小埼沼の伝説

 第五十一話 小埼沼の伝説 埼玉
さきたま
を さ き
かも
はね き
埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧る
はら
おのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし(万葉集巻九)
いた
埼玉の津に居る船の風を疾み
こと
綱は絶ゆとも言な絶えそね (万葉集巻十四)
奈良時代に創建されたといわれる下埼玉の「盛徳寺」から東に一キロぐらい離れた所に、「小
埼沼」と呼ばれる沼がございます。今では小さな池がぽつんと残るだけですが、縄文時代にはこ
のあたり一帯は東京湾の一角として入江が入り組んでおりました。その名残として、ここは万葉
まさちか
集にも歌われております。池のほとりには、宝暦三年(一七五三年)に、忍城主「阿部豊後守正允」
が建てた万葉歌碑「武蔵小埼沼」がございます。この歌碑には、儒臣平岩文国に撰文させた万葉
集の歌が刻まれており、当時の叙情的なこの土地の様子を窺い知ることができます。
大名が万葉歌碑を建立した例は少ないそうですが、それ以上に驚くことは、さきたま古墳群の
さきたま
前玉神社には、それよりさらに五十四年も前の元禄十年(一六九七年)に当寺の氏子達が建立し
た石灯籠一対に、この万葉歌を二首彫ってあることです。この地を万葉に詠われたゆかりの地と
して後世に残そうという当時の人々の思いと文化の高さは、万葉集の研究史からいって驚嘆すべ
きことであるといわれております。
さて、この小埼沼に伝わる伝説が二つございます。今日はこの二つのお話を皆様にご紹介させ
ていただきたいと思いますのでどうぞごゆっくりとお聞きください。
昔々、このあたりに幸せに暮らしているひと組の夫婦がおりました。妻は「おさき」という名
で、片目ではありましたがとても気立てがよく、二人は村でも評判のおしどり夫婦でした。そし
て二人には可愛い子どもが一人おりました。
ある日、おさきさんと夫はいつものように赤ん坊を背負い、小埼沼の近くに畑仕事に行きまし
あぜ
た。二人は赤ん坊を畦道に置き一生懸命に畑仕事をしておりました。一段落したので、ふと赤ん
坊の方に目をやりました。ところが、畦道に寝かせておいたはずの赤ん坊の姿が見えません!
飛び上がらんばかりに驚いた二人は、あちこちをくまなく探しまわりました。子どもの名を呼
びながら、とうとう沼の近くまでやって来ました。沼の方に目をやると、なんと沼の中に子ども
が浮かんでおります。あまりの驚きに、おさきはわが子を助けようと沼の中に夢中で入っていき
ました。必至で近づいてみると、子どもの姿はもはやありません。はっと思って頭上を見上げる
おおわし
さら
と、大鷲に拐われたわが子の姿が目に入りました。なんと大鷲は木の枝に赤ん坊をぶら下げて、
み な も
がっしりと鋭い爪でその枝を掴んでおり、その様子が水面に映っていたのでありました。
おさきは驚きのあまり、一歩後ろに退きました。次の瞬間、おさきの足は深みにはまり、あっ
という間に底なし沼の中に引きずりこまれてしまいました。そして、おさきの身体は水面から消
え、ついには見えなくなってしまいました。
死んでしまったおさきの悲しみは深く、それからというもの、この沼に生える葦は片葉となり、
蛇や蛙まで片目となってしまったのであります。そしてこの沼は、いつからか「おさき沼」とい
われるようになったということであります。
お さ き
さて、いろいろ聞いてみますと「小埼さま」の伝説はもう一つあるようです。もう一つのお話
を今からいたしましょう。
昔々のそのまた昔。おさき姫という美しい姫がおりました。その頃、このあたり一帯は大変な
日照り続きで、草木や田畑も枯れ、百姓の苦労はひとかたならないものでした。おさき姫は、こ
ひ と み ご く う
の苦しみから人々を救おうと思い、天を司る龍神を慰めるために、人身御供として姫自らこの沼
に身を投じました。
すると黒い雲のようなものがもくもくと沼から湧き上がり、みるみるうちに天をおおい、つい
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に大粒の雨が降り出しました。突然の恵みの雨に、百姓たちの喜びようは大変なものでした。村
人達は皆、おさき姫を「豊穣を司る稲荷大明神の化身であったのではないか。」と口々に言い合
う
か
の み た ま
まつ
い、穀物の神様である宇賀之御魂に祀りました。それからというもの、小埼沼のものは、どんな
ほこら
ものでも取っていくと天罰が当たると信じられております。今でも田畑の中の小さな 祠 に、お
さいせん
賽銭があげられておりますが、だれひとりとしてそのお賽銭を盗む者はおりません。盗むとただ
くだ
ちに「おさきさま」の厳しい天罰が降されると思われているのです。
伝説ではありますが、現在でも行政の拡張工事などはこのあたりの土地には触れぬ様にしてい
るようでもあります。
この村と人々を守ったおさき姫と子どもを盗られた片目のおさきさんのお話。古い伝説ではあ
りますが、小埼沼に今でも伝わるどちらも深い深い愛に満ちた大切なお話でございます。
完
参考
まさ ちか
まさより
たまかつ
忍城主「阿部豊後守正允」は別名正因、玉褐と号した
万葉歌の意味
(巻九―一七四四)
埼玉の小埼の沼に鴨が尾をふるわせている、自分の羽に降り積もった霜を払おうとしている。
(巻十四―三三八〇)
埼玉の津に帆を降ろしている船が、風をいたみ、つまり激しい風のために綱が切れても、大切な
あの人からの便りが絶えないように。
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