九月の五日間 九月二十四日 1 台風には勝てない。――というか、勝とうとしてはいけない。 外では雨が暴れている。出発を一日、遅らせた。それでも休暇明けには仕事が待っている。 結局、四泊五日の予定が三泊四日になってしまった。とはいえ、今日も無駄ではない。体力 温存のための、大事な一日だ。つまり、ごろごろしていたわけだ。 午後から持ち物の確認に入る。 着替えは二組。これを四日間で使い回すことになる。寝間着代わりのジャージに、手ぬぐい、 タオル。折り畳めるダウンジャケット。マウンテンパーカ。雨具。薄手フリース。帽子に手袋。 タイツ。サンダル。 大切なのは、水分補給。命の水だ。いざという時、心まで温めてくれる保温ポット。歩きな がらの給水には、ハイドレーションシステム――山に行き始める前のわたしなら、宇宙旅行の 機材と思ったような横文字だけれど、要するにチューブからチューチュー吸えるビニールパッ なべ クだ。中に入れる水に溶かす粉末ポカリスエットを二袋。 鍋、マグカップと折り畳みのフォーク・スプーン。やはり折り畳みの 携行用コンロと小さな ナイフ。 小さくて手ごろな保険だ。 歯ブラシに薬――鎮痛剤はあるというだけで何となく安心出来る。 ばんそうこう 絆創膏。そこはそれ、女として簡単な化粧グッズも用意する。 そして、お楽しみの食べ物。 栄養剤のゼリーが二個。ティーバッグ八包。コンデンスミルク。 レモン グミ。ミルクキャラメルにチョコレート。元気の出そうなチョコレートは三種類を、パッケー ジから出して、小袋に入れる。柿の種とじゃがりこチーズ味も混ぜて、小袋に。 檸檬チーズケーキの残りがあった 焼き菓子を二個。この間、出張した時、土産に買って来た のを二個。メロンパンと袋入りミニあんドーナツ。ドライマンゴー。チーズ。 自分の部屋に置けばありふれたものでも、世界の違う高みで口に入れると、有り難いご ち今そ、 う 馳走として輝いて来る。 明日、コンビニおにぎりも一つぐらい買って行こう。 ックもいる。ストック 荷物を山小屋に置き、最低限のものだけ持って出る時のため、サブもザ ちろん が二本。それから必需品のヘッドランプ。危険なコースではない。勿論、明るいうちに山小屋 に入るつもりだ。しかし、つもりはつもりでしかない。何があるか分からない。 三年、山を歩いている間には、闇の怖さを実感することもあった。下界の夜とは全く違う。 昔話の山に、怪しげなものが群れをなしているのも分かる。あれは、作り事ではないのだ。 方位磁石。山岳地図にガイドブック。 さて、そこから迷った。持って行く本を何にしよう。行き帰りの電車の中でも、かなり読め はず る筈だ。 ひじ 結局、あまり肩が凝らず没頭出来そうなアメリカのミステリ、文庫本の上下を選び、もう一 冊は短編集かエッセー集にしようと思った。積んである文庫の背を、フロアに横になりながら ほこり 見ていった。最初は右肘をつき、不自然なので肩までついた。 目のた位置をそこまで下ろすと、埃が気になった。一番下の本のところに、吹き寄せられたよ うに溜まっている。顔が近づくと、微細なごみも自己主張して来る。 ――お出掛けの格好なら、横になりたくない床だなあ。 今は、部屋着に格下げになったTシャツに、パーカをひっかけている。胸元では、機嫌のよ さそうなウッドストックが横向きになっている筈だ。 わたしの髪はロングではない。 髪が床を擦らないように頭を上げて、本の背文字を読む。幸い、 だろ。 ――って、何てつまらないと幸いい たやすじ 大分前に神田で買った、戸板康二の『あの人この人 昭和人物誌』が見えた。指をかけて引 き出し、ついでに近くの山のエッセー集も取り、傾きかけた本の塔を元に戻した。 山のエッセーは文庫ではない。この場合は大きさからいって自動的に却下。これから、お茶 でもいれて、ぱらぱらめくってみよう。 これにて、荷物は確定。三十二リットル入りのザックに、要領よく詰めた。 間際にあわてないよう、お金も確認し、さて、これでいつでも出掛けられる――筈だ。 そこで、床の埃が気になった。 山に出る前に、そんなことしなくってもというところだが、予定を変えたおかげで時間だけ はある。 掃除機を出して、いつもより丁寧にかけた。リビングのテーブルの下まで来た。いつもは置 ひざ いたままの段ボールの箱も、膝をついてずらしてみる。すると、間から、薄い灰色の何かが出 て来た。 文字通り、わたしには《何か》としかいいようがない。プラスチック製で、縦二センチ横一 センチほどの小さな部品だ。何かの器具から外れて、転がり、いつからかここに隠れていたの だろう。 立ち上がって、その近辺のものを見る。炊飯器や電子レンジがある。それらは差し障りなく 動いている。 だが、今、手の中にあるのは《何か》の部品だ。自然に生まれ出るものではない。うちの中 の何かから、それが欠け落ちたのだ。 それでも、日常は何とか動いている。 今日はただ、それを知ったということだ。 三年ほど前まで、一緒に住んでいた男がいた。そういう同居人がいたなら、 「何だろう、これ?」 と、聞いたろう。 取りあえず、いつか分かる時があるかも知れないと、炊飯器の右下に置いた。 同居人がいたら、彼に向かっていったかも知れない。 「――わたしの部品かな?」 2 ふじわら 三年ほど前。――藤原ちゃんが声をかけてくれた。 「明日。山、行きませんか」 うなじゆう 藤原ちゃんは、活力のある人で、エピソードに《空飛ぶ鰻重の話》というのがある。何だか 彼女に似合っている。 仕事がきつい時、気合を入れようと鰻重を取った。食べ始めようとした時、何かいわれ、手 に鰻重を持ったまま立ち上がり、あわてて数歩行きかけ――よろけた。 かんぺき もののはずみなのだが、見事に直方体の中身がすっぽり抜け、宙を飛んだ。そして、嘘とし か思われないのだが、ぱっくり口の開いていたわたしのトートバッグに、それが飛び込んだ。 ――ナイスシュート! 仮に《鰻重飛ばしゲーム》というのがあったとしても、狙っても出来ない完璧なゴールだった。 これが、我が社編集部の奇跡として今に残る《空飛ぶ鰻重の話》である。 バッグの口が大きく開いていたのは、資料が押し込んであったからだ。その上が平らになっ ていた。 藤原ちゃんは、資料ごとそおっと持ち上げ、飛行した鰻重の上部四分の三ぐらいを食べた。 食べられたのはめでたいが、わたしはしばらく、バッグに匂いが残って困った。しかしまあ、 マー ボー丼や中華丼よりはましだった。 その伝説の鰻重事件の時は、二人共、同じ雑誌にいたのである。少し経ち、わたしが副編集 長になった。 昇格ではあるけれど、上にいる編集長が困ったちゃんだったから、胃によくなかった。 そこで上の覚えがいい。 困っ 四十代男子で、書籍にいた時、ベストセラーを出したことがある。 たことに自分でも《出来る男》だと思い込んでいる。俺の力で、低迷している雑誌の売上を伸 ばしてやる――などと妄想し、空回りするタイプだ。 こういう奴と部下の間に入るのは、非常に疲れる。 ――わたしがいなかったら、あんた、どうなってると思うのっ。 ぐらいのことは、いってひやゆりたかった。事実、役付きでなかった昔は、いいたいことをいっ て男性上司を追い詰め、比喩ではなく泣かせたこともある。若気の至りだ。 だが三十代も終わりに近づき、月ごとにタイムリミットのある雑誌づくりの現場に入り、上 と下との調整役――女房役だなんて、口が裂けてもいいたくない――になってしまうと、柄に もなく自分を抑えたりする。 そんな毎日に、私生活のどんよりした不調が重なっていた。 うわべは肩肘張っていた。けれど、どこかから、 ――助けて……。 というサインが出ていたのだろう。鰻重まで飛ばす藤原ちゃんだから、それをキャッチした のかも知れない。 仕事が楽な週で、土日の休める金曜日、帰りかけた彼女が足を止め、振り返った。そして、 大きな目でこっちを見て、 「明日、山、行きませんか」 、山歩きが好きだった。 藤原ちゃんうは れ だいぼ さつ 強引さが嬉しい。今度、とか、来週――でない。いきなりの明日だ。休日の予定など何もな かった。 大菩薩に近 彼女の行くのが難しいコースなら、誘われなかったろう。それも運がよかった。 たきご やま い滝子山という、初心者もハイキング気分で登れるところだった。季節は秋。お目当ては―― 紅葉だった。 今、振り返るとおかしい。わたしは、下はジャージ、上は綿のシャツを着て行った。山に綿 は禁物だ。吸った汗が乾かない。温度の変化で、今度は体を冷やすことになる。そういう基本 も分からなかった。 グループの皆は、慣れないわたしに気を遣ってくれた。それでも疲れた。次第に、長旅に出 たペンギンのような気分になった。山を歩く体ではなかったのだ。護送されるペンギン。 ――しんどかったのに、やたらへらへらしてたっけ。 ところで山では、後から考えるとおかしいほど分かり切った分岐点を、ひょいっと間違える ことがある。山の持つ、不思議な落とし穴のひとつだ。 途中で藤原ちゃんが、 「こっち!」 か おおげ さ 大袈裟に という方に進んだら、沢に入った。間違いだったのだけれど、わたしにはこれが、 いえば――運命だった。 細い涸れ沢だった。その上を、紅葉のアーチが先まで続いていた。木もれ日がやさしく落ち、 葉のひとつひとつが頭上できらめいていた。 ――何だろう、これは。 疲れていたのに、わたしは思わず、先頭に出てしまった。視界に誰も入れず、はるか先まで 見上げる。その時わたしは、ペンギンから人になった。いや、肉体を失い、ひとつの感情のよ うなものになった。 るいせん 空から降って来るのは、素朴なのに荘厳さを感じさせる光。色がそのまま音楽だった。 めったに、つんとはしない、させない涙腺が、何だか緩みそうになった。 この世のものとは思えない眺め。わたしが足を向けずにいた間も、ここには、この自然があ り、わたしが帰った後もある。 それが、とても有り難いことに思えた。 3 鬼の目にも――ではないけれど、以来、わたしは山に行くと、涙もろくなる自分を発見する。 それは山が、わたしの心を開いてくれるということだろう。 編集者として、主人公がすぐ泣き出すような小説に出会うと、安っぽさにいたたまれなくな る。ひと言でいえば、 ――けっ! という気分になる。実生活で、そういう同僚がいたら迷惑だ。 それなのに山に登ると、時として風景を前にしただけで、遠い、生まれる前にそれを見たよ うで、たまらなくなり涙腺が緩む。それが嫌ではない。何だか、素直になれたような気になる。 涸れ沢に入った時、わたしは山から手を差し伸べられた。生きていると、そんな瞬間がある ものだ。そしてわたしは、しっかり、その手を握った。 その後入門書をいくつか買い、鍛練用の山をひとつひとつ、着実にこなしていった。数回は、 藤原ちゃんのグループに参加させてもらったが、基本的には一人が好きだった。 時々、外の雨に目をやりながら、掃除機をかけ終わった。 ー集を開いた。 紅茶をいれ、先程の山のエッぶセ んた ろう 臆病な心は先輩や案内に迷惑をかけることを恐れ、彼の利己心は足手まといの後輩を おくびよう 目次を見て思い出す。加藤文太郎という人の「単独行について」という文章があった。そこ を立ち読みして、買ったのだ。見透かされたようなところがあった。 彼の 喜ばず、ついに心のおもむくがまま独りの山旅へと進んで行ったのではなかろうか。 ――まあ、そんなところはあるよなあ。 につた じ ろう 新田次郎の小説『孤高の人』のモデルという、有名な単独 後で知ったのだが、加藤文太郎は 登山家だった。 偉大な先人の言葉だし、やっていることのレベルは全く違う。しかし、三年の間、山を歩い た後には、痛いところを突かれたような気持ちがやや薄まった。 あつし 結局、わたしは山に心を開きに行く。そして、一人の方がより、そうなる。だから、一人が 好きなのだと思う。 しゆうち 「単独行について」を見返し、高校時代、国語の授業でやった、中島敦の『山月記』を思い出した。 せつさ たくま 主人公が自己をかえりみていう。自分には傷つくのを嫌う臆病な自尊心と、 尊大な羞恥心があっ ひ た。そのため、孤独を守り、切磋琢磨もしなかった――と。 若いうちは、こういう文章に魅かれる。わたしは高校時代、演劇部だった。三年の時には部 長で、『山月記』を舞台化してみようか――と思ったりもした。 それも昔の話になってしまった。二十年も昔の。 冷蔵庫に残っていたコーヒーゼリーを食べ、ふと、藤原ちゃんにメールしておこうかと思っ た。 つばくろだけ この九月の休暇は、本来、わたしはトルコに行くつもりだった。山に行き出す前、まとまっ た休みには海外に行くのが普通だった。そのつもりで、予約まで入れておいた。 いただき ところが、八月に一泊で北アルプスの燕 岳に行った。その時に、見てしまったのだ。夏の 空を背景にした――あれを。 無論、はるかにそびえ立つ、その頂は、知識として知っていた。いつかは……と思っていた。 ふる 槍ヶ岳 だ。 写真と実際とは、全く違っていた。くっきりと青黒くさえ見える三角。 だが、 やりが だけ ―― 体が慄えた。 標高三千百八十メートル。天に向かって切り立つ岩の峰。山を知る前の自分なら、仮に同じ さんれい ところに立たされ、前を向かされても、連なる山嶺の中の、 う ――ちょっとした出っ張り。 としか思わなかったろう。 つづ それがなぜ、あれほど心を衝ったのか。自分でも、はっきりとは答えられない。 そして、ひと月が経った。 わたしは、藤原ちゃんに短いメールを綴り、送信した。 いよいよ槍だよ 槍を攻めるよ
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