(1)犯罪捜査に当たった警察官が犯罪捜査規範一三条に基づき当該捜査状況等を記録し た備忘録は、刑訴法三一六条の二六第一項の証拠開示命令の対象となり得るか (2)警察官が捜査の過程で作成し保管するメモが証拠開示命令の対象となるものか否か の判断を行うために、裁判所が検察官に対し同メモの提示を命ずることの可否 中央大学刑事法判例研究会 2008.11.15 原々審 福岡地裁 平成20年3月25日決定 原審 福岡高裁 平成20年4月18日決定 判例時報2014号155頁 上告審 最高裁第三小法廷決定 平成20年6月25日 刑集62巻6号1886頁 号155頁 判例タイムズ1275号89頁 Ⅰ 事案の経緯 平成19年10月1日 長野 健一 判例時報2014 福岡県中央警察署天神交番 検察官主張 警察官らは被告人に覚せい剤使用の嫌疑を認めたので、承諾を得て同人を中央署に任 意同行しようとした、被告人が天神交番で異常な挙動を示したので、警察官らは警察官 職務執行法に基づき被告人を保護した、警察官らは被告人をパトカーに乗せ中央署に向 かったが、車内で同人が落ち着きを取り戻したので、中央署に到着後、同人の保護を解 除した、被告人は中央署において尿を任意提出した。 弁護人主張 警察官らは保護手続きの要件がないにもかかかわらずあるように装い、天神交番で被 告人の身体を違法に拘束し、そのまま中央署に連行して強制的に尿を提出させた、被告 人の尿の任意提出書、領置調書等は違法収集証拠であって採用すべきではない。 平成19年11月1日 平成19年12月19日 れた。 福岡地方裁判所公訴提起 第1回公判期日、以後平成20年3月17日まで期日間整理手続きに付さ 平成20年 2月29日 弁護人、証拠の開示命令申し立て (1)電話の着信・発信の履歴 (2)警察官らの供述調書、捜査報告書、メモ (3)逮捕状の請求手続きに用いた資料 平成20年3月6日 裁判所は(3)につき棄却、(1)(2)につき検察官に釈明を求めた a(1)の文書の存否 b 本件保護状況ないし採尿状況に関する記載のある警察官らの作成の各供述調書、捜査 報告書及びメモの存否(これらの者が作成した備忘録であって、警察官ないし警察にお -1- いて保管中のものを含む。ただし、既に開示済みのものを除く。) c 上記各証拠が存在する場合、それらを開示することによって生じるおそれのある弊害 の内容及び程度 平成20年3月10日 検察官の回答 a (1)の文書「不存在」 b 供述調書については不存在。捜査報告書については開示済みのもの以外は不存在。メ モについては個人的メモ以外は不存在 c 不存在なので釈明の要はないと思科する。 平成20年3月11日 命じる 裁判所(1)について棄却、(2)につき検察官に個人的メモの提示を 平成20年3月13日 検察官、証拠開示命令に異議を申し立て応じず。 平成20年3月21日 見書を提出 検察官、同日付の福岡県警本部刑事部刑事総務課長作成名義の県警意 A警察官しかメモが存在せず、A警察官が私費で購入した私物ノートに、任意採尿を実 施するに当たり、必要な書類等を他の捜査員に対して問い合わせた確認した結果等が、 雑記されているに過ぎないこと。同メモは他に見せたり、提出したりすることを全く想 定していない純然たる個人メモで、A警察官に対して提出を求めることができない。 平成20年3月25日 福岡地方裁判所決定 証拠開示命令 「本件保護状況ないし採尿状況に関する記載のある警察官A作成のメモ」 平成20年3月28日 検察官 即時抗告 警察官のメモの開示を求めることは最高裁平成19年12月25日決定に違反する。 警察官が職務の過程で作成するメモの中には犯罪捜査規範一三条に基づかないものがあ る。 平成20年4月18日 福岡高等裁判所決定 抗告棄却 (1)証拠開示命令の対象となる証拠は、必ずしも検察官が現に保管している証拠に限ら ず、当該事件の捜査の過程で作成され、又は入手した書面であって、公務員が職務上現 に保管し、かつ、検察官において入手が容易なものを含むと解する (2)犯罪捜査に当たった警察官が、犯罪捜査規範一三条に基づき作成したメモ(備忘録) -2- であって、捜査の経過その他参考になるべき事項が記録され、捜査機関において保管さ れている書面は個人的メモの域を超え、捜査機関の公文書ということができるから、こ れに該当するメモ(備忘録)については、当該事件の公判審理において、当該捜査状況 に関する証拠調べが行われる場合には、証拠開示の対象となり得る。 (3)犯罪捜査規範一三条はその体裁や形式について何ら触れていないことからすれば、 捜査に当たった警察官が、私物のノートを利用するにせよ何らかの官物を利用するにせ よ、捜査の経過その他の参考となるべき事項を記録したものは、同条に基づき作成され たものと解するのが相当である。 検察官 特別抗告 本件メモは個人的メモであり、しかも被告人取り調べ以外の捜査状況に関するメモであ って、平成19年決定にいう証拠開示の対象となる備忘録に当たらない。 平成20年6月25日 最高裁第三小法廷決定 抗告棄却 (1) 犯罪捜査に当たった警察官が犯罪捜査規範一三条に基づき作成した備忘録であ って、捜査の経過その他参考となるべき事項が記録され、捜査機関において保管されて いる書面は、当該事件の公判審理において、当該捜査状況に関する証拠調べが行われる 場合、刑訴法三一六条の二六第一項の証拠開示命令の対象となり得る。 (2) 警察官が捜査の過程で作成し保管するメモが証拠開示命令の対象となるものか 否かの判断は、裁判所が行うべきものであり、裁判所は、その判断のために必要がある ときは、検察官に対し、同メモの提示を命ずることができる。 Ⅱ 参照条文 刑事訴訟法 第三百十六条の二十第一項 検察官は、第三百十六条の十四及び第三百十六条の十五第一項の規定による開示をし た証拠以外の証拠であつて、第三百十六条の十七第一項の主張に関連すると認められる ものについて、被告人又は弁護人から開示の請求があつた場合において、その関連性の 程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当 該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるときは、 速やかに、第三百十六条の十四第一号に定める方法による開示をしなければならない。 この場合において、検察官は、必要と認めるときは、開示の時期若しくは方法を指定し、 又は条件を付することができる。 第三百十六条の二十六第一項 裁判所は、検察官が第三百十六条の十四若しくは第三百十六条の十五第一項(第三百 十六条の二十一第四項においてこれらの規定を準用する場合を含む。)若しくは第三百 十六条の二十第一項(第三百十六条の二十二第五項において準用する場合を含む。)の -3- 規定による開示をすべき証拠を開示していないと認めるとき、又は被告人若しくは弁護 人が第三百十六条の十八(第三百十六条の二十二第四項において準用する場合を含む。) の規定による開示をすべき証拠を開示していないと認めるときは、相手方の請求により、 決定で、当該証拠の開示を命じなければならない。この場合において、裁判所は、開示 の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。 第三百十六条の二十七第一項 裁判所は、第三百十六条の二十五第一項又は前条第一項の請求について決定をするに 当たり、必要があると認めるときは、検察官、被告人又は弁護人に対し、当該請求に係 る証拠の提示を命ずることができる。この場合においては、裁判所は、何人にも、当該 証拠の閲覧又は謄写をさせることができない。 犯罪捜査規範 (備忘録) 第十三条 警察官は、捜査を行うに当り、当該事件の公判の審理に証人として出頭する 場合を考慮し、および将来の捜査に資するため、その経過その他参考となるべき事項を 明細に記録しておかなければならない。 (送致書及び送付書) 第百九十五条 事件を送致又は送付するに当たつては、犯罪の事実及び情状等に関する 意見を付した送致書又は送付書を作成し、関係書類及び証拠物を添付するものとする。 Ⅲ 判例 昭和34年12月26日 最高裁判所第三小法廷 刑集第13巻13号3372頁 現行刑事訴訟法規のもとで、裁判所が検察官に対し、その所持する証拠書類または証拠 物を、検察官において公判で取調べを請求すると否とにかかわりなく、予め、被告人ま たは弁護人に閲覧させるように命令することはできない。 昭和44年04月25日 最高裁判所第二小法廷決定 刑集第23巻4号248頁 裁判所は、証拠調の段階に入つた後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠 を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、 審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その 他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれによ り罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴 訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させることを命ず ることができる。 -4- 平成18年8月25日 広島高裁決定 (田野尻論文で紹介※1) 備忘録は検察官に事件を送致又は送付する際に送致書又は送付書に添付すべき関係書類 及び証拠物(犯罪捜査規範一九五条)であると認められない、証拠開示を請求する証拠 は検察官保管の証拠に限られる。 平成19年12月25日 最高裁判所第三小法廷決定 刑集第61巻9号895頁 1 刑訴法三一六条の二六第一項の証拠開示命令の対象となる証拠は、必ずしも検察官 が現に保管している証拠に限られず、当該事件の捜査の過程で作成され、又は入手した 書面等であって、公務員が職務上現に保管し、かつ、検察官において入手が容易なもの を含む。 2 取調警察官が、犯罪捜査規範一三条に基づき作成した備忘録であって、取調べの経過 その他参考となるべき事項が記録され、捜査機関において保管されている書面は、当該 事件の公判審理において、当該取調べ状況に関する証拠調べが行われる場合には、刑訴 法三一六条の二六第一項の証拠開示命令の対象となり得る。 平成20年09月30日 最高裁判所第一小法廷決定 警察官が私費で購入したノートに記載し、一時期自宅に持ち帰っていた本件取調べメモ について、同メモは、捜査の過程で作成され、公務員が職務上現に保管し、かつ、検察 官において入手が容易な証拠であり、弁護人の主張と同メモの記載の間には一定の関連 性が認められ、開示の必要性も肯認できないではなく、開示により特段の弊害が生じる おそれも認められず、その証拠開示を命じた判断は結論において是認できる。 裁判官甲斐中辰夫の反対意見 本件メモの開示請求の前提となる事実上の主張を具体的にしておらず、少なくとも本件 メモとの関連性を明らかにしていないものといわざるを得ない。 原決定は、本件メモを検討の上、自ら「本件メモ自体は、その内容からして証拠価 値に乏しいものともいえる」としているのであるから、「新たな角度から意味をも ってくる可能性」はおよそ考え難いところである 。 B警察官の証人申請がなされておらず、警察官調書作成の際の取調べメモのみが開示請 求されているのであり、その請求の方法からしても必要性は乏しいものといわざるを得 ない。 Ⅳ 検討 (a)公判前整理手続及び期日間整理手続 平成16年の裁判員制度新設に伴う刑事訴訟法の改正で、公判前整理手続及び期日間整 -5- 理手続が新設され、証拠開示に関する規定が創設された。 公判前整理手続及び期日間整理手続の流れ α 検察側の争点・証拠の整理および検察官請求証拠の開示 刑訴法 第三百十六条の十三および十四 β 検察官請求証拠の証明力を判断するための一定類型証拠の開示 刑訴法 第三百十六条の十五 γ 被告人側の主張・請求証拠の明示 刑訴法 第三百十六条の十七および十八 δ 被告側主張に関連する検察側証拠の開示 刑訴法 第三百十六条の二十 (b)証拠開示 α 平成 16 年刑訴法改正前の状況 糾問主義・職権主義の戦前の旧刑事訴訟法においては、捜査で集められた一件記録が 起訴と同時に予審裁判官から公判審理を行う裁判長に手渡されたので、弁護人は公判開 始前に書類を閲覧及び謄写することができた(旧刑事訴訟法四四条一項)。(※2) 戦後の起訴状一本主義の採用で弁護側は検察側にとどまった証拠を閲覧することがで きなくなった。現刑訴法制定時は検察側は弁護側に事前閲覧に応じていたようだが、そ の後検察側は断るようになってきた。検察側が断るのは証拠隠滅や証人威迫の弊害が生 じるという理由もあった(※3)。 昭和34年最高裁は証拠開示命令はできないとしたが、昭和44年最高裁は一定の条件での 証拠開示命令を認めた。しかし具体的なルールを法定すべき、という議論があった。 一方、イギリスでは 1996 年刑事手続および捜査法の証拠開示手続で、「証拠開示と争 点明示が連動して段階的に組み合わさっている」制度ができた。その事を平成 12 年 8 月 4 日の第 27 回改革審議会で井上正仁委員が言及したことが、平成 16 年の公判前手続きの 規定につながったとされる。(※4) β 平成 16 年刑訴法改正後の状況 検察官手持ち証拠 証拠開示の規定ができたあとの実務は、平成18年8月25日広島高裁や平成19年5月25日 名古屋高裁など検察官が保管する証拠に限り証拠開示ができるとした。しかし平成19年 最高裁はこれら高裁判例を変更し、検察官が容易に入手可能なものにも証拠開示ができ るとした。 平成19年決定の検察官特別抗告申立書によると、平成16年の刑訴法改正の国会審議で 証拠開示の枠の外延として、「検察官手持ち証拠」という共通の認識があったとされる (刑集61巻9号908頁)。ただ明確に警察官所有の証拠を排除した議論はなかったと思え る。 -6- 一方、「警察の収集した証拠は『公共財』であり、被告人も検察官と同様のアクセス権 が保障されなければならない」という議論もある。(※5) カナダ最高裁では、1991.11.7のスティンチコム判決で供述のない場合はノートのよう なものでも提供されなければ、ならないとした。(※6) γ 平成19年決定 平成19年決定は「捜査の過程で作成され、又は入手した書面等であって、公務員が職 務上現に保管し、かつ、検察官において入手が容易なもの」を証拠開示の範囲だと判示 し、従来の考え方より広げた。 平成19年決定は非限定説ではあるが無限定説をとっていないとされる(※7)。本決定 も地裁は検察官に弊害のおそれについて釈明を求めており、その釈明に検察官が応じて いないという経緯がある。 δ 本決定の意義 検察官は、警察官のメモの中には犯罪捜査規範一三条に当たらないものも含むと主張 した。しかし当たらないメモが含むにせよ、メモが証拠開示命令の対象になるか判断す るのは裁判所だとし検察官の裁量を否定した。警察官が作成したメモを開示すればには、 関係者の名誉やプライバシーに関する事や国民一般の捜査協力を困難にするおそれ(※8) もあるが、その危険性を判断するのは裁判所であると判断した。 証拠開示に最高裁が積極的になり、裁判所が積極的に事実を解明すれば、被告人にと ってはかえって有罪となりやすい危険もありうる(後藤昭発言※9)。また今決定は検察 官がメモの存在を明らかにした事案であるが、検察官がメモの存在が全くないと回答し たらという問題も残る(※10)。 ただその点は、警察官の備忘録作成義務に反し、証言の信用性評価に影響を与えると いう議論がある(※11)。平成20年3月26日、大阪地裁決定判例タイムズ1264号343頁は 傍論として 、「犯罪捜査規範 13 条はそのような個人メモではなく、公的記録として取調 べ経過等の明確に義務付けているのであって、そのような公的記録を何ら残さないまま、 いくら個人的メモがのこっていると述べても、そのようなメモの真性や信用性に疑いを 持たれることは避け難いように思われる」と示唆した。 -7- 参考文献 山田直子 法と政治 59 巻 1 号 434 頁(2008 年 4 月)※ 4 ※5 検察官手持ち証拠の開示手続に関する提言−実効性ある公判前整理手続きのために 指宿信 鹿児島大学法学論集 33 巻 2 号 1 頁(1998.1.30) http://hdl.handle.net/10232/746 カナダにおける証拠開示 -検察側証拠開示義務と、その範囲ならびに手続 ※6 多田辰也 証拠開示 刑事訴訟法の争点 第三版138頁(2002.4)※3 田野尻猛 判例タイムズ 1254号5頁 証拠開示に関する裁判例等について 後藤昭・後藤貞人・岡慎一・宮村啓太 証拠開示の最前線 椎橋隆幸編宮島里史執筆 証拠開示 ※1 自由と正義 プライマリー刑事訴訟法 2008年8月号87頁※9 165 頁 (2008.2.15)※2 本件評釈 豊崎七絵 法学セミナー646号126頁(2008.10)※10 捜査メモと証拠開示命令 増田啓祐 ジュリスト1364号146頁(2008.10.1)※8 1犯罪捜査に当たった警察官が犯罪捜査規範13条に基づき当該捜査状況等を記録した備 忘録は、刑訴法316条の26第1項の証拠開示命令の対象となり得るか 2警察官が捜査の過程で作成し保管するメモが証拠開示命令の対象となるものか否かの判 断を行うために、裁判所が検察官に対し同メモの提示を命ずることの可否 平成19年決定評釈 安井哲章 刑事法ジャーナル12号95頁(2008年)※7 刑訴法316条の26第1項の証拠開示命令の対象となる証拠の範囲 齋藤司 法律時報80巻9号114頁(2008年)※11 警察官保管証拠と証拠開示命令の対象 -8-
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