Vol.24 , No.2(1976)078笠井 貞「道元とカントの「悪 - ECHO-LAB

道 元 と カ ン ト の ﹁悪 ﹂ に っ い て (笠
井)
具 え て いる。 仏 性 ・本 来 的 自 己 を そ のま ま 具現 さ せ る時 に行
道 元 は如何 に悪 を 見 るか。 道 元 によ れ ば、 人 は皆、 仏 性 を
れ な く な り、 修 行 力 が実 現 す る。 こう し て悪 を無 自 性 と認 識
る。 諸悪 莫 作 を 願 い、 諸悪 莫作 が 行 わ れ て、悪 が自 然 に行 わ
の 一面 を 説 く 語 であ る。 諸 悪莫 作 が 菩提 と 一如 の語 な の であ
て諸悪 はな す ま いと 用 心 す る の で はな く て、 無 上 菩 提 の内 容
三二八
為 は自 ず から 善 とな る。 人 間 は善 への根 源的 素 質 を 有 し て い
道 元 と カ ン ト の ﹁悪 ﹂ に っ い て
る が、 現 実 に は 吾我 を 貧 愛 し名 利 に繋 縛 さ れ て いる か ら、 悪
し て修 証 を 完 成 し た人 は、 一般 人 が 悪 を な さ ね ばな ら な い所
貞
への性 向 を持 つて いる。 諸 仏 が最 初、 凡夫 であ った時 に は悪
に 住 んだ り往来 し て、悪 を なす 友 人 と交 わ る か に見 え ても、
井
業 ・悪 心 もあ つた が、 皆、 仏 と成 つた の であ る。 悪 は我 執 に
悪 は全 く な さ な い。諸 悪 作 る莫 れ と いう領 域 を 超 え て、 作 る
笠
よ る。 我 執 を 達 す る た め の 心作 用 全 体 が煩 悩 であ り、 煩 悩 の
べき悪 莫 し と いう 段 階 に達 し て いる の であ る。 そ の修 行 力 が
来 のあ り 方 にな つた か ら で、 そ れが 悟 り で あ る。 結 局、 諸 悪
﹁諸 悪 莫 作、 衆 善 奉 行、 自 浄 其 意、 是 諸 仏 教﹂ の偶 の解釈
根 源 は無 明 であ る。
悪 ・無 記 の中 の悪 の こ と であ る。 悪 は、 善 ・無 記 と 同様 に、
莫作 は、 諸 悪 な す な か れ で は なく て、 諸悪 なす こ とな しな の
て主体 を 浄 める。 衆 生 が諸 悪 莫 作 によ って仏 と成 る の は、 本
そ の依 つ て来 る根 本 は無 自 性 ・空 であ る。 し か し悪 の 中 に幾
で あ る。 諸 悪莫 作 と衆 善 奉 行 と は表 裏 一体 の関 係 にあ る。 諸
実 現す る と、 客観 世界 が浄 め ら れ るが、 そ の客 観 世 界 が 却 つ
多 の現 象 が あ る。 諸 悪 と い つ ても、 所 属 す る社 会 ・国 家 ・時
関連 す る。
悪 莫 作 は摂 律儀 戒 に、 衆 善 奉 行 は摂 善 法戒 に と、 戒 の問 題 に
に お い て、 道 元 は 次 のよ う に い う。 諸 悪 と は、 仏 教 で 善 ・
代 に よ り 同 不 同 が あ る。 善 悪 は 物 でな く、 人 の側 にあ る。 物
悪 か ら 離 脱す る 方法 に っい て、 更 に 道 元 は 次 の よ う に 説
そ のも の に善 悪 は な い。 そ し て善 と悪 は固定 不変 的 に対 立 す
る も の で は な い。 諸 悪莫 作 と は、 凡夫 が倫 理 的 に反 省 工夫 し
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思 う な ら ば、 先 ず 吾 我 を離 れ る べき で あ る。 た と え多 く の経
坐禅 の中 に、 行 と悟 り が 具現 す る。 さ て食 欲 を 無 く し よ う と
る。 菩 薩 戒 を受 け 三宝 に帰 依 し て の坐禅 は即 ち 仏行 で あ る。
く。 人 は先 ず戒 を 守 れ ば、 心 も それ に っ れ て 改 ま る 筈 で あ
を 与 える こと が慈 悲 であ る。 こう す れ ば智 慧 が 進 み、 悟 り が
身、 人 のた め に善 い こ とを し て、 代 償 を求 めず、 衆 生 に 利 益
徳 の師 の言行 に随 え ば、 悪 は自 然 に 斥 け ら れ る。 た だ 重 法 軽
て、 善 悪 を考 え る こ とを 捨 て て、 仏、 即 ち法 を 得 た人 や、 有
カ ントに よ れ ば、 人 間 はそ の本 性 に お い て善 であ り、 善 へ
開 け る。 修行 を 離 れ る こ と のな い悟 り で あ るか ら、 そ の悟 り
の根 源 的素 質 を 有 し て いる に も 拘 ら ず、 悪 への性 向 を持 っ て
典 や 論 書 を学 び得 ても 我 執 を 離 れな け れ ば魔 界 に 落 ち る で あ
提 心 を発 し て修 行 す る。 悪 心を 忘 れ、 自 己 の身 を忘 れ て、 只
い る と いう。 また 人 間 の道 徳 的 判 断 力 は優 れ て いる の で、 道
が 煩 悩 に よ つて染 汚 さ れ な いよ う に 限 り なく 修 行 し な け れ ば
管 に 仏 法 のた め に仏 法 を 学 ぶ べき であ る。 人 に知 ら れ る こ と
徳 的 であ る た めに 何 を な す べき か は、 誰 でも 知 って いる と す
ろう。 仏道 を 学 ぶ 心構 え は、 本 来 的 な執 着 を 放 下 す る こ と で
な ど期 待 せず、 た だ 専 ら 仏 教 に 随 え ば、 自然 に仏 道 の徳 に 帰
な らな い のであ る。
依 す る の であ る。 真 に 内 面 の徳 が な い のに、 人 か ら尊 敬 さ れ
る。 さ て悪 と は何 か。 本 来 の悪、 即 ち 道徳 的 悪 は、 自 由 な 選
あ る。 吾我 を 離 れ る に は観 無 常 が最 も 重 要 で あ る。 そ こ で菩
る こ とが あ つ ては な ら な い。 自 己 中 心 に考 え る こ とを 全 く 忘
に よ ってだ け善 ま た は悪 と判 断 され 得 る のであ る から、 本 来
択 意 志 の規 定 と し てだ け 可 能 であ る が、 選択 意 志 はそ の格 率
の悪 とは、 格 率 が 道 徳 法 則 に違 反 す る 可 能性 の主 観 的 根 拠 の
れ て仏 法 の掟 の通 り に 修 行 す れ ば、 内 面 も 外 面も 共 に善 い の
て考 え る こと は 全 く 間 違 いで あ る。 世 人 の いう善 は 必ず し も
であ る。 善 悪是 非 に つ い て、 世 人 が見 聞 識知 す る こ と に 照 し
善 では な い。 た だ人 目 を気 に せ ず、 一向 に仏 法 に よ つて修 行
る の であ る から、 た だ善 縁 に随 う べき であ る。 善 悪 の判 断 は
る。 善 縁 にあ え ば 心 も 善 く な り、 悪 縁 に 近 づ け ば 心 も悪 く な
動 機 と非 道徳 的 動 機 と の混 同 への性 向、 即 ち 不純 性 であ り、
間 の 心 の弱 さ、 或 は人 間 本 性 の脆 さ であ り、 第 二 に、 道 徳 的
え る。 第 一に、 そ れ は採 用 さ れ た格 率 一般 の遵 守 にお け る人
人 間 の自 己責 任 とし て の悪 に っい て、 カ ント は 三段 階 を 考
中 に成 立 す る の であ る。
難 し いが、 人 は 心が あ る か ら に は、綿 密 に判 断 し て善 悪 を 取
第 三 の、 こ れ こ そ が真 に道 徳 的 悪 と呼 ばれ る本 来 の悪 は、 悪
す べき で あ る。 人 の 心 に 本来 善 悪 は な い。善 悪 は 縁 起 で あ
捨 でき る の であ る。 悪 事 を行 い、放 逸 に振 舞 う の は、 仏 意 に
三 二九
い 格率 を採 用 す る性 向、 即 ち 人 間本 性 或 は人間 の 心 の悪 性 で
井)
背 く こと に な る。 こ の場 合、 自 己 の主 観 か ら 善 悪 を 判 断 し
道 元 と カ ン ト の ﹁悪 ﹂ に つ い て (笠
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道 元 と カ ント の ﹁悪﹂ に つ いて (笠
井)
のは道 徳 的 秩 序 を自 由 意 志 の動 機 に関 し て顛倒 す る から。 要
あ る。 そ れ は人 間 の 心 の顛 倒 と も呼 ぶ こと が で き る。 と いう
徳 的 で な い動 機 よ り も軽 視 す る格 率 を 選択 す る 意 志 の性 向 で
再 生 と 心 の変 化 と によ ってだ け、 新 し い人 と 成 り 得 る と い
さ れな け れ ばな ら な い。そ し てた だ新 し い創 造 に似 た 一種 の
つ て は実 現 さ れ得 ず、 人間 に お け る 心術 の革 命 によ つて実 現
ント によ れ ば、 格 率 の基 礎 が 不 純 で あ る限 り 漸 進 的 改 革 によ
道 徳 的 に善 い (神 の意に適う)人間 に な る と いう こと は、 カ
三三〇
す る に、 人 間 は 悪 で あ る と いう 命 題 は、 人 間 が 道 徳法 則 を 意
心 は、 善 意 志 と 両 立 で きる と いう。
識 し て いな が ら道 徳 法 則 に対 す る違 反 を 自 己 の格率 の中 に採
う。 こ の 心術 の革 命 は、 人 間 理 性 の死 の飛躍 であ る とす る。
あ る。 こ の悪 性或 は背 徳 は、 道 徳 法 則 か ら 発 す る動 機 を、 道
用 し た と いう 意味 で あ る。 人 間 に は、 人 間 に責 任 を帰 し得 る
要 す る に道 徳 的 陶 冶 は慣 習 の改 善 か ら では なく て、 考 え 方 の
哲 学 の探 求 を、 カ ン トは自 己 の任 務 と 心得 て い た が、 カ ン
革 命と 性 格 の確 立 とか ら始 め な け れ ば な ら な い の であ る。
ト は哲 学 者 であ る と同時 に敬 慶 な ク リ スト者 であ つた。 根 本
も の とみ な さ れ る悪 への自 然 的 性 向 があ り、 そ れ を カ ント は
性 と傾 向 性 の中 に も、 道 徳 的 に 立法 す る理 性 の腐 敗 の中 にも
人 間 の本性 に おけ る 根 本 的 な 悪 と呼 ぶ。 こ の悪 の根 拠 は、 感
あ る の では な い。善 悪 の差 別 は、 人 問 が自 己 の格 率 を採 用す
悪 も 再 生 も聖 書 の思 想 のカ ント流 の解 釈 であ る。 カ ント に従
であ る か を知 る こ と であ る。 普 遍 的 な 真 の宗 教 信 仰 に おけ る
る動 機 の差 別 に あ る ので はな く、 両 者 のど ち ら を 他 方 の条 件
神 は、 天 地 創 造 者、 即 ち道 徳 的 には 神 聖 な 立法 者 であ り、 慈
る よ りも、 む し ろ神 が 道徳 的 存 在 者 と し て の我 々に と つて何
を 顛 倒 す る こ と によ ってだ け 悪 な の であ る。 こ の悪 は根 本 的
悲 深 い統 治 者 で道 徳 的 擁護 者 であ り、 そ し て公 正 な審 判 者 で
え ば、 我 々に と つて重 要 な の は、神 の本性 が何 であ る かを 知
であ る。 と いう のは 一切 の格 率 の根 拠 を腐 敗 さ せ る か ら。 そ
にす る か と いう従 属 関 係 にあ る筈 であ る。 従 っ て人 間 は、 動
れ は人 間 の力 に よ つて根 絶 でき な いが、 克 服 が 可 能 でな け れ
あ る。 宗 教 と は、 主 観 的 に見 れ ば、 一切 の我 々 の義 務 を 神 の
機 を 自 己 の格 率 の中 に採 用 す る時 に、 た だ 動 機 の道徳 的 秩 序
いても、 無 制 限 に善 と 考 え ら れ る も のは、 た だ 善 意志 以 外 に
ば な ら な い と いう。 こ の世 界 にお い て、否 こ の世界 以外 にお
人 を も 汝 自身 の如 く に愛 せ、 と いう の は他 人 の幸 福 を、 自 利
以 外 の如 何 な る動 機 から も行 う な、 と いう 一般 的規 則 と、 何
せ、 と い う のは 即 ち汝 の義 務 を 義 務 の直 接 的 尊 重 と いう 動 機
誠 命 と し て認 識 す る こと であ る。 ク リ ストが何 よ、
りも 神 を 愛
は どう な る の であ ろ う か。 人 間 本 性 の悪性 は、 悪 意 と呼 ぶ よ
考 え る こ と は でき な い と いう、 カ ント の善 意 志 と 悪 と の関 係
り も、 む しろ 心 の顛 倒 と名 づ け ら れ る べき であ り、 こ の 悪 い
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的 動 機 から導 か れ た の では な い直 接 の好 意 か ら促 進 せ よ、 と
れ ば、 右 のよ う な類 似性 や対 応 性 を 見 出 す こと が でき る。
な 道徳 性 が 成 立す る の であ る。 悪 の問 題 を 中 心 に し て考 察 す
道 元 の仏 法 の根 本 概 念 は縁 起 であ り、 カ ント哲 学 の基 礎概
いう 特 殊 的規 則 であ る と解 釈 す る。 そ し てこ れ ら の誠命 は単
いる。 道 元 に おけ る 転 迷開 悟 ・止 悪 修 善 の発 端 であ る 自 浄其
念 は自 由 で あ って、 両 者 は思 想 の系 譜 ・形 態 を 全 く 異 にし て
に徳 の法則 で あ るだ け でな く、 ま た神 聖 性 の命 令 でもあ り、
であ ると す る。 結 局、 カ ント の徳 論 と ク リ スト教 の徳 論 と は
我 々は こ の命・
令 に従 う よ う努 力 す べき で あ り、 こ の努 力 が 徳
も 顧 慮 し て お り、 カ ントは 善 意 志 を根 本 とし て 重視 す る。 道
元 は 行 為 を起 す根 本 の清 浄 心 を 重 視 し、 同 時 に行 為 の結 果 を
ず、 悪 への性 向 を持 っとす る。 両 者 は 動 機 説 を と る。 即 ち 道
とも い つて いる が、 善 への根 源 的 素質 を 有 して いる にも 拘 ら
であ る とす る。 共 に人 間 は生 来、 道 徳 的 に善 でも 悪 でも な い
の意 志 ・行 為 のあ り 方 であ る。 両 者 共 に善 悪 の判 断 は直 覚 的
自 身 で得 る、 或 は得 た も の で、 自 己 の責 任 であ る。 悪 は主 体
道 元 と カ ント にお いて、 人 間 は自 律 的 主 体 であ り、 悪 は人 間
以 上 が道 元 と カ ント の悪 に関 す る説 の 極 め て大 略 であ る。
人 間 が そ こか ら出発 す る悪 と、 実 現 す べき 善 と の間 に は、測
く ので あ る。 人間 は 道 徳的 努 力 を 無 限 に続 け る のであ る が、
で あ る。 根 本 悪を 克 服 す る に は、 カ ント の理 性 的 信 仰 に基 づ
藤 が あ る。 こ の二元 論 は批 判 前 期 の論 文 以 来、 一貫 し た思想
る の であ る。 カ ント の場合、 善 悪 は 二元 対 立 で、 そ こ に は葛
た悟 り の中 で、悟 り が煩 悩 に染 汚 さ れ な い よう に 修行 し続 け
実 相 を 悟 る こ とであ る。 人 は法 を 得 て、 悪 が な さ れ なく な つ
二 であ る。 根 本的 悪 と し て の無 明 を 離 脱 す る こ と が、 縁 起 の
結 局、 道 元 に お い て善 悪 は無 自 性 ・空 であ る か ら、 善 悪 は不
に 従 っ て いる 意 志、 断 言命 法 は善 意 志 の概 念 の展 開 で あ る。
は、 ク リ ス ト教思 想 に由来 す る。 そ し て自 由 意 志、 道 徳 法 則
意、 即 ち 自 己 の心 の浄 化 の ﹁心﹂ に対 応 す る カ ント の善 意 志
元 は 仏 教思 想、 カ ントは ク リ ス ト教 に由 来 す る のであ る が、
一致 し、 道 徳 法 則 は 神 の誠 命 と 一致 す る のであ る。
共 に純 粋 な 心術 を 重 視 し道 徳 の内 面 的 意 義 を強 調 し て いる。
り難 い深 淵 が存 在 す る のであ る。
三三 一
道 元 は仏 法 の ため に 仏 法を、 カ ント は道 徳 のた め に道徳 法 則
を 遵 奉 す べき であ る と し、 共 に厳 粛 主 義 を と つて いる。 道 元
は自 己 の我 執 ・名利 を 捨 て て、 普 遍 妥 当 的 な法 を 尊 重す る態
度 を 根 本 と し、 カ ント にお い ては、 自 己 の利 益 ・傾 向 性 に関
井)
係 な く、 普 遍 妥 当的 な道 徳 法 則 を 尊 重 し て行 為 す る 所に 純 粋
道 元 と カ ン ト の ﹁悪 ﹂ に つ い て (笠
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