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名大病院かわらばん H1
名大病院かわらばん H4
2012年3月1日発行 通刊84号
2012年3月1日発行 通刊84号
名 大 病 院
編集後記
まだ, 肌寒い季節ですが, 鶴舞公園の桜も満開になる時期がそろそろ訪れます。気の早い方は, お花見の場所
確保等, 調整に大忙しだろうと思います。
大忙しといえば, 私は被災地医療支援の事務を担当しております。振り返れば, 昨年の今頃は, 東日本を襲っ
た大規模な地震で, 関係各署と支援調整し大わらわでした。ちょっとここで本院の被災地支援の近況をご紹介
させていただきますと, 岩手県立釜石病院に泌尿器科の医師2名を派遣, 茨城県北茨城市立総合病院に循環器
内科の医師1名を派遣しました。この派遣は, 中部地区11大学病院が協力し合い, 被災地支援の活動をしており
ます。また, これとは別に, 東海北陸厚生局の所轄地域である本院は, 2年次の初期研修医を当局が実施してい
る「被災地研修プログラム運用モデル事業」に参画し, 釜石病院に4週間にわたる長期研修を行っており, これ
までこの事業に4名の研修医が参加しました。
東日本大震災から1年が経ち, 復興の兆しが見えてきましたが, 被災された方々の生活などは, 以前のように
なっておらず, 失業手当なども打ち切られ, むしろ, 状況が悪化しているようにも思われます。また, 東北はも
ともと医師不足だった地域だけに,「医療過疎」が進んでいるようです。日々の仕事で忙殺されていますが, い
つも「頑張れ東北!」
「頑張れ日本!」と思い過ごしています。
(総務課総務第二掛長 大久保 淳)
お知らせ 『かわらばん』
は, 名古屋大学医学部附属病院ホームページでもご覧いただけます。
ホームページアドレス
http://www.med.nagoya-u.ac.jp/hospital/
(トップページ ⇒ 最新情報 ⇒ 病院かわらばん)
かわらばん編集委員会
顧 問 松 尾 病 院 長 青山事務部長
アドバイザー 大 磯 ユ タ カ
委
員
長
委 員
中島 務
鈴木 富雄 石川 和宏
青山 裕一 水谷眞規子
池戸 初枝 稻垣 祐子
川村 篤 伊奈 経雄
山口 誠 大久保 淳
前田 敦子 土屋 有司
隅坂 弘幸 古川 一広
かわらばん 26
No.84
医学部・医学系研究科総務課
TEL 741 - 2111
(内線2228)
かわらばん編集委員会
発行日 2012年3月1日
KAWARA-BAN
退職のご挨拶 那須とNAKAJIMA
環 境 労 働 衛 生 学 教 授 那須 民江
医系研究棟2号館7階の私の部屋から四季折々の鶴舞
た様です。
しかし, 良いこと
の景色を眺める日々もあとわずかとなりました。
天気の良い日 もあり, 友人や学生から旅
には遠く信州の山並みが望まれることもあり, 故郷への郷愁
行のお土産に茄子グッズを
もあった研究室です。3月31日をもって退任します環境労働
頂くこともあり, いつの間にか
衛生学の那須です。10年3ヶ月楽しく充実した研究生活を
私の「那須」の姓へのこだ
送ることができましたのは, 皆様方のご厚情のお陰と感謝し
わりは消えて行きました。
ております。
名古屋大学の学生の落
私は研究上旧姓「Nakajima」
を使用し, 大学では
「那
書きは殆どなかったので, こ
須」,日本の学会では
「那須(Nakajima)」
を使用していま
この学生は紳士だと思って
す。結婚した時に
「Nasu」
と変更しそびれてしまい, 途中で
いました。が, ある時, セミ
何度か変更しようと思い, 実際周囲からもそれを進められま
ナー室の黒板に落書きを発見しました。私は講義の中で
した。
しかし, ズルズルと, 夫, 舅, 姑の視線を気にしながら 「生物濃縮」
の話をするのですが, その絵がかいてあった
「Nakajima」
を使用して現在に至ってしまいました。
日本の
ので, 講義を良く理解していると, 感心してみていましたら,
学会でも
「中島」
を使用し続けたのですが, 名古屋大学へ
何とその
「生物濃縮」
の頂点に, 私に似た茄子が描かれて
異動した際に学内は勿論, 学会等では
「那須」
を使用する
いました。
その茄子には勿論「手」
も
「足」
もあったのですが,
ようになりました。私の中で, かなり混乱して,「中島」
の上に
メガネがかけられ, 笑窪まで付いていました。私の実習グ
那須の印鑑を押し, お叱りを受けたり,「中島」
と
「那須」
で
ループの学生の落書きでありましたが, 名古屋大学では私
学会費を二重払い
(二重請求)
したことがあったためです。 の落書きは大変進歩した格調高いものだと, 今になりますと
さて. このごろ, 何故
「Nakajima」
を長い間使用し続けた
写真をとっておけば良かったと思っています。
ただし, 笑窪
のか考えることがあります。多分私の中に
「那須」
の姓に少
の位置は反対側でした。
し嫌な思い出があったのかもしれません。
40年近い大学での勤務は終わりますが, 今強く感じてい
私が結婚したのは35年前, 当時は荷物の輸送にJRの
ることは, 大学人は分野に関わらずオンリーワンでなければ
前身国鉄のチッキが使用されていた時代です。駅に夫の
いけないということです。
4月からは,「Nakajima」
として研
実家からの荷物を受け取りに行きました。名前を伝えたとこ
究の集大成をしながら,「那須」
として, 日本学術会議, 内
ろ, 駅員がにこにこして,「中はキュウリですか, カボチャで
閣府食品安全委員会, 環境省, 厚生労働省, 愛知県等,
すか?」
と言いながら, 荷物を渡してくれました。
私はびっく
りし
国や地域を問わず, 今まで大学で培った知見を社会に還
て, 無言のまま帰宅しました。
元してゆきたいと考えております。名古屋大学の新たな胎
信州大学時代は時々答案用紙に茄子の落書きがありま
動を感じている昨今, 大学を去ることに一抹の寂しさを感じ
した。
ある時, 茄子に手と足がつけられ, そこに×がしてあり ますが, 今後は, 学外者の一人として, 名古屋大学の発展
ました。
「手」
も
「足」
も出ない程難しいということを言いたかっ
に貢献できればと思います。
目 次
①退職のご挨拶/環境労働衛生学 那須教授
②東日本大震災における医療活動を振り返って
③名古屋大学医学部附属病院の災害医療支援活動
④東日本大震災被災地支援に行ってきました
⑤被災地域における地域医療研修
⑥平成24年度における研修医の採用見込について
⑦第6次電子カルテシステムについて
⑧連載クイズ ドクターG(ジェネラル)の診療日記その2
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⑨人工心臓の患者さんがあなたの横を歩いています!
!
!
⑩名大病院職員が名古屋女子マラソンに参加しました
⑪健康講座/形成外科
⑫行事報告
⑬ナディック通信
⑭名大病院の医事統計
⑮編集後記
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