ブルゴーニュの農家

H O P E
ブルゴーニュの農家
Jean Collardot /
ジャン・コラルド
ジャン・コラルド
1925年、フランスのニュイ=サン=ジョルジュ市生
まれ。69年から95年まで同市の文化・都市計画担
当助役を務め、現在「ブルゴーニュワインの騎士団」
長老。 外国語、歴史、宗教哲学、デッサン、絵画につ
いて造詣が深く、7カ国語を解する。
ブルゴーニュには自然の境界がなく、現在地理学上定められてい
ではなく、遺 産として子 供たちに譲り渡すことができる石でできた住
るものは純 粋に行 政 的なもので、本 来ブルゴーニュのものと見なす
居をこぞって建てるようになったのです。ディジョンからコート・シャロ
ことができる領 土 の 境 界 線を判 別するのはとても難しいことです。
ネーズ、さらにはそこからボージョレ山 地まで広がるブドウの丘の栽
歴史的には、1482年にフランス王国に併合されるまでブルゴーニュ
培 者たちも当 然 のことながら、ブドウのみならず石 灰 石を授けてく
の境界は拡大し続けました。
ださったことを創 造 主に感 謝しました。地 面から露 出した石 灰 石が、
今日、ほかの 地 方が 地 元 の 方 言に関わる表 現や 教 育 の 権 利を
悪天候をものともせず、時の試練にも耐える堅牢な住居やワイン地
主張しているように、言語という基準を拠り所とすることもできません。
下蔵、経営用建物に使用されたのです。
往 来の激しい土 地であるブルゴーニュは、外 国とあまたの接 触があ
定住の場所はすぐに決められました。初めからローマ人居住者の
ったため、言 語および文 化 上の特 徴を維 持することができませんで
別 荘のまわりを探していましたし、また水 源のあるところを定 住の地
した。ですから、そういった特徴を見いだそうとするなら、人間の性格
と決めていたため、おのずから泉の近くや川べり、井 戸の近 辺が候
そのものに目を向けなければならないでしょう。現に、歌の中で「ブ
補となりました。丘 陵 地 帯の地 質 学 的 構 造は、断 層が点 在する石
(*)
と高らかに歌い上げられて
ルゴーニュ人であることを誇りに思う」
灰 岩からなっています。小 川の水はこれらの層の中にいったん身を
います。だからといって、こういった性 格は民族 的な基 準に根ざして
隠し、思いもかけない場所に再び姿を現して人々の定住の地となり
いるわけではありません。原住民の起源は、侵略、戦争、外国からも
ました。ですから、ボージョレやブレスといったほかの地 域ではもっと
たらされたさまざまな要因によっていくぶん乱されたからです。
点在しているのに比べ、私たちの丘陵地帯の村の家々は一箇所に
住居がもっぱら木造であった時代の建物は、現在ほとんどその痕
かたまっているのです。
跡を残していません。石の建物が建てられるようになったのは、中央
あらゆるブルゴーニュの建造物の主要部をなす「地下蔵」には、ワ
ヨーロッパからやってきたケルト人による長い占領の後の、ローマの
イン樽を保 存し、ワインに熟 成のための最 適な温 度を与えるという
占領 期からのことです。その遺 跡は今日でも見 受けられますし、こう
機 能があります。加えて、その 冷 気によって、食 料 品や 野 菜、冬に
いった建造物がブルゴーニュの村々の手本となったのです。村(ヴィ
屠 殺された豚の肉 片を塩 漬けした容 器などを夏 場でも十 分 保 管し
ラージュ)という名 前自体は、野 原 のまん中に建てられた家を意 味
てくれます。
するラテン語のV I L L Aからきています。これは、保養やレジャーの場
節 約の観 念から、当 時の建 築 家は地 下 蔵の外 形および 丸 天 井
であるセカンドハウスと見なされる現 代 の 別 荘よりも、農 家 の 範 疇
が忠 実にかたどられるように、地 面に直 接 溝を掘りました。次に、曲
に入るものです。
線に沿って、丸 天 井の要 石の部 分までその溝の中に石が集められ
このローマ式別荘のまわりでは、木の文明を守り続けるガリア人が、
ました。要 石というのは、ほかの石が受ける応力を支える最 後の石
木の幹で作られたわらぶき屋根の小屋の中で暮らしていました。1 9
のことで、建 造 物の堅 牢 度を左 右するものです。あとは、自然の型
かなめいし
世 紀の末まで、こういった家が貧しい人々の生 活の場であることに
枠の役目を果たしていた土を掻き出し、新たに作られた空 間を利 用
は変わりありませんでした。このわらぶきの家は、厳しい暑さや寒さ
するだけです。
を防ぐ材 料でできているので比 較 的 快 適ではありましたが、残 念な
それから、居住用の部屋の建設に取りかかりました。居住用の部
がら、木とわらは火 災などを起こす危 険を常にはらんでいました。暖
屋は、一般に、食物を焼いたり冬場に部屋を暖めるための火を絶や
炉や照明用の火には絶えず気を遣っていたにもかかわらず、火花や
さないことを主目的とした暖 炉 付きの大 広 間からなります。戸 口が
隣 人の不 注 意、ときには雷が原 因で、あばら屋がたいまつのように
中庭か通りに直接通じているこの主室のまわりに、寝室に使われる
燃え上がることがよくありました。
別の部 屋が1 つか2 つ 作られました。台 所 専 用の部 屋はなく、食 物
そこで、家長たちはひとたび手段を手にするや、当面の安全だけ
は暖炉の火床で焼かれ、食器洗いは部屋の隅の、外部に直接通じ
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る配水管がついた石をくり抜いた流しで行われました。
にはインフラ工 事を行うための大きな資 金が必 要だったため、機 械
生 活 のためのこれらの 部 屋 の 隣には、収 穫 時に発 酵 室 の 役目
装置の青写真を作るのは、資金力のある地元の領主や大修道院長、
を果たしたり、作 業 用 具をしまったりするための貯 蔵 室がありました。
裕福な地主の仕事でした。
多くの場 合、居 住 用の部 屋は貯 蔵 室の上にあります。頻 繁に発 生
川は機械的なエネルギーを供給するだけでなく、家畜用の水飲み
した洪水や夏の時期の嵐から部屋を守るためです。部屋へは、ブル
場を満たしたり、女 性たちが洗 濯のために押しかけてくる共 同 洗 濯
ゴーニュのブドウ栽 培 者 の住 居の特 徴である石の階 段をつたって
場への給 水にも役 立ちました。洗 濯 物は洗 濯 釜と呼ばれる大きな
上っていけます。裕 福な地 主の家には、パン焼き用のかまどを備え
たらいにあらかじめ漬け込まれ、その中に木灰が加えられ泡立てられ
た部 屋があり、そうした部 屋をもたない人々のためには、必 要なまき
ます。次に、このたらいは洗濯場に運ばれ、洗濯物はこすられ、木の
をもってきて自分のパンを焼く共同かまどがありました。
へらで叩かれ、すすがれます。しかし、このつらい仕 事は主 婦たちに
家の裏手には、干し草やわら用の屋根裏付き納屋や、牛小屋、馬
歓迎されました。家事や野良仕事にしばられて抱く孤立感から解放
小屋といった経営用の建物があり、
さらに鶏小屋、そして豚を太らせ
されるよい 機 会だったからです。ここは、その 真 偽 のいかんにかか
るための小屋もありました。豚は1月に屠殺され、その肉は塩漬け用
わらず、外 部のニュースを知る場 所であり、軽 口のつれづれに村の
の容器に入れられて、一年じゅう食べられるように保存されるのです。
娘たちのうわさ話に花が咲く場所なのです。不運にして川に貫ぬか
鳩小屋については、かつて領主に与えられた特権であり、たいていは
れていない村では、洗濯場は泉がわき出るところに設けられたり、今
城館の翼棟に備えつけられました。1 7 8 9 年の大革命によって特権
では各 市 町 村に通じている導 水 路の原 型である集 水 施 設によって、
が廃止された後、地主ならだれでも鳩小屋を建てられるようになりま
水が村まで引いてこられました。
した。
今日ブルゴーニュを訪れる人には、通りは往々にして狭いうえ、正
賢者でもあったブドウ栽培者は、多少の金があっても伝統的に富
門 の 扉 口を通しても邸 宅がかいま見えないほどの 高い壁が 連なっ
をひけらかすことを好みませんでした。厳しい耐乏生活を送っていた
ているので、ブルゴーニュの村はかなり閉 鎖 的なイメージを与えます。
ブドウ栽培者は、家族の生活に不可欠なものはほとんどすべて自分
かつて領 主が 城 館 の 壁を築いたように、ブルゴーニュの 農民は安
たちの手で生 産していました。外で手に入れなければならないもの
逸を得ながら身を守ろうとしてきたのです。
は金が必 要です。財 布を管 理している一 家の主 婦は、出 費の正 当
しかし防 衛など実にむなしいことです。今日私たちを脅かしている
性をようやく確認した後、
しぶしぶ紐をゆるめるのが常でした。
のは、井 戸までいって汲み上げなければならなかった貴 重な水を無
しかし、小麦をひき、粉を作るためにはどうしても製粉所に頼らざる
駄に使わない、川のエネルギーが環境を汚すことなく再生される、
と
を得ませんでした。製粉業者はとかく評判が悪く、預かった小麦粉を
いったあの 質 素な生 活を放 棄してしまったこと自体にあるからです。
一部着服し、貧しい農民の背後で財をなしたとしてよく非難されました。
製粉所は高所に設けられたときは風から、川に設けられたときにはそ
(*) ブルゴーニュのテーマソングともいえる『ブルゴーニュの陽気者』
(別名:ブルゴーニュ賛
歌)の中の一節
の 流れからエネルギーを得て機 能しました。風 車は穀 物 の 製 粉 専
ブルゴーニュへ 、ようこそ
用であり、水車はクルミの圧搾による製油、製紙、製材、果ては石切
中世がいまだに息づいているブルゴーニュヘいらっしゃいませんか。
といったほかの活動にエネルギーを供給することができました。
極上の銘酒を生み出すぶどう畑、グルメレストランの数々、
中世そのままの街なみ、美しく広がる大地や、小さな村々、
水 車を回すために、上 流 に水をせき止めるダムが 作られました。
豊かな生命力と「はだのぬくもり」を感じる地方、
それがブルゴーニュです。
そこから水は導水路と呼ばれる運河に流れ込み、高低差から生まれ
お問い合わせ
る滝となって水 受け板に落ちて車を回すのです。こうした車の回 転
(株)佐多商会業務室 担当:岩沢
Tel. 03 3582 5087
によって臼やのこぎりの仕掛けが駆動するわけです。水車の建設
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