スコットランドのトラヴェラー・プロジェクト

スコットランドのトラヴェラー・プロジェクト
―「内側」からの試み―
高松 晃子
1.問題提起―「外側」
と
「内側」
してきた歌の多くは,その時すでに失われてしまったと考
スコットランド,アバディーン大学のエルフィンストー
えられていた,スコットランドの古い歌であったことは事
は,
ン研究所
(Elphinstone Institute,University of Aberdeen)
実であり,それをスコットランド国民が共有することに,
2005年4月をもってエスニック・グループ
「トラヴェラー」
理論的には何の問題もない。また,そうした歌を秘儀的に
の芸能保存プロジェクト
1)
をひとまず終了した。本稿はそ
歌い継いでいる
「幻の民―トラヴェラー」
というアイディア
の概要と成果の一部についてのごく簡単な報告であるが,
も魅力的である。しかし,トラヴェラーにしてみれば,歌
記述の焦点をフィールドワークの主体と客体,あるいは共
は祖先の思い出を託して家族の絆を深め,また,他の家族
同体における個人,といったあたりに定め,若干の問題提
とのネットワークを支える,きわめてプライベートな
「所
起を試みようと思う。
有」
の感覚を伴うものである。他方,担い手たちを
「エスニ
スコットランドの
「トラヴェラー」
は,中世にはすでにそ
ック・グループ」
として囲い込むことで,マジョリティー
の存在が確認されていた,ケルト系非定住民の子孫を中心
との間に単なる区別以上の心的距離が生じることもまた必
に構成されるエスニック・マイノリティーである
(Gentle-
然であった。個人や家族といった小さなユニットが,エス
man & Swift 1971: 9)
。現在では,通年移動形態を取る者は
ニック・グループや国家といった大きなユニットを背負え
少なく,半定住または完全定住が一般的である。人口は,
ば,やがて立ち行かなくなることは目に見えていた。
2)
政府の公式発表では1,300人程度 ,多く見積もってもおよ
そ1万4千人で,それはスコットランド全人口の0.2%余り
3)
にすぎない 。
2002年,
アバディーン大学エルフィンストーン研究所は,
「スコットランド・トラヴェラーの口頭伝承と文化伝統プ
ロジェクト
(以下
「トラヴェラー・プロジェクト」
)
」
を開始
彼らは,
その数字どおりひっそりと生活してきたのだが,
した。このプロジェクトは,悪意のない
「外からの」
働きか
1953年の
「発見」
(後述)
を機に,歌や物語の伝承者として注
けを保留し,担い手自身が
「内側から」
トラヴェラー文化を
目を集めるようになった。文化的重要性を強調できるとい
発信するための支援を目指すものである。外側から内側へ
うことは,マイノリティーが自らの存在を主張するのにた
という思い切った発想の転換と,筆者が抱いていた上のよ
いへん有利ではある。しかしながら,いったん共同体の外
うな問題意識には呼応する部分がある。匿名性の原則が透
に出たマイノリティー文化は,マジョリティーの理論によ
けて見える
「国家」
や
「地域」
,
「民族」
の文化において,個人
って読み替えられる危険に晒されることも指摘しておかな
の存在をどのように位置づけることができるのだろうか。
ければならない。彼らの場合,集団内での歌の伝承が,個
人を軸とした家族単位で実効力をもっていたのに対し,
2.トラヴェラーの音楽文化と
「トラヴェラー・プ
ロジェクト」
「外」
に出た歌は,ナショナリズムの文脈で読み替えられて
スコットランド民族文化リバイバルに回収されるか,さも
トラヴェラーたちが突然注目を集めたのは,1953年のこ
なければ,少数民族の人権問題の象徴として,
「トラヴェ
とだった。民謡収集家でエディンバラ大学のスタッフであ
ラー集団」
というひとかたまりに帰せられるかのどちらか
ったヘイミッシュ・ヘンダソン
(Henderson, Hamish 1919-
であった。
2002)
が,彼らの歌や物語を精力的に録音し,伝統の復興
これらふたつの文脈が,
トラヴェラー文化を掘り起こし,
と普及を図ったのである。時を同じくして始まったフォー
広く一般に紹介し,保存しようとした非トラヴェラーの熱
ク・ミュージック・リバイバルは,彼らに
「ルーツ・シン
意から生じたのは皮肉なことである。トラヴェラーが伝承
ガー」
という地位を与え,トラヴェラーは伝統の担い手と
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高松 晃子
見なされるようになった。しかしながら,一般に向けた情
10.最終報告書を作成する。
報発信に不慣れなトラヴェラーたちは,必然的に非トラヴ
ェラーが用意したシナリオに沿ってふるまうこととなり,
筆者は,プロジェクトの開始時から,研究所長でプロジ
その過程で,
少しずつ社会的・文化的な軋みが生じていた。
ェクト・リーダーであるイアン・ラッセルRussell,Ian氏
実際に起こった次のような出来事は,彼らの音楽文化をス
と連絡を取り合い,進捗状況を把握していたが,2005年3
コットランドの一般的な音楽文化と同一視することからく
月,最終の公開イヴェント4)において講演するために渡英
る,無理解の結果である。たとえば,ラジオ放送のために
した。そこで取材した取り組みの中から歌と物語のワーク
演奏時間の省略を強要されたり,レコード録音用の歌にも
ショップ
(一般対象)
を取り上げ,
「インサイダー」
の語り口
っともらしいタイトルがついたり,伴奏に合わせた歌唱を
が,本プロジェクトの目的とどのように符合するのか,考
要求されたりしたことである。また,レコードデビューし
えてみたい。
た隣人が突然裕福になったり,コンクールで演奏に序列を
つけられたりしたことは,横並びが基本だった彼らの社会
3.
「内側」
からのワークショップ
トラヴェラーが自文化を広く一般に伝達する場であるワ
構造のバランスを脅かすものであった。
このような,
文化基盤の変動および社会構造のゆらぎは,
ークショップは,
「内側の」意図がもっとも反映されやす
生活基盤の整備や人権問題への対処といった少数民族特有
いという点で,このプロジェクトの中核的取り組みと言え
の課題と比べて目に付きにくく,看過されがちであった。
るだろう。プロジェクトの方針として,ワークショップの
既に蓄積されているトラヴェラー文化を,担い手の意図す
構成や方法は,講師であるトラヴェラー・スタッフ,ロバ
る形でどのように
「外側」
の世界に発信するか。着手の遅れ
ートソン氏に一任した。したがって,ワークショップの方
ていたこの問題に注目したのが,アバディーン大学のエル
向性は,
「外側」の人間がトラヴェラーをどのように
「見た
フィンストーン研究所であった。同研究所の今回のプロジ
いか」
ではなく,
「内側」
の人間が自分をどのように
「見せた
ェクトでは,調査・研究・情報発信の主体を,従来型の
いか」
,というその判断に左右されることになった。ただ,
「アウトサイダー」
主導から当事者に移すことを主眼におい
筆者にはいくぶん懸念もあった。従来のいわゆる
「外から
ている。近年の民族音楽学はフィールドワークの主体と客
の」ベクトルが,トラヴェラーたちを
「スコットランド代
体の立ち位置の問題に大きな関心を寄せており
(たとえば
表」
のカテゴリーに押し込もうとしたのに対し,今度は内
Chou 2002, Barz and Cooley 1997)
,その意味でも,両者を
側から,
「これこそトラヴェラー文化」
という戦法が取られ
一致させるこの試みはきわめて大きな注目に値する。
るのではないかと思ったからである。彼らが
「トラヴェラ
さて,このプロジェクトでは,ストーリーテラーおよび
ー集団」
として団結することに対して消極的な人々である
歌い手として活躍するトラヴェラー,スタンリー・ロバー
にしても,今回ロバートソン氏はプロジェクトのスタッフ
トソンRobertson,Stanley氏を共同研究者に迎え,2003年
であり,学校やコミュニティーに出向いて
「教える」
立場に
から3ヵ年にわたって,次のような方針で活動を行ってき
ある。人間は相手によって自分の印象を操作する,という
た
(Russell 2002: 8)
。
社会学的学説を信じるならば,彼が
「トラヴェラー文化」
に
ついてわかりやすく,そしてもっともらしく解説する可能
1.年齢,性別の異なるトラヴェラー少なくとも50人の
性は十分考えられた。
インタビューを,完全に記録する。
ロバートソン氏と筆者とは旧知の間柄で,それまでに重
2.主要な伝統の担い手の映像記録を作成する。
ねたインタビュー・セッションを通じて,歌を教えるとき
3.全ての資料をアーカイヴ化し,一般に公開する。
の彼の方法論は熟知していた。歌を歌う前に,それが置か
4.70の学校を訪問し,参加型のワークショップを行う。
れていた環境,つまり,この歌はいつ誰がどんなところで
5.10のコミュニティー・グループを訪問し,歌または
どんな風に歌っていたのか,といった類の説明をひとわた
物語のセッションを行う。
りするのである。そこでもたらされる情報は彼の個人的な
6.6つの公開発表を行う。
フィールドに限られており,
「トラヴェラー文化一般」
でも
7.若いトラヴェラーが自らの手で文化伝統を記録する
なければ,当然のことながら
「スコットランドの伝統」
とい
よう奨励する。
った枠組みが生じる余地もなかった。今回,
「講師」
という
8.ウェブサイトでの情報公開を行う。
立場で,彼がこの方法をそのまま用いるかどうか,筆者の
9.書籍,CD,ヴィデオを公刊する。
観察ポイントはそこにあった。
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スコットランドのトラヴェラー・プロジェクト
果たして,彼はいつもの彼そのままのやり方で,身振り
め,
「またあの人か」
という不満の声も聞く。しかしながら,
手振りを交えて物語を語り,そして歌った。受講者の知る
このプロジェクトが目指すものは,個人から出発する集団
はずもない叔母の話,燃えるような夕焼けを見ながら秋の
イメージの形成であると,筆者は理解している。そのため
林の歌を歌ってもらった思い出,バッグパイプが上手だっ
には,従来のような,集団イメージに個が埋没してしまう
た叔父のエピソードが紹介され,また歌う。紙と鉛筆を使
認識方法を改める必要がある。匿名性の原則に敢えて踏み
うでもなく,プリントを配布するでもなく,歌詞を教えて
込み,固有名詞を強調しながら個人に対する共感を呼び起
一緒に歌うわけでもなかった。別のトラヴェラーによる成
こす。それがやがては,トラヴェラーという集団に対する
人対象のワークショップも同様であった。30分から40分の
共感と理解につながる。プロジェクトの狙いはそこにあっ
間,
「講師」
は淡々と思い出語りをしては歌うだけで,歌の
たのだろう。
内容の解説や歌唱指導は一切なしである。
個から出発する姿勢は,インタビュー記録を重視する計
ある意味で,それは正しい選択であったかもしれない。
画からも読み取れる。そこでは,インタビューする側も,
トラヴェラーたちは決して歌や物語を
「教え」
たりはしない。
される側も,
「内側」集団の成員であるトラヴェラーであ
豊富な時間の中で,
彼らは同じ歌や物語を繰り返し耳にし,
る。内側の視点で見た内側世界の様子が,外側の言葉への
澱が溜まるようにごくゆっくりと,レパートリーを蓄積し
翻訳なしに提示される。
ひとつひとつは断片的な情報だが,
ていく。
「非効率的で組織化されない授業」
や,
「教わらな
それを積み上げることによってトラヴェラー文化のある面
いワークショップ」
は,彼らの日常の一こまなのである。口
が見えてくることになる。
頭伝承を旨とするトラヴェラーの役割は,対象が誰であっ
このプロジェクトには,トラヴェラー文化の全体像を示
ても,個人的な思い出と共に歌を歌うことであり,歌を知
してくれる親切な案内人は不在であった。そのおかげでわ
りたい者はただそこにいればよい。それがたとえ
「外側」
社
たしたちは,現実が,幻想に満ちた総体よりも,リアリティ
会におけるワークショップであっても,参加者に強く印象
のある断片をもとに構成されていることに気付くのである。
付けられるのは,トラヴェラー講師たちの今は亡き家族や
親戚たちのイメージであり,個人的な思い出なのであった。
ここで思い出す必要があるのは,トラヴェラー文化は,
それが口頭伝承の産物であることに意味があったというこ
とである。50年前のリバイバルで彼らがもてはやされた理
由を反復しよう。歌も物語も,レパートリーの面から見れ
ば定住民文化と共通してはいるが,定住民が楽譜や文字で
しか知り得なかったレパートリーが,実際に伝承されてお
り,彼らの口から音として生まれ出ていたこと,これに
人々は感銘を受けたのである。口頭伝承の真髄が,パフォ
ーマンスをとりまく状況をまるごと伝えるふところの深さ
注
1)英国Heritage Lottery基金の助成によるプロジェクトThe oral
and cultural traditions of Scottish Travellers(2002年4月から
2005年4月)
.
2)1年おきにトラヴェラーの人口調査を行っているScottish
Executive の,2004年1月のデータによる.
http://www.scotland.gov.uk/library5/society/gttyc5-02.asp
3)プロジェクトの代表者イアン・ラッセルの口頭発表原稿に
よる
(Russell 2002: 1)
.
4)2005年3月11日,アバディーン大学マーシャルカレッジで
行われたイベントA Boorach an’ a Barrie Nicht: A Celebration
of the Oral and Cultural Traditions of Scottish Travellers(A
Project funded by the Heritage Lottery)
.
にあるとすれば,遠い祖先の思い出を,歌い手のしぐさや
参考文献
表情,その場の情景やそのときの生活と重ねて伝えたトラ
Barz, Gregory F. and Cooley, Timothy eds.,
1997 Shadows in the field: New perspectives for fieldwork in
ethnomusicology. New York, Oxford: Oxford University Press.
Chou, Chiener
2002 “Experience and fieldwork: A native researcher’s view.”
Ethnomusicology. 46 (3), 456-486.
Gentleman, Hugh and Swift, Susan
1971 Scotland’s travelling people. Edinburgh: Her Mafesty’s
Stationery Office.
Russell, Ian
2002 “Researching culture from the inside: A new approach to
the study of the oral traditions of Scottish Travellers”, oral presentation at the 18th European Seminar in Ethnomusicology,
Druskininkai, Lithuania.
(たかまつ あきこ 音楽学)
ヴェラー講師の方法論は,妥当なものであったと言うべき
だろう。
4.むすび―個からはじめる
「内側」理解
今回のプロジェクトで回を重ねてきたワークショップ
は,歌や物語そのものを学ぼうと期待してやって来た人に
とっては,
少々失望させられるものであったかもしれない。
また,トラヴェラー文化を発信するといっても,中心とな
って活動するトラヴェラーの人数が極めて限られていたた
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