平安浄土教の展開において、 文人居が主導的な役割を果し た - J

平 安文 人 の仏 教 信 仰
進 であ った 。 宇 多 天 皇 の篤 い信 任 を 受 け た 道 真 は、 藤 原 氏 の
て いた の は、 文 人 階 層 と し て は か つ て例 を 見 な い目 覚 し い栄
(三) ︱
平 安 浄 土 教 の展 開 に お い て、 文 人 層 が 主 導 的 な 役 割 を 果 し
氏 長 者 であ る 時 平 と 伍 し て、 位 階 ・官 職 は 高 めら れ た。 こ の
︱ 菅 原道 真 の場合
た こ と に つき 、 特 に彼 等 の学 問 教 養 そ のも のが 浄 土 信 仰 と い
得 意 の時 代 、 彼 の文 学 活 動 も 一応 活発 では あ った が 、 作 品 と
己
う新 た な 思 想 的 展 開 を 生 み 出 す 土 壌 と し て の意 味 を 持 ち え た
正
こと に注 目 し た い。 か か る観 点 か ら 、代 表 的 文人 の 一人 で あ
し て は 、 公的 な 晴 れ の場 で の、詩 作 の要 請 に こた え る いわ ゆ
尾
り 、 史 料 的 にも 恵 ま れ て いる菅 原 道 真 を と り 上げ 、 前 二 回 の
る応 製 詩 が 中 心 を な し て いる。 これ ら の詩 文 は ﹁過 剰 な ば か
中
報 告 で は、 そ の 生涯 を便 宜 上 四期 に分 け 、 第 二期 ま で の検 討
因 と し 、 仏 教 ・老 荘 思 想 を縁 と し て、 そ の人 生 観 に お い て 次
想 的 にも 見 る べき も の は比 較 的 少 い。 次 に掲 げ る のは そ のう
直 接 的 な 心情 の 吐露 の 見 られ る の は 二、 三 の例 に過 ぎず 、 思
菅家後集﹂解説) と いわ れ る よう に、
り の装 飾 を とも な った 典 故 を ち りば め た官 能 的 な 芸 術 美 の世
第 に厭 世 的 否 定 的 傾 向 が 生 じ 始 め、 閑 居 ・脱 俗 の思 いが しき
ち の若 干 の例 であ る (
以下 ﹁文草﹂とある のは道真 の詩文集 ﹁
菅
界﹂ (
川 口久雄 ﹁
菅家文草
り に高 ま る。 し か し 、 そ の後 の讃 岐 への地方 官 転 出 と いう 、
家文草、﹁後集﹂ は同じく ﹁菅家後集﹂ のそれぞれ 略 であ る。な お
こ の時 期 彼 は激 烈 な 文 人 社 会 の軋 礫 の中 で、 世 間 の 圧 迫 を
を 試 み た。
よ り 厳 し い試 練 に さ ら され た時 、 それ は彼 の 生 を支 え る の に
引用した詩句は詩文 の 一部 であ る)。
挙 レ小 将 レ均 レ之
惟 鵬 自 対 レ蝟 (
中略)
①北漢章 (
文草巻四)
十 分 な 程 の内 面 化 を とげ て い な か った こと が 、 は し な く も 露
呈 さ れ た の であ る。
平成五年十 二月
四年 間 の国 司 と し て の生 活 を終 え て京 に帰 った道 真 を 待 っ
印度學佛教學研究第四十 二巻第 一号
179
平 安文人 の仏教信仰 (
中
尾)
じ る 境 涯 にあ った 陶 淵 明 、 白 居 易 、 元 愼 ら の中 国 の詩 人 達 の
適 /性 共 適 遥
二 轟 錐 レ異 レ趣
中 有 北窓 三友 詩
一友 弾 レ琴 一友 酒
今 之 三 友 一生悲
吾 錐 レ不 レ知 能得 レ
意
古 之 三友 一生楽
酒 之 与 琴 吾 不 レ知
⑤ 詠 二楽 天 北 窓 三 友 詩 一 (
後集)
とがまず上げられる。
存 在 が 、 生 き る 支 え と し て の新 た な意 味 を帯 び る に至 った こ
今 朝 幸 遇 二再 陽 井 一
② 重 陽 侍 レ宴 同 賦 三秋 日懸 二清 光 一
応 レ製 (
文草巻五)
天 下無為日自清
請 見 虚 舟 浪 不 レ干
③ 閑 適 (文 草 巻 五 )
風 松 颯 々閑 無 レ事
④ 和 下紀 処 士題 二新 泉 一
之 二絶 上 (
後 集)
入 レ寺 新 泉 属 二出 家 一 感 懐 無 数 幾 恒 沙
一悲 一楽 志 所 レ之
右 の詩 に ﹁能 く 意 を得 たり ﹂ と あ る 如 く 、 こ こ に 至 り 白居
古 不 レ同 レ今 々異 レ古
易 と の精 神 的 距 離 は更 に縮 ま った か に見 え る 。 ただ 白 の如く
西 方 若 有 二多 情 者 一 応レ誉 便 栽 二仏 種花 一
右 のよ う に老 荘 思 想 、 浄 土 信仰 な ど が 認 め られ 、 同 様 な 例
では あ った が 、 思 想 境 涯 は異 る と いえ ど も 、 ﹁志 の 行 く 所 ﹂
は 他 にも 見 ら れ るが 、 これ ら は 一面 で は高 踏 的 な 趣 味 、 教 養
人 そ れ ぞ れ の生 の意 義 を そ の人 な り に見 出 そ う と す る 一つの
﹁一生 の楽 し み﹂ と いう脱 俗 の境 地 に は到 底 達 し え な い 道 真
て、 白 居 易 な ど の隠 逸 思 想 に 共 鳴す る と こ ろ は前 代 に続 き 相
方 向 づ け は な さ れ て いる 。 悲 嘆 に打 ち ひ し が れ た 道 真 に と っ
に属 す る も の と の感 は拭 えな い。 ただ 公 事 多 端 の 中 に あ っ
変 らず 大 き な も のが あ った と考 えら れ る 。 いず れ に せよ 、 こ
て、 敬 愛す る彼 地 の詩 人 に自 ら をな ぞ ら え か つ慰 める 以 外 に
右 は大 宰 府 に遷 さ れ た直 後 の詩 作 であ るが 、 しば ら く し て
こ に認 めら れ る 傾 向 は、 これ 以 前 の時 期 に多 分 にう か が わ れ
作 ら れ た ﹁叙 意 一百 韻 ﹂ で は、 白 居 易 ら への傾 倒 が 一層 深 ま
る と ころ で あ って、 特 に新 たな 思 想 的 展 開 が 見 ら れ る わ け で
昌 泰 四 (九〇 一)年 、 突 如 道 真 は右 大 臣 の職 を 解 か れ 、 大
自 ら を支 え る道 は見 出 さ れ な か った に相 違 な い。
宰 員 外 の帥 に遷 さ れ た 。 顕 栄 の極 み か ら 一挙 に破 局 へと 突 き
る と と も に、 老 荘 お よび 仏 教 思 想 を 通 し て心 境 に変 化 が 起 ろ
は な い。
落 され た の であ る。 こ の 正 に悲 劇的 な 状 況 にあ って、 道 真 の
う と し て いる 様 子が 示 さ れ て いる よ う に思 わ れ る 。
老 君 垂 レ述 話
荘 受 処 レ身偏
⑥ 叙 意 一百 韻 (
後集 )
心情 は激 しく 揺 り動 か さ れ 、 そ の懊 悩 の中 から い かな る 思 想
的 展 開 が 生 み出 され る に至 った の か注 目 さ れ る 所 であ る 。
思 わ ぬ 鎮 西 流 諦 の身 と な った道 真 にと って、あ る 程度 相 通
180
治恰寓言篇 (
中略)
句 の冒 頭 に ﹁老 君 を 垂 る 話 ﹂ と あ り 、 老 子 は仏 陀 の生 れ 変
燃 え さ かる 煩 悩 の炎 を 鎮 めよ う と す る 道 真 であ った 。 こ の詩
万 物 はす べ て空 にす ぎ ず は か な く 空 し いも のと 達 観 し て、
股勤 斉 物 論
辛酸是宿縁
性莫 レ乖 二常 道 一 宗 当 任 二自 然 一
反 覆 何 遺恨
て無 縁 のも の で はな か った ろ う 。 こ こ でも 空 観 を 介 し て、 老
り と いう 意 味 であ る が 、 道 真 に と って仏 教 と 老 荘 思 想 は決 し
荘 の虚 無 思 想 と 仏 教 と が 、 道 真 に お い て つな が り を 持 つだ け
微 々拡 二愛 楽 一 漸 々謝 二董 腱 一
恭敬古真笙
で はな く 、 彼 の生 の中 で ほと ん ど 同 じ 意 味 を 持 つも のと な っ
合 掌 帰 二依 仏 一 廻 心 学二習禅 一
厭離 今 罪 網
開敷 妙 法蓮
て い たと 考 え ら れ る 。
絞潔空 観月
誓 弘 無 二証 語 一 福 厚 不二唐 損 一
け で はな いが 、 こ こ に至 ってよ り 一層 の緊 密 性 を も ってさ ま
これ ら の思 想 や 信仰 自 体 は 必 ず しも 従 来 見 られ な か った わ
ざ ま な 思 想 が 結 び つけ ら れ つ つあ り 、 し たが って質 的 に は は
涼 気 序 岡 レ葱
老 荘 に つ いて いえば 、 荘 子 の ﹁斉 物 論 ﹂ や ﹁寓 言 篇 ﹂ が 特
熱 悩 煩縷 滅
に彼 の 心 を捉 え たが 如 く であ り、 大 小 、 正 邪 、 生 死 と いう 差
る か に透 徹 し内 面 化 さ れ たと の感 が 深 い。
道 真 が こ の詩 を 作 る 上 で直 接 倣 った白 居 易 お よび 元 愼 の 一
別 の考 え を捨 てれ ば 、 そ こ に ﹁虚 無 ﹂ と いう 真 理 の世 界 が 現
われ る と いう 考 え 方 が 道 真 に と って大 き な 救 いと な った であ
こ の ﹁叙 意 一百 韻 ﹂ に は仏 教 に関 し て も さ まざ ま な 叙 述 が
涼 気 の序 徳 な し ﹂ と あ り 、 陽 気 の推 移 にな ぞ ら え て煩 悩 の炎
思 わ れ る 。 いず れ にせ よ ⑥ の最 後 尾 に ﹁熱 悩 の煩 綾 に滅 す 、
だ け に、 以 上 あ げ た 詩 句 の持 つ意 義 は 一層 高 め られ る よう に
百 韻 詩 にも 、 これ ら の思 想 信 仰 の表 白 に相 当 す る部 分 が な い
見 ら れ る 。 ﹁反 覆 何 ぞ 恨 を遺 さ ん 、辛 酸 是 れ 宿 縁 、 微 々 愛 楽
のわ ず か に滅 せん と いう 心 境 の変 化 が 表 わ さ れ て いる こと に
ろう こと は想 像 に難 く な い。
を抱 ち、 漸 々董 腫 を 謝す ﹂ と あ り 、現 在 の辛 酸 を 過 去 世 の業
注 目 した い。
し か し 一百 韻 詩 に 示 さ れ た 、 老 荘 お よび 仏 教 を柱 と し て得
因 の報 い と諦 観 し、 罪業 を 滅 除 せ んが 為 に 精 進 潔 斎 に 努 め よ
真 笙 、 咬 潔 す 空 観 の月 、 開 敷 す 妙 法 の蓮 ﹂ と あ る のも 同 じ で
ら れ た で あ ろ う 心 の安 定 は 永 続 す る も の で はな く 、 極 度 に揺
う と す る 姿 が 描 かれ て いる。 ﹁厭 離 す 今 の罪 網 、 恭 敬 す 古 の
あ る が 、 実 際 の修 道 で は法 華 経 に帰 依 し禅 を 重 ん じ た 中 で、
二 一
れ 動 く 心情 の中 で、 道 真 を 打 ち ひ し ぐ 絶 望 の思 いと のさ ん た
尾)
こ こに は 空 観 の認 めら れ る こ と に 注意 し た い。
平安文人 の仏教信仰 (
中
181
平安文人 の仏教 信仰 (中
尾)
ん たる 戦 いが 続 け ら れ て行 く 。 し か し時 が 経 過 す る に つ れ
て、 次 第 に彼 の 心 を諦 念が 支 配 し て いく よ う に思 わ れ る。
⑦ 官 舎 幽趣 (
後 集)
略)
螂 中 不 レ得 三避 二誼 謹 一 遇レ境 幽 閑 自 足 レ
誇
(
中
此 時 傲 吏 思二荘 嬰 一 随 レ処 空 王 事 二尺 迦 一
三 友詩 一﹂ に は次 の詩 句 が 見 ら れ る 。
馴 押 焼 香 散華 処
不レ違 二念 仏 読 経時 一 応レ感 不 レ嫌 又 不 レ厭
雌雄擁 護逓扶持
二二
燕 雀 の雌 雄が 、 あ た かも 自 分 の念 仏 読 経 の時 を知 る か の よ
う に、 仏 事 を厭 わ ず 窓 に来 り遊 ぶ こと を 詠 ん だ 詩 句 で あ る
白も 浄 土 信 仰 を強 く 抱 いて いた こ と を考 え る と、 道 真 の信 仰
のが 白 居 易 の ﹁北 窓 三友 詩 ﹂ に触 発 され たも の であ り、 ま た
が 、 日 夜 念 仏 に励 む道 真 の姿 が う かが わ れ る。 こ の詩 そ のも
衣 苦 二風 寒 一
分 有 レ涯
に与 え た 白居 易 の影 響 の大 き さが 推 し 測 られ る。 ただ 右 の詩
略)
喰 支 二月俸 一
恩 無 レ極
優二
於 誼 舎 在 二長 沙 一
(
中
忘 二却是 身 一
偏 用 レ意
に おけ る ﹁念仏 ﹂ が 実 際 にど の よう な も の であ った のか 、 当
な いが 、 こ こ で は、 も とも と道 真 が 浄 土 往 生 への関 心浅 か ら
右 の第 一連 に見 ら れ る よ う に 、世 間 の俗 事 か ら解 放 され て
う ﹂と あ る よ う に、老 荘 思 想 、仏 教 に より 高 い価 値 を 見 出 し、
ぬも のが あ った こ と を指 摘 す る にと ど め て お く。 道 真 は 延 喜
時 の叡 山浄 土教 の状 況 を推 し は か っても 必 ず しも 明 ら か で は
一方 貧 し い 衣 食 に対 し ても 、 ﹁恩極 り な し﹂ と満 足 す る。 そ
三 (
九〇 三) 年 二 月大 宰 府 で亮 ず るが 、 そ の直 前 に 次 の よ う
いる吾 が 身 の境 涯 を 自 ら誇 り 、 ﹁荘 嬰 を 思 い﹂ ﹁尺 迦 に つ か
し て最 終 連 に 見 る よ う に、 長 沙 に疑 請 さ れ た 費 誼 に 比 し て 、
な詩 作 が 残 さ れ た。
愁 趁二
講居一
来
逃 れ え ぬ 死 を 目前 に し て 、後 生 を祈 り 観 音 を 念ず る 。 そ れ
病 追 二衰 老 一
到
⑧偶作
む し ろ自 分 の境 涯 の方 が優 れ て いる と 考 え る に至 って いる 。
いわば 、 老 荘 、 仏 教 を 通 し て、 煩 悩 を 抑 え 幽 閑 を 誇 り とす る
超 俗 諦 念 の境 地 に極 め て近 い所 に道 真 は た ど り つ いた と考 え
道 真 の仏 教 信 仰 は、 具 体 的 に は既 述 の通 り 法 華 経 の読 諦 、
は後 世 の いわ ゆ る明 確 な 浄 土往 生 信 仰 で は な く 、 いま だ 萌 芽
観 音 念 一廻
禅 な ど の修 道 を 中 心 と し 、 そ の ほか 観 音 信 仰 、 空 観 な ど に も
に過 ぎ な いと いわ ねば な ら な いが 、 精 神 構 造 的 には 正 に浄 土
此 賊 逃 無 レ処
特 色 が あ った が 、 そ の中 から 次 第 に浄 土 往 生 への願 望が 高 ま
教 的 と いう べき であ ろう 。 苦 悩 に充 ち た 日 々 の、 身 を 削 る よ
て も 大 き な 誤 ま り で はな い よう に思 わ れ る 。
り つ つあ った よ う に見 受 け ら れ る。 前 掲⑤ の ﹁詠 二楽 天北 窓
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う な 心 的 葛 藤 の中 か ら よう や く 心 の平 安 を得 よう と し、 白 居
い い、 藤 氏 専 制 によ る 他 氏 の政 治 中 枢 より の疎 外 と い い、 あ
特 殊 に見 え る道 真 の生 涯 に は 、文 人社 会 の矛 盾 相 剋 の苦 悩 と
る意 味 で は道 真 当 時 お よ び そ れ 以 後 の、 律 令 官 人社 会 にお け
易 、 老 荘 思 想 等 を通 し て現 世 超 脱 への足 が か り を捉 え よう と
し た道 真 の行 き つく 先 が 、 現 世 厭 離 、 浄 土 欣 求 の浄 土 教 に近
化 さ れ て いる と 考 え る こと が でき な い であ ろう か。 こ のよ う
る文 人 層 の辿 る べき 運 命 的 動 向 が 、 圧縮 され 端 的 な 形 で具 現
道 真 の場 合 、 彼 が 初 期 か ら 抱 い て いた 否 定 的 厭 世 的 な 人 生
いも の であ った こと は注 目 に値 いす ると 思 わ れ る 。
観 は 、 文 人 間 に おけ る 伝 統 的 な 教 養 あ る いは 風 流 趣 味 を 継 受
った道 程 は、 同 時 に以 後 の文 人 層 の辿 る べき 方 向 を 暗 示 す る
な捉 え 方 が 許 さ れ る と す る な らば 、 思 想 形 成 の上 で 道 真 が 辿
<キ ー ワ ー ド > 文 人 、 浄 土 信 仰 、 出 俗
(
跡見学園 短期大学講師)
も の であ った と 考 え ら れ る の であ る。
し て 、 本 質 的 に はそ れ を 超 え る も の で はな か ったと いう べき
であ るが 、 文 人 社 会 特 有 の対 立 抗 争 の中 で、 傷 つき や す い道
真 は とも す れ ば そ の方 向 に 脱 れ よ う と し た 。 そ れ は 単 な る 逃
避 にす ぎ な か った こ とが 、 地 方官 転 出 と いう 新 た な 試練 の中
で暴 露 され た のであ るが 、 最 後 に 道 真 を襲 った 破 局 の中 で、
諦 念 の中 か ら 更 に厭 世 的 傾 斜 を深 め 、 つ いに は浄 土教 的 往 生
以 上 の経 過 の中 で、 当 時 の漢 文 学 の伝 統 、 と りわ け 老 荘 思
信 仰 に救 い を求 め る に 至 った の であ る。
想 と 浄 土 信 仰 と の 一つの思 想 的 接 点 を見 出 す こ とが でき る の
では な か ろ う か 。 そ し て特 に道 真 の か かる 思 想 的 営 為 の中 で
白 居 易 を 始 めと す る 唐 代詩 人 の影 響 も これ ま た無 視 す る こ と
以 上見 て き た 道 真 に おけ る 思 想 的 展 開 は、 文 人 の学 問 的 伝
は でき な い。
統 に負 う 所 が 大 き か った と 同 時 に、 道 真 個 人 の性 向 と 、 更 に
はそ の悲 劇 的 生 涯 と いう極 め て特 殊 な 個 人 的 要 因 に帰 す べき
尾)
点 が より 大 であ った よ う に も 受 け と ら れ よ う 。 しか し、 一見
平安文 人の仏教信仰 (中
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