シベリア・ネネツのトナカイ飼育の現在

シベリア・ネネツのトナカイ飼育の現在
−個人経営の現状とその特徴−
吉田睦
1.西シベリア・ツンドラにおけるトナカイ飼育と個人経営
ネネツはいわゆるシベリア・北方先住民ないし北方少数民族の一つに数えられるロシア北方地
域の先住民であるが、その中では最大の人数(最近の国勢調査である 1989 年時の人口は 34,190
人、村落人口では 1994 年初頭現在 31,760 人 1 )である。現在西シベリア地域のネネツの多くは
村落部に居住して(1994 年初頭現在、チュメニ州全体のネネツの村落人口は約2万2千人 2 )、
伝統的生業であるトナカイ飼育、漁撈、狩猟等に従事している者が多い。その中でもトナカイ
飼育は、トナカイ飼育従事者がその生産物に生活物資の大部分を依存する生業として重要性を
有しており、彼らの「主たる生業」ということができよう。村落部に居住するネネツの多くは、
移動式円錐型テントを住居として遊牧生活を送っている 3 。このような人々は、交易時等に集落
を訪問して、定住している親族の許に一定期間を過ごすことはあるが、一般に集落に住居を有
しておらず、周年遊牧生活をしている。遊牧による移動生活は、言うまでもなくトナカイが餌
を捜して移動する習性によるものであり、トナカイ飼育は現在でも遊牧ネネツの生活様式・形
態を依然として規定し続けているといえる。
ヤマル・ネネツ自治管区は日本の約2倍の領域(75 万㎞ 2 )を有する連邦構成主体の地方行
政単位で、極めて高緯度に位置している。その北部の北極圏以北の地域、特に北極海に延びる
二つの半島であるヤマル半島とギダン半島はツンドラの卓越する地域であり、典型的なツンド
ラ型のトナカイ飼育地とされている。1998 年の年頭現在で同自治管区内には 53 万頭の家畜ト
ナカイがおり 4 、その多くはツンドラ地域で放牧されている。因みにこの頭数は 1930 年代以降
で一番多い数値となっている(表1参照)。
ヤマル・ネネツ自治管区の家畜トナカイ頭数
は、ロシア連邦全体のそれの約3分の一を占め、
同管区は頭数からいってもロシアにおける主
表1 . ヤマ ル ・ネ ネ ツ自 治 管区 に おけ る 経営 形 態別
家畜 ト ナカ イ 頭数 の 推移(1930-1998)*
年
総数
内訳
集団 経 営部 門
要なトナカイ飼育地域の一つである。このヤマ
頭数
1930
346.3
1940
1945
飼育の経営形態は、集団的企業経営と個人経営
%
個人( 副 業 )経 営
頭数
%
44.1
12.7%
302.2
87.3%
362.2
99.5
27.5%
262.7
72.5%
241.9
136.8
56.6%
105.1
43.4%
1950
287
182.4
63.6%
104.6
36.4%
の二つに大別できるが、近年後者として登録さ
1955
359.4
243.2
67.7%
116.2
32.3%
れている家畜トナカイ頭数の比率が急激に高
1960
335.9
231.7
69.0%
104.2
31.0%
1965
361.3
253.8
70.2%
107.6
29.8%
1970
414.2
266.9
64.4%
147.3
35.6%
1975
384.6
245.6
63.9%
139
36.1%
1980
363.2
231.9
63.8%
131.3
36.2%
1985
418.6
252.8
60.4%
165.8
39.6%
1990
490.5
245.5
50.1%
245.1
50.0%
1993
481.6
218.1
45.3%
263.5
54.7%
1998
530.3
189.6
35.8%
340.7
64.2%
ル・ネネツ自治管区、つまり西シベリアのツン
ドラ地域において現在行われているトナカイ
まっている(表1参照)。当該管区内に登録さ
れている家畜トナカイ総数のうち、1998 年年
頭現在で 34 万頭余 5(64%)は個人経営下にあ
るトナカイである。そこで、ここでは現在同自
治管区のツンドラ地域において卓越している
個人経営によるトナカイ飼育に焦点を当てて、
その特徴につき概観してみたい。この地域で現
67
* 1930-1993: F.M. Podkorytov, Olenevodstvo Yamala,
Sosnovyi Bor, 1995, str. 6, tabl. 1.
1998:ヤマル ・ ネネ ツ 自治 管 区行 政 府農 業 局資 料
在行われている個人経営のトナカイ飼育の特徴点を整理すると以下の5点である。以下この順
に検討してみたい。
1) 個人経営形態の継続性
2) 周年遊牧型の生活様式
3) 家畜トナカイ頭数の増加傾向と過放牧傾向
4) 個人経営トナカイ飼育の相対的な小規模経営と輸送志向性
5) トナカイ飼育と他の生業との複合性
2.個人経営形態の継続性
この地域のトナカイ飼育部門の個人経営化は、表面的には 1990 年前後のソ連時代のペレストロ
イカ期末期に、当時のソ連農業部門における、集団経営体の再組織化と個人経営の黙認から容
認という趨勢の中で、急速に進行し現在に至っているといえる。しかし、今世紀の歴史を振り
返ると、ヤマル・ネネツ自治管区においては、ソ連期においてソ連全体での最も農業集団化の
進んだ時期といわれる 1960 年代においても、家畜トナカイ総数の約 30%は個人所有下(個人
副業経営下)にあったことに留意したい(表1参照)。もっとも、ソ連全体として、農畜産業
部門における個人副業経営の占める割合は、特に生産シェアにおいて高率であったことが知ら
れている。例えば、1980 年代後半において、農牧業部門全体に占める個人副業経営の生産シェ
アは、農業部門は 25%(作付け面積は3%)、畜産は3割の比重を持っていた 6 。このような
状況であるから、ソ連期でもトナカイ飼育部門において個人副業経営が存在したこと、そして
その下での家畜トナカイ頭数の比率が一定の数値を示すことは、特段驚くに値することではな
いといえよう。
..
しかしながら、この地域の更なる特徴は、実質的には個人副業 経営というよりまさに「個人
経営」としてのトナカイ飼育が継続されてきたことではないかと考える 7 。例えば筆者がフィー
ルド調査を行った、ヤマル・ネネツ自治管区ターゾフスキー地区北方の北極海沿岸の地域を含
むギダ集落行政府管轄下には、現在6千余頭の地区公営企業(ギダ水産加工場)所属のトナカ
イと、4万頭余(一説には約6万頭 8 )と言われる個人経営下の家畜トナカイがいる。これらの
個人経営者の多くが、かつて当該地区公営企業(当企業は 1996 年までは国営組織の水産加工工
場であった)の元職員であった。ソ連期を通じてのこれらの個人経営トナカイ飼育者とその家
族の正式なステータスと実態についての総合的かつ正確な情報は持ち合わせていないが、現地
での聞き取り等によれば、上記の国営企業の職員の場合、一定頭数の許容上限(この地域では
70頭)はあったが、自己の個人所有としての家畜トナカイを有することができた。国営企業
所有のトナカイ群を放牧する当番の際には、通常近親者(両親、子供、兄弟等)の牧夫に自己
の群の放牧を委託し、非番の際は自己のトナカイ群の放牧に従事していたのが実態であると考
えられる。現状から溯って考えると、当該国営企業の職員として登録されながら、実際は、実
質的に個人経営部門の専業者であった者が多く存在したことが推測される。従って、個人副業
経営の下でも、集団化措置のとられる以前の段階の個人経営によるトナカイ飼育の方法やそれ
に係わる生活様式、形態、そして更には文化的諸要素が継承される条件は失われなかったと考
えられる。ヤマル・ネネツ自治管区は、他地域と比しても、1990 年前後以降のソ連集団化政策
の破綻の後、個人経営化が公認されて進展し、全体の生産規模を維持しつつトナカイ飼育の再
編が行われた地域であるといえる。上記の個人経営下の家畜トナカイ頭数の比率は、トナカイ
飼育部門としてはかなり高いものである。
68
但し、再度ソ連農業全体の問題に立ち返ると、形式的には国営ないし協同組合組織の職員と
しての個人副業経営であっても、実質的には個人経営の農地での耕作活動に専念する者の存在
が公然の事実であったことを考えると 9 、上記のような状況が極北地域のトナカイ飼育部門特有
の現象、とすることは誤りであることには留意しておかなければならない。
3.周年遊牧型の生活様式
この地域の個人経営によるトナカイ飼育者の多くは、周年遊牧型の生活様式をとっている。こ
れは、筆者の管見によれば、現在、おそらくロシア北方の他の地域のトナカイ飼育地域でもあ
まり見られなくなっている現象ではないかと思われる。他の地域では、集団経営下のトナカイ
飼育は、集落に家族をおいて牧夫が放牧に従事する形態が卓越している。そして何より、個人
経営によるトナカイ飼育という経営形態自体が稀であろう。
周年遊牧は、個人経営によるトナカイ飼育の基本的な生活様式であるといえる。西シベリア
のこの地域に関していえば、周年遊牧という生活・居住様式の継続が不可能になるとき、個人
経営は存続できなくなるであろう。もちろん、個人経営によるトナカイ飼育が何らかの理由で
終息すれば、周年遊牧型の生活をする意味もなくなることは言うまでもない。現在の状況を可
能としている要因として、次の3点を挙げることができる。
①
個人経営形態の存続、
②
遊牧対象地の遠隔性とそこが資源開発活動を免れてきたこと、
③
集落やファクトーリヤ(物品交易所)における生活必需品の安定的供給、
① については、個人経営によるトナカイ飼育は、放牧地を自発的に選択する必要性がある
ことがまず挙げられる。また以下に述べるように、個人経営の場合、交易品としての屠殺トナ
カイの売却数量が限定されているため、秋∼冬季に屠殺や屠殺体の売却のために集落内にトナ
カイ群を引き連れたり、群ごと集落に接近する必要性がないことがある。トナカイの屠殺体は、
多くの経営体にとって貴重な換金用の交易物資であり、年に数回、集落やファクトーリヤにお
いて売却するのが一般的である。しかし、一つの経営体が年間を通じて売却するトナカイの頭
数は数頭∼十数頭程度であり、一度に売却するのは1∼3頭程度である。そのため、宿営地か
らトナカイ橇を輸送手段として集落ないしファクトーリヤに往復することで用が足りる。トナ
カイ群を引き連れて行く必要は無いのである。しかも、現在集落やファクトーリヤ周辺は、過
放牧により、放牧地としては不適な場所となっているので、個人経営者はトナカイ群を連れて
この地域には極力近づかないことになっている。
② はこの地域が地下資源に乏しいということを意味するのではない。地理的隔絶性故に未
だ開発の手が大規模に及ばない地域が多かった、というのが実状である。事実、西方のヤマル
半島では既に天然ガス開発により南部の遊牧地の荒廃が進んでいる。西シベリアは石油や天然
ガスの産出地として既に世界的に著名となっている。筆者の手元にあるCISエネルギー地図 10
によれば、現在採掘活動の及んでいない西シベリア北部北極海沿岸地域も、天然ガスとガス・
コンデンセートの多数の埋蔵地が記載されている。既に試掘用のボーリングは現在のトナカイ
放牧地域でも行われてきており、試掘作業後に置き去りにされた櫓の類がツンドラにおいて散
見される。現在ヤマル・ネネツ自治管区内には、南部地域を中心にウレンゴイ(石油・天然ガス)、
ヤンブルグ、メドヴェージエ(いずれも天然ガス)、ザポリャールノエ(石油・天然ガス)といっ
た著名ないし有望な産出地が集結している。概してこれらの地下資源開発地域は徐々に北方に
拡大・移動しつつあり、北部に残された、これらの開発行為の手の及んでいない地域の状況は、
69
この地域の先住民の居住環境に影響を与える形で変化することが懸念される。開発行為と先住
民の生活の維持との関係といった問題については、1999 年4月に採択された「ロシア連邦先住
少数民族の諸権利の保障に関するロシア連邦法」等が効果的に機能して、先住少数民族の社会・
文化的環境が保障されるような法体系の整備が待たれるところである。 11
③ については、遊牧形態の継続を可能にするような安定的な交易が保障される状況が存続
してきたものと考えられる。この地域では、帝政ロシア時代の今世紀初めまでに、現物貢租(ヤ
サーク)賦課のため、現在の管区内に諸集落やファクトーリヤが設置されていた。そしてソ連
期の 1930 年代以降、更に遠隔地までファクトーリヤ網が拡充されていった。これらの中にはそ
の後廃れて廃棄されるものも出てくるが、基本的にはソ連期にはこれらの施設を通じ、交易機
能(先住民の伝統的生業による生産物の調達と基本的食料品・日用品の先住民への売却)が果
たされてきたといえる。
この地域は、15 世紀末から 16 世紀はじめにかけてロシア人により進出・開発がなされた地
域である(1595 年にオブドールスクとして開基された現自治管区中心都市のサレハルド、タズ
川中流に 1601 年に設けられたマンガゼヤ〈後に度重なる火災等で維持不可能となり、1672 年
に放棄された〉は、この地方の交易の中心地として栄えたことで知られている)。しかし、最
近までシベリア開発が南部のシベリア鉄道沿線部の農耕可能地帯を中心に進められてきたため、
この地域は開発行為から見放された状況にあり、僅かな都市と集落が地域経済・流通を維持し
ている状況にあった。このような地域に大規模な資本投下とインフラの整備がなされるように
なったのは、1970 年代以降、化石燃料の開発地として有望視されてからのことである。現在で
は、ヤマル・ネネツ自治管区は、南隣のハンティ・マンシ自治管区とともに、国家経済に不可
欠の重要な自治体となっている。両自治管区は、連邦構成主体別の所得水準では、特別自治体
であるモスクワ市やサンクト・ペテルブルグ市と並んで、近年常に上位に位置しているほどで
ある。このような状態は、伝統的生業に従事する先住民の生活には直ちには反映されてこなか
ったが、近年地方予算の増加と少数民族対策補助金への予算の割り当て等の形で、肯定的な変
化も出始めていることを指摘しておきたい。
元来、西シベリアはロシア中央部から相対的に近距離にあり、帝政時代から近年に至るまで、
上述のような地方経済の状況にありながら、物資の供給は恒常的に行われてきたことが推測さ
れる。但し、上述のように西シベリア北部地域に現在のような集落、ファクトーリヤ網が整備
されたのは 1930 年代以降であるから、それ以前は遊牧生活者の多くは、交易のために現在に比
して相当な長距離をトナカイ橇で移動しなければならなかったであろう。もっとも、その時期
には現在資源開発で荒廃してしまっている南方の森林ツンドラ、タイガ地域をも冬季の遊牧範
囲としているグループが多く存在していたことが史料により窺われる。つまり、遊牧範囲その
ものが現在より南北方向に広範にわたっていた訳であり、南部地域にしか集落の存在していな
かった時期には、それらの集落の近傍までトナカイ群を引き連れて遊牧するグループが多く存
在したのである。遊牧範囲の北方への縮小が、いかなる要因で行われたのかについては、別途
考察の必要がある。遊牧地の人為的荒廃や他地域からの人口流入による社会変化が、主要な原
因であることには疑いの余地は無い。しかし、仮に集落やファクトーリヤ網の整備により、必
要とする移動の範囲が縮小した結果、遊牧範囲そのものも縮小したことも要因の一つとして考
えられるならば、トナカイ飼育民は、周辺の大規模社会の変化に対して巧みに適応してきたと
いう側面も否定できないと思われる。
端的に言えば、西シベリア地域は、地域的隔絶性と、それとは対照的に交易活動の保障とい
70
う双方のバランスがとれてきたことにより、トナカイ遊牧民が都市や集落、即ち周辺社会から
一定の距離をおいて周年遊牧型のトナカイ飼育と生活様式を存続させ得た、ということもでき
る。
北方ユーラシアのツンドラ地域のトナカイ飼育の社会、経済、政治的側面からの比較的考察
を行った研究として、佐々木史郎氏の論文がある 12 。そこでは、主として 1920 年代以前のトナ
カイの多頭飼育という、経済類型的には同じ形態の生業に従事する西方のネネツと東方のチュ
クチのそれぞれのトナカイ飼育の状況を比較して、前者を商業主義的、後者を自己充足的であ
ったとしている。
西シベリアのトナカイ飼育に従事する個人経営者は、遊牧という生活様式を維持することで、
周辺社会からの種々の要素の直接的影響を排することができたが、他方で中央からの相対的近
接性故に確保され続けた物品流通には依存してきた、という図式が考えられる。その意味では
上記の商業主義的性格と自己充足的な側面を併せ持っていたと考えることも出来る。西シベリ
ア・ツンドラのこのような経済・社会状況は、帝政時代からソ連時代に変わっても、基本的には
変化がなかったと考えられる。即ち、既に帝制時代に地域経済全体として、都市と集落部に限
定はされていたが商業経済網が敷かれており、ヤサーク(現物貢租)の賦課された先住民は、
その支払いとともに余剰産品の販売(実質的に他の物品との交換)による交易が可能であった。
社会主義経済下においても、一部の先住民は現金収入の可能性を獲得したが、実質的にはバー
ター取引形態での物資の交換が継続されたといえる。
ソ連崩壊後の現在、個人経営者の多くは、ペレストロイカ期以前の方が、供給物資が安定的
かつ安価であったとして、過去の状況を憧憬する者が多く見受けられる。現在の物資の供給は、
実質的に私的利潤の追求を優先する私企業組織や、経営実態面でそれらとあまり相違のみられ
ない地域公共商業組織により行われているため、特に価格の面で地域住民のニーズを必ずしも
反映していない状況が続いているからである。そしてこのことにより、現在、ソ連時代に比し
て自給経済への更なる依存という傾向が強まっている。これは、トナカイ遊牧民の社会変化へ
の適応戦術の一環ということもできるが、現地では現金収入の機会が減少したことに対する不
満、それによる困窮が現実問題として上がっていることも事実である。経済的状態の解決は、
当該地域の過放牧の問題もあり、生存の問題として真剣に検討が待たれる点である。
4.家畜トナカイ頭数の増加傾向と過放牧傾向
近年、トナカイ飼育地域の多くで、家畜トナカイ頭数が減少ないし急減傾向にあるのに対し、
ヤマル・ネネツ自治管区内では増加している点が指摘できる。即ち、当該管区内の全ての経営
形態の家畜トナカイ頭数は、1990 年には 49 万頭であったのが、1998 年には 53 万頭となってい
る。これに対して東方のトナカイ飼育地域の状況を比較してみよう。比較する年次は異なるが、
マガダン州(チュコトカ自治管区を含む)では 49 万頭(1990 年)から 28 万頭(1994 年)、カ
ムチャッカ州(コリャーク自治管区を含む)が 19 万頭(1990 年)から 12 万頭(1994 年)へと
急減させているのである。 13
上記の通り、1998 年初頭現在でヤマル・ネネツ自治管区内の家畜トナカイ総数は 53 万頭で
あり、そのうち個人経営下のトナカイは全体の 64%(34 万頭)を占める。さらに当自治管区内
では、個人経営体における家畜トナカイの頭数増加が著しい。管区全体の家畜トナカイ数の増
加は、実質的に個人経営下での増加分であるといえる。近年の頭数増加傾向は、明らかに個人
経営者の増加と関連している。個人経営者は自己のトナカイ群の極大化を目指すからである。
71
というのは、元来トナカイ飼育は気候変動や伝染性疾病の流行、オオカミ等による被害、野生
トナカイによる連れ去りといった不可抗力による頭数変動が大きいという性格を有するため、
個人経営者はこれらの事態に備えて、群の極大化に努める訳である。頭数の増加は経済的には
望ましく思われるが、現実には放牧地のトナカイ可養力とのバランスを考慮することが肝要で
あり、無制限の頭数増加は危険である。ヤマル・ネネツ自治管区の現有の家畜トナカイ頭数は
既に同管区内の推定可養力を相当上回っているとされ、管区行政府においても、現地において
も、過放牧がトナカイ飼育への更なる悪影響を危惧する意見が聞かれる 14 。個人経営の場合は、
集団経営の場合と異なり、官庁による頭数管理はより困難である。遊牧による個人経営者は社
会的に自立的、自律的であり、行政的な管理下に置かれることを極力排除してきたといえる。
個人経営が公認されて日の浅い現下の情勢では、行政当局の側からの頭数管理は一層困難とい
う現状は至極当然の状況であるともいえる。
5.個人経営トナカイ飼育の相対的な小規模経営と輸送志向性
この地域の個人経営トナカイ飼育にみられる特徴として、経営の相対的小規模性と家畜トナカ
イの輸送手段としての依存度の高さを挙げなければならない。18∼19 世紀以降の北方ユーラシ
アのツンドラ地域の一般的なトナカイ飼育を理解する上で、行政官も民族学者も、これを多頭
数による大規模飼育という類型を設定してきた。このような類型化は、20 世紀になって、ソ連
型経営の下で集団経営によるトナカイ飼育方法が徹底されたことにより、さらに完成されたと
いえよう。
このような集団経営下での経営目的は、生産物たる肉や毛皮を獲得することである。この地
域の集団経営組織も、同様の経営目的・志向を有した経営体として存続してきたといえよう。
これに対して、個人(副業)経営としてのトナカイ飼育においては、生存のために肉や毛皮の
獲得を必要とするのは当然のことであるが、それと同時にトナカイは移動・輸送目的に使用さ
れる。後者の場合、橇の牽引のためにトナカイが使われる。橇の使用は、トナカイ群の管理の
際の他、狩猟、漁撈、焚き木の採集、ファクトーリヤや集落への移動時に不可欠である。移動・
輸送手段を失うことは、ツンドラでの生存の可能性が奪われることを意味する。
経営形態に拘らず、家畜トナカイは一般に、種雄、雌、去勢トナカイ、仔トナカイ等の年齢
別と性別内訳、輸送トナカイ数が行政官庁において登録されてきた点に着目したい。このよう
な登録が行われてきたのは、これらの各種トナカイの多寡により経営状態や経営の方向性、志
向性が左右されるため、地方農業管理当局としては、その実体を把握することが重要であるこ
とが理由の一つであろう。表2は
1950 年代に示された、集団経営体の
経営志向別の家畜トナカイ類別構成
比の典型例である。この表で明らか
表2 . トナ カ イ飼 育 群の 構 成例 ( カテ ゴ リー 別 %)*
トナ カ イの
カテ ゴ リー
経営 体 の志 向 性
毛皮 ・ 肉
肉・ 毛 皮
輸送 ・ 狩猟
に示されているとおり、輸送志向経
雌
40-50
35-37
30-32
営体の場合、群に占める輸送雄の占
不妊 雌
10-14
10-12
8-10
15
種用 雄
3-4
2-3
2-3
輸送 雄
10-16
9-11
24-28
める割合が他より高い(24∼28%) 。
概して輸送トナカイの比重が高いの
3才 雄
5-6
12-13
8-10
は、タイガ型トナカイ飼育の特徴と
幼雄
7-8
14-15
10-14
言われる。タイガのトナカイ飼育は、
幼雌
12-16
13-14
10-14
まず少頭数による小規模飼育を特徴
* I.B. Druri, Olenevodstvo, Moskva-Leningrad. 1955, str. 204, tabl. 45
72
とし、他の生業である狩猟・漁撈時の橇の牽引や騎乗・荷駄運搬による移動・輸送手段として
のトナカイへの依存の程度が高いことで知られている。トナカイの肉や毛皮に対する依存度も、
ツンドラ型トナカイ飼育に比べれば、かなり低いと言われている。
この点に関して、西シベリアのツンドラ地域におけるトナカイ飼育の状況を再確認してみた
い。最近のヤマル・ネネツ自治管区内の個人経営トナカイ飼育者一経営体当たりの平均頭数は、
115 頭(1998 年年頭)である 16 。この頭数は、タイガ型と比較すれば「多頭」飼育といえよう
が、数百頭以上、時に千頭以上といわれる、ツンドラでの多頭飼育という経営形態から一般に
想起される群の規模と比べると、相当低いもののであるといえる。このうち、いわゆる輸送(具
体的にはこの地域ではほとんどの場合橇の牽引)に供されるトナカイの割合は 28%である。つ
まり、上掲の「輸送志向」型の経営体に相当する割合の輸送トナカイを擁しているといえる。
さらに具体的な状況をみてみたい。同管区内の東部の行政地区であるターゾフスキー地区の
個人経営体のカテゴリー別トナカイの比率の状況を示したのが表3である。これを見ると、地
区行政府に登録された当地区の個人経営体の総頭数は 10 万余頭で、一経営体当たりの平均頭数
は 132 頭である(1997 年年頭)。ターゾフスキー地区はその領域のほとんどがツンドラないし
森林ツンドラであり、管区平均より平均頭数が多いのは、やはりツンドラ型の規模の大きい経
営形態が卓越しているためであろう。さらにこの地区全体では、輸送トナカイが全体の頭数の
43%を占めていることが注目される。因みに同地区の集団経営組織の総家畜トナカイ頭数は、
3万2千余頭であるが、そのうち輸送トナカイは 12%に過ぎない 17 。ツンドラ型のトナカイ飼
育では、トナカイを利用した輸送ないし移動は、橇の牽引の形で行われる。また、西シベリア・
ツンドラのネネツは、年間を通じて群管理の際もトナカイ橇に乗って行う。一般に、集団経営
体においては、去勢雄をそのまま輸送トナカイに読み替えているようであるが(上記のターゾ
フスキー地区の集団経営組織の輸送トナカイ頭数は、2歳以上の去勢雄トナカイ頭数と同数と
している)、個人経営体では去勢雄以外に雌の成獣もトナカイ橇の牽引に使用されているのが
実状である。集落行政府に登録された個人経営体の輸送トナカイ頭数も、雌の成獣の一部を含
む数値となっている。これは表2に示した輸送・狩猟志向型の経営体の輸送トナカイの割合(24
∼28%)をかなり超える数値である。上記のことから、この地域の個人経営体は相対的に小規
模経営であり、しかも移動・輸送手段としての家畜トナカイへの依存度が非常に高いことが観
察されるのである。肉と毛皮の獲得と移動・輸送手段というトナカイ飼育の二つの利点は、家
畜トナカイを屠殺するか否か、即ち、家畜の「死」と「生」の二項対立的な功利性を前提とす
るものである。そしてこの地域の個人経営において後者の利用目的が相対的に強いということ
表3 . ター ゾ フス キ ー地 区 集落 別 個人 経 営体 の トナ カ イ頭 数*
(1997 年 1 月 1 日現 在)
経営 体 数
ター ゾ フス キ ー集 落
総トナカイ頭数
(a)
92
経営 体 当り
平均トナカイ頭数
8942
100%
97
輸送トナカイ
頭数
(b)
3314
b/a(%)
37%
ナホ ト カ集 落
112
15728
100%
140
6621
42%
アン チ パユ タ 集落
262
42123
100%
161
13510
32%
ギダ 集 落
357
41477
100%
116
22841
55%
823
108270
100%
132
46286
43%
合計
*ターゾ フス キ ー地 区 行政 府 資料 に よる
は、「生」の状態での家畜トナカイの利用に重点が置かれていることを意味しているといえる。
73
他方、上記の状況は、近年の集団化政策の破綻により新たに現れた現象ではないか、との疑
問も生ずる。現在の個人経営化は、上述の通り、ソ連期において公式には集団経営の個人副業
として、一定の頭数の上限を課されて経営が維持されてきたことの延長線上に行われているも
のである。個人経営の公認された 1990 年前後からわずかの年数しか経過していない現在の、家
畜トナカイ群の頭数は、例えば今世紀初めの集団化以前の状況に比して小規模ではないか、と
考えられるからである。他方で、公式な上限の設定に拘らず、実際の個人副業経営下のトナカ
イ頭数はそれを相当数超えるものであったことが伝えられており 18 、ソ連期の実態は、現在の
状況に極めて近いものであったという側面も認識しておかなければならない。
そこで集団化直前の 1920 年代の同様の数値を引用して、現状と比較してみたい。極北地域
の国勢調査の行われた 1926/27 年の統計資料によれば、ほぼ現在のヤマル・ネネツ自治管区に
相当する地域における状況は、一遊牧経営体当りの家畜トナカイの平均頭数は 165 頭、輸送ト
ナカイの比率は 32%となっている 19 。即ち、集団化直前のこの地域のトナカイ飼育の状況を平
均的に見た場合、現状より平均頭数は若干多いことは指摘できるが、比較的小規模の飼育形態
と家畜トナカイへの輸送手段としての依存の程度が高いことが窺われるのである。
もっとも上記に掲げた平均頭数は、あくまで平均としての数値であり、いくつかの史料を参
照すると、実際は千頭以上を擁する大規模経営体が散見される一方で、多数のより小規模な経
営体が存在していたことが窺われる 20 。つまり少数の大規模経営体と多数の小規模経営体の混
在(または共存)というのが、集団化直前の状況であるといえる。少なくとも、集団化以前の
時期のツンドラ地域のトナカイ飼育は、専ら肉や毛皮の売却を志向する多数頭飼育による経営
形態が卓越していたと断定できるような状況はみられず、むしろ自給経済状態を維持する現在
の個人経営形態に近い状況であったと推測される。
そこで再びターゾフスキー地区の状況を見てみたい。この地区を構成する上掲のギダ集落行
政府管轄下の家畜トナカイの頭数カテゴリー別の内訳は、表4の通りである。ここでも少数の
大規模経営者と多数の小規模経営者の分布を読み取ることが出来よう。つまり、少なくともこ
の地域のトナカイ飼育に関しては、個人経営という経営形態の内容を分析すると、群の規模や
その構成という点に関しては、今世紀初めの状況と共通の点が多いということがいえる。仮に
現在の状況が集団化以前の時期から継続されてきた形態、様式であるとすると、「肉と毛皮の
獲得を志向する大規模な多頭飼育」の卓越するツンドラにおけるトナカイ飼育、という一般的
認識を修正する必要も出てくるのではないかと考えられる。ソ連期における状況は、現在でも
種々の理由で把握しがたい点があるが、集団化以前と現在の個人経営形態と規模については連
続性が考えられる。このようなことからも、ソ連期のトナカイ飼育の性格について再考する必
要性が指摘でき、この点は今後の研究課題といえる。
表4. ギダ ン・ネネ ツ の家 畜 トナ カ イの 頭 数カ テ ゴリ ー 別経 営 体数 及 びト ナ カイ 頭 数 *
(1 9 97 年 1月 1 日現 在 )
トナカイの頭数 別カテゴリー
総数
0
1-10
11-25
26-50
51-100
100-250
251-500
経営 体 数
(実数・%)
357
100%
0
2
6
29
198
107
6
9
0%
1%
2%
8%
55%
30%
2%
3%
トナカイ頭 数
(実数・%)
41458
0
20
98
1296
15629
15470
2460
6485
100%
0%
0%
0%
3%
38%
37%
6%
16%
* ターゾフスキー地区 行 政府 資 料による。
74
501- 1000
6.トナカイ飼育の他の生業との複合性
他の生業との複合性については、周年遊牧型による個人経営、少頭数飼育と輸送依存性の高
さ等と相互に関係しているものである。この地域のほとんどの個人経営体はトナカイ飼育の生
産物に自給食料源の多くを依存できない状況にあり、自給食料源を他の生業によって獲得する
必要性があるということである(仮に計量的に自給に十分な頭数のトナカイを保有している場
合にも、他の食料に依存するか否か、他の生業に従事するか否かという問題は別問題である)。
上述のようにトナカイ飼育は病害、狼害、野生トナカイとの混交や連れ去りといった不安定性
を有するため、生業、農業部門としてのトナカイ飼育も不安定性を内在している(但し給餌す
ることなく群の管理だけを行えば良いトナカイ飼育は、収益性が高いことで知られており、そ
れが北方ユーラシアにおいて、ソ連期を経て現在にまでトナカイ飼育が存続してきた理由の一
つであろう)。従ってトナカイ飼育に従事する人々は、タイガやツンドラといった地域や経営
形態に拘らず、同時に他の生業にも複合的に従事することが不可欠であり、事実これがトナカ
イ飼育の普遍的特徴であるといえる。
既に筆者は、典型的ツンドラ型トナカイ飼育者としてのシベリア・ネネツの食文化に焦点を
当て、摂取食料中、漁撈活動で得られる魚肉が重要な地位を占めていることや、購入する食料
を含む各種食材を複合的に利用している点を、現地調査の成果の一側面として指摘してきた 21 。
この地域の住民は、その他にも季節と遊牧地に応じて換金商品となるホッキョクキツネの罠猟
による捕獲、野生トナカイや野禽類の狩猟による自家消費食料の補填といった形で、主たる生
業であるトナカイ飼育を中心とした複合的な生業形態をとっていることを指摘しておきたい。
7.結語
以上、現在西シベリアのツンドラ地域に卓越するネネツの個人経営によるトナカイ飼育の諸
特徴を概観し、大雑把ではあるが分析を試みた。この地の遊牧ネネツの生活様式と生活状況は、
フィールドに入る前の筆者の予想以上に、いわゆる伝統的な要素を保存してきているというの
が偽らざる印象である。家畜トナカイに限定して言えば、個人経営の各々の群には上記のよう
な経済的、機能的な構成要素の他にも、神聖トナカイや、ネネツ語で menarui, menurei と称す
る「調教され得ない、群のリーダー的存在の去勢トナカイ」等、特別のステータスないし役割
とそれに応じた固有の名称を有するトナカイが存在しているのが普通である。また、野生トナ
カイと家畜トナカイは、名称的にも、形態や習性上も峻別(差異化)されている。自家消費さ
れる家畜トナカイの屠殺行為は、しばしば供儀行為と重なっている場合が多いようである。さ
らに、ツンドラでは口承伝承が根強く伝承されているが、そこにおいてはトナカイやその守護
霊とされる Ilibembertya などが頻出し、トナカイは遊牧民の精神世界においても依然として重
要な地位を占めている。これらに加えて、シベリア地区の遊牧ネネツの間では、上記のトナカ
イに纏わることの他にも、外婚氏族組織の存在と外婚制の遵守、宗教的儀礼、タブー等の慣行
が、遊牧民はもとより集落に定住する住民の間でも相当程度残されていることを付言しておき
たい。
ロシアないし旧ソ連邦諸地域においては、社会主義政権樹立以前と以後、そしてソ連邦崩壊
以前と以後においては、社会制度の変転により、文化的・社会的要素も根本的な変化を蒙り、
その前後において文化・社会的現象の断絶が生じたとする捉え方が一般的であり、多くの点で
その見方は重要であろう。しかし、上記に概観したように、現在、西シベリアのツンドラ地域
において家畜トナカイ飼育の個人経営形態が卓越する状況は、今世紀における集団化措置をは
75
じめとする周辺社会の側からの諸変化に対応、適応しつつも、実質的に連綿として家族単位の
自給的生業活動が継続されてきたことを物語っている。そして、そのような自給的生業活動に
纏わる文化的・社会的諸要素の継承性という側面にも着目する必要があるように思われる。
注
1
1989 年の人口は、Natsional'nyi sostav naseleniya SSSR, 1991, str. 28. による。1994 年の村落人
口は、第1回ロシア・トナカイ飼育民大会(1995 年 11 月)資料による。
2
第1回ロシア・トナカイ飼育民大会(1995 年 11 月)資料による。
3
ヤマル・ネネツ自治管区内の遊牧者人口は、地方紙資料によれば 2,661 経営体(家族)、13,901
人(1996 年 12 月 26 日付ヤマル・ネネツ自治管区週刊紙 Krasnyi Sever, Salekhard 刊)。
4
ヤマル・ネネツ自治管区行政府農業局提供資料による。
5
同上。
6
金田辰男『農業ペレストロイカとソ連の行方』日本放送出版協会、1990, p. 77。
7
当地の個人経営者は、当時より現在に至るまで、公式・非公式に「個人(企業)経営者」を
意味する 'edinolichniki' と呼ばれてきた(この呼称は、ソ連期の個人副業経営者をも意味する
ものである)。また、現在では「私企業経営者」を意味する 'chastniki' とも呼ばれる。
8
ギダ水産加工場職員の推計。一般的に言って、個人経営下の家畜トナカイ頭数の正確な把握
は困難である。行政府における登録は、各経営者の自己申告に基づいているためである。従っ
て、ソ連期でも本文に下述する個人所有トナカイの頭数の上限(この地域で 70 頭)が厳守され
ていたということではない。
9
中山弘正『ソビエト農業事情』日本放送出版協会、1981, pp. 176-179。
10
Energy Map of the CIS, London:Petroleum Economist(刊行年不祥、但し 1989 年以降の刊行)
による。
11
当該法律の採択に関する経緯や内容については、次の拙稿を参照ありたい:吉田睦「ロシア
連邦先住少数民族基本法の採択と先住少数民族をめぐる法的状況」『シベリアへのまなざしⅡ
―シベリア狩猟・牧畜民の生き残り戦略の研究―』(平成9−11 年度学術振興会科学研究費補
助金・基盤研究成果報告書)名古屋市立大学人文社会学部、2000, pp. 28-44。
12
佐々木史郎「ツンドラのトナカイ多頭飼育の二つの様相―ネネツとチュクチの比較―」(英
文)『第9回北方民族文化シンポジウム報告
ツンドラ地域の人と文化』北方文化振興会、1995,
pp. 15-22。
13
ヤマル・ネネツ自治管区内の数値は、当該自治管区行政府農業局提供資料による。またその
他の地域の数値は、第1回ロシア・トナカイ飼育民大会(1995 年 11 月)資料による。
14
1993 年現在の家畜トナカイ頭数は 48 万頭であるが、可養力は 37 万頭分で、実頭数は可養力
を 11 万頭分(1993 年当時の総頭数の 23%)凌駕しているという指摘がある(F.M. Podkorytov,
Olenevodstvo Yamala, Sosnovyi Bor Leningradskoi obl., 1995, str. 9. tabl. 2)。また、より近年の状
況を反映する別の資料によれば、管区内の可養力は 36 万頭分であるのに対して、実頭数は上記
のとおり 53 万頭で、可養力を 17 万頭分凌駕している (1997 年3月世界トナカイ飼育者会議報
告資料による)。
15
表3の「毛皮・肉志向」と「肉・毛皮志向」の相違に関しては、良質の毛皮は幼獣(当歳仔
76
トナカイ)から取れるので、肉より毛皮をより志向する経営体には、屠殺により幼雄の占める
割合が低いことが特徴といえる。
16
なお、ここで示す1経営体当たりの平均頭数が、そのまま実際にツンドラで放牧されるトナ
カイの群の規模を意味する訳ではない。また、季節によりキャンプを構成する経営体(家族)
の数は異なり、一般に冬季に少なく夏季に多い。さらに、夏季に漁撈に専業する者が自己のト
ナカイを他の経営体に自己のトナカイの放牧を委託することもしばしば行われる。
17
ターゾフスキー地区行政府資料による。
18
このような行為は、現在も同様に見られる。上記の脚注8)とも関連するが、現地では、集
落行政府に自己申告して登録する家畜トナカイ頭数は、実数を相当低めに見積もったものであ
ることが公然の秘密となっている。行政府に登録された頭数は、50 頭、100 頭、250 頭等、丸
くした数字の羅列であることも、そのことを裏付けている。
19
Olenevodstvo Tobol'skogo severa v tsifrakh, Tobol'sk, 1930(?) による。なお、ここに引用した資
料では、雌トナカイは輸送トナカイとして計上されていない。
20
例えば、A. Kurilovich, “Gydanskii poluostrov i ego obitateli”, Sovetskii Sever, 1934, № 1, str.
129-140。
21
Atsushi Yoshida, Kul'tura pitaniya Gydanskikh nentsev, Moskva, 1997; 吉田睦「西シベリア・ギ
ダン・ネネツの食文化」『民族学研究』63 巻 1 号 (1998 年 6 月), pp. 44-66。
77