HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染対策

各微生物の感染対策
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染対策
国立国際医療研究センター 看護部
感染管理認定看護師
窪田 志穂
1 はじめに
3 標準予防策(スタンダードプリコーション)
エイズ動向委員会による2010年のHIV感染者と
1)個人防護具(手袋、マスク、ゴーグル、エプロン
やガウン)の選択
AIDS(後天性免疫不全症候群)発症者の新規報告件数
は1544件(HIV感染者が1075件、AIDS発症者が
4 6 9 件 )で あ り 依 然 と し て 増 加 の 傾 向 を 示 し て い
る 。HIV感染者が増えれば、おのずと定期受診や症
1)
各微生物の感染対策
状の出現にて医療機関を受診する事も多くなるため、
エイズ拠点病院以外の施設においてもHIV感染者に接
する機会は増えると予測される。医療機関に患者が
受診、入院する場合もHIVだからといって特別な感染
対策をする必要はなく標準予防策を実施することで医
療行為に関連した感染は防ぐ事ができる。しかし実際
に患者を受け入れるとなると不安を抱く医療者も少な
くないため、以下に、HIV感染予防のポイントについ
医療従事者はこれから行う医療行為の中で、標準予
防策の対象物に触れるかどうか、また対象物が飛散し
自分の目や口腔、粘膜や皮膚、衣服が汚染する可能性
があるかを考え、その汚染の範囲や程度に合わせて
個人防護具を選択する(図1)。その具体的な選択内容
例は表1に示す。感染管理担当者はマニュアル等に防
護具の選択や着脱方法の具体例を記載し、医療者が適
切な場面で適切に防護具を選択し正しく着脱できる様
に支援する必要がある。またマニュアルに記載する以
外にも定期的に教育を行い職員へ周知を図る事も大切
である。当院では医療従事者に対して新採用時以外
て、当院の例も交え説明する。
に年1回勉強会を開催している。しかし、いくら知識
2HIV
切に使用することはできない。病室や汚物室、処置室
HIVはレトロウイルス科のRNAのウイルスであり、
生体内や細胞培地など以外には複製能力がないため、
があっても使える環境が整っていなくては防護具を適
等、防護具が必要な場所に必要な防護具を設置し、突
然の吐血や緊急処置時にもすぐに使用できるような環
境作りも必要である。
宿主の体の外に出ると長時間生存できず感染力も弱
い。またエンべロープを有しており、消毒薬の感受性
も良く容易に不活化されるため特別な消毒も必要な
血 液
い。HIVはHIV感染者の血液、精液、膣分泌液、母
体 液
乳、唾液等の体液に含まれ(唾液中のウイルス量は少
ない)、感染経路は血液感染、性感染、母子感染の3
排 泄 物
つであり、医療従事者が医療行為において注意をする
喀 痰
必要があるのは血液および体液の取り扱いである。す
浸 出 液
なわち全ての患者の血液、体液、分泌物、排泄物お
粘 膜
よび粘膜や損傷した皮膚を感染性があるとして対応す
損傷した皮膚
る標準予防策(スタンダードプリコーション)を行
うことで医療行為に関連したHIV感染は防ぐ事がで
きる。
6
対象物
丸石感染対策 NEWS
触れた時
手 指 衛 生
手が汚れそうな時
手 袋
皮膚、衣服が汚染
しそうな時
ビニールエプロン
ガ ウ ン
目、口腔粘膜が
汚染しそうな時
マ ス ク
ゴーグル
図1. 防護具の選択の考え方
表1.防護具の選択内容例
○:必ず使用 △:飛散の範囲に応じて使用 ×原則不要
処 置
手 袋
サージカル
マスク
検 温
×
×
×
×
×
×
×
口腔ケア
○
○
×
○
×
△
×
陰部洗浄
○
×
×
○
△
×
×
尿 廃 棄
○
×
×
○
△
×
×
吐物の処理
○
○
△ ※1
○
×
×
×
気管内吸引
○
○
×
○
○
○
×
採 血
○
×
×
×
×
×
×
気管内挿管
○
○
△ ※2
△
○
○
×
滅 菌
○
×
×
滅 菌
△
○
○
○
×
○
○
△
×
CV挿入
腰椎穿刺
器材の洗浄
○
○
N95
マスク
エプロン
ガウン
ゴーグル
キャップ
○
×
○
○
○
※1:感染性胃腸炎が疑われる場合に使用 ※2:結核やインフルエンザが疑われる場合に使用
○
○
中 材
中 材
文献2)参考
3)患者に使用した器材の取り扱い
前述した様にHIVの感染経路は血液感染、性感染、
HIVは前述した様にエンベロープを有しているウイ
母子感染の3つであり、HIVがHIV感染者から他の患者
ルスである。エンべロープとはウイルスの外膜にある
に感染する事を考慮した患者配置を行う必要はない。
脂溶性の物質であり、ウイルスが寄生細胞から放出さ
またHIV感染症は、細胞性免疫不全に分類される疾患
れる時に細胞の脂質を利用して形成される。一般的に
である。したがって顆粒球が減少している状態とは異
エンべロープをもつウイルスは消毒薬に対する感受性
なるため、CD4陽性リンパ球が減少しているからと
があるため、容易に各種消毒薬で不活化される。した
いって個室管理をする必要はない。
がってHIVだからといって特別な消毒を行う必要はな
個室管理とする必要があるのは
い。他の使用器材と同様にスポルディングの分類に応
①接触、飛沫、空気感染する疾患を発症している、ま
たは疑われている
②骨髄抑制により顆粒球が減少している
③下痢などが著しく環境を汚染する可能性が高い 場合であり、標準予防策に則った個室管理の選択と同
じである。HIV感染者に限らず患者の免疫状態やどの
ような感染経路の疾患が疑われているかを把握し、そ
じて適切な洗浄と消毒、滅菌を行う。また使用器材
は切創や曝露を防ぐためにも中央材料室により一括し
た洗浄と消毒、滅菌を行い、使用現場での一次消毒等
を行わないシステム作りをすることが望ましい。そ
のほかリネン等の取り扱い等について表2に示す。
表2. HIV使用物品等の洗浄と消毒例
の状態に応じた患者配置を実施する事が必要である。
ただし、HIV感染者は免疫不全状態により典型的な臨
鋼製小物
床症状を示さず診断が困難な場合がある。そのため
接触、飛沫、空気感染等、他者へ伝播する疾患が少し
でも疑われる場合は、確定診断が得られ他者への感染
のリスクが否定されるまで疑われる感染症に対する予
防策や患者配置を確実に行い続ける事が大切である。
各微生物の感染対策
2)患者配置
内視鏡
ファイバー
93℃ 10分間などの熱水洗浄
(ウォッシャーディスインフェクター)
予備洗浄を行なった後に、内視鏡自動洗浄装置を用いて
・0.55%フタラール10分間 浸漬
・0.3%過酢酸 5分間 浸漬
床等の環境に 手袋、エプロンを装着し、ディスポーザブルの布で
血液が付着 物理的に拭き取った後に0.2∼0.5%次亜塩素酸ナト
リウムによる拭き取り
した場合
リネンや服に ・80℃10分間などの熱水洗濯
血液が付着 ・0.05%∼0.1%次亜塩素酸ナトリウム
した場合
30分間 浸漬
文献3)より改変
2011 AUG No.4
7
4)針刺し切創、曝露予防
陽転すると言われている。フォローアップ期間の間
HIVの曝露による感染のリスクは、経皮曝露は0.3
は感染の可能性が否定されないため、曝露者自身が発
%、粘膜曝露は0.09% と決して高くはないが感染す
熱、リンパ節腫脹などの急性症状に注意することや、
る可能性がゼロではないため、曝露を防止する対策
他者への感染を防ぐために性交渉は控える事も大切と
や曝露が起こった場合の対応を整備しておく必要が
なる。そのため曝露者のフォローアップをする者は、
ある。
曝露者のフォローアップ受診の対応とともにそれらを
HIVに曝露後、まずとるべき対応は曝露部位の流水
説明することも必要である。
4)
による洗浄である。その後可能な限り早期に抗HIV薬
を内服する事により感染を防止できるといわれてい
表3. HIVの経皮曝露状況と予防内服の選択
る。予防内服は曝露による感染のリスクに応じて3剤
患者の
感染状況
内服の拡大治療と2剤内服の基本治療の2つのどちら
かが選択される。曝露による感染のリスクは、まず経
皮曝露か粘膜曝露どちらの曝露経路かにより異なる。
曝露の程度
さらに曝露時の使用器具や傷の深さなどの曝露の程度
軽傷(less severe)
と、曝露源のHIVウイルス量などの患者の感染状況に
より感染のリスクが分類される。それに応じて予防内
服の種類が決定される(表3、4)。そのため、予防内服
の種類を判断する者は、曝露者の曝露時の状況を詳し
く確認し、感染のリスクを判定する必要がある。しか
し、曝露源である患者にHIV治療歴があり耐性ウイル
スを持っている場合や、曝露者が治療薬を有する疾患
HIV 感染者(class1) HIV 感染者(class2)
無症候性HIV 感染症
血漿HIV RNA 量
1500コピー/ml未満
*1
2剤併用療法
による予防を推奨
中空のない針、表面的
損傷
FTC /TDF(エムトリシ
タビン/テノホビル)
またはABC/3TC(アバ
カビル/ラミブジン)
重傷(more severe)
中空のある針、深い損
傷、医療器具の肉眼的
血液付着、動脈や静脈
で使用した針
各微生物の感染対策
類の判断を行う必要がある。したがって感染管理担当
患者の
感染状況
者は、針刺し切創等の曝露が発生した場合に、院内外
曝露の程度
少量曝露
数滴など
ためフローチャート等のマニュアルを準備し、医療従
事者が不測の事態においても受診までの流れがスムー
ズに進むようにしておく事も大切である(写真1)。
LPV/RTV(ロピナビル/リ
トナビル)+FTC/TDF(エム
トリシタビン/テノホビル)
またはDRV(ダルナビル)
+RTV(リトナビル)
3剤(以上)併用療法
による予防を推奨
*2と同様のメニュー
*2と同様のメニュー
表4. HIV粘膜曝露状況と予防内服の選択
し、医師と相談のもと、予防内服の実施の有無やその種
静に受診までの過程を判断できない場合もある。その
*2
文献4)、5)より改変
服薬の選択に変更がある。そのため必ず早期に受診を
要がある。また、曝露した本人は不安や焦りを感じ冷
3剤(以上)併用療法
による予防を推奨
3剤(以上)併用療法
による予防を推奨
に罹患している場合や妊娠している場合には、予防内
のどこに受診をするかを含めた病院の体制を整える必
症候性HIV 感染症、
AIDS、HIV 初感染期、
血漿HIV RNA 量
1500コピー/ml以上
多量曝露
HIV 感染者(class1) HIV 感染者(class2)
無症候性HIV 感染症
血漿HIV RNA 量
1500コピー/ml未満
*1
症候性HIV 感染症、
AIDS、HIV 初感染期、
血漿HIV RNA 量
1500コピー/ml以上
2剤併用療法 による
予防を考慮
2剤併用療法による
予防を推奨
FTC /TDF(エムトリシ
タビン/テノホビル)
またはABC/3TC(アバ
カビル/ラミブジン)
*1と同様のメニュー
2剤併用療法による
予防を推奨
3剤(以上)併用療法
による予防を推奨
*1と同様のメニュー
LPV/RTV(ロピナビル/リ
トナビル)+FTC/TDF(エム
トリシタビン/テノホビル)
またはDRV(ダルナビル)
+RTV(リトナビル)
文献4)、5)より改変
針刺し切創などの曝露は曝露者の不注意だけで起こ
るものではない。針捨て容器が使いにくい、持ち運び
が出来ないなどの環境面や、鋭利物の安全な取り扱い
や安全装置付き器具の操作が徹底されていないなどの
知識、技術面など様々な理由により引き起こされる。
針刺し切創の要因を検討することは、環境面や教育、
写真1. 当院の針刺し切創曝露後対応マニュアル
マニュアルなどの針刺し切創予防策の現状を見直すよ
曝露者のフォローアップのためのHIV抗体検査は事
者は曝露者の行動などを責めるのではなく、今後の病
故直後、6週間後、3ヶ月後、6ヶ月後が推奨されて
院内における曝露事故を減らすために曝露状況を確認
おり、感染した場合には6ヶ月以内に抗体検査結果が
するという姿勢を持ち曝露者に接することが大切と
い機会となる。そのため感染管理担当者や職場の管理
なる。
8
丸石感染対策 NEWS
4 母子感染予防
者自身が免疫を付け感染を予防するのは困難な場合が
母子感染の感染経路は、①胎児が子宮内で感染する
が流行性ウイルス疾患等の感染症を発症し、病院内に
経胎盤感染、②産道を通過するときに母親の血液や体
液に暴露されて起こる経産道感染、③乳児が母乳を摂
取して起こる経母乳感染の3つである。それらの母子
感染予防のために以下の3つを行う。
ある。したがって家族はもちろんのこと、医療従事者
持ち込むという事がないようにする事が大切となる。
医療従事者の健康管理が、HIV感染者をはじめとする
患者の健康を守ることに繋がるため、医療従事者が流
行性ウイルス疾患に対する自分の免疫状態を把握でき
るようにする事や、インフルエンザ等のワクチン接種
①予防内服
母体のHIVウイルス量が少ないほど児への感染の
リスクは低くなる。そのため母親のCD4陽性リン
パ球数やHIVウイルス量に関わらず、すべてのHIV
感染者である妊婦に対して妊娠14週頃より抗HIV
薬の予防内服を行う事が推奨されている。
また、分娩中や出生後の新生児に対してもAZT
(ジドブジン)による予防投与が行われる。
②帝王切開
子宮収縮に伴う母子間輸血や羊水による感染を予
防するため、HIV感染者が出産を行う場合、自然破
水や陣痛が来る前に帝王切開をする事が推奨され
ている。HIV感染者の帝王切開は一般の帝王切開と
を行える体制作りをすることも大切な感染対策の一つ
といえる。
6 おわりに
HIVは特別な感染対策を行う必要はなく、標準予防
策を遵守することで医療行為に関連した感染は防止で
きる。全ての医療従事者が標準予防策を遵守するこ
と、針刺し切創等を含めた曝露予防や曝露後の対応体
制と環境を整えることがHIVの感染対策において最も
重要である。
7 参考文献
体液を出来る限り取り除く。
1 )A P I - N e t エ イ ズ 予 防 情 報 ネ ッ ト .h t t p : / / a p -
③人工栄養
HIVは母乳にも含まれる。したがって出産後は母
乳栄養を行わず人工栄養とする必要がある。また母
net.jfap.or.jp/lot/link.html,エイズ予防財団,
2011年6月20日
2)矢野邦夫他訳、編.医療現場における隔離予防策
乳は標準予防策の対象物であるため、助産師等が母
のためのCDCガイドライン,メディカ出版,
乳ケアを行う際はHIV感染症の有無に関わらず必ず
2007年
手袋を装着して行う必要がある。
各微生物の感染対策
し行う。出生後の児の体は蒸留水で洗浄し母体血、
同様に、手袋、マスク、ガウン、ゴーグルを着用
3)小林寛伊編.消毒と滅菌のガイドライン,へるす
出版,2011年
5 医療従事者の健康管理
HIV感染者は細胞性免疫不全であるため、流行性ウ
イルス疾患に曝露すると発症しやすく、重症化をしや
すい特徴がある。当院でも実際に麻しん脳症を発症し
たケースや患者間での伝播を経験した事もあり、流行
性ウイルス疾患の感染予防はHIV感染者にとって重要
な項目の一つといえる。しかし、CD4陽性リンパ球
数200/μl以下の高度免疫能低下に該当する成人の
HIV感染者等は原則的に生ワクチンの接種は推奨され
6)
ない 。また一般的にHIV感染者がワクチン接種を行
う場合は、免疫反応が期待できない可能性もあり、患
4)医療事故後のHIV感染予防のための予防服用マ
ニ ュ ア ル http://www.acc.go.jp/clinic/hari/
07_01.pdf,国立国際医療研究センター エイズ治
療研究開発センター,2011年6月20日
5)鯉渕智彦他.抗HIV治療ガイドライン,平成22年
度厚生労働科学研究費補助金エイズ対策研究事業
6)岡慎一他.プライマリ ・ ケア医に必要なHIV/AIDS
の知識,治療,南山堂 vol.88,No.12,2006年
12月1日,p2974 ー78
7)和田裕一他.HIV母子感染予防対策マニュアル第6
版,平成22年度厚生労働科学研究費補助金エイズ
対策研究事業
2011 AUG No.4
9