シャトーダン城 - Château de Châteaudun

03G-cha?teaudun JA:092006•PANTHEON_français
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歴史
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日本語
健康を語る庭園
用語集
植物の効果的な用い方
内階段:建物本体内部に設けられた階段
オジーヴ:丸天井を支え補強するためのリブ
飾り格子:窓を仕切りながら固定されたパーツ
全般
外階段:建物本体の外側に張り出して造られた
階段
ヒポクラテス:古代ギリシャの医師(紀元前460年
頃〜紀元前377年頃)。同じくギリシャのクラウデ
ィウス・ガレノス(131年〜201年)とともに、医学
の父と見なされた
まぐさ:窓や扉の上方の壁を支えるための水平
パーツ
庭園では、中世のガストロノミーについて紹介
しています。ツゲで囲まれた12の正方形の中に
は、中世に知られていた150種の植物が植えられ
ていて、ここでは食用(香料、根など)、
薬用(解毒、万能薬、女性薬など)、家庭用(染
色、繊維など)と用途毎に分類されています。料
理用の植物はすべて薬用と見なされていまし
た。古代には、ガレノスとヒポクラテス*によっ
て考案された「気質理論」によって、健康のため
のバランスの取れた食事がすでに推奨されてい
ました。
役に立つ情報
料理と健康
かつて人々は、四つの気質(怒り、多血質、憂
鬱、冷静)は、四大原素(土・水・空気・火)
と 体 内 で 分 泌 さ れ る 四 体 液 ( 胆 汁 、
血液、粘液、黒胆汁)によって決定されると考
えていました。ガレノスによると、病はある気
質の過剰が引き起こす体内の不均衡だとされ、
健康を回復するにはこのバランスを取り戻すこ
と が 必 要 だ と さ れ ま し た 。 こ う し
て、粘液過多(風邪など)には、体を温める汁
気のないもの(スパイスやロースト肉など)が
推奨されました。植物につけられたラベルは、
それぞれ胆汁質(赤)、多血質(黄)、憂鬱質
(紫)、粘液質(青)を強める植物を表しています。
*裏面に解説あり
見学に要する平均時間:1時間30分
説明ガイド付き見学
身体の不自由な方向けの特別見学あり
国立モニュメントセンターは、フランスのモニュメントに関するガ
イドシリーズを翻訳版で出版しています。文化・歴史遺産バージョ
ンは書店ブティックにて販売しています。
Centre des monuments nationaux
Château de Châteaudun
28200 Châteaudun
tél. 02 37 94 02 90
fax 02 37 94 02 94
www.monuments-nationaux.fr
シャトーダン城
crédits photos P. Berthé © Centre des monuments nationaux, Paris. conception graphique Plein Sens, Anders. réalisation beau fixe. traduction Caractères et cætera. impression Néo-Typo, avril 2008.
歴史
12/02/08
デュノア領の城
「オルレアン家の庶子」の居所
910年にノルマン人の侵略を受け、ブロア公爵で
あるティボー・ル・トリシュールは、シャトー
ダンに城塞を建築させました。12世紀には子孫
によって大きな主塔が加えられます。1931年に
ブロアおよびデュノア伯爵領が、フランス王シ
ャルル6世の弟オルレ
アン公ルイによって買
収されました。1439
年、ルイの息子によっ
て、その異母兄弟で
「オルレアンの庶子」
または「デュノア」と呼ばれたジャンにこの領土
が贈与されます。ジャンは、ジャンヌ・ダルク
とともに百年戦争を勝利に導いています。1452
年、ジャンは城の改造に着手し、サント‐シャペ
ルを加えます。この建築工事は子孫のロングヴ
ィル公爵に引き継がれます。
歴史の犠牲となって
1694年にロングヴィル家が断絶すると、城はリ
ュイヌ公のものとなります。城は半ば廃屋化した
状態で、1723年に街を襲った大火事の犠牲者の
受け入れ先となりました。フランス革命時にすで
に破損していた城は、サント‐シャペルを略奪さ
れ、居所は兵舎となりました。1870年のプロシ
ア人の侵攻によって城の状態はさらに悪化をたど
ります。1938年に国が城を買い取り、建築家ジ
ャン・トルヴェロによって修復されます。
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一階
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第一地下
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2階
8
2
4世紀にわたる建築
切り立った岩壁上に建てられたシャトーダン城
は、ボースとペルシュ岬間にあり、防御体制にお
いて理想的で、戦略的な立地となっています。
1 前庭 3つの螺旋階段では、ルネッサンス期に向か
う建築上の進化が見られます。一つめの階段は
1460年代に建築された伝統的なフランス式で、建
物の外側の多角形塔にあります。残りのふたつは
内階段となっており、ロッジア式のファサードが
特徴です。このうち一方は、デュノア翼棟脇にあ
る1470年代のもので、フランボワイヤン式ゴシッ
クの傑作となっています。もう一方は、翼棟の反
対側(一つめに対し)に位置する16世紀初頭のもの
で、際立った垂直性と外側の彫刻によってゴシッ
ク様式を維持しながら、内側の装飾はイタリア風
になっています。
2 円筒形の塔 は12世紀の軍事建築の特徴です。高さ
は31メートルで、3階式になっています。当時は地
上10メートルの高さにある扉から出入りしていま
した。現在は、この扉から礼拝堂の屋根上に出る
ことができます。ガイド同伴で見学することがで
きます。
3 礼拝堂 は1451年から1493年にかけて建築された
もので、1468年には、教皇によってサント‐シャペ
ルに昇格しました。低層礼拝堂は、小円柱式の大
窓によって明かり取りが成された内陣、格間が3つ
のリブヴォールト*を持った身廊で構成されていま
す。窓には、フランボワイヤン式の飾り格子*が施
されています。サント‐シャペルは、フランス革命
期までキリスト受難に関する聖遺物―デュノアが
シャルル7世から授かった十字架の木片―を保管し
ていました。当初の豪華な装飾のうち、現在残さ
れているのは、ロワールのアトリエにある15世紀
製の15の彫像一式のみです。この聖人彫像は、デ
ュノアとその一族が、特別信心深く崇めていたも
のです。1468年製の壁画は、最後の審判を描いて
います。
デュノア翼棟
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この翼棟は1459年から1468年に構築され、5階建
てにすることによって、でこぼこした地勢をカム
フラージュしています。
司法の間 は、残されているアンシャン・レジーム
(フランス革命前の制度)下の裁判所としては珍
しいもので、17世紀の装飾が現存しています。
1793年には革命裁判所となりました。
中世式の台所 は地下にあり、非常に良い状態で保
存されています。リブヴォールトは、二つの大き
な暖炉上に起拱点を持っています。
牢獄 は同階にあり、数室の独房を収めています。
北の居所 は1階にあり、複数の部屋から成ってい
ます。そのうちのひとつには、冠を抱いた百合と
Lの字が刻まれ、1682年および1685年にルイ14世
が滞在したことを記念しています。隣にある板羽
目が施された広間は、最後の城主リュイヌ公らに
よって食堂として使用されていました。
ジャン・デュノアの住まい は2階にあります。
ゴシック様式の大階段 は、シャルル5世治下にル
ーヴル宮に造らせた有名な「大らせん」を思い起
こさせます。最上部に設けられた天窓にはユリの
花の装飾が施されていて、城主がシャルル5世の後
裔であることを示しています。
ロングヴィル翼棟
ロングヴィル翼棟は、デュノアの孫フランソワ
Ⅱ・ド・ロングヴィルによって1510年に着工され
ました。ファサードにはふんだんに装飾が施さ
れ、特にコーニスの装飾は、ルネッサンスの前提
である「古代風」の要素を見せています。
10 低層大広間 は300平方メートルの広さを誇り、2つ
の暖炉を備えています。そのうちの一方には
「休息中」のポーズの雄鹿が載っています。
11 ルネッサンスの大階段 は建物内部にあり、踊り場
の扉のまぐさ*や柱頭、人物像の付いた落ち送りに
は、イタリア風の装飾モチーフが見られます。
12 カ ト リ ー ヌ ・ ダ ラ ン ソ ン の 住 ま い
は上階にあり、モーゼの一生を綴ったタペストリ
ーがあります。
テラス
13 テラス がある場所にはもともと寝室、礼拝室、書
斎がありましたが、18世紀に消滅してしまいまし
た。
*裏面に解説あり