(1月24日)「医療過誤事件(患者側代理人の立場から)」

2013年1月24日ロイヤリング講義
講師:弁護士 加藤昌利先生
医療過誤事件(患者側代理人の立場から)
今日は医療過誤事件について説明していきたいと思います。私は患者側の弁護士をやっ
ています。病院側の弁護はやったことがないので患者側代理人の立場から医療事件につい
てお話をさせていただきます。
私は平成 16 年 3 月に大阪大学を卒業し、司法修習を終えたあと弁護士登録し、弁護士事
務所に入りました。初めに入った事務所が医療事件を中心に扱っていましたので今もメイ
ンに担当しています。
1. 医療過誤事件の特殊性
医療過誤事件は他の事件に比べても難しい事件の類型です。3つの壁があるので医療事
件は難しいと言われています。その3つの壁とは専門性、封建制、密室性です。
(1)専門性:医療というのはとても専門的な知識を扱うものなので、法律以外の、医
学的な知識が必要になってきます。
(2)封建制:医者の世界の体質として封建制があります。医者というのはミスについ
てかばい合う傾向があり、ある医者の責任を追及しようとして他の医者に協力
を求めようとしても学会の関係で知り合いだから協力してくれないこともあり
ます。
(3)密室性:例えば手術なんかは密室で行われますので、実際に何があったかがわか
らないということです。
2.医療過誤被害者の願い
次に、医療過誤被害者の願いについてです。大きく5つ原状回復・真相究明・反省謝罪・
再発防止・損害賠償です。
(1)原状回復:元の健康な体に戻してくれという患者の一番の願い。
(2)真相の究明:いったい何が起こったのかということを明らかにしてほしいといっ
た願い。
(3)反省謝罪:真相究明の中で、ミスが発見されれば、ミスをしたんだからきちんと
それを認めて反省して謝ってもらいたいといった願い。
(4)再発防止:自分が被害にあったことはもう取り返しがつかないが、せめてこんな
ことは自分で最後にしてほしいといった願い。
(5)損害賠償:被害に遭ったわけですから、相応の償いをして欲しいといった願い。
亡くなってしまったり、後遺症で働けなくなってしまったりしたときはこれが必
要になってきます。金銭賠償の原則に則り、もちろんお金を請求するわけです。
ただ、お金ではなく謝罪が欲しいと考えてらっしゃる患者さんもいるので、そう
いう方には金銭賠償の原則をきっちり理解してもらって臨むことが大切です。弁
護士の仕事は損害賠償という形でしか解決できないといった限界はある。すべて
の被害者がお金が欲しくて弁護士に相談しているではないのだと理解する必要が
ある
3.医療過誤の事件
以下の事例は私が過去に扱っていた医療事件をやや抽象化したものです。抽象的な話を
してもおもしろくないので、具体的な話を通じて医療過誤の問題を理解して頂きたいと思
います。
(1)事実概要
Xは、糖尿病・アルコール性肝硬変等にて、A病院に通院していたところ、A病院が廃
院となったので、平成16年1月に、Y病院に転院することになった。その際、A病院か
らの紹介状には「アルコール性肝硬変寛解、主として糖尿病のフォロー実施」との記載が
あった。それを受けてY病院のカルテにも、アルコール性肝硬変、断酒にて寛解との記載
がある。ただしY病院では、寛解を判断するための検査などは実施していない。Y病院の
カルテ上の診断名には、糖尿病とともにアルコール性肝硬変の記載がある。その後、Xは、
Y病院に、月1~2回のペースで通院をしていた。この間は主として糖尿病の経過観察(血
圧や血糖値の測定等)に重点が置かれ、平成16年11月に腹部超音波検査(エコー)を
行った以外は、肝臓に対する画像検査は行われず、AFP あるいは PIVKAⅡなどの腫瘍マー
カー(注1)の測定に至っては、全く行われていない。平成20年4月になって、GOT・
GPT(注2)の値の異常に気づいた主治医が、画像検査を行い、その結果、肝右葉に1
5センチ大の巨大な肝臓癌が発見された。その後、入院となり、肝動脈塞栓術(注3)が
行われたが、すでに手遅れの状態であり、平成20年7月に突如心停止となり、死去した。
死因は肝臓がんだった。
※注1
悪性腫瘍から高い特異性をもって産生されるが、正常細胞や良質疾患ではほとん
どみられない物質。
※注 2 GOT及びGPTは、組織障害が生じた際に血液中に流出する逸脱酵素であり、数
値が高いほど、組織障害が示唆される。
※注 3 腫瘍をゼラチンスポンジ細片等を用いて阻血し、病巣を融解壊死させる治療法
上記の事件を受けて被害者からの訴えがあった。まず、依頼者の方が相談に来られる前
に相手の医療機関はどこか、診療科、診療経過、被害内容について聞いておきます。でき
るならば事実経過のメモも手に入れられればスムーズに相談に入ることができます。後は
ある程度の医学的知見について調査をしておいた方がいいです。今回だと肝硬変に対して
どのような経過観察をすればいいのかなどを調べます。手持ちの文献や、インターネット
を利用して知識を得ておくことが大切である。今は患者さんもインターネット等を用いて
調べることが出来ますので、弁護士がこのようなことを怠ると、患者さんの方がよっぽど
詳しい情報を持っているなど信頼関係が失われることもあるので、ある程度のことは事前
に勉強しておくべきです。相談当日についてですが、やはり医療事件は専門的であり、事
実経過が複雑であることが多いので相談には1時間以上はかかります。
(2)医療過誤事件の難しさ
あまり甘い見通しを話さないようにしています。専門的なことなので素人目に見て、こ
れはいかにも医療ミスじゃないかと思っても、実際に医学的な調査をしてみるとなかなか
難しかったりします。これは勝てますよ、などと甘いことを言ってしまうと「話が違うや
ないか」と自分の方へ跳ね返ってきますので甘い見通しは話さないようにしています。
(3)実際の取り組み
①カルテの入手
まずはカルテを入手しなければなりません。カルテ開示とは、患者さんが自分で医療機
関にカルテの開示を求めるというものです。医療過誤事件というのは、カルテがなければ
どんな診療が行われてきたのかわかりません。これなしに事件を進めていくことは不可能
です。カルテを入手する方法は2つあります。1つはカルテ開示の手続きです。もう1つ
は証拠保全の手続きです。カルテ開示の手続きのメリットは患者さんが自分で出来るので、
費用が安く済むことです。ただデメリットはカルテの改ざん、拒否、一部しか開示されな
いこともあります。証拠保全は、民訴法の規定から具体的には病院まで言ってカルテのコ
ピーを確保するということをやるのですが、医療過誤事件では証拠保全はカルテの改ざん
を防ぐ意味は当然として、事実上の効果として訴訟前に相手方の証拠を見ることができる
という、証拠開示機能が重要です。メリットですが、抜き打ちで病院に行くわけですから、
改ざんするいとまがなく、改ざんの可能性は低いです。デメリットですが、費用が高額に
なってしまいます。弁護士費用やコピー業者の手配費用などがかかります。もちろん法律
上弁護士が申し立てる必要はありませんが、手続きが専門的ですので事実上患者さんは弁
護士に頼まざるを得ないということです。事案によってどちらかの方法によりカルテを入
手するのかを選択する。
②証拠保全手続き
証拠保全手続きの実際ということで、資料をお付けしたと思うのですが申し立ての趣旨
として「1頁
相手方の開設するY病院(大阪府・・・市・・・丁目・番・号)に臨み、
相手方保管にかかる別紙検証物目録記載の物件について検証する。」「2頁
相手方は、
上記各検証物を本件証拠調べ期日において提示せよ。」といった提示命令の申し立てを行
います。ただし、2頁の提示命令については裁判所がいきなり病院に行って提示命令をす
るのではなく、1項を出して、病院がそれに従ってくれれば2の提示命令の必要はなくな
ります。実際には提示命令というのは、病院が任意に証拠を提示しない場合に、裁判所と
してはこんなこともできるんですよ、という説得材料に使うことが多いです。
③申し立て理由
申し立てをするにはその理由が必要です。まずは事実経過を書きます。これは当事者か
ら話を聞き取り、それをまとめた陳述書として提出します。過失や因果関係についても一
応書くことにはなっているのですが、そこまで高度な疎明は求められません。裁判所が重
視しているのは保全の必要性です。あらかじめ証拠保全の必要性がなければ裁判所として
も動けませんので、この要件が1番重要になってきます。どういったことを書くのかとい
うと、医療過誤事件の場合は、「改ざんのおそれがある」と書くのが典型的です。ただ、
抽象的な場合は裁判所としても認めにくくなってきますので、なるべく具体的に記載しま
す。どういったことかというと、例えば、「責任回避的な言動である」だとか「事実を隠
ぺいするような態度がある」というようなことをとらえて「改ざんのおそれがある」とし
ます。病院に行っても話をしてくれないだとか、弁護士に相談に来る方は恐らく医療側の
態度に不信感を持っているわけですから、依頼者から聞き出して具体的に根拠づける事実
として記載します。
④検証物目録
検証物目録ということですけども資料2を参考にして欲しいのですが、要するに何を検
証するのかというものです。診療において作成される書類を網羅的に記載します。事案に
応じてこれは変わっていきます。産婦人科での事件なら分娩監視記録というのが必要にな
ってきます。事件特有の資料も必要となってきます。今回の事例なら、相手方の病院に行
く前に紹介状があったため、そこにアルコール性肝硬変寛解と書いてあったというのが今
後の訴訟をするうえで重要になってきます。事案に応じてどの検証物が必要かを事前に確
認しておく必要があります。
⑤裁判官面談
検証物目録等を持って申し立てをして裁判官面談をします。証拠保全の申し立てをする
と、その後裁判官との事前の面談が必ず入ります。申立書に不備などがあれば、補正させ
られたりします。それで発令してくれるということになれば、当日待ち合わせどうしまし
ょうか、というような事務的な段取りについてもその場で話し合います。では、保全の当
日に何をするのかということですが、証拠保全の決定を当然相手方に送達しなければなり
ません。時間は執行の1時間前くらいです。なぜなら、1週間も前に決定の送達をしてし
まいますと、改ざんのおそれがあり、証拠保全をした意味が失われてしまうからです。執
行官の方に送達してもらうのですが、さすがに1時間では改ざんするのはなかなか難しい
と思いますので改ざんの危険性を減少させるためにそのようにしています。裁判官、書記
官の方も現場に行きます。裁判官はカルテがどうなっているかなどを検証します。検証物
のコピーをコピー業者にお願いして、検証調書にコピーを添付して記録を残します。
⑥検証物目録のチェック
検証物目録のものがちゃんと全部提出されているかはしっかり確認しなければいけませ
ん。場合によっては検証調書にこんな問題がありますということで記録に残しておかなけ
ればなりません。例えば、修正液で変な修正がしてあるのを見つけた場合にそれを記録に
残したりするということです。また、ある書類がない場合にはそれも記録します。もしも
裁判になって出てきた場合に、無いと言っていたのに出てきたということは嘘をついてい
たということにできるからです。
⑦調査手続き
カルテを入手したらどうするのかというと、先ほど調査の重要性ということを言いまし
たが、医療過誤事件ではカルテを入手したからと言ってすぐに提訴はしません。必ず調査
手続きをする必要があり、これが医療過誤事件の特色でもあります。医療過誤事件は医学
的な知識がなければ理解もできません。カルテを入手しても、それを見ただけで医者の処
置が法律上の過失といえるのか、過失といえても結果との間に因果関係があるのかについ
てわかるとは限りません。調査の結果責任追及できると判断すれば、初めて訴訟を引き受
けるようにしています。調査を経ずに訴訟をすると、医者の方から反論が出てきて、こち
らが医学的には的外れな主張をしていたことが明らかになったりして、裁判所から訴えを
取り下げたらどうかと言われてしまうこともあると聞きます。そういったことにならない
ように調査はしっかりしなければなりません。調査とは何をするのかというと、まずカル
テをきちんと読むことから始まります。とりあえず読まないことには始まりません。カル
テは読むのも一苦労です。英語、略語、医療用語で書かれている場合は辞書や略語辞典で
調べます。その後は自分なりに時系列表を作ってみます。また検査結果を一覧表にしたり
もします。また、医学的知見が必ず必要になります。
⑧交渉及び訴訟
交渉及び訴訟についてですが、調査の結果、これはどうも責任追及できそうだというこ
とになれば、交渉を始め、それが決裂すれば訴訟を提起します。訴訟の中でどういったこ
とを立証しなければならないかというと、過失や結果との因果関係の立証等をします。損
害額については、損害賠償の基準について載っている赤い本に従って組み立てていきます。
一番重要なのは過失と因果関係です。過失についてですが、誰がどの時点で何を行うべき
だったか、あるいは何を行うべきではなかったかを具体的に特定して立証していかなけれ
ばなりません。当時の医学的知見を文献で調べ、診療当時の医療水準での過失であったか
を判断します。そこに医者側が認識し得た患者の状態を当てはめて行為義務を特定し、義
務違反を主張するという順番でやっていきます。今回の事案に即して見てみると、日本医
師会が発行している肝疾患診療マニュアルによれば、肝疾患をいくつかに分類しています。
肝硬変については超高危険ということで一番リスクが高いということです。具体的には、
肝癌の腫瘍マーカーである AFP 検査などの検査を定期的に行い、さらに問題があれば詳し
く検査をしなければならないとなっています。日本医師会が出しているものなので相応の
根拠となるものですから、これを医学的知見として用いて立証していきます。定期的な検
査を肝硬変の患者にはしなければならないということが医学的な判断であるのです。なの
で、定期的な検査の行為義務があったが全然そのようなことはやっていなかったとなると、
義務を怠った、過失があったといえるわけです。
⑨因果関係の立証
因果関係についてですが、過失がいくら認められたとしても、過失と損害の間に因果関
係がなければ、不法行為責任は認められません。医療事件における因果関係の立証という
のは非常に難しいものがあります。過失は立証できても、結果との間に因果関係の立証が
うまくいかないということで勝てないケースもあります。因果関係について有名な判例が
ルンバール事件というものです。この事件では、因果関係について「一点の疑義も許され
ない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定
の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、
通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、
かつ、それで足りるものである。」といっています。高度の蓋然性は民訴によく出てくる
キーワードではありますが、証明というと数学や物理などでよく使う言葉で、ここでは一
点の疑義も許さないということですが、あくまで訴訟ですので自然科学の証明のような因
果関係を立証する必要はありません。社会通念的な経験則で判断していくということです。
ルンバール事件は作為型の因果関係事件ですが、今回の事件は不作為の因果関係事件であ
って起きてないことを想定して考えるという難しさがあり、また最高裁も高度の蓋然性を
証明することが求められている。
⑩医学統計の利用
たとえば肝臓がんについての統計があります。早めに肝臓がんを発見して切除した場合
の生存率は比較的高いということですので、しっかり検査をしていれば癌が小さい時に発
見できた可能性があるので、実際に亡くなった時を超えて生存していたであろうといった
高度の蓋然性が認められるという組み立てが出来ると思います。また、因果関係は過失と
違って当時の医療水準に従って考えるのではなく、客観的に判断すればいいので、後々か
ら振り返って考える、これをレトロスペクティブに考えるといいますが、このように考え
ます。なので、因果関係については最新の医学的知見を用いることができます。
⑪損害論
次に損害論です。過失を証明しなければならない。一般に交通事故の損害賠償の基準を
使っている場合が多いです。交通事故で亡くなったらこれくらいの慰謝料が、そして後遺
症が残ってしまったらこれくらいといった事例が集積されています。医療事故の場合も同
様に考えることがあります。しかし医療過誤と交通事故は果たして同じ次元で扱っていい
かどうかといった問題があります。たとえば医療過誤は、医者のことを信頼してやってい
たのに、裏切られるということになる。それを考えると、交通事故の慰謝料場合より高い
慰謝料を認めるべきではないかという話もあります。逆に、医者もミスはあったのかもし
れないが患者を救おうとして頑張っていたはずだから、慰謝料を交通事故の慰謝料よりも
安くしようという考えもあります。しかし今は交通事故の基準を用いている。次に、因果
関係が認められない場合の損害論の話です。この時高度の蓋然性がなくても、相当程度の
可能性があると言えれば、損害賠償、具体的には相当程度の可能性を侵害した慰謝料を取
れるということになります。そこでの判断は相当程度の可能性により判断されるものであ
るが死亡慰謝料と比べれば当然こちらのほうが低くなってしまいます。数百万円のケース
が多いです。ただ絶対にその程度かというとそうでもなく、私が受け持った事案では、高
度の蓋然性までは立証できませんでしたが、相当程度の可能性の中でも比較的高い可能性
と認定されたので、慰謝料を1500万円ほど取ることができました。ただ、一般的には
数百万円程度であると言える。
⑫審理手続き
審理手続きについては資料3を見て下さい。フローチャートのような感じで通常の民事
訴訟と同じように流れていくのですが、医療事件に特徴的なのは診療経過一覧表というも
のを作成する点です。これは裁判所の雛型ですが見ておいてください。これを判決に添付
したりすることもあります。
⑬尋問
尋問については、医者という専門家に対して質問するわけですから、こちらが生半可な
準備で行くと返り討ちにあってしまうなど準備が大変です。準備には時間も使いますし、
神経もすり減らします。争点整理や尋問の段階で和解になることも多々あります。
証人尋問が一番しんどい仕事であり特にその中でも反対尋問は医学的知見など情報を整
理、準備して臨む必要がある。
⑭鑑定
鑑定の話です。医療事件は専門的な事件になりますので、鑑定は重要になってきます。
都会の裁判所には医療事件の鑑定を集中して扱う部ができていますので、昔ほどそんなこ
とはなくなってきています。むしろ鑑定が行われることも少なくなってきているとされて
います。鑑定書が出てきてもそれを鵜呑みにしてはいけません。不利な鑑定が出た場合、
そうだからといってあきらめるのではなく、そこに書いた注意点のようになにか問題はな
いかなど注意深く見ればなにか反論できることもあるのではないかと思います。
以上