているが 古奥 と い う のは 一人 の人間 の思末 の中から 生れるも のではなく、 、 無教 の人 々の経験 や思索 の集 積されたも のを ある天 、 、 分豊 かな人が 作品化 したも のであ って それだ け多 く の人 々の知恵 が結 品化 されたも のであ る。古奥 の中 の古典 と いわれ ている聖書 には汲 めども つき ぬ真 理が 、 。 隠され ている この聖音 を ナイ ーヴな青年期 にある 、 、 学生 の皆 さんが 日 々謙虚 に読むならば 又礼拝 にお 、 ﹁ 自分を知 る﹂ いて聖t の解 き明か しを聞 くならば 自分 を知る﹂大人 は世間 には ことが できるだ ろう。 ﹁ 、 。 極く少数 かも知れな い しかし本学学 生 の皆 さん には ﹁ 自分 を知 る﹂条件を満 たし て、本当 の大人 にな って 。 頂き た いと祈 らぎるを えません イ ギ リス 復 活 祭 思 いがけ な い事 、 情 で 春 体 み の終 り 頃 イギ リ ス ヘニ 週間 旅 行 す る こと 。 にな った 長 い冬 が終 ったば か り でま だ 寒 か っ 。 た 二月 二十 三 日 の東 京 は あ いにく 、 飛行機 は 大言 で 十 四時 間 も 遅 れ て 。 出 発 し た 二十 四 日早朝 oンド ンに 着 く 筈 であ った の 、 に 予約 し てあ っ た ク ェーカ ー ・セ ンタ ー の ペ ン ク ら に次 々と 生 ま れ る予 定 だ と いう こと だ った。 、 翌 日は サ レー州 に住 ん て いる 友 人 を 訪 ね て 。 雑 木 林 の多 い田 園 風景 を 楽 し んだ 長 男 は イ 、 、 ギ リ ス国 教 会 の牧 師 で 南 ア フリ カ ケ ープ タウ ン の大 き な 教 会 を 担 当 し て いる。 次 男 も 、 、 、 牧 師 長 女 次 女 は牧 師 夫 人 で 三女 の夫 は 。 高 校 の教 諭 だ そ うだ 次 女 が結 婚 式 を 挙 げ た と いう古 い石 造 り の教 会 へ案 内 し て いただ い 、 た が 窓 の ス テイ ンド ・グ ラ スはダ イ ヤ モ ン ド型 の小 さ い デザ イ ンで大 変 実 し か った 。 、 墓 地 には 三 百 年 前 の基 碑 銘 も あ り 国 教会 の 。 伝 統 の長 さ を し み じ みと 感 じ さ せ ら れ た ラブ に着 いた のは夜 の十 一時 であ った。当直 の青年 に案内さ れた部 屋 はかなり寒 か ったが 。 友人か ら届 いたきれ いな花が飾 ってあ った 電気 ストープ を つけ る のに五 ベ ンス貨 を次 々 、 入れる仕組 みにな っていたが 途中 で コイ ン 、 がなく なり 一ば い着込 ん で寒 い最初 の夜を そ こか らさ ら にケ ント州 のカウ デ ン村 へ行 。 った。 ここに住 ん で いる大学時代 の友人 はカ 過ご した 。 トリ ック信者 で 同 った のが丁度聖 金曜 日だ 翌 日ケ ンブ リ フジ の友人 を訪 ね て 一泊 大 。 った ので、午後 の社 拝 に同席し た。教会 は エ 学町 は春 体 み のため辞 かだ った キ ング ス ・ 。 デ ンブ リ ッジ の町 にあ った カ ウデ ンは人 口 カ レジ の二を流 れる川添 いの大き な樹 々 の下 、 、 には ク 0ッカ スが 一面 に咲き乱 れ ていた。白 六百人 エデ ンプ リ ッジ は九千人 の静 かな 田 、 、 。 紫 黄と いうあざやかな色彩り によう やく若 合町 車 から降 り て教会 の前 で待 っていると 。 の訪れを知 った 次 の日は草 で知人 の小 さな ゆる やかな坂 道を 八人 の信者 が■字架 を担 っ 。 。 て上 って来 た そし て教会 の入 日で十字架を 農場 へ立 ち寄 った こ こでは山羊を数 弱飼 っ 、 。 降 ろし た のであ る そ こには エデ ンプ リ ッジ ており 生後 二週間だ と いう犬 の大 きさ位 の 、 の各宗派 の聖職者 が五人並 んで立 っておられ 仔山キ を家 の中 に入 れ て ひざ の上 に抱 いて 、 、 。 た。 パブ テ スト メ ツデ ィスト アング リカ いた のには いささかおど ろ いた 仔山羊がさ の づく り 石 スレ チ彰 今 ;t贅 子 晃 知 佳 6月 5日 発行 1986年 ・ ニ ュ ー ス ャ ペ ル チ 像) 第 2 4 号 。 ン ︵ 二人︶と カ トリ ックの神父 キリ スト受 、 難 の箇所 の新約 聖書 の朗読が はじまり そ の 後 でプ ロテ スタ ントの聖職者 は それ ぞれ の教 。 会 へ戻られた ミサでは聖歌隊 の少 年 の役割 に興味を ひか 、 。 れた 一人 が生 きた書架 になり ひざまづ い 、 て折格雪を頭 に乗 せ それを神父が朗読 され 。 た も う 一人 は神 父 のガ ウ ンの裾 が引き ずら 。 な いよう にと持 ち上げ て いた 彼 ら の白 と赤 。 のガ ウ ンが印象 に残 っている 友人 の長男もあ の十字架を担 った ことがあ り、 八人 で支 え ても かなり重 いと のこと であ る。 キリ ストが十字架 を背負 われ たまま途中 、 でお倒れ にな ったと いう受難を思 い 青 年た ちは ↓生忘 れる こと のできな い体験を する の 。 であ ろう この日は私 にと っても忘 れられな 。 い聖 金曜 日にな った 復活祭 には ,ンド ンのウ エスト ミ ンスター 、 寺院を訪 れ たが 礼 拝 のため戸が締 ま って い 、 た ので 隣 り のセ ント マーガ レ ット教会 の礼 。 、 拝 に出 席し た 寒 い日 で 小 雨が降 る中 を ヨ ー ロッパ大陸 から来 た観光客 が多勢 教会 に集 ま ってき て静 か に来 列し ていた。 オ ルガ ンの 、 音も聖歌隊 の議 美歌も美 しく 高 い天丼 にひ びき わた った。 この教会も数 百年 の歳 月を経 、 、 ており 入 日 には維持費 のため に ﹁アメリ カ人と そ のほか の国 々の信 者 ﹂に募 金を求 め る大 文字 の アピ ー ルが目 に入 った。 、 今度 の旅 を通 じ て 友人 のあたたかき と思 、 いやりをうれし く感 じるととも に あら ため 、 てイギ リ ス人 の国 民性 ︱︱ も の静 か で質素 、 忍Rづ よさ ︱︱ によれ この国 の伝続 と人 々 、 の敬 け んな信仰生 活を垣間見 た こと は 大変 。 幸せな こと であ った 私 にと っては こ のイ ー スターは ま こと に思 い出 深 いも のにな った。 平島 先生 とガル ニエ 木雅明 、 、 先 生 は当 然 のよ う な顔 を し て も ち ろ ん行 く と お っし や る 。 し か も ﹁家 内 も 同 行 す る のは 、 当然 です ! ﹂ と 言 明 され た の であ る が ただ 、 でさ え オ ルガ ンキ チガ イ でな い正 常 人 に は 、 気 も狂 わ んは か り の強 行 軍 であ る の に そ の 、 上 こ のよう な 無 茶 を す る のは と ん でも な い 、 と周 り でよ ってた か って先 生 を な だ め 奥 様 。 はグ ループ に残 ら れ た あ の時 の先 生 の無 念 、 。 そう な お で こ のた てじ わ が忘 れ ら れ な い 、 結 局 奥 様 の替 わ り に連 行 さ れ た のが花 木 、 、 、 、 先 生 で 花 木 平 島 両 発 生 竹 中 の村 井 氏 U“ の ・ 山中 にて すと ころな く具 現 し てく れ た 。 ガ ル ニ エが余 先 生 は水 も 洩 、 、 ガ ル ニ ユ夫 妻 ガ ル ニエの弟 子 二人 それ に 、 私 これ だ け を 一台 の シト ロ エンに詰 め込 ん 、 で 夜 中 の アウ ト パ ー ンを す っと ば した の で 、 。 あ るか ら無 茶 な話 であ る 果 し て 彼 の家 に 、 、 。 着 いた のが 午 前 四時 過 ぎ 仮 眠 の後 撮 っ 。 た 写真 が これ であ る 、 、 思 え ば 平 島 先 生 のお 仕事 は ガ ル ニ エと 、 の出 会 い にお いて党 成 さ れ た と 言 っても 間 。 違 い てはあ る ま い 先 生が ア ルザ スの マル ム 、 テ ィ エで フ ラ ン ス ・オ ルガ ンに初 恋 を さ れ 、 て以 来 続 け て来 ら れ た 研 究 を ” か 酔 飛 建 ふ 挙 力 夢 ル床 ・ 鞭ガ 勢 ︲ ″ 輸 “ ス 坪 マ D 扶製 ユエ,鈴 今 こ こ に 一枚 の 。 写 真 があ る 撮 影 者 は竹 中 工務 店 技 術 研 究 所 の村 井 さ 、 ん 場所 はガ ル ニ エの家 に近 い モ ル ト ー の山 中 時 は 一九 八〇 年 の夏 つい先 日 の こと の 。 よう に思 わ れ る にも か か わ ら ず こ こ に いる 四人 の 、 う ち す で に 二人 ま でが こ の世 に は 。 お られ な い 私 と ガ ル ニエと は何 か とり残 されたよう 。 な 思 いであ る 、 こ の時 の旅 行 は 日本 の オ ルガ ン愛 好 家 グ ループ に よ る イ タ リ ア ・フラ ン スのオ ルガ ン 、 巡 り で こ の ツア ーは い つも か な り の強 行 軍 。 な のであ る 旅 程 も 奈 す と ころ 二 日ば か り と 、 、 な り 一行 へと へと にく たび れ な が ら や っ と の思 い て宿 のあ る北 フラ ン スの メ ッッに辿 、 り着 いた 時 の こと 駅 前 の レ スト ラ ンで遅 い 、 夜食 を と り な が ら そ の 日だ け同 行 し て いた 、 ガ ル ニ エ夫 妻 たち と 再 び オ ルガ ン談 義 に花 。 、 、 が咲 いた と どう し た 話 の成 り 行 き か ガ 、 ル ニ エが平 島 先 生達 に 今 か ら草 で彼 の家 ま 、 。 、 で 一緒 に来 な いか と 言 い出 し た ま ま さ か ︱ メ ッッか ら モ ルト ーま で 四〇 〇 ■ 0はあ 、 る 今 も う 夜 中 の十 二時 を ま わ ってる ん です 、 、 と私 は大 い に ビビ ッた の であ る が 平 島 よ 費 明 雅 木 鈴 6月 5日 発行 1986年 ・ ニ ュ ー ス チ ャ ペ ル (3)第24号 、 ら さ ぬ線 密 な態 度 で 手 に入 るす べ て の情 報 。 を整 理 ・続 括 し ておら れ た そ のヽ 人 の域 を 、 越 え た 恐 る べき 整 電力 と 洞察 力 が 研 究 を 一 、 歩 一歩 着 実 に押 し進 め オ ルガ ン建 造 と を 書 。 と いう 二 つの頂点 に結 実 し た の であ る オ ル 、 ガ ン完 成 の後 は 純 枠 な古 奥 調律 の書 き を 求 、 め て 調律 の問 題 にさ ら に深 く踏 み込 ま れ た 、 、 が 何 よ り 純 枠 であ った のは 先 生 のお人 柄 。 そ のも の であ った と 思 う 、 ﹁平 ガ ル ニ エが し み じ み と言 った も のだ 、 島 先 生 は ド イ ツ語 も フ ラ ン ス語 も それ ほ ど 、 お 上手 な わ け では な い む し ろ識 々と話 さ れ 、 るだ け な の に ボ ク達 は どう し て こん な に同 、 じ こと を感 じ 、 同 じ こと を 考 え 理解 し あ え る んだ ろ う 。﹂ 同 じ美 し い音 楽 を 純 粋 に追 い求 める こ の二 、 人 にと っては 言 葉 の壁 す ら問 題 で はな か っ 。 た こ のガ ル ニユと の理想的 な共 同作 業 によ って、 先 生 の フラ ン ス ・オ ルガ ン薦 想 が実 現 、 、 し モ の体 験 を よま え て ﹁オ ルガ ンの歴 史 と そ の原 理 ﹂ ﹁ゼ ロ ・ビ ート の再 発 見 ﹄が完 。 成 し た これ は ど な す べき ことを す べ てな し 、 終 え て 生 涯 を閉 じ る と いう こと は 決 し て 。 簡 単 な こと では な い 、 写真 の中 の取 り残 さ れ た 二人 私 と ガ ル ニ 、 、 エは 平 島 先 生 の後 を維 いで これ か ら も カ 、 を合 わ せ て 日本 に少 し でも 純砕 で実 し い音 、 楽 を 造 りだ し て行 き た いと ただ ひた す ら願 って いる 。 t8 利 ピ ア ノ の こ と 、 ピ ア ノと の付 き て息子 のオ能 を自 慢 できるから であり 僧 ん 、 。 だ のは 私 が よそ の男 の子たち のよう に外 で 合 いは長 い 三才 、 遊 ぶ のを好 まず かと い って家 で勉 強をする く ら い のと き 、 両 、 でも なく 暇 さえあれば オ ルガ ンば かリノ ー 親 が 何 を 思 いま っ 、 ブ ー鳴 らし ていたから であ る。 つまり 私 の 、 た か 私 に買 い与 。 両親 は音 楽 に全く理解 がなか った の であ る え た 坑具 の卓 上 ピ 、 だから 私 が自分 のビ アクを手 に入れた のは 、 ア ノが 私 と ピ ア ッスンを受 け始 め て七年も た ってか ら であ レ ノと の最 初 の出 会 った。 そ の時も 両親 は ピ アノを買う こと に反 、 。 いだ った よ う であ だ った 私 はお年玉 やら 学校 の試験 で満 、 対 。 、 る そ の ピ ア ノを 点をと ったとき の御褒美 やらを貯金 し て 購 。 誰 が教 えたわけ で 入費 の足し にし てもら った のであ る ピ アノ 、 も な い の に私 は う が家 に運び 込まれ た日 の感激 は 今も って私 、 の人生 のなか で景もすば らし い経験 の 一つて ま く 弾 いた と 両 。 。 ある 親 は言 う 私 の両 それ から の口 々はも うピ アノに明けくれ る 、 。 毎 日であり 両親 には嘆き の日々であ った 両親 にと っては私 の弾 く ピ アタの音 は騒音 以 、 外 の何 も のでも なく 私 が ピ アノにう つつを ぬかし て学校 の勉強 に動まな いのが頭痛 の種 、 。 だ ったらし い 学校 の成機 は 中 学 の間 はそ 、 れ でも持 ち堪 えたが 高校 にな ると悔 “た る も のだ った。私 には適 一回 のビ アノの レ ッス ンがな によりも楽 しか った。 先生 のお宅 には 、 ﹁少女 フレンド ﹂が置 い てあ って それを読 、 、 。 む のも楽し み の 一つだ った ちな みに 後年 私が平安時代 の物語文学を専攻する よう にな った のは、 こ のとき読 んだ少女漫画 の影官 に 。 違 いな い 、 大 学は言葉 のほう に進 みたか ったが これ 。 ー ツァ も た な っ モ 両 の 猛 果 せ か た 親 反 対 で 、 ルトも ベ ート ーベ ンも およ そ音楽一 家の中 に リ ッチな生 活をした者 は いな いと、 両親 は、 のたもうた のである /やむなく私 は文 学部 に 、 。 進み 国文 学を専 攻した そ の間 に ア ルバイ トをし て自分 の中斐性 でグ ラ ンドピ アノを確 、 。 入した こと は 私 のささ やかな誇 り である 親 は お よ そ音 楽 に は関 心 も 理解 も な 、 い人 達 であ る から ﹁ が え た わ け でも な い﹂ のは そ の通 り だ 教 誰 、 ろう が ﹁う ま く ﹂ と いう のは 殆 ど信 潟 性 を 。 欠く 、 四オ のとき 幼 稚 国 で休 み 時 間 に私 が オ ル 、 ガ ンを 弾 く のを 聞 いた 国長 先 生 が レ ッス ン を 受 け さ せ る よう 両 親 に勧 め て下 さ った らし 。 い 今 か ら 思 えば 早 期 英 才 教 育 な る風 俗 の流 、 。 行効 であ った し か し こ の頃 の記 債 も 殆 ど 、 、 。 な い ただ あ る 日 や っと補 助 草 輸 な し で 乗 れ る よ う にな った自 転 車 で 一人 で レ ッス ン 、 に行 ったと き 先 生 が お手 製 のホ ット ケ ーキ 、 を ど ち そう し て下 さ ったと いう 食 い意 地 が らみ の断 片 的 な記 憶 だ け が 鮮 明 に残 って いる。 。 そ の先 生 は若 く し て胃癌 で亡 く な られ た そ 、 のお 葬 式 に行 った あ た り か ら わり と 記 憶 は 。 は っき り し てく る 、 両 親 は私 が ピ ア ノを弾 く のを あ る と き は 、 、 。 言 び あ る とき は憎 んだ 喜 んだ のは 人 前 片 岡 6月 5日 発行 1986年 ・ ニ ュ ー ス ャ ベ ル チ ( 4 ) 第2 4 号 こうし てふ り返 ってみると、私 の両親 ほど 私と ピ アノの仲を妨害 し続 けた人は いなか っ 、 、 。 、 た しかし このことをも って 私 は 自分 が悪 い音 楽 環境 の中 に育 ったとは思わな いの 、 。 。 である 第 一 私 は いい先生がた に恵まれた 故市野 工義 先生など は八年間殆 ど無憤 で レ ッ 。 、 、 スンをし て下さ った そし て 何 よりも 両 、 親 の音楽 に対 す る度外れ た無 理解 こそが 私 をし て音楽 への恋心を猛烈 にかきた てた ので 。 。 ある これ は逆説 でも読弁 でもな い 私 の実 。 感 である 家内 が 近所 の子供 たち にピアノを教 え てい 、 る。 レ ッスンに来 る子はを パイ エルも終 わ らな いうち から既 に自分 のピ アノをも ってい 、 る。 それ て いて レ ッスンに付 き添 ってくる 親 御さ んは ﹁うち の子は家 でち っとも練習 し 、 。 な いのです﹂と お嘆き になる たどたどし 、 いピ ァノの音 を聞 いていると あな がち御謀 。 る でも なさ そう であ る 擁 習も しな い子 のた 、 め に月謝 を払 う親も気 の書 な ら したくも な い練習を さ せられ る子も気 の毒 であ る。 これ をしも世 間 では ヽいい音楽 環境﹂と いう ので 、 。 あるうか 私 は確信 をも って 私 のほうが は るか に いい音 楽 環境 の中 にあ ったと思う ので 。 ある 人間 が小 賢し く計 ら って調えた ﹁いい環境﹂ 。 など タカが知れ ている 音楽 にはおよそ無線 、 の費 し い有 夫婦 に ふと玩具 のビ アノを 買う 、 気を起 さ せ て下 さ った神 の深道な計ら いに 私はただ黙 って頭を垂れず には いられな い の 。 である 掛 報 島 田率子姉 ︵ 施設管 理謀島回畠治兄夫人︾ 。 四月 二十六 日逝去 されました 同姉 のこ の平 、 安と 御 家族 の上 に神様 より の御慰 めがあり 。 ます ようお祈 り申しあげ ます 1986年 6月 5日 発行 ュ ー ス ・ ニ ャ ペ ル チ (5)第 24号 こ 四月 中 にあ る大 き な 箱 を 見 た利 那失 望 の色 も あ の 二 十 六 手 ら わ に立 去 った 。 お世 話 にな った 人 への贈 物 日 ■ エフ近 郊 の チ ェル フブ ィリ に原 と な った た め遂 に賞 味 出 来 な か った プ ラ ハは 黒 と白 ︵飾 り の ク リ ー ム ︶の色 彩 も シ ンプ ル 発 事 散 が起 った と 。 、 な男 性 嗜 好 と 思 わ れ る ■ エフ スカ ヤ の方 は き 一瞬 にし て キ 、 キ エフ高 等 音 楽 院 の ニー ナ ・イ ワ ー タヴ ナ ・ エフの人 々 味 覚 、 マト セ ーブ ィ ツチ教 授 と 共 に訪 れ た 女 性 校 長 教 育 芸 術 等 が定 の レ ー ニン中 学 校 で季 節 の果 物 や香 り 高 い レ 馬 灯 のよ う に私 の 。 モ ン入 り紅 茶 と 共 に御 馳 定 にな った 白 を 基 頭 の中 を 駆 け 巡 っ 、 。 た ヨー ロ ッパ の 調と し た花 園 風 の華 や か な色 彩 ビ ーナ ッの 書 り と蕩 け る よ う な濃 厚 な甘 味 は矢 張 り 女性 穀倉 ウ ク ライ ナ の 。 の嗜 妊 であ る キ エフ第 一と いう こ の学 校 で 穀 物 は ? 私 の滞 、 の犠 の良 さ は格 別 であ る が 生徒 達 は自 発 的 在 ホ テ ル ・ド ニ エ プ 0の道路 を 挟 ん で筋 向 い に バ ン屋 。 があ った 数 十 種 ほ ど も あ る香 り高 いバ ンは ピ ー ナ ツ 、 、 入 り あ り コー と ︱入 り のよう なも のあ り 、 形 も大 き さも 実 に様 々 てあ る が 私 は 毎朝 日 覚 め ると す ぐ 温 か いホ テ ルか ら シ ュー バを 身 に つけ 雪 道 を 通 って買 い に行 く のを楽 し み に し て いた。 ■ 時 頃 に は大 き な デ ュレー シ ョン 、 。 ケ ーキが店 頭 に並 ぶ が 忽 ち売 り 切 れ る 研 。 しプ ラ ハと 言 う チ ョ ヨレ ート のデ コレ ー シ ョ に当 番 制 で学 校 の運 営 にも 参 加 し て いた ま 。 ンば か り は何 処 にも 減 多 に見 か け な か った た地 区 のた め に当 時 建 設 中 の レ ー ニン新 博 物 。 或 時 ヨンポ ート ︵キ ャ ンデ ィ等 ︶の専 門店 に 館 の奉 仕 に行 く と の こと であ った 地 区 の幼 入荷 の報 を 得 て朝 早 く 行 列 に加 って開店 を待 稚 図 では 民族 人 形 は じ め民族 楽 器 の ミ ニチ ュ ったも の の、 入 荷 し た のは プ ラ ハでは な く キ アが種 々飾 ら れ て いる吉 楽 室 で授 業 を参 観 し 、 。 、 。 エフ スカ ヤ であ った た め 落 胆 し て店 を出 た た 年 少 組 では踊 り を伴 う 学 習 を 年長 組 で 、 。 ク レ ンチ ャチ ク通 り の喫 茶 店 を 地 上 地 下 を は就 学 前 児 童 の音 行 の学 習 を 子 供 達 は決 し 、 。 問 わ ず探 し 廻 り 遂 に或 小 さ な 地 下 の店 で発 て大 声 では歌 わ な い 国 児 の戸外 で の遊 び は 、 、 見 し た 時 は 眼 前 のガ ラ スケ ー スに他 の ケ ー 全 武 表 で 退 出 時 可愛 い手 を振 って見 送 っ 完 。 キと共 にさ り 気 な く 飾 ら れ て いる現 実 が何 と てく れ た 音 楽 教 育 専 門 の地 区 の音 楽 学 校 。 、 も信 じ難 い思 い であ った 息 を 弾 ま せ急 いで ︵小 中 高 校 ︶にも 訪 れ た が 教 師 達 は同 、 買 求 め た私 のは ん の 一足逮 い で店 に入 った紳 峙 に同 地 区 の音 楽 指 導 の任 を も 担 ってお り 士 は ﹁ブ ラ ハー ﹂ と注 文 し たも の の既 に私 の 普通 校 か ら の要 請 に応 じ て無料 で出 張 指導 に キエフ、見たまま、聞ぃたまま(4) 完全武裳で遊ぶ園児達 。 当 って いる 授 業 料 は国 家 負 担 で楽 器 を 持 た ぬ生徒 は月 四十 五 カ ペイ ク ︵約 一二 五 円 ︶で 、 。 借 り ら れ る 学 校 は 二部 制 を採 用 し 夜 間 は 夜 十 時 ま で六 〇 才 ま で の生涯 教育 に当 てら れ 。 て いた キ エ フの コンサ ート ホ ー ルの 一つに カ ステ ョー ルと 言 う パ イプ オ ルガ ンの会 場 が あ る。 元 カ ト リ ック教 会 の建 物 そ のま ま を使 用 し て 、 。 い て暖 房が な く 外 套 のま ま態 賞 し た 排 し 楽 器 の音 色 は抜 群 に良 く こ こ で古 典 と 現 代 吉 、 。 楽 の双 方 を 懲 賞 し 得 た 古 典 は音 楽 院 か ら 現代 音 楽 は 金 属 物 理学 研 究 所 の ユー リ ニ コ ラ エヴ ィ ッチ コーパ リ博 士 か ら 招 待 さ れ た。 、 彼 の oシ ア語 は極 め て優 し く 特 に ﹁ダ ア ︵は い ︶﹂ の書 き の優 し さ を 私 は初 め て知 っ 。 た 彼 の案 内 によ る 蝶 厳 の制 身 の実 味 は忘 れ 。 難 い 今 一人 工学 科 学 者 ウ ラジ ーミ ル セ ル ゲ ーブ ィ ッチ ヨ六 レ シ ヨ博 士 は彼 と は対 照 的 な 毎 落 な 人 物 で以前 一年 間大 阪 大 学 に来 ら 、 、 れ て いた 陽 気 な 人 物 で科 学 者 の父 君 夫 人 、 令 嬢 誕 生後 間 も な い赤 シ坊 と愛 犬 で温 か く 。 迎 え て下 さ つた 応 接 間 に は 日本 の山 水 の掛 、 軸 が か か り 友 人 手 作 り の ウ ク ラ イ ナ料 理 の フ ル コー スは家 庭 的 な 雰 囲 気 の中 に愛 情 の こ も った 無 類 の味覚 であ った。 そ の他 民族 衣 装 着 用 の ウ ク ラ イ ナ民 族 楽 器 ア ンサ ンブ ルや民 。 族楽 器 の ヨン サ ート等 々 懐 か し い思 い出 は 。 尽き な い 彼 等 は 今 頃 ど う し て居 ら れ る だ ろ 、 う ? と 細 な事 にも 動 転 す る我 々と は 異 な り 、 明朗 泰 然 た る彼 等 は な ら く 日 々 の生活 を 力 。 一杯 生 き て いるだ ろ う あ の比額 な く 美 味 な 、 る パ ンは ? 平 和 の砦 と 轟 わ れ た豊 か な 流 れ の速 いド ニ ■ブ ル川 で の水 浴 は ? 併 し私 。 は信 じ て いる 過 去 の者 軽 の中 を 切 り抜 け た 、 、 こ の民 族 の不抜 の精 神 を キ エフの精 神 を 過去 の尊 い歴 史 が 物 語 つて いる彼 等 の末 来 の 。 栄光 を 6月 5日 発行 1986年 ・ ニ ュ ー ス チ ャ ペ ル ( 6 ) 第四 号 チ ャ ベ ル で結 婚 お め で と う , ︲日 ●3月3 田 青山 一郎兄と東みどり姉 ●4月6日田 舛質窟利子姉 ︵大学国文字科 9年卒 ︶と白石幸治兄 5 04月セ日的 松永弘美姉 ︵短大家政学科 亜 年卒 ︶と中島昇兄 ●4月3 1日□ 江原万有実姉 ︵短大英文字科 弱年卒 ︶と浦山清兄 7日 ●4月2 □ 川韓久美子姉 ︵大学英米文学 科 弱年卒 ︶と木谷寿伸兄 5 ●5月3日0 西谷妙子姉 ︵短大家政学科5 年卒 ︶と角 本 政隆 兄 フ ラ ッ シ ュ ・ ニ ュー ス ◎快 式庭球部関 西学 生 リータ破 てEけ 5月 8日内 9日働明石公園 ヨート で行 われ た関西学 生歓式庭 球春 期 リ ーグ戦 ︵ 一部 ︶で 。 松蔭 は左記 の成績 で優勝し た O松蔭 21 1樟蔭 女子大 O松 蔭 21 1武庫 川女子大 O松 蔭 21 1天理大 Oな 蔭 31 0帝塚 山短大 Oな 蔭 21 1大阪 体官大 、 6 目 この 果 蔭は 結 松 題 算 度 の 優 勝を飾 り 3 4、 ︲ 5日の両 日、東京 ・川 日 スポ ー ツ 6月 1 芝 センターで開 かれる全 日本大学 リ ーグ王座決 。 定戦 に出場 する こと にな った 左 記 の通 り 0 ●5月5日仰 竹入美里姉 ︵大学国文学科6 年卒 ︶と沢浩志 兄 5 ●5月 5日卿 泉 このみ姉 ︿短 大英文学科 5 年卒 ﹀と加藤 俊哉兄 0日 5 ●5月 1 的 高 木千観姉 ︵大学 国文学科 5 年卒 ︶と池本 文昭兄 優勝 赤尾 3位 和 国 3位 村 上 国文 4年 ︶泉川 国 文 4年 ︶河畑 英米 4年 ︶中西 家 政 2年 ︶組 国文 3年 ︶組 国文 4年 ︶組 0日働松蔭テニス・コートで開催成績 4月2 ◎快式底諄兵庁 学生にけ大会 1日 ●5月 1 田 魚 住 亨 兄 と 高 橋 風 美 姉 ●5月 8 1日日 広 田美佐代姉 ︿大学国文学科 ︲ 6年卒 ︶と後藤 康彦 兄 4 ●5月 2 日 的 金子真 電子姉 ︵大学 国文学科 8 と 年 卒 ︶ 辻 井 正 嘉 兄 4 5日 ●5月 2 □ 木瀬博 江姉 ︵大学 国文学科 8 5 年卒 ︶と梅 田正史 兄 ●6月 1日旧 沼田文姉 ︵短大 英文学科 7 5年 卒 ︶吉 田進 兄 それぞれ チ ャベ ルで結 婚 されました。 おめ 。 でと うど さ います 神 様 のゆたかな祝 福を お 。 祈り いたします とく に松蔭 と いう職 場 で結 、 ばれ た池本 兄と高木 姉 どう ぞお幸 せ に, ◎硬式 テ ニス部 ≡﹃ 卑格 関西学 生 テ ニスリ ーグ戦 ︵二部 ︶は 4月 6 日□1 8 1日働神 戸総合 運動公園 そ の他 で行 わ 。 。 れた 成機左 記 の通り ○松蔭 51 0同志社大 ○松蔭 51 0大阪教育大 ○松蔭 31 0帝塚 山大 この結 果松蔭 は二部 で優勝し た。 、 一 二部 入れ替 え戦 ○松蔭 31 0神 戸女学院大 リ ーグ 戦、入れ替 え戦 とも に松蔭 の圧勝と 、 。 な り 一部 昇 格 を 実 た し た ◎ 関 西 学 生 ■ 球 春 畑 リ ーグ職 ︵二部 ︶ 2日 ︱ 日 4月 2 的 西 働京 都市体育館 その他 で 。 お こなわれ た 松蔭 の卓球部 の成機 は左記 の 。 通り O松蔭 41 1仏 教大 O松 蔭 41 1大 阪体 育大 O松 蔭 41 1大 阪大 O松 蔭 41 2武 康川女子大 O松 番 41 2大阪教育大 、 1 この結果 二部 で優勝し、 5月1 日 日 甲南 、 、 大学体育館 で 一 二部入れ替え戦 にはんだが 31 4の倭戦 で 一部嫁下位 の中高大学 に敗れ、 。 残念ながら 一部昇格 は成らなか った 4 第 4回 松 蔭 チ ャ ベ ル コ ンサ ー ト 8日匂8 0分より 6月2 1時3 チ ェン木 o 鈴 木 雅 明 由 ロ スヴ ェーリ ング ﹁緑 の警 堤樹 の下 で﹂ M o ッシ ﹁ト ッカ ー タ ﹂ D スカ ルラ ッテ ィ ﹁ソナ タ﹂ ソレ ル ﹁一云口の チ ェン木 口の為 の ソナ タ﹂ 、 他 一般 一tO O 円 ︵当 日 一八〇 〇 円 ︶ 友 の会 会 員 一四〇 〇 円 ︵当 日 一六 〇 〇 円 ︶ 、 。 な お本 学 学 生 教 職 員 は 五〇 〇 円 です 、 。 宗 教 セ ン タ ーま で お問 い合 わ せ下 さ い
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