第1章 - 全国老人福祉施設協議会

第1章 施設の組織と経営
第1章
第1節
施設の組織と経営
高齢者福祉とは
≪本節のねらい≫
本節では、高齢者福祉とは何かについて理解を深めることが目的です。養護老人ホームで職
務に従事する者だけでなく、地域や家族の中でも共通する理念となります。また、高齢者福祉
を理解することは、ひいては私たち一人ひとりの存在の大事さを確認することにつながるもの
です。
本節は、以後の学習の全ての基礎となるとともに、制度や社会の変化に左右されない普遍的
なものですので、繰り返し確認しておくことが望まれます。
1
高齢者とは何か
「高齢者という線引きは難しい」-不変的なもの
わが国の高齢者福祉の基本となる老人福祉法には、老
人・高齢者についての定義はありません。また、介護保
険法を見ても、
「65 歳以上を第 1 号被保険者とする。
」と
規定するだけで、65 歳以上の“高齢者”という表現はし
ていません。これは考えてみればごく当然のことであり、
私たち一人ひとりが感じていることと同じものです。
人間の心身機能の変化、特に機能面での低下は、その範囲や速度などは一定ではありませ
ん。老人福祉法が定義をしていないのは、このような理由によるものです。
例)「30 歳の人は青年ですか?壮年ですか?」より平易な表現では、「おじさん(おばさん)とお兄さん(お姉さん)の
境界は何歳ですか?」という問いに対し、絶対的な答えはあるでしょうか。
「65 歳が一つのポイントとなる」-時代によって変わるもの
では、何歳でも自分が高齢者だと言えば高齢者として扱われ、高齢者に対する制度などを
利用できるのか、というとそうではありません。
この境界を理解することは、実は私たちの暮らす地域や国の社会保障のあり方を理解する
ことにつながるものです。狭義の福祉に留まらず、年金や雇用といった幅広い制度や慣行は
全てつながったものであり、全体を見ていくと、今のわが国では“65 歳”が一つの節目とな
っていることがわかります。
1
第1章
施設の組織と経営
所得保障の構造(サラリーマン≒厚生年金の場合)
収入減の対策(特に60~64歳)が必要
年金(比例部分)
勤労所得(報酬)
年金(比例部分)
年金(定額部分)
60歳
(15)20歳
65歳
厚生年金
(報酬比例部分)
全額(報酬比例+定額)
高年齢者雇用安定法
(定年延長・継続雇用等)
雇用保険
(一般求職者給付)
(高年齢求職者給付)
(高年齢雇用継続給付)
上記からもわかるように、老人福祉・介護保険だけにとどまらず、年金制度や雇用関連の
制度など、ほとんどの制度が“65 歳”を一つの節目としていることがわかります。それ以前
の年齢にあっては「就労を中心とした経済的な自立・社会的な自立」を軸として展開してい
るのに対し、65 歳以上では「就労を前提としない自立」です。
ただし、ここで大事な点は、
① 高齢者は働けない・働いてはいけない、として理解するのではなく、
② 本人が就労を希望し、かつ社会がそれを要請しているという状況がない限り、就労を
基礎としない自立生活が保障されるべきもの、
③ その基本として、所得保障は年金・医療・介護といった保険制度があり、これに依り
難い場合に、様々な福祉の制度や地域による支援が存在する。
という、全体的な理解をしておくことが必要です。
なお、ここでいうポイント(65 歳)は、先に見た「線引きが難しい」というものとは異な
り、社会の変化その他によって動くものです。
例) かつては、55 歳定年で 60 歳からの年金受給を基本とした制度設計であり、現在議論されているの
は、年金受給年齢の 70 歳への引き下げと定年延長である。
2
第1章 施設の組織と経営
「私たちは先人の築いてきたものを受け継いでいる」-不変的なもの
私たちは、誕生してすぐに全てのことが自分自身で出来るわけではありません。また、い
ま私たちが暮らしている社会も、制度も、私たちの先人が築き上げてきたものです。いわば、
いま高齢者と呼ばれる方たちが若い時に、その先人から受け継ぎ、守り育ててきたものを私
たちは受け継いでいます。
この営みは今後も変わらず繰り返されるものであり、いま、私たちが守り、そして築いた
ものを私たちの次の世代が受け継いだとき、私たちは高齢者と呼ばれることとなります。
この時に、私たちが受け継いだ相手方、つまり高齢者をどのように考えるかが大事であり、
このことが私たちを人間たらしめるものであるとともに、自らの生涯を最後まで尊厳あるも
のとして認識できるかの分かれ道となります。
「高齢者を尊厳ある存在としてしっかりと理解する」ことは、「私たち自身の存在を理解
する」ことと何ら変わりがありません。
3
第1章
施設の組織と経営
2
高齢者福祉とは何か
(老人福祉法)
(目的)
第 1 条 この法律は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身
の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もつて老人の福祉を図ることを目的
とする。
(基本的理念)
第 2 条 老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を
有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるもの
とする。
「老人福祉法の目的及び理念を理解する」
老人福祉法の目的(第 1 条)及び基本的理念(第 2 条)については、繰り返し学びあい、
理解をしておくことが必要です。
「高齢者福祉は最低生活の保障であってはならない」
高齢者福祉の目指すべき水準はどこにあるのでしょうか。このことを理解するためには、
わが国の社会保険・社会福祉及び公的扶助(生活保護)の関係を把握することが必要です。
50 年勧告(社会保障制度審議会:1950 年)以来、今日に至るまで、わが国の社会保障に
ついては、①社会保険制度を中核とし、②これに依り難い場合に福祉が支え、③最後の砦と
して生活保護その他の公的扶助が位置することとなっています。
社会保険には“防貧”機能があり、公的扶助には“救貧”機能があるとされています。で
は、この防貧と救貧の境界となる「貧困」とは何を指すのでしょうか。
(日本国憲法)
第 25 条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(生活保護法)
第 3 条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することが
できるものでなければならない。
第 8 条 (略)
2 前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて
必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえ
ないものでなければならない。
上記からわかるように、
「貧困」ラインは、
“健康で文化的な”最低生活水準です。このラ
インをベースに各領域を位置付けると次のようになります。
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第1章 施設の組織と経営
社会保険/社会福祉
“防貧”
(防ぎとめる)
憲法 25 条
「健康で文化的な最低生活」
公的扶助
“救貧”
(救いあげる)
このように、社会保険制度(年金・医療・介護・雇用・労災など)は、いずれも“貧困に
陥ることを防ぐ”ために設けられたものです。最近では、これに新たな意味を付加し、より
積極的な“自己実現・自立支援”の一助として位置づけられることもできますが、まずもっ
ての意味は「防貧」となります。
?
「なぜ医療保険が防貧となるのか?
答え:
意味がよくわからない。
」
何かの怪我をした場合、医療保険に加入している方は被保険者証を提
示して治療を受けることが一般的です。この時に、
“治療を受ける(医療
サービスを利用する)”ことと、“保険を利用する”ことを整理して考え
ていくとわかります。
治療を受ける(医療サービスを利用する)ことは、必ずしも防貧と結びつきにくいでしょう
が、もしも、この時に医療保険に加入していなければ・・・・その方は、治療に要した費用の全額
を負担することとなります。大きな手術の場合、これを全額自己負担で賄える方はどのくらい
いるでしょうか。
あるいは、高齢期になると慢性疾患をかかえ、継続的な医療が必要となります。毎月一定の
医療サービスを受け、かつその費用が全額自己負担であれば(医療保険がなければ)・・・・いか
に裕福な家庭であっても、貯蓄が底をつき、貧困となってしまいます。
保険に加入しているということは、このような場合の自己負担を可能な限り軽減させるとい
うことになります。この意味で、社会保険制度は全て“防貧”機能を持っているということに
なります。
一方の公的扶助(生活保護など)には、制度上の限界があります。公的扶助が保障するラ
インは、健康で文化的な最低生活を営むのに十分なものであることが求められますが、同時
に“これをこえないものでなければならない”(生活保護法第 8 条)とされています。つま
り、生活保護法では、健康で文化的な生活水準は保障されたとしても、それ以上は対象外と
なります。
老人福祉法は生活保護法ではありません。よって、養護老人ホームも生活保護法の施設で
はありません。このように考えると、老人福祉法に規定する「生きがいを持てる健全で安ら
かな生活を保障される」とは何か、養護老人ホームにおける“生きがいを持てる健全で安ら
かな生活”とはどうあるべきか、について、おおよその位置が見えてくるのではないでしょ
うか。
5
第1章
施設の組織と経営
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養護老人ホームの沿革
養護老人ホームの軌跡を見ると、戦後のわが国の高齢者福祉がどのような歩みをしてきたか
が理解できるとともに、社会がいかに変化しようとも高齢者福祉に最も必要なものは何かを垣
間見ることがきます。
例えば、量的な整備を見ても以下のとおりです。
総人口
(参考指標)
高齢化率
世帯構成員数減少率(逆数)
1,200,000
(潜在ニーズの推定曲線)
1,000,000
※ 乖離部分は、1980年代
までは家族、1990年代以降
は在宅・地域が補完
800,000
特別養護老人ホーム
(429,272)
600,000
精神病床
(349,321)
※ 施設不足分や困難
ケースの”社会的”入所
400,000
障害者施設(計)
(242,553)
200,000
養護老人ホーム
(66,239)
0
1954年
1965年
1975年
1985年
1990年
1995年
2000年
2005年
2008年
1954年
1965年
1975年
1985年
1990年
1995年
2000年
2005年
2008年
救護施設
(17,062)
2,608
8,207
13,012
15,178
15,761
16,066
16,337
16,824
30,917
52,069
69,839
69,191
67,938
67,219
66,495
66,837
66,239
1,912
33,955
119,858
161,612
220,916
298,912
386,827
429,272
身体障害者更生援護施設
6,018
17,859
33,343
38,965
45,509
52,780
60,380
41,897
知的障害者援護施設
4,920
28,464
70,471
93,719
123,022
153,855
195,395
153,954
1,588
4,286
10,200
24,293
16,373
37,849
172,950
278,123
334,589
359,087
361,714
358,153
354,296
349,321
71,374
246,076
441,252
642,630
738,670
838,732
956,732 1,104,852 1,104,447
救護施設
養護老人ホーム
特別養護老人ホーム
30,329
障害者支援施設等
精神障害者社会復帰施設
精神病床
計
17,062
他の社会福祉施設や精神病床などが社会や地域の変化、法制度の動向等に大きく影響されて
いるのに対し、養護老人ホーム及び救護施設は一定水準に到達した後は、変化することなく推
移しています。これらに共通する機能は“貧困”に対する支援機能であり、この貧困問題はわ
が国がいかなる体制を採ろうとも、また今後いかなる発展を遂げようとも消滅することはあり
ません(相対的貧困の存在等)
。
また、養護老人ホームや救護施設は、他の社会福祉施設や居宅における支援にかかる制度的
な不備その他の緩衝材として、いわゆる社会的入所の受け皿としても機能していることがわか
ります。
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第1章 施設の組織と経営
養護老人ホームの今日までの歩み(明治以降)
年
概
1874 (明治 7)
・恤救規則制定
1895 (明治 28)
・聖ヒルダ養老院(東京) -
要
老人だけを保護収容した“養老院”創設 (※)
・明治 30 年代、全国で相次いで養老院が開設
・帝国養老教会(愛知,明治 31)、神戸養老院(兵庫,明治 32)、京都救済院(京都,明治 32)、
栃木婦人協会(栃木,明治 34)、名古屋養老院(愛知,明治 34)、大阪養老院(大阪,明治 35)、
前橋養老院(群馬,明治 36)、東京養老院(東京,明治 36)、広島養老院(広島,明治 38)、
奈良養老院(奈良,明治 39)
1909 (明治 42)
・成績優良な私設救済事業団体に奨励金・助成金下付開始(内務省)
1912 (明治 45)
・「養老法案」提出 (第 28 回帝国議会)→
1923 (大正 12)
・関東大震災
1925 (大正 14)
・第1回全国養老事業者大会 (45 施設中 23 施設 42 名が参加)
1929 (昭和 4)
・「救護法」公布 (施行は 1932 年) (公的に救護施設として位置づけ)
1932 (昭和 7)
・全国養老事業協会設立
1945 (昭和 20)
・敗戦
1946 (昭和 21)
・旧「生活保護法」公布 (保護施設として位置づけ)、
「日本国憲法」公布
1950 (昭和 25)
・「生活保護法」公布 (保護施設のうち“養老施設”として位置づけ)
・1950~1962 年の間に全国 480 施設が新設
1951 (昭和 26)
・「リデル・ライト記念養老院」(熊本) - 全国唯一のハンセン病患者家庭の健康老人
養護施設 ※現在は一般養護として運営されている。
1957 (昭和 32)
・「保護施設取扱指針」制定
1961 (昭和 36)
・慈母園開設(奈良) - 全国初の盲養老施設
1963 (昭和 38)
・
「老人福祉法」公布 (養老施設は同法へ移管され、施設種別が“養護老人ホーム”
・特別
養護老人ホーム・軽費老人ホームに区分)
1966 (昭和 41)
・「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準」施行
1970 (昭和 45)
・恵の丘長崎原爆ホーム(長崎) 広島原爆養護ホーム舟入むつみ園(広島) - 全国初の
原爆養護ホーム
・
「社会福祉施設緊急整備 5 か年計画」策定 (昭和 46~50) - 老人福祉施設では特別養
護老人ホームを中心とする整備に転換
1976 (昭和 51)
・あすらや荘開設(広島) - 全国初の聴覚障害者専用の養護老人ホーム
・厚生省行政指導方針「養護老人ホームは新設しない」
1980 (昭和 55)
・施設数・定員規模で特別養護老人ホームが逆転、入所措置に係る費用徴収制度の導入
1989 (平成 元)
・「ゴールドプラン」策定
1994 (平成 6)
・「新ゴールドプラン」策定
・「高齢化を迎える 21 世紀にそなえて養護老人ホームのあり方を考える」報告書 (全国
老施協養護老人ホーム検討特別委員会)
1997 (平成 9)
・「介護保険法」公布 (施行は 2000 年)
1999 (平成 11)
・「ゴールドプラン 21」策定
2004 (平成 16)
・養護老人ホーム及び軽費老人ホームの将来像研究会・報告書(厚生労働省)
2005 (平成 17)
・養護老人ホーム等保護費負担金の一般財源化
・「老人福祉法」改正 (養護老人ホームの入所要件・施設目的の変更)
・「養護老人ホームへの入所措置等の指針について」「養護老人ホームの設備及び運営に
関する基準について」 (厚労省老人保健局長通知)
2006 (平成 18)
・「新型養護老人ホームパッケージプラン」策定 (全国老施協)
・
「介護保険法」改正施行 (養護老人ホームの特定施設併用等が可能、住所地特例対象等)
2009 (平成 21)
・「新型養護老人ホームパッケージプラン」改訂 (全国老施協)
2012 (平成 23)
・養護老人ホームにおける生活支援(見守り支援)に関する調査研究事業報告(全国老施協)
(※)
→
衆議院にて否決
浴風園開設 (1926) 近代処遇の前身となる。
小野慈善院 (1864(元治元),石川)、東京府養育院 (1872(明治 5),東京)、大勧進養育院 (1882(明治 15),長野) に
おいては、聖ヒルダ養老院以前に老人についても収容保護している。
7
第1章
施設の組織と経営
第2節
養護老人ホームとは
≪本節のねらい≫
本節では、養護老人ホームの今日的な機能を理解することが目的です。養護老人ホームは、
福祉の最も本質的な部分を担い続けているとともに、少子高齢・人口減少局面にあるわが国に
おいて、地域の拠点施設として最も幅広い機能を発揮できる可能性を持っていることを理解す
ることが必要です。
1
養護老人ホームの機能
養護老人ホームは、老人福祉法に規定する老人福祉施設であり、また、社会福祉法に規定
する第一種社会福祉事業です。それぞれの規定を見ると以下のとおりです。
(老人福祉法)
第 20 条の 4 養護老人ホームは、第 11 条第 1 項第 1 号の措置に係る者を入所させ、養護するととも
に、その者が自立した日常生活を営み、社会的活動に参加するために必要な指導及び訓練その他の
援助を行うことを目的とする施設とする。
第 11 条 (略)
一 65 歳以上の者であって、環境上の理由及び経済的理由(政令で定めるものに限る。
)により居
宅において養護を受けることが困難なものを当該市町村の設置する養護老人ホームに入所させ、
又は当該市町村以外の者の設置する養護老人ホームに入所を委託すること。
(以下略)
老人福祉法において、養護老人ホームは、
・ 高齢者支援を中心とした施設であること
・ 環境上の理由及び経済的理由により居宅生活が困難な方の支援を行うこと
・ 養護することだけでなく、自立生活・社会参加に必要な支援を行うこと
が求められています。
また、第一種社会福祉事業であることから、国・地方公共団体又は社会福祉法人が経営す
ることを原則としており(社会福祉法第 60 条)
、第二種社会福祉事業に比べ強い規制がある
とともに保護された施設であるといえます。
まず、“環境上の理由及び経済的理由”についてですが、これは高齢者の抱える課題のう
ち、
“結果”に着目したものです。この結果に対しては“原因”があるわけですが、養護老
8
第1章 施設の組織と経営
人ホームでは原因(心身状況など)を問う訳ではありません。この原因を重視するものとし
ては、介護サービスを提供する特別養護老人ホームなどがあります。
環境上・経済的理由で困窮に陥る流れ
養護老人ホームへの入所理由は上記のうち“結果”に着目したものであり、
この結果に至るまでの背景や経緯はさまざまである。
→
養護老人ホームの入所者は極めて多様性を持つこととなる。
結果として、養護老人ホームには様々な心身の特性を持ち、また多様な社会的背景を持っ
た高齢者が入所してきます。これら一人ひとりを、多年にわたり社会の進展に寄与してきた
者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛するとともに、生きがいを持てる
健全で安らかな生活を保障する(老人福祉法の基本的理念)機能を有しているのが養護老人
ホームと言えます。
平成 23 年度に実施した全国の養護老人ホームに対する調
査でも、養護老人ホームに入所することで自らに自信を取り
戻し、また他者を思いやるなどの本来の自分に立ち返るとと
もに、活き活きとした日常生活を営むまでに変化したという
実例が少なからず寄せられています。これらは、環境が大き
く変化することや他の入所者との交流の中で自らが変化し
ていったケースもあれば、多くの場合は養護老人ホームの職
員による懸命の個別支援の結果によるものです。養護老人ホ
ームという“環境”、職員の支援という“環境”はこのよう
に、人生の最後の段階である高齢期を迎えた入所者に大きな
影響を及ぼすものであることを理解する必要があります。
9
第1章
施設の組織と経営
2
養護老人ホームの使命
養護老人ホームには、結果として居宅での生活が困難な方が入所することになりますが、
それぞれの心身特性は極めて多様であり、また生活の困窮に至るまでのプロセスも様々です。
戦後の福祉制度では、これら生活困窮者に対しては生活保護による救済からはじまり、この
うち高齢者に対しては「養老院」がその役割を担っていました。その後、老人福祉法の施行
とともに、養老院は老人福祉法へと移行し、低所得者支援については「養護老人ホーム」と
して位置づけられ現在に至っています。
この生活困窮の問題は、人間社会では必ず生じるものであり避けることはできません。問
題はこの生活困窮に誰が手を差し伸べていくかですが、法制度が完備していなかった時代は、
地域社会(村落共同体など)や家族の扶養による場合がほとんどでした。その補完を公的支
援が担うという図式は、現在に至るまで変わりはありませんが、少子化・核家族化、地域社
会の変容などを考えると、居宅では生活が困難な高齢者が今後も存在し続けると思われます。
これら生活課題を抱える高齢者の最後の砦として、養護老人ホームは重要な役割を担ってい
るといえます。
養護老人ホームの今一つの役割は、地域における拠点施設としての幅の広さであると考え
ることができます。介護サービスを提供する施設や障害者支援施設などでは、原因(要介護
状態・障害の有無)を切り口としているため、その専門性は高いものの支援対象者は限定さ
れるという性格を持っています(要介護状態にない高齢者は介護サービスや相談支援の対象
となり難いなど)。これに対し、養護老人ホームでは先に見たように多様な心身特性を持っ
た高齢者に対する支援、生活困窮に至る様々なプロセスを踏まえた支援を展開しているわけ
ですから、地域における相談・支援の機能としてはとても幅が広いことがわかります。
?
「生活困窮には救護施設、障害者に対しては障害者支援施設があるのではないか」
答え:
もちろん、救護施設や障害者支援施設にも高齢者は入所していますし、双方の施設とも高齢
化への対応が課題となっています。
質問のとおり、低所得者に対しては生活保護法で、障害者に対しては障害者総合福祉法で対
応すべきとの意見もありますが、
「75 歳の高齢障害者は、①高齢者であって、たまたま障害を
有している者なのか、②障害者であって、高齢期にある者なのか」についてどう考えるべきで
しょうか。
共生社会とは、障害の有無によりわけ隔てられることなく、それぞれがかけがえのない個人
として尊重されるものとの立場に立てば、障害の有無を要件とする施設で生活するということ
ではないとすべきかもしれません。
養護老人ホームは生活困窮という要件では他の高齢者とは異なるものの、その者の心身状況
で何らかの区別がなされていないという意味では重要な役割を果たしていると考える事がで
きます。
現在の支援スタッフの少なさや施設環境ほかの課題から、十分な支援が行えていないという
ストレスを抱える職員も少なくないと思いますが、上記の問いを肯定することは、養護老人ホ
ームの存在意義を変えてしまう(障害を理由とした入所拒否)のではないかと思います。
10
第1章 施設の組織と経営
社会に
よる抑圧
行政等
(本来の能力)
(外部への
働きかけ)
抑圧後の自己
貧困に
よる入所
自己の再構築
整備
グループ
ホーム等
地域生活を選択
必要な支
援を受け
ながらの
自立
抑圧後の自己
安心の提供
生活支援
終の棲家とし
て施設を選択
自己の回復
のための支援
養護老人ホーム
相談機能
尊厳の保持
安心の提供
相談機能
地域 ・ 地域住民
人員配置や施設そのものの立地条件など、施設の抱える課題は多いものの、今後のわが国
において、特に高齢者に対する地域の安心拠点として養護老人ホームが機能していくために
は何をするべきか、このことを地域と共に考えていくことが現在の養護老人ホームに課せら
れた使命であるといえます。
11
第1章
施設の組織と経営
3
福祉の専門職とは
ある養護老人ホームでは、福祉の専門職教育として以下の点を重視した研修を行っていま
す。
福祉専門職としての“熱い心”
・ 老人福祉施設の沿革を学ぶことで、高齢者福祉に向き合うことの意義を理解
・ なぜ福祉職を選んだかについて確認することで、自己の存在の重要性を理解
・ 法人の理念・信条を学ぶことで、施設の専門職としての立ち位置を理解
福祉専門職としての“冷静な頭脳”
・ 経営の正しい理解をとおして、対象者の人権尊重の重要性を理解
・ 経営に必要な諸要素について、福祉サービスの質の向上の観点から理解
・ 自己覚知等の学びをとおして、専門職に必要な客観性等を理解
福祉専門職としての“基本姿勢”
・ ビジネスルールの学びをとおして、対象者と向き合う姿勢を理解
・ ビジネスマナーの学びをとおして、チーム支援の一員としての姿勢を理解
・ 福祉専門職である以前に社会人としての個を確立することの重要性を理解
福祉専門職としての“働く喜び”
・ 支援に携わることでの自己実現及び自己啓発の実際を理解
・ 支援に携わることで他者の幸福・変化に寄与することの理解
・ 支援に携わることで社会貢献に寄与していることの実際を理解
福祉専門職とボランティアを整理していくと、福祉に向けるまなざし(心)や、福祉に携
わることでの自己実現・社会貢献等いくつかの共通点があるとともに、専門職においてはボ
ランティア以上に“専門性”が求められることがわかります。
この専門性を発揮するためには、福祉への情熱だけでは持続することが困難です。誰に対
しても、またどのような状況にあっても一貫した支援を行うための客観性や、自らが疲弊す
ることなく持続かつ一貫した支援を行うための自己管理、チームの一員として支援にあたる
ためのルールやマナーなど、多様な領域の知識・技術・価値・倫理の習得が求められるもの
です。さらには、ボランティアと異なり福祉専門職は、与えられた業務に従事することでそ
の対価としての報酬を得ています。
本人主体の支援の重要性が高まる一方で、支援対象者の心身機能の重度化・重複化、社会
背景の複雑化・深刻化など、報酬に見合う役務の専門性は高まる一方であり、それだけに専
門職として必要な資質の向上に向けた取り組みは、業務に携わった当初だけでなく生涯にわ
たり必要となっています。
12
第1章 施設の組織と経営
【知識・技術・価値・倫理】
福祉専門職に必要とされる要素は、知識・技術・価値・倫理であると言われます。知識や
技術の必要性については異論のないところかと思います。報酬を得ている者として、その役
務が専門的な知識・技術に基づかないものであれば、一瞬の応答では対象者の満足になりえ
たとしても長期的には対象者の幸せの実現に寄与することは困難です。
ところが、価値や倫理については、知識や技術ほどに専門職研修では重要視されていると
は言い難いのが現状です。特に 2000 年以降、社会福祉基礎構造改革が進む中で制度改正が
相次いだことにより、法制度の知識獲得が必要となり、また、本人主体の支援として契約や
人権尊重についての知識習得など、多くのことを短時間で習得しなければならない状況にあ
っては、ややもすれば形式的な(制度的な)知識や表面的な技術の習得だけで精一杯となら
ざるを得ないというのが現状かも知れません。
しかしながら、価値・倫理に裏打ちされてこそ、これらの知識・技術は輝きを増すもので
あり、価値・倫理が不安定な状況では、専門職としての公平・公正な関わりや、支援の客観
性・持続性は担保することが困難です。
?
「価値や倫理がなぜ重要なのか、また、これらは修得以前の本人の資質の問題ではないか」
答え: 知識や技術は、これをどのように(どのような場面で)使用するかによって、有益であるこ
ともあればそうでないこともあります。
例えば包丁を考えてみます。包丁は食材料を切るためには欠かせないものであり、またその
用途で作られたものですが、
「切れる」という“知識”
、
「切る」という“技術”を悪用すれば、
簡単に他人を殺傷することも可能となります。この悪用をくいとめているものが価値であり、
倫理です。より社会的なテーマで言えば、核分裂の知識・技術をいかなる用途に使うかという
ことでしょう。
これら価値・倫理は私たちが資質として備えているものではなく、生まれてからの成長過程
で学びとっていくものです。従って、人間本来の資質に帰すものではありません。
様々な領域ごとに目指すべき価値・守るべき倫理があるように、福祉領域においてもその固
有の価値と倫理を習得することが必要となります。
福祉専門職の「価値」については、日本社会福祉士会をはじめとして、領域を問わずその
重要性が述べられています。また、この価値については社会がいかように変わろうと普遍的
なものと、社会の成熟に従ってより高い水準へと引き上げ
られるべきものがありますが、
「何を目指し、何を大切にす
るのか」という信念であるということができます。
福祉専門職の業務遂行上の価値とは、すべての人間が平
等かつ価値ある存在であること、尊厳を有していることを
認めこれを尊重することに基盤を置くものです。
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第1章
施設の組織と経営
この目指すべき価値を実現に近づけていくためには、個々人が思い思いの方法で支援を展
開したのでは効果があがらないばかりか、異なる価値同士が衝突した場合にはその調整が極
めて困難になり、時には支援対象者の不利益を招くこともあります。そのため、価値を実現
するに際して具体的な行動に関わる規範が共通に理解されていなければなりません。この現
実的な約束事・ルールを指して、福祉専門職の「倫理」と呼んでいます。例として、日本社
会福祉士会が作成した「ソーシャルワーカーの倫理綱領」では、以下の倫理責任について規
定しています。
区
分
内
容
利用者に対する倫理責任
利用者の利益の最優先、受容(自らの先入観や偏見を排し利用者をあるが
ままに受容する)、利用者の自己決定の尊重、利用者の意思決定能力への
対応、プライバシーの尊重、性的差別・虐待の禁止、権利侵害の防止、説
明責任、秘密の保持、記録の開示、情報の共有など
実践現場における倫理責任
最良の実践を行う責務、他の専門職等との連携・協働、実践現場と綱領の
遵守、業務改善の推進
社会に対する倫理責任
ソーシャル・インクルージョン(包含的な社会を目指す)、社会への働き
かけ(社会に見られる不正義の改善と利用者の問題解決のため効果的な方
法により社会に働きかける)
、国際社会への働きかけ
専門職としての倫理責任
専門職の啓発、信用失墜行為の禁止、社会的信用の保持
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