Pain is inevitable Suffering is optional テーマ史プリント CLASS 貨幣・ 貨幣・金融史① 金融史① NAME ■古代・ 古代・中世 古代 ➡708 年=① 武蔵 国から銅が献上➡② 和銅 と改元 749 年=③ 陸奥 国から金が献上 ふ ほ ん せん 富本銭鋳造(④ 天武 天皇の鋳造) ⑤ 皇朝十二銭 (律令国家の鋳造した 12 種の銅銭) ちゅう せ ん し ⑥ 鋳 銭司 (鋳造機関) わどうかいちん 708 年=⑦ 和同開珎 鋳造(最初の皇朝十二銭・⑧ 銀 銭・銅銭) 711 年=⑨ 蓄銭叙位令 発布 760 年=10 開基勝宝 鋳造(金銭) けんげん たいほう 958 年=11 乾元大宝 鋳造(最後の皇朝十二銭・村上天皇の鋳造) ■中世 輸入銭➡12 宋銭 (日宋貿易 日宋貿易によって輸入された銅銭 銅銭) 日宋貿易 銅銭 13 明銭 (勘合貿易 勘合貿易によって輸入された銅銭) 勘合貿易 (洪武通宝・14 永楽通宝 ・宣徳通宝) し ちゅうせん えり ぜに 悪銭➡国産の 15 私 鋳 銭 の流通➡16 撰銭 (良銭を選ぶ行為) えり ぜにれい 幕府・戦国大名の 17 撰銭令 発布(悪銭と良銭の交換比率の決定・一定 の悪銭の流通禁止とそれ以外の貨幣の流通強制) ■近世 とくじょう 秀吉 1588 年=1 天正大判 鋳造(後藤徳 乗 ) 家康 1600 年=2 慶長金銀 鋳造 お お ぐ ろ じょう ぜ 金座(長官 3 後藤庄三郎 )銀座 銀座(長官:大 黒 常 是) 金座 銀座 ぜ に ざ 三貨鋳造 三貨鋳造 家光 1636 年=4 寛永通宝 鋳造 金貨 5 計数 貨幣(1両=6 4 分=16 朱) 銀貨 7 銭座(民間請負) しょうりょう 秤 量 貨幣 ぜ にか 銭貨 藩札発行(最初の発行は 9 福井 藩 藩札 ) きんづか 三貨交換 商取引の中心貨幣➡東日本の金遣 金遣い・西日本の銀遣 銀遣い 銀遣い もんめ 1609 年の換算率➡金1両=銀 10➡ ➡ 50 匁 =銭 4 貫文(4000 文) もんめ 1700 年の換算率➡金 1 両=銀 11➡ 60 匁 =銭 4 貫文(4000 文) 12 両替商 (三貨間の交換・秤量の商売) ほんりょうがえ 本 両 替 (13 為替 ・貸付業務) ・銭両替の 2 種類 大坂の 14 十人両替 (幕府御用) - 1 - 埼玉県立越谷北高等学校地歴公民科 K.ISHIDA Pain is inevitable Suffering is optional テーマ史プリント お ぎわ らし げひ で 貨幣改鋳 綱吉 15 元禄金銀 鋳造(悪貨)➡勘定吟味役 16 荻原重秀 の建議 宝永金銀 鋳造 しょう と く 白石 17 正 徳金銀 鋳造(良質) げんぶん ただすけ 吉宗 18 元文金銀 鋳造(悪貨)➡大岡忠相の建議 田沼 19 南 鐐 二朱銀 鋳造(8 枚=1 両) 家茂 安政小判➡20 万延小判 鋳造 な ん りょう に し ゅ ぎ ん 金銀比価 金=日本 1:外国 21= 5 、銀=外国 1 :日本 22= 15 新井白石と 新井白石と正徳の 正徳の治 この人がなぜ出題頻度№1かと言うと、何でもやってるからである。そ 貨幣改鋳! して大物貨幣改鋳 貨幣改鋳! 「新井白石は 新井白石は正徳の 正徳の治で、元禄小判を 元禄小判を改め、もとの慶長小判 もとの慶長小判と 慶長小判と同質 丸暗記する! の正徳小判を 正徳小判を鋳造した 鋳造した」 した」という文章を丸暗記 丸暗記 あわせてどの教科書にも載っている「金貨成分比の推移」の表で、慶 長小判と元禄小判と正徳小判にチェックを入れて、確認すること。特に 元禄小判の改鋳の建議者が勘定吟味役 勘定吟味役(のち勘定奉行)の荻原重秀 荻原重秀 勘定吟味役 であったことは重要。しかし、この貨幣改鋳は、経済の実情を無視した ものであり、かえって混乱を招いた。 荻原重秀が出目 出目という差益を狙って元禄小判を鋳造した時は、確か 出目 にインフレとなった。しかし、白石の改革のころには経済の発達により、 貨幣の流通量と物資のバランスがマッチするようになっていた。それを 無視した貨幣量の削減は当然デフレを招き、深刻な流通危機をもたら すこととなった。 そのため、次の8代徳川吉宗の享保の改革でも当初は正徳小判と同 質の享保小判を鋳造したが、1736年には再び金の含有量を落とした 元文小判を鋳造している。(もっとも元文小判鋳造の背景には、貨幣と 物資のバランスという面以外にも、銀遣いの上方と金遣いの江戸との 間で「銀高金安」といったいわゆる変動相場の問題が、江戸の諸色高 の一因であったことを是正しようとしたこともある。 過去問 京都大学2006 京都大学 ちなみに、2006年度京都大学の問題がこれだ! 「将軍徳川綱吉のいわゆる元禄時代から,田沼意次が失脚 した天明年間にいたるまでの江戸幕府の貨幣政策について 述べよ」 (1)元禄期:金銀産出量の減少と綱吉の放漫財政によって 財政難に陥った幕府は、出目による差益を狙って品位をおと した元禄小判を鋳造した。このことによってインフレとなった。 (2)正徳の治:元禄小判を改めて、もとの慶長小判と同質の 正徳小判を鋳造したが、実情を無視したものでデフレを招き、 かえって経済の混乱をもたらした。 (3)享保の改革:当初は正徳小判と同質の享保小判を鋳造 したが、のちには江戸の物価抑制の意味もあって再び金の 含有量を落とした元文小判を鋳造した。 (4)田沼時代(天明期):重商主義政策のもと、貨幣流通量 の増加と金銀貨幣の一本化をめざして南鐐二朱銀がつくら れた。 まあ、それだけ新井白石は重要だということ。 - 2 - 埼玉県立越谷北高等学校地歴公民科 K.ISHIDA
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