大阪市立科学館研究報告 19, 255-264 (2009) インタビュー「南部陽一郎のよもやま話」 聞き手:伊東昌市 概 要 2008 年ノーベル物 理 学 賞 受 賞 者 、南 部 陽 一 郎 氏 のインタビュー(聞き手:伊 東昌 市)が科学 館 展 示 場で 公開されている。このインタビューを角本賢一 1 と斎 藤 2 吉彦 が文字化した。 1.はじめに 大 阪 市 立 科 学 館では、2008 年に南 部 陽 一 郎 氏が ノーベル物理学 賞を受 賞されたのを機に、「大阪とノー ベ ル賞 」 と 題 して、 湯 川 秀 樹 の 中 間 子 論 か ら 南 部 の 「自 発 的 対 称 性 の破 れ」までを紹 介 するコーナーを設 けた(図 1)。その中で、伊東 昌 市 氏(元 杉 並 区立 科 学 館 )によるイン タビュービデオ「 南 部 陽 一 郎 の よもや ま 図 2 愛用の天体 望 遠鏡を前に、伊 東昌 市 氏のインタ 話」(2004 年 9 月、シカゴ大学)を公 開している(図 2)。 ビューに応える南部陽一郎博士 貴 重 な話 題が多 く、一 時 間 を超えるものである。また、 内 容 についての問 い合 わせも多 いので文 字 化を試 み うねえ。ミレニアムパークと言うか、新 しい公 園みたいな た。一 語 一 句 の書 き起 こしはせずに、内 容 に 差 し障 り ところです。ダウンタウンのところに公園があるでしょう。 のない範囲内で、省略・簡略化、文章校正を行った。 湖に面して大きな公園があるでしょう。 2.インタビューの書き起し 伊東:アドラのそばですか。 ①シカゴ大学昨今(途中から) 南 部:シカゴ・・・、ダウンタウンの方も大 分 変わってしま 南 部 :そうアドラのそばです。あの北 の 端 の方 に ミレニ いましてね、最 近 ね。まあ、良くなったとは言 えるでしょ アムパークというのが、2000年 頃、最 近、やっとできあ がったんですよ。そ こに 公 会 堂 とかです ね、音 楽 な んかやる相当大規模な・・・ 伊 東:私が初めてシカゴに来たのが1982年です。2 0年 とちょっと前 です。それから何 回 かたまに来 てる のですが・・・、どんどん変わってますねえ。 南 部 :そらあ、変わってはいますねえ。今ほどではな いですが。シカゴのキャンパスは 60 年代から 40 年 以 上 何 も変 わってなかったんですが、ごく最 近 にな ってやっとキャンパスのなかに新しい建 物がどんどん 建 ち始 めまして、すっかり変 わってしまいました。学 図 1 展示「大阪とノーベル賞」 1 2 摂南大学工学部 数学・物理学系教室 大阪市立科学館 学芸課 生 の数を増 やしたから、そうなってしまったんですね。 伊東:だいぶ学生さん、増えたんですか。 - 255 - いのときにお決めになったのか・・・。 南 部 :そう、金 儲 けのためにね。(笑 ) つまり、学 部 の 学 生を増やしたわけですね。そうでないと食っていけな 南部:もともと子供のときからサイエンスに興 味を持って いってわけですよ。昔は国から研 究 費が出 たでしょうけ いましたね。私は福 井 県の田 舎で育ったんです。父 親 ど、だんだんそういうことは・・・ は仏壇 屋の息子で長 男だったけれども、家業を継ぐの は絶 対 に 嫌 だといって、 家 を飛 び 出 したんです。それ 伊東:基 本的にはシカゴ大学は graduate の student で東 京 に出 てきたわけです。だけれども、東 京 の大 震 のほうが多いんですか。 災にあって駄目になったんです。1923年ですか。それ でくに(故 郷 )へ帰 って、私 らを育 てたわけですよ。(私 南 部 :そうだったんですが、今 でもそうでしょうけどね。 は)東 京で生れたんです。もともと親 父は文 学 を志 して、 それでも学 生の数が全 部で1万 人くらいかな。でもまだ 小 説 家 になるというのが希 望 だったんですが・・。小 説 まだ小さいほうですねえ。 家というのは、人生のあらゆることを知ってないと書けな い、サイエンスもその一 部だということでね。それで私に 伊東:でも知名度は世界にとどろいてます。 もサイエンスの本を買ってくれました。科 学 雑 誌で今で もあると思 いますが、 子 供 の科 学 という本 をね。その 南 部 :でも大 学 の 方 も栄 枯 盛 衰 があるからねえ。だん 当 時 もあったんですよね。そういうものを買ってくれまし だんと・・・これから上 ろうとしているんでしょけどね。 5 た。そういうことで興 味が出たんだろうと思います。私が 0年の周期として、だいたい・・ 小 学 校 に行 く前 のころですけれども,ヒーローはトーマ ス・エジソンだったんです。 伊 東:天 文 学 で言えばハーバードの方が古いのかもし れないけれど、現 在 の天 体 物 理 学 はシカゴから始まっ 伊東:はあ。 たようなものですねえ。 南部:(笑い)まあ、夢を持っていたわけですねえ。だか 南 部:それはそうですね。ヤーキス天 文 台がありますね ら自分で物を作ったりすることは非常に好きだったです え。ウイスコンシンの方 に力 を持 っているんですが。ヤ ねえ。 ーキスて言うのがシカゴの大金持ちなんですが。 もちろんずっと興 味 はありましたけれども、自 分 で何 になるかっていうことは、いろんな興 味 があったもんで 伊 東 :それからヘール先 生 がウイルソン作 ったり、パロ すから、わからなかったです。結 局 今 の 大 学 学 部 って マ作ったりなさったり・・・ いうのか、昔は高 等 学 校 っていいましたけれども、その 時代ですね、(物理学をやるって)決めたのは。 南部:そうそう、それから向こうへ行ってね。私も天文 台 何 故かというとですねえ・・ ひとつはですねえ・・・ひ 回りはよくやりましてね。あっちこっち回りましたけれど。 とつのチャレンジというんですか。私よりずっとませた東 ヘールとか、リックスとか、キットピークとかですか。ああ 京弁の学友が物 理の議 論をし合っているわけですね。 いうところへ勝 手 にいきなり出 かけて行 ってね、名 乗 り 物理の考え方というか、それを聞いて覚えたんですよ。 をあげて中 を見せてもらうんですよ(笑)。そういうことが だけども1回 、熱 力 学 の講 義 を落 第 したんですよね 許されましてね。 (笑い)。 伊 東 :私 も何 ヶ所 か行 ったことあるんですが、私 はプラ 伊東:それは旧制高校のときですか。 ネタリウムをやっているのですが、そういうパブリック サ ービスをやってる人 間 に対 して皆 さん大 変 親 切 で。日 南部:それで、本当に今でも思いますけど、あれほど深 本と比べたら大変親切なところですね。 遠 な学 問 は ないと思 いま す よ。 熱 力 学 という のは ね。 純 粋 に 抽 象 的 な、論 理 だけで進 めていくような・・・ 構 ②物理学へのきっかけ 成 、推 理 があってね。それで、エントロピーというような 伊東:先 生にいくつか質 問を考えてきたんですが、とん 概 念 はどうしてもピンとこなかったりしてね。また、それ ちんかんな質問とかありましたら、お許しください。物 理 が、ひとつのまた・・・・それならばというので、ますます とかよく分 らないもんですから。まず、私 たちが子 供 向 躍起になって始めたのでしょうね。 けによく 話 すことで、質 問 です。先 生 が物 理 学 を選 ば それからもうひとつは、湯 川 ( 秀 樹 )さんの影 響 です れたきっかけになるようなこととか、あるいは、いくつぐら ね。その頃 急に有 名になられましてね。まあ1種の国 民 - 256 - インタビュー「南部陽一郎のよもやま話」書き起こし 的 英 雄 だったわけです。その影 響 もありましたね。まあ と仁 科 さん が 合 同 の セミナー をや ってたんです よ、 宇 そういうことで物理に行ったと思いますね。 宙 線 に関 するね。そういうところに、傍 聴 に行 ってたん です。そう言うことでだんだん聞きかじってたんです。で ③大阪市立大学について 戦 後 になったら 私 が 東 大 に 戻 って、 東 大 の こういう 部 伊東:それで先 生が大 阪 市立 大 学へ行かれたというの 屋 ですか、これよりもっと大 きい部 屋 ですか、大 きなた は、・・・中 野 先 生 とか、いろんな先 生 が当 時 、大 阪 市 まり部 屋があって、そこで私は寝 起 きしてたんですね。 立大 学へいらっしゃいましたね。それはなにかわけがあ これくらいの机 があって、この上に夜 は寝て、昼 間 はこ るんですか。 ういう・ ・・ ・( 笑 い)、 こう いう 机 が ずら っとならべ てあっ て・・(笑 い)。他 の同 僚 と朝 永 さんと仕 事 をしているの 南 部 : そ れは ね 、 こう いう こ となん で す 。 大 学 の 1 年 、 を目の前にして。そして、何をしているのかという話しを に・・・その次の年か・・・戦争が始まってるんですよね。 しているうちに、だんだんと習 ってくるわけですよ。そう で、私 が 卒 業 したときは 戦 争 が ・・ ・そうか、だから繰 り いうことで、朝 永さんの仕 事の追っかけということになっ 上 げ卒 業させられたんですよね。そのときはね。だけど て、そのおかげで、大阪 市 大に来いといわれましてね。 私は幸いにして卒 業した後で、東大の今でいうポストド その頃 、大 阪 市 大 というのは 昔 の 大 阪 商 業 大 学 が 市 クターというんですか、あれみたいな地 位 をもらったわ 大 に変わって理 工 学 部 を設 けるということになって、そ けですね。それで戦 争が終 わってから幸いにして東 大 れで幸 いにして我 々のグループって言 うんですか、そ に戻ることができたわけです。それで東大の嘱 託です。 の部 屋にいた4人が抜 擢されましてね。まあ、朝 永さん それから戦 争が終わって軍隊から帰って来た我々みた の推 薦だと思いますがね。それで4人、プラス阪 大から いな浪 人が、たくさんたむろしていたわけですね、一 時 1人、中野 董夫さんが来られましてね、新しい理 論グル 腰 掛 けで。そういう状 況 で、私の将 来 、どういう永 久 的 ープをつくったわけです。大阪市大に。 な地 位 になれるか全 く見 当 も付 かなかったんですよね。 混乱の時代でね。 伊東:そのころ湯川先生は大阪でしたか。 だけど幸 いにして、朝 永 さんがその頃 仕 事 をはじめ た時 代 でね。 私 は朝 永 さんといっしょに 働 いていた超 南 部:いや、京 都です。はじめは、関 西でしたね、大 阪 多 時 間 理 論 の仕 事 をしていた学 生 (東 大 の特 別 研 究 で仕事をされました。 員、後に助 手となった木 庭 二郎のこと)と同じ部 屋にな って、その学 生 がやってることを眺 めて、同 じ理論 をだ 伊 東:そのときの大 阪 市 大のメンバーはどのような先 生 んだん勉強していったんです。 方だったんですか。 伊東:朝永先生は理研のあたりにおられたんですか。 南 部:年 の順で教 授、助 教 授、講 師、助 手だったです。 私 が一 番 年 上 だったもんで教 授 になりましてね。私 は 南 部 :そう、理 研は東 大とわりあい近くでしょう。昔の理 まだ29歳 でしてね(笑 い)。まあ昔 はそういうこともでき 研 は、 本 郷 の 方 でね。 文 理 科 大 学 (教 育 大 )とか ね。 たわけですね。あの混乱の時 代は。それから早川 幸 男 私の学 生 時 代に、東 大には素 粒子なんとかという先 生 っていうのが名 古 屋 大 学の学 長で、この前亡くなりまし はだれもいなかったんですよ。東 大は非 常に保 守 的な たが、それも朝 永 さんの弟 子 でした。その次 に山 口 嘉 ところですね。量 子 力 学ですら、なかなか物 理には(な 夫、が講師になって、その下に西 島和 彦と中 野 董夫が い)(笑 い)。だから、私 たち同 志 数 人 が素 粒 子 論 をや 助手で2人。中野さんと西 島さんは都立 高校の同級 生 りたいと言 ったら、「お前 たちなんかがやるもんじゃあな で、皆 さん 東 京 からきた人 です。 中 野 さんは大 阪 か ら い。お前 たちみたいな天 才 でない人 間 がやるもんじゃ 来たがもともとは東京の都立高校です。 あない。」と言われ・・・。そういう調子だったんですね。 伊東:小田稔先生も大阪市大ですね。 伊東:かつての宇宙論みたいなものですか。 南 部 :そうです、ご存 知ですか。大 阪 市 大 の理 工 学 部 南 部:そうですか。宇宙 論もそうだったかもしれない(笑 の 学 長 が 宇 宙 線 の 渡 瀬 という 先 生 で、 彼 は 阪 大 か ら い)。ある いは 相 対 論 もそうだ ったかもしれないけれど 来 た人で、渡 瀬 さんの連 れてきたメンバーの中 に小 田 も。 稔 さんがいたですね。小 田 稔さんは戦 争 中 海 軍にとら だけど我々はそれに反 抗して、勝 手に文 理 大に、あ れて、そこの技 研 部 か技 術 研 究 所 あたりで働いていた るいはその近くにあった理 研に行った。そこで朝永さん のかな。 私 は 陸 軍 の レー ダー の 研 究 所 にいたんで す - 257 - が。その頃 彼 は、レーダーのアンテナがありますね、あ た。 の頃 のレーダーっていうと、10cm波 長 かな、そのアン テナをもらい受けたんですね。それを市 立 大 学 の屋 上 南 部 :中 野 先 生 もプリンストンに行 かれましたね。先 生 に設置して太陽から来る電波の観測を始めたんです。 の後になりますか。 伊 東 : 今 お伺 いした先 生 方 は本 当 にそうそうたる人 ば 南 部 : 後 になりますが、はっきり 覚 えてないです。その かりですね。そういう 方 たちが 大 阪 市 立 大 学 に 集 ま ら 時はシカゴに来ておりましたから。彼の義 理のお父さん れたのはどういう縁ですかね。 が関西 汽 船のパーサーっていうんですか、事務 長をや っておられたせいですか、それで一 度、関 西 汽 船に乗 南 部 :まあ若 僧 がわいわいやって・・・。どういう縁 です せてもらって大 阪から淡 路 島 の方 、鳴 門 海 峡 ですか、 かね、不 思 議 な縁 ですねえ。 部 屋 もガラーンとした部 あの辺 をぐるぐる回ったのを覚えています。今でも写 真 屋を2つもらっただけでねえ。バラックですけど。建 物 と 持ってますけど。それから彼はロータリークラブかライオ いうのは大 阪 の 梅 田 の 近 くなんですけど。そこに小 学 ンズクラブか、あれの会 長 でね。一 度 、世 界 中 の年 会 校 があって、コンクリートの小 学 校 ですけれども爆 撃 で で、シカゴにやって来た事がありました。 やられて駄 目 になったんです。残 骸 が 残 ったんです。 そこをもらって、床なんか直して、校 庭にバラックを建て 伊東:それは何年頃ですか。 て我々がそこで理 工 学 部 を始 めたわけです。始まった のは 1949 年だったろうか。 南部:10年位前かなあ。よく覚えていません。 伊 東 :先 生 は29歳 のときにそちらに行 かれて、すぐに 伊東:私は中 野先 生とアメリカに来たのは 1992 年なん プリンストンの方ですか。 です。1996 年に大 阪で国際プラネタリウム協会の総 会 を開 きたい、中 野 先 生 が招 致 をなさるという事 で、4年 南部:それは3年ほど後ですね。 前 にソルトレイクで会 があった時 にご一 緒 して、ニュー ヨークにも行きましたね。それから、デンバー、ボルダ― 伊東:では市大にいらしたのは3年間。 の方へも行ったのかな。 南 部:(笑い)他の連 中もだいたい4、5年でどこかに引 ④私の夏休み っ張られてますよ。仕 事で湯 川 研に行きまして、そこへ 南 部 :私 は、夏 場 はいつも毎 年 ドライブして回 ります。 早 川 ・・ ・、 木 庭 さんは、 あれは 阪 大 から 行 っていたの 西 海 岸 のロサンジェルスの 辺 で 夏 を過 ご したり、 大 学 か・・・。山 口 さんも皆 移 って出 ました。そちらに引 き取 でですね。そこでなかったら、コロラドの山の中ですね。 られたんです。西 島さんはドイツに留 学、ハイゼルベル アスペンいう所 がり まして、 あそこに 我 々の 夏 の 溜 ま り グのところへ。中 野 さんだけが残 ったんですよ。それで 場というか、研 究所がありまして、そこを回って、他の所 中野さんは日本のプラネタリウムのあれですか。 へドライブして回ります。ユタとかも、あの辺、よく知って おります。 伊 東 :ええ、中 野 先 生 は大 阪 市 立 大 学 の理 学 部 長 を 退官なさって 伊 東:よく聞きますね。アスペン会 議というのは。アスペ ンって夏、 物 理の先 生 方がそうやってお集まりにな 南部:科学館ですか、大阪の。 る・・・日本からもたくさん行かれるんですか。 伊 東 :前、四 ツ橋にプラネタリウムがありましたね。それ 南 部 :そうです。私 の友 達 もよくやってきます。そのよう を新しく場 所を移して阪 大の理 学部のあった中 之島に にして、夏を3週間くらいあちこちドライブして回る。そし 移してオープンして、その時に中野 先生が館長に就 任 てコロラドの 山 ですから、これを持 って行 ってね(机 の され、 そ してプ ラ ネ タ リウ ム に 関 わっ たもん で す か ら 、 上にある天 体 望 遠 鏡 を指す)、楽しみにしております。 我 々のプラネタリウムの全 国 的 な組 織 の会 長 をやって それで一度、1970 年のことですが、新しいコメット(ほう おられたわけです。 き星)を見つけたんです(笑い)。 南 部:最 近 亡くなられましたね。数 年 前だけど、その科 伊東:はあ、そうなんですか。なんて名前ですか。 学 館 長 を や っ てお ら れ た 頃 に 、 最 後 に お 会 い しま し - 258 - インタビュー「南部陽一郎のよもやま話」書き起こし 南部:私が最初ではなかったですよ。 が名誉 館 長になって頂いているんですが、小柴 先 生も シカゴ大学へ、ロチェスターの後、いらしてましたが、そ 伊東:独立発見ですね。 の頃何か思い出はありますか。 南 部 :スノーマシュって所、アスペンのまわりですけど。 南 部 :大 いにありますが、あまり話 すと、差 し障 りがあり ここから行くと 3 日くらいかな。ドライブしてやってきて、 ますね(笑い)。 そこへ夕 方 着 いて。ロッジがあるわけで、ちゃんと予 約 してあって。そこへこれをもって上がってね。そこにバル 伊東:じゃあ完全に重なってるわけですね。 コニーがあるわけですよ。偶 然 、セットアップしてこれを 覗 いたんですよ。そしたら突 然 見 なれない物 が目に入 南 部 :住 んでる所 もすぐ近 くだったから。私 たち皆 は、 ってきてね(笑い)。カシオペアの辺りなんですよ。 ハイズパークあたりにね、この大学の周り、ほとんどがこ の向 こうに住んでたわけです。今はそうでもないですけ 伊 東 :それは何 ていうすい星 なんですか。年 は何 年 で ど。彼のアパートもあったところです。まあ結 婚 前 のこと すか。 ですから、その頃 のこと、あまり話 すと差 し障 りがありま すから(笑い)。 南 部 : 忘 れました。それがは っきりしないんです よ。 1970 年 ・・・2、3回 行 ったからなあ。1976 年 かなあ。 伊 東:小 柴 先 生が文 化 勲 章を授 賞されたときに、先 生 がFAXを送られたことを小 柴 先 生の本に書いてあった 伊東:それはわりと明るくなったすい星ですか。 んですが、お猿 さんが物 理 屋 になりたかったんだと、F AXの元のものはないんですか。 南部:明るくなったですねえ。 南 部 :それはね、こういうことなんですよ。あの頃 、私 は 伊 東 :ベネットとか、ウエストとか、 大 分 明 るいほうき 星 毎年 2 度くらい日本に帰るのが習慣になってましたの がでましたねえ。 で。家 内 の親 の家が関 西 にあって、一 族 のまあ小 さな 本 拠 地 があるわけです よ。それで いつでも、 帰 る 時 は 南部:カホウテックっていうのがありますね。 関 西 に行 って、阪 大 に出 入 りしてたわけです。阪 大 に、 吉 川 先 生っていうのが理 論 屋で、もちろんアメリカで知 伊東:カホウテックは最近です。 り合 ったのですが、ストリング理 論 で 有 名 な方 ですよ。 彼 に世 話 になって、彼 の部 屋 に出 入りしてたわけです 南 部 :とにかく、あんなはっきりしたものは、だれか先 に よ。ある時、彼の理論 屋の溜まり場に例の、あれが貼っ 見つけてるに違 いないと思って、わざわざ何もしなかっ てあったわけですよ(笑い)。それでこれは面 白いという たで す 。 現 れてか ら 1 週 間 く ら い 後 だ ったで す ね え 。 のでそれをコピーしてもらったわけですよ。吉 川 さんに 聞 いたら、これはどこかの雑 誌 に載 ってたんだと。初 め 伊東:じゃあ先生が本当は早かったんですね。 は、「僕は小 説 家になりたいよ」ってなってたんです。そ れを彼が書き換えて、「物 理屋になりたいよ」としたんで 南 部:いやあ(笑い)。それからその少し後で、こんどは すよ。面白いからコピー持っていたわけですよ。何故 小 サバティカルというので、7 年に一 度、暇を取 れるんで 柴 さんにやったかというのは差 し障 りがあるかも知 れま すね。それで私 は3ヶ月 ほど、スタンフォード大 学 に行 せんけど(笑い)。いやあ、猿がこうやってるでしょう。彼 ったこともあるんです。そのときは毎 晩 夜になるとこれを は家によくやってきてね。彼は酒 弱いもんだからすぐ寝 持 ってねスタンフォード大 学 とカルフォルニアの海 岸 と 込んじゃうわけ。ごろっとなって、こんな風にこういうこと の間に小さな山がある・・・ やるわけですよ(笑い)。 伊東:サンフランシスコのそばですね。 伊 東 :小 柴 先 生 は、先 生 が大 阪 市 大 にいらした時 も、 大 学 を出 た後 、伺 ったということを本 に 書 いてありまし 南部:そうそう、サンフランシスコの南の方ですね。丘陵 たが。 に行ってね、毎晩これを持ち出してね。 ⑤小柴昌俊先生について 南 部 :そうです。あの頃 ね、それまでの大 学 の、いわゆ 伊 東:話しは戻るんですが、私共の科 学 館、小 柴 先 生 る派 閥 というんですか、関 連 が 非 常 に 強 くて、東 大 出 - 259 - た人 は、 東 大 に 勤 めるとか、 京 大 の 人 は 京 大 にという いうことで、それで優 秀 な学 生 を世 話 してもらって、東 学 閥 があったわけです。違 った大 学 の教 授 があまりい 大から呼んでくると。その第1号の中に小 柴さんが入っ なかったわけです。これはいけないというので、ちょうど ていた。それで、彼は理論から実 験の方に移って。ここ あの頃は民 主 化というのが盛んになりましてね、それで にシャインという宇 宙 線の大 家がいたわけです。私がこ 我々の若いものがそういう運 動を始 めて、それではそう こに来た頃はね。そこでポストドクターとしてやったわけ いう教 授 をつくるにはどうするか。それには若 い学 生 ど です。始めは、あの頃 流 行りだした写 真 乾 板の中に宇 うしから始めなくてはいかんということで、私が名前を付 宙 線 の 軌 跡 を見 て、そ れを顕 微 鏡 で 分 析 するわけで けたのは武 者 修 業、今でも使ってますが。あちこち渡り す。そういう仕 事 をやったわけです。そういうことでね、 歩 いて、腕 試 を(笑 い)。そういうことを始 めたんですよ。 彼は2、3年やったんでしょうね。それでシャインが突 然 それで我々が市 大に移った頃に、それを始めようという 亡 くなって、 心 臓 麻 痺 でしょうね。亡 くなった後 、事 務 ことで京 大からは2人 学 生 を、それで小 柴さんが来 た。 の引継ぎを、彼がその役を仰せつかって、それでまた2 その前に宮沢 弘 成という、これも東 大 出、これも有 名な 年 間 か 何 年 間 か、 研 究 の 成 果 を整 理 して発 表 する と 人ですが、もうずっと前に亡くなられました、それが第 1 いうことをやったわけです。 号 でしたね。それで 我 々の 部 屋 に 一 月 か二 月そばに 寝起きしてもらってね。武者修業ですね。 伊 東:小 柴 先生の本にそのときのこと書いてありますが、 大 変 だったらしいですね。突 然 責 任 者 にされて。その 伊 東 :その頃 は 研 究 室 はこういう机 の 上 に 寝 起 きだっ 当 時 は、物 理 系 の方 々、日 本 からアメリカに研 究に来 たんですか。 られている方はわりと多かったんでしょうか。 南 部 :いやソファーだった。ソファーがあって、机が4つ ⑥フェルミ研 くらいあって、黒 板 があって、本 箱 があって、本 箱は空 南 部 :シカゴ に も数 人 いま したね 。 4 、 5 人 は いま した っぽで、ガラーンとして何 にもなかった。そこへ 我 々が ね。 毎 日集まって、喧々囂々(けんけんごうごう)ですかね。 まだ 大 学 が 発 足 したばかりだ から、 学 生 はいない。 だ 伊 東 :その頃 はアメリカ国 内 でも物 理 の 研 究 を大事 に から講 義 なんかする必 要なかったですね。実にその点 して優秀な人たちを集めようと・・・。 は楽でしたね。まあ一 番 困 ったのは生 活 ですね。食 べ 物。いつもひもじい思いをして、夏は冷 房 も無い。冬は 南部:集めようというか、自 主的に集まったわけですよ。 暖房はありましたが。場所は梅田の近く、歩いて 10 分 あの頃は原子 力というのは国家 的に重 要な役回りだか ですよ。映 画 館 とかパチンコとか非 常 に誘 惑 の多い所 らアメリカ政 府 がそれの恩 返 しとして物 理 を重 視 してく ですよ。帰る時はそこを通って行くんですよ。だからそう れたわけですね。ここでもやってる 人 は比 較 的 少 なか いうところでパチンコをやったり。タバコの好きな人、私 ったですよ。どこでもそうでしょうけれども。 はのまないけど、西 島 さんのようにタバコを止 められな だからここへ来 た時 は、フェルミ研 ていうのは、原 子 い人は、パチンコ屋でタバコを稼ぐとかね(笑い)。それ 力 がここへ来 て、 所 員 が何 人 くらいいたのかしら・・・、 から、夏 は、 冷 房 があるのは 映 画 館 だけですね。あの 非 常 に 少 なかったですね。我 々が 来 た頃 も比 較 的 少 頃 は、 映 画 館 はいつ 入 ってもいいし、 いつ 出 てき ても なくて。フェルミは私が来て間もなく亡くなりましたけど。 いい、一 日 中 入 っていてもよいわけですね。そういうと 非 常 によく、皆 、家 族 的 に取 り扱 ってくれましたね。家 こで、冷 房が無いと暑くてしょうがないときは、一日過ご 族 の一 員 の 延 長 です。とにかく全 部 知 り 合 っているわ す事 もあった。まあ今から見 れば楽しかったですねえ。 けですね。 そういう 意 味 では。そういう 意 味 で、 一 月 、 二 月 と居 ら れたと思うんですね。 伊東:この建物は当時からのままですか。 伊 東 :小 柴 先 生 がその後 シカゴ大 学 にいらしたのはそ 南 部:そう、だから老朽 化して駄 目なんですよ。理論 屋 ういう縁もあるんでしょうか。 にとっては何 でもいいんですけど、実 験 関 係 は水 道 と かガスとか、パイプもやられて、非常に困ってるらしいん 南 部 :それとは関 係 無 いです。つまり、ロチェスタ大 学 ですよ。ここは元 々原 子 核 関 係 と固 体 論 というか物 性 に彼 は 留 学 したんです。その 頃 、 ロチ ェスタ大 学 の マ 論関 係の2つに分れていたんですよ。それは便宜 上 分 ーシャルという 理 論 屋 さんが 外 国 から 学 生 を集 めて、 れただけで。こちら半 分 がフェルミ研で向 こう半 分が物 日 本ばかりではないんですが、日本の学 生は優 秀だと 性ですが。このごろは、フェルミの方は、景気がわるくな - 260 - インタビュー「南部陽一郎のよもやま話」書き起こし りましてね。実 際の産業に役立つのは向こうなんですよ。 伊 東 :先 ほどの藤 田 先 生 もヤーキスに行 かれたそうで それで向こうはどんどんと進 歩しているわけで、生 物 学 す。 高 等 研 究 所などを今 作 っている途 中ですが、それらが できると、物性 論 関係はそっちに移っちゃうわけですね。 南 部 :そうでしょう。ここから1時 間 くらいで行けるところ 我々は取り残される(笑い)。部屋は多くなるかもしれん です。 けどね。 ⑧素粒子物理学と天文学 ⑦シカゴ大学の天文学 伊 東:天 文学 と物 理の関 係ですね。去 年ここでの勉 強 伊東:ここは天文との関係は。 会 に 出 させ て頂 いて、 素 粒 子 物 理 学 と天 文 学 とが 極 めて近づいたというか、発展があるように思いますが。 南 部:天 文は元々ね、ここには無かったわけですけど。 天 文 学 教 室 というのは 別 にあるんですが。それからヤ 南 部 :そうですね。もちろんそうですね。結 局 物 理が進 ーキス天文 台というのもあります。もともと太陽 系の中の 歩 して、いわゆる極 微 の世 界 と、それが極 大 の世界 に 宇 宙 。その研 究 をやってたんですね。それがはなれを もつながると言っているのですから。昔は、素 粒 子を研 一 つ 建 てましてね。そこの 後 にね。そこにありますね。 究するには加 速 器、筑 波にある機 械 とか、フェルミラボ それから今度、天 文 学もいっしょにしようというんですか にある大きな機 械 とか、Cernにある機 械 とか、そういう ね、そこの後の横にまたありますね。そういうことで天 文 もので粒子を加 速して、反 応を起こして、どんな粒子が 学、天体物理も入ってきたわけで。 出 てくるか、それを調 べる、それが素 粒 子 物 理 学の使 命 だったわけです。その最 盛 期 、いわゆる黄 金 時 代 と 伊 東 :じゃ あ天 文 の 方 は 後 からここに 吸 収 されたんで いうのが、たぶん私が研究を始めた 1950 年代ごろから、 すか。 1960 年代の終わりだと思う。それで、その頃はまだ、新 しい現 象が見つかってもそれを説 明する理 論がなかっ 南 部 :あそこの天 体 物 理 の建 物 は元 はコンピュータの たわけです。理 論 が 現 象 を追 いかけて行 く。どんどん 部屋だったのかな。 新しい現象が増えてくる。新しい加 速器をつくれば、必 ず何か新しい現 象が出てくる。そういう時 代だったわけ 伊東:KICP(Kavli Institute of Cosmological Physics) ですね。ところが行 き詰 まりまして、理 論 の方 が先 行 し というところですね。去年まで名前が違いましたね。 だしました。 南 部 : 寄 付 なさった方 の名 前 でね。あちこちに基 礎 研 伊東:それはいつ時頃ですか。 究 所 を建てましてね。サンタバーバラにもあるし・・・。こ こはだいたい物 理 教 室 に属している人は原 子 力 として 南部:1970 年代ですね。それが転換期なんです。それ この研 究 所に・・・、研 究 所 は物 理だけではない、化 学 以 来 素 粒 子 物 理 学 の 性 格 は 大 分 変 わってきまして、 もあるし、化 学の人は全部じゃないけど一部がこっちに 理 論 の 方 が 先 に、 予 言 っていいますか、とてつ もない いる、天文の人も全部じゃあないが、ここに・・・。 エネルギーのところまで予 言 できる ようになった。そ れ に対して実 験はとても追 い付 かないわけですね。理 論 伊東:天文は他にもあるんですか。 は飛 躍 するけど、実 験 は飛 躍 できない。それと機械 が 大 型 になって行 く。 金 もかかる。時 間 もかかるし、 人 も 南部:ヤーキスにあります。 いる。それでまだまだ成 果 が・・・、 新 しいところへ進 ま ない。その代 わり理 論 は非 常 に、空 想 っていいますか、 伊 東:でも研 究 者は向こうにはいないんじゃあないでし 想 像 たくましく、なんでもかんでも先 に・・・、そういう時 ょうか。教育用に使っているのでは。 代 になってきたわけですね。ですから、今 は 理 論 が 先 走 っていっているものの、理 論 は必 ずしも、ちゃんとは 南部:そうですか。望遠鏡とかはそうです。 っきりした予 言ができるわけじゃあないんですよ。やはり 実 験 的に理 論 を確 証するものがないと、先 に進めない 伊東:最近行ったことはないから。 んですよ。 ところが実 験 の方 も、ものすごく技 術 が進 歩 してきま 南部:面白いとこですよ。楽しかったですよ。 してね、そのお蔭で天 文 の方 も進 歩 が始 まったわけで す。それで今は天 文、天 体が黄 金 時 代 ですね。そうい - 261 - う時 代になったんです。それで理 論をチェックするのに 性があって公 式がでたとしたら、それが何に基 づくかと 加 速 器 に頼 ってるだけではだめなんですね。らちがあ いうことはまだ分らないから、なぜそういうことができるか かないから、今 度 は宇 宙 のほうのデータをとって、それ ということを、モデルを立 てて、その背 後 にどういうもの でまた理論 を検 証しようと。理 論の方もそういうことに対 があるかをそのモデルで、その 公 式 を説 明 する。そ れ して、ある程 度 予 言ができるようになった。そういう意 味 が第二段階だ。 で天体物理学は黄金時代だと思ってます。 例として言いますと、我々がちょうど物 理を始めた時 代 に、ス トレンジ粒 子 が 発 見 された、 宇 宙 線 の 中 に 。 伊 東 :京 都 大 学 の佐 藤 文 隆 先 生 が、理 論 が先 行 して いままでになかった新 しい粒 子 なんですけどね。 今 ま いろんな考え方が出るのはいいが不健 全だというような での概 念 では何 も説 明 されない、新 しい粒 子 。それが 表現をなさっているのを思い出したんですが。 何物であるかを我々はいろいろ一生 懸命 考えた。大阪 市 大 にいた頃、我 々のグループですね、早 川 さん、西 南 部 :不 健 全なときもありますね。だいたいそうです。と 島 さん、皆 一 緒 になって考 えた。それで一 つのモデル くに現 状 は、綱 引 きに似 てます。綱 引 きの 好 きな人 は を作 ったんですね。そういうことがありましたよね。その 夢 中 になってしまうんですね。だけど、夢 中 にはなるの 最 終 結 果 が 中 野 − 西 島 −ゲルマンの法 則 といいまし ですが、それが 必 ず しも実 際 に 貢 献 しているとは 限 ら て、規 則 性 を公 式 として書 き表 したわけですよ。 その ない。物理も同じで、やはりそういうことができる人という 規則性が第1段階なんですよ。 のは非常に限られているんです。 それがいったいどこから出てくるのかということは、坂 田さんが、彼の哲 学、唯物 論 的な考え方で、背 後に何 伊 東 :これから天 文や物 理 がどういう風 に進んで行くと か物がある、そういう立 場 から導 かれたんですけど。つ 思われますか。 まり坂 田 モデルというのができまして、例 えばプロトン、 ニュートロン、もう一つラムダという新しいのがあって、そ 南 部 :どうでしょうね。こういう状 態 がどんどん進 んで行 れが組 合わさって、それで粒子ができるんだと。例えば けば、しかも天 文 で、宇 宙 論 で新 しいデータや技 術 が 原 子が組み合 わさって分 子になるのと同じこと。だから 出 てきますから、今 まで予 期 してなかったことがね。同 基 本 的 な粒 子 が3つあって、それで他 の粒 子 も作 られ じよう なことが素 粒 子 と物 理 の性 格 としてある わけ ると、そういうことで規 則 性 を説 明 したんです。最 後 に で・・・、これが 私 の 好 きな武 谷 哲 学 と言 って、三 段 階 それは、いわゆるゲルマンのクォークというものに変わり 理 論 というのでしてね。武 谷 さんというのは湯 川 さんの ましたけどね。 弟 子で、坂 田 さんたちといっしょに仕 事 をした人です。 だけど、それでは、それは未 だモデルの段 階 で、そ 彼 の 哲 学 的 見 解 というのは大 きく貢 献 したと思 います れを数 学 的 にどういう風 に 記 述 するかという 法 則 は欠 よ 。 我 々 が ちょ う ど 研 究 を 始 め た 戦 後 に 、 彼 が よ く 、 けているわけです。最 後にできるのは数 学 的 法 則です。 我 々の研 究 室 にやってきていろいろ話 しをするわけで それが第3段階になります。 すね。それで、私たちの時 代のものは彼の影 響を非 常 その第3段 階 っていうのが今の標 準 理 論です。だけ に受 けたんですけどね。坂 田 さん も同 じで、一 般 には れども、我々の経 験によると、そういう理論がいつまでも マルクス主義の哲 学に基づいて始めたわけです。坂田 正 しいわけ じゃない。 必 ず 破 綻 が 生 じる。それを探 す さんも言 ってましたけど、研 究 者 としては、今の時 代 の のが 次 の 段 階 です。だから そういう ことを、 何 回 も繰 り どういう段 階 にあるか、物 理 の研 究 のどういう段 階 にあ 返 して行く。物 理 は今、素 粒 子 の方 は進 行 が遅くなっ るか意 識 しておく必 要 がある。どういうことかというと、3 て、中々先が見えてこないが、天文ではこれが起こって 段 階 というのは、物 理 が進 歩 するのに3つの過 程 を経 いるわけですね。新 しい現 象、例 えば、ダークマターと る。その3つの過程 を何 回も繰り返してどんどん進歩す かダークエナジーっていうのがありますね。ああいうもの るというのが坂 田 さんの主 張 なんですがね。それは非 は予期しなかったことなんです。 常に当 たっているところがあると思 います。というのは、 何か、今まで知られていない現 象が、どこかに出てくる 伊 東 :ダークマターってのはどういうものとお考えでしょ わけで、それを調べるためには実 験 的に、徹 底 的にデ うか。 ータ、性 質を調べて・・・、それを調べるだけでは物理じ ゃあない。それを説 明しなくてはいけない。説 明するの 南 部 :さあ、知りません。専 門 家であれば考えているだ に、第 一の段階ではデータを調べる。その中に規 則 性 ろうけど・・。 っていうのがあるかどうかですね。まず、どんな法 則 が あるか、そ ういう ことを見 出 す。そ れが 第 1 段 階 。 規 則 伊東:加速器で見つかるんでしょうか。 - 262 - インタビュー「南部陽一郎のよもやま話」書き起こし 南 部:重 力 波はまだ桁が足りないでしょう。私が来た頃 南部:いやー、それはちょっと難しいでしょうね。加速 器 から観 測は始めたようですが、とてもとても。その頃から で何か見つかることはあるでしょうけれど・・・。それがダ 見 れば桁は増えたけど、まあ、重 力 波が研 究 の対 象 と ークマターかどうかね。だいたい今の考 えでは、ニュー なったのは30年くらい前からでしょうね。技 術 も進 歩 し トリノとかニュートラリーノとかアキシオンとかいろんなも た・・・ のがその候 補 と考 えられているけれども、そうではない かもしれない。それは我 々が理 論 の中 で知 っている粒 伊 東:私が大 学を出たのは30年くらい前ですが、当 時 子なんだからそう思うんで、そうじゃあないかもしれない。 は銀 河の巻き付きがなぜ起 こらないか、密 度 波 理 論 を 非常に面白いことがらですね。 バークレーのシュー先 生が。恒星はケプラーモーション の形をして、ガスは密 度 波で形を保ってるという話を聞 伊東:というか本当に晴れ上がりの所、つまりWMAP ま いて、なるほどと思 ったが、 実 際 には恒 星 の 運 動 も剛 で見えるようになって、そこまで観 測 がつながったんで 体回 転に近いということで驚きなんですけど。あと、チャ すけれども、今 度は WMAP の向こう側ってのは、今ま ンドラの成 果 でしょうかね。クラスターのものすごいプラ での手 段では見えないですね。それではニュートリノか ズマがいっぱい観 測されると、じゃあ何 故そんなに明る 重 力 波か、それくらいですか、その先、考えられるのは。 くX線を出すのかというとダークマターとプラズマの相互 理 論 の方 はビッグバンの始 めの方 へどんどん((そうそ 作用だというような話を聞きますが・・(笑い) う!))近づいて行く。((行くでしょうね。))。それにつな がって素 晴 らしいけれど も、つながったと思 ったら、途 南 部 :私 もそれは分りませんよ。いろんな理 論があるわ 端 に、ダークマターが23%とか((そうそう!))、ダーク けでね。はっきりしたことは 分 らない、その ようなことは エネルギーが73%とか聞くと((そうそう!予 測しなかっ 多いだろうが、そのうちにだんだん・・・そうですね、少し たっことですね。))恒 星 の部 分 は1%以 下 であると、9 づつ進歩していきますよ。 9%以 上 が、プラズマを別 にして、普 通 の 見 方 では見 えないという((そうですよね。))、そういう 神 秘 的 な感 ⑨弦理論とクォーク じ・・。 伊東:あと、大 統 一理 論に関してですが、最 近は、スパ ーストリング理 論 ですか ・・・、 本 をいろいろ 読 んでる と 南 部 :それは非 常 に魅 力 的 ですね。予 期 しないことが 南 部 先 生 がストリング理 論 を随 分 と前 にお 出 しになっ 出てきたことは面白い。 たとか。私には全然分からないのですけど、昔、我々は 原 子 を習 った時 に、ドブローイ波 でエネルギーの不 連 南 部 :そういう大 きな問 題 でなくても、天 文 の方 ではス 続 を説 明 するうようなことを記 憶 しているのですが、何 カイアンドテレスコープ を読 んでると、 毎 月 、 何 か 新 し かそのようなアナロジーがあるのですか? い発 見がありますね。地 球 以 外に太 陽 系みたいなもの が見 つかって、いろんな星 が次 から次 へと見 つかって、 南 部 :そう じゃあないです。 実 際 は 何 も関 係 は 無 いで あるいは技術の進歩が・・・ す。全 く偶 然 です。あの 頃 っていうのは。新 しいハドロ ン粒 子 の 見 つか っている 時 代 で、 その 粒 子 の 質 量 に 伊 東:そういう意 味では、昔からphoton=可 視光はほ は、非 常 に 規 則 性 があって、レッジェの理 論 に 記 述 さ んの一 部であって、ほとんど見えてないと言われていて。 れます。これだけたくさんの粒子があって、皆 不 安 定で ところが、ロケットとかがスペースへ行くようになって、ほ すぐ壊 れてしまう が、そのエ ネルギーの 準 位 は、 水 素 とんどの波 長 をカバーするようになった。同 じようなこと 原 子 のエネルギー準 位 と似 ている。そのエネルギー準 がダークマターに関しても言えるでしょうか。 位 をうまく 説 明 したのが 量 子 力 学 だが、そ れまでは 規 則性は見つかっていたが、それがどこから出てくるか分 南 部:何か思いがけないことから糸 口が見えるかもしれ らなかった。それがたまたま量 子 力 学 が出 て、うまく説 ない。 明 できた。同 じように、ハドロンのレベルのたくさんある のは規則 性は分っているが、どこから出るのか分らなか 伊 東 :そういう意 味 では日 本 にも、タマー300とか、重 った。それを説 明 する理 論 、 公 式 が見 つかった。それ 力 波の望 遠 鏡を作ってますが、そろそろ観 測に引っか がベネチアの公式です。それを眺めていて、どこから出 かってもよい時 代になってるのでは?まだ桁が足りない てきたのか 考 え た。 私 はその 頃 、そういう ハドロンを一 ですか。 種の水 素原 子と同じように考えた。つまり、水素 原子の レベルってのは、プロトンとエレクトロンが束 縛 されてで - 263 - てくる。ハドロンも何 かの複 合 状 態 みたいなもので、そ 1930 年代はローレンスがサイクロトロンの原理を発 明し のような力の性 質によって、そういうレベルが出るんだと。 て素粒 子論ができ上がった。加 速器のおかげで、素粒 そういうようなことは、だいたい、予想できるわけですよ。 子 が 発 見 される。これが 素 粒 子 物 理 学 の 元 祖 ですか それだけハドロンはたく さん あるからね。そ のレベ ルを ね。理 論 の方 は湯 川 さんが元 祖 。まあ新 しいデータを 見つけたベネチアの公 式はどかから出てくるんだと、誰 導入するという考え方、そう、今までの正 反対の考え方、 でも考 えるわけですね。それでその公 式 をいろいろ書 彼のはね、原 子核 というのは核 力というか、電磁 力とか き換えて行 くと、ひも理 論 が出 てきたんですよ。ただ数 重 力 しか考 えていない時 に、また別 の力 が あると言 い 学 的 に、純 粋 に数 学 的 に。何 も他 に先 入 観 念 は無 か 出した、湯川さんはね。どんどん新しい粒子が出てきた ったんですよ。ひもっていうのは、 弦 ですわね。だから が、私の記 憶 によれば、何か先 入 観 があって、素 粒 子 音 楽 のようにいろいろ振 動 しまして、ハーモニックスが というのは全 く、 種 類 の 少 ないもの とされていた。 例 え 出るわけですよ。そういうことに気がついた。だけど、ハ ば、ディラックは、電 子とプロトンの2つでも、多すぎると ドロンも行き詰まりが来まして、数 学 的にはそれが矛 盾 いう(笑い)。だから、ディラックはディラック方 程 式 を発 するところ、うまく行かないところがあった。量 子 力 学 的 明したその時に困ることになった。エネルギーが負の状 に計算すると破 綻がくる。これは次のようなことと似てい 態になり、それは経 験 則に反 すると。だから、それはデ ます。つまり量 子 力 学では、自 己エネルギーの無 限 大 ィラックの穴 の理 論 って言 いますが、固 体 の 中 に電 子 が来る。それを解 決 するために朝 永の理 論 。それで量 がいっぱい詰まっている、そこに穴ができると穴は負 の 子 力 学 は復 活 する。それと似 たようなことですよね。こ エネルギーの穴 だから負 ではないと。その時 、彼 の 言 の場合の破 綻というのは、いわゆる 双対 共 鳴モデル、 った事は、この負の穴ってのはプロトンかもしれないと。 すなわちハドロンの弦 理 論 。これをゲージ場 の 理 論 に つまり、かれは素粒 子ってのは1つしかないとの先入 観 置き換える。その方が基本 的には、正しいことがだんだ があった。間 違ってた。このように、新 しい粒 子 というの ん分ってきた。ゲージ場の、色量 子 力学の性 質の一 部 には非 常に抵 抗があったわけで。その点、私は比較 的 を反 映 するモデルとして弦 理 論 が役 立 つことは今 でも 自 由だったのは坂 田、湯 川の影 響を受けたわけです。 変わりない。弦理 論 自身を解 釈し直して、それをプラン だから、クォークの色、数 を増やすというのは同 じような クエネルギーという高エネルギーのところに持 って来 る 抵抗があったが・・・。 といわゆるスーパーストリングの理 論ができて、スパース トリングにすると、矛盾が解 決されることが分ったわけで 伊 東:私が大 学出 た頃はまだクォークはありませんでし すね。それだから、皆、面 白いなっていう。スーパースト た。原子 核は陽子と中 性子、そう言う時 代でした。今は リングは1種 しかないから、それで全 て原 理 的 にあらゆ 素粒子の数が多いので覚えるのが大変なくらいです。 る種類の現 象を説 明できると。だからそれで終わったと いう考 えもあった。しかし、そうではなかった。結 局 あま 南 部:そうです。化 学、chemistoryみたいです。元 素 り多くの可能 性があり過ぎてどれを選んだらいいか分ら の 周 期 律 とか 昔 は 覚 えていたが、 私 も忘 れました( 笑 ない。スパーストリングは枠 が無 いからね・・・。どういう い)。 理論を取るかも分らない。 伊東:先生、本当に今日は有難うございました。 伊 東 : ク ォー ク の 色 は そ う いう 形 か ら 出 さ れ たの で す か。 南部:いやあ、どういたしまして。 南 部:それはもう少 し前の話です。クォークの理 論が出 謝辞 た時 に、それ自 身 に 少 し矛 盾 があった。いままでの常 南 部 陽 一 郎 先 生 、および伊 東 昌 市 氏 から書 き起 こ 識をとれば統 計とすでに分っていたこととに矛盾のある しの 公 開 に 関 して快 諾 を頂 き ました。 また、 南 部 先 生 ことに気付いて、解決しようとしておった。それで、 クォ には、多 忙な中、不 明 な箇 所について教 示いただきま ークに種 類を少し増やすわけですよ。増やすことは、こ した。ここに深く感謝します。 のごろは、皆、何でも使うが、昔は抵 抗があった。湯 川 理 論 が 成 功 したのに、そ れを誰 もが やらなか った。 素 粒 子というのは、始めに、100年 以 上 前に電 子が見つ かって、それから原 子核が見つかって、プロトンが。 そ れで世 の中 は終 わりと思 った。だから全 ての物 質 が電 子 とプロトンからできている。ところが、そうでなかった。 - 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