第 8 回 子どもといっしょに親も自立する

第8回
子どもといっしょに親
どもといっしょに親も自立する
自立する
奈良・おかたに病院
医師
田中茂樹
思春期をむかえた子どもには、さまざまな変化が起こります。Hくん(中学1年)
の母親・Aさんも、息子の変化にかなり動揺していました。
【例】朝、何度起こしてもなかなか起きてこない。今朝もなかなか起きず、「起きた
ら少しだけゲームをしてもいいから」と説得して、ようやく起きてきた。Aさんは「な
んとしても学校に行かせないと、そのうち不登校になるのでは」と心配している。
放っておいても大丈夫
っておいても大丈夫?
大丈夫?
Aさんは、中学生になったHくんの変化にとまどっています。たとえば、友だちに
借りていたゲームを学校で返そうとして先生に見つかり、注意されました。Aさんが
事前に「学校に持って行かないほうがいい」と言ったにもかかわらずです。「勉強も
部活も、やる気がないように見える」とAさんは言います。
また「食事の前には手洗いを」とAさんはいつも言ってきましたが、Hくんは「小
学校の頃から、本当は洗ってなんかいなかった」などと言うようになりました。「そ
んなふうに言って私が困るのを試しているように思う」とAさん。父親に相談しても
「構わずに放っておいてやれ」と言うだけ。しかし「放っておいて大丈夫なのか」と、
Aさんは不安なのです。
【例】ある日、Hくんは学校の給食を食べきれず、ご飯に牛乳をかけてぐちゃぐちゃ
にして残したため、学校の先生から電話がかかってきた。先生は「同じ残すのでも、
食べ物を粗末にしないような残し方があると思います」と言った。
電話をうけて、AさんはHくんに「ちゃんとしないとだめよ」と話したと言います。
私は思わず「しかし、その電話はどうでしょうね?」と言ってしまいました。「では
先生だったら子どもになんて話しますか」とAさん。私は正直に答えました。
「『先生
から電話があったけどな、父さんはお前の味方やで!』って言うでしょうね」。
すると「そんなことで大丈夫でしょうか」とAさんは不安そうでした。先生や親は
「子どものため」を思って言っているので、それをちゃんと聞かないと子どもは幸せ
になれないと感じるようです。
Aさんは、Hくんが担任の先生を名字で呼び捨てにすることもすごく気になると言
います。私は、「それは普通のことだと思うのですが」と答えるしかありませんでし
た(先生、すみません!)。
母親にはいつものように、「家の中で指示や命令の言葉を控えて、思いを伝え合う
ように」という方針でHくんに接してもらうようにしました。はじめのうちは変化が
ありませんでしたが、やがてHくんは学校や部活動のことなどをAさんに話すように
なりました。朝も自分で起き、勉強や部活など、生活に生き生きとした感じが出てき
ました。
Hくんが元気
くんが元気になるにつれて
元気になるにつれて
不思議なことに、Hくんが元気になると、Aさんには不満がたまっていきました。
よく聞くと、それはAさんの母親に対する怒りでした。
Aさんの母親は、受験する高校の選択、門限や服装など、生活全般についてAさん
に細かく指示し、「あなたにまかせると失敗ばかりなんだから」と口癖のように言っ
ていたそうです。「過干渉ではないか」と思っていたものの、Aさんは正面からの対
決を避けていました。
ところが、Hくんが思ったことを何でも話してくれるようになってから、自分自身
の中学・高校時代の母親との関係を思い出し、その大きな違いを認識するようになっ
たのです。
【例】Aさんは母親に対して長い怒りの手紙を書きました。「なぜ自分をもっと信頼
してくれなかったのか。なぜ失敗しても良いから自分で選択させてくれなかったの
か」。母親は「よくそんな昔のこと覚えていたわね」とはじめは驚いたものの、何度
かの話し合いのあと、母親はAさんに謝ってくれたそうです。
Aさんは、自分の母親との関係ややりとりをHくんに話しました。Hくんは、黙っ
て聞いてくれたと言います。ほんの数カ月前までは「自分が守ってやらねばならない
幼い子どもだ」と感じていたHくんが、まるで友人のようにたのもしく感じたそうで
す。
見守るとは
見守るとは、
るとは、信じる気持
じる気持ち
気持ち
このような親子にときどき出会います。母親は、親からの自立をやりのこしていて、
自分の親からそのまま取り入れた「親の部分」と、抑えつけられてくすぶっている「子
どもの部分」が同居しているのです。
そして自分が親となって子どもの自立と向き合うとき、母親のなかの「親の部分」
は子どもを抑え込もうとします。しかし子どもは母親のなかでくすぶっている「子ど
もの部分」を勇気づけるかのように働きかけるのです。「ぼくは大人になる準備をは
じめているよ!
お母さんも、おばあちゃんから自立しよう。怖くないよ、僕がつい
ている」。
Aさんの話を聞きながら、私にはHくんの励ましが聞こえるように思えました。H
くんの勇気を借りて、Aさんは少し遅めではありましたが、親から「自立」すること
ができたのでした。
「指示をしない」ことには「対等の相手として扱う」という意味があります。
子どもに至らないところがあるのは当たり前です。そこを指摘して、からかったり
おとしめたりするのは「まだ自分の元を離れてほしくない」という親の弱さの表れだ
と思います。「見守る」ということは、小言を言ったり指示をするよりも、はるかに
勇気と「子どもを信じる」気持ちが必要なのだと思います。
著者紹介
田中茂樹(たなか・しげき)文学博士。医師・臨床心理士として地域医療、カウンセ
リングに従事している。近著に『子どもを信じること』(2011年、大隅書店)。