160605Sermon

2016. 6. 5
説教メモ
山口道征
創世記39章1~23節
「ヨセフとポティファルの妻」
●ヨセフ物語の再開です。ヨセフはエジプトに奴隷として売られ、1「彼を買い取ったのは、ファラオの宮
廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルで」した。ヨセフの兄弟たち、そして、野獣にかみ殺され
たと信じ込まされたヤコブはその様なことを知るよしもありません。しかしながら、2「主がヨセ
フと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。」と言うのです。ヨセフ物語の中で、この「主」と
いう語が出てくるのは、本39章だけで、八回記されております。原語ではヤハウェ、イスラエルの神様
の名で、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」(出エ3:6)なのです。出エジプトの折、「ファラオは、「主と
は一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならない
のか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」」(出エ5:2)と言っておりますが、
異邦人のポティファルが、ヨセフを見て、3,4「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計ら
われるのを見た主人(ポティファル)は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財
産をすべて彼の手に任せた」と言うのです。ヨセフはポティファルに自身の信ずる神について証しし
たでしょうし、ヨセフの生活態度が立派であるのを見るにつけ、ポティファルはヨセフの背後に働く主
なる神の存在を感じざるを得なかったのでしょう。ですから、5,6「主人が家の管理やすべて
の財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、
家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自
分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった」と言うのです。「食べるもの以外は全く気を
遣わなかった。」とありますのは、「当時、エジプト人は、ヘブライ人と共に食事をすることはでき
なかったからである。それはエジプト人のいとうことであった」(43:32b,c)からだと思われま
す。ヨセフは全幅の信頼を寄せられていたことが察せられます。
●さて、そのようにポティファルに信頼されていた 6「ヨセフは顔も美しく、体つきも優れて」おりま
した。このヨセフの容姿に対する表現は父ヤコブの妻ラケルの容姿に対する表現と同じだそうです。
「ラケルは顔も美しく容姿も優れていた。」(29:17)ヤコブはラケルに一目惚れしたために伯父のラバン
のもとで、ラバンの娘のラケルと結婚するために 14 年間の無報酬での働きをせざるを得ません
でした。一方、顔が美しく、体つきも優れていたヨセフはポティファルの妻とのトラブルに見舞われるの
です。7節を直訳すると、「彼(ヨセフ)の主人(ポティファル)の妻がその目を上げて、ヨセフに目を止め
た」だそうです。ポティファルの妻はヨセフに一目惚れしたのです。そして、7「わたしの床に入りなさ
い。」と性的関係を迫ったのです。ヨセフは彼女の誘いをきっぱりと断ります。8,9「しかし、ヨセフは
拒んで、主人の妻に言った。「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことに
は一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。 こ
の家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありま
せん。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように
大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」」彼女と関係することは、主人の信
頼を裏切る行為であり、神に対する罪であると言うのです。しかし、断っても、断っても、彼
女はヨセフに関係を迫ったのです。ヨセフは彼女と二人だけになることも、一切ありませんでし
た。
●ある日、家の者たちが一人もいない折、彼女はヨセフの着物をつかみ関係を迫りました。ヨセフ
は彼女の誘いを拒絶し、着物を彼女の手に残したまま、外に逃げ出しました。着物は彼女の
手に残されたままです。彼女は家の者たちを呼び寄せて大声で叫んだのです。14,15「見てごら
ん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼が
わたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。わたしが大声をあげて
叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」と嘘の証言
をしたのです。彼女は、ポティファルが家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いたまま、ポティフ
ァルにも、家の者たちに言ったのと同じ証言をしたのです。ポティファルは19「怒り」ました。直訳で
は、「怒りは燃え上がった」だそうです。ポティファルの怒りは、誰に対して、何に対して燃え上が
ったと言うのでしょうか。ヨセフは一般の監獄ではなく、20「王の囚人をつなぐ監獄に入れ」られ
たと言うのです。宮廷に仕える者が王の逆鱗に触れて入る監獄だと思われます。直訳では
「監獄に置いた」だそうで、必ずしも、入獄を意味してはいないとのことです。20「ヨセフはこうし
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て、監獄にいた。」との表現もそのことを証明していると言えましょうか。当然、ヨセフは死刑に
処せられてもいいはずで、それにしてはその刑が軽すぎると言うことで、ポティファルは妻こそ
がヨセフを誘惑していることをうすうす感ずいていたのかもしれませんね。
● 21~23 「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたの
で、監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取
りしきるようになった。監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよか
った。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたから」なのです。
●本日の箇所には最初と最後に、キーになる言葉があります。「主がヨセフと共におられたので、
彼はうまく事を運んだ。」(2節)、「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわ
れるのを------」(3節)、「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたから
である」(23節)です。2節の主語はヨセフで、「彼はうまく事を運んだ。」です。3,23節の主語は主
で、「主が彼のすることをすべてうまく計らわれる、主がうまく計らわれたからである。」と
あります。確かにヨセフには才覚が備わっていたことでしょう。しかし、そのヨセフには、主が共に
おられたのです。ヨセフの原点は主に対する信仰だったのです。
●お祈りいたします。
以上
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