カルージュ城 - Château de Carrouges

16K-chateau de carrouges JAP:092006•PANTHEON_français
歴史
見学
レンガ
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21/02/08
16:43
歴史
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見学
レンガ
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歴史
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レンガ
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14 柵 は17世紀半ばに作られた錬鉄製のもので、カ
ルージュの製鉄工による作品です。正面扉、南
扉、手すりもこの製鉄工によるものです。
15 小城塞 は領地の入り口に位置し、ノルマンディ
地方における初のルネッサンス建築と見なされ
ています。右手にある塔の上には、図案化され
た司教冠と2本の司教杖の装飾が施され、出
資者のジャン・ル・ヴヌールが聖職者であった
ことが示されています。ジャン・ル・ヴヌール
は、1533年までリジュー司教伯でした。
カルージュ、レンガの城
古代から製造が制限されていたレンガは、ルネ
ッサンス期に、フランスの北半分において復興
しました。カルージュでは、主原料となる粘土
が採れたために、14世紀から用いられます。製
造は手製で行われました。レンガは、単なる建
築素材としてではなく、その色、形、積み立て
法―長手*方向積み、小口積み*―によって装飾
の役割も担っていました。カルージュの建築家
たちは、ファサードに生彩をもたせるために、
赤レンガと黒レンガを交互に用いました。
用語集
石落とし:張り出し部にある石製の回廊で、床
に開口部が設けられ、上方から下方にものを放
って攻撃できた
ガブリエル:オルヌ県アルジャンタン出身の建
築家一家、カルージュの建築者であるフランソ
ワとモーリスは、ノルマンディ地方を中心に活
躍した。彼らの子孫はヴェルサイユ宮殿の建築
で有名になった
小口積み:レンガの配置法で、レンガの厚さと
幅が壁面に現れるように積まれる。これに対し
「長手」積みは、レンガの厚さと長さが壁面に現
れるように積まれたもの
ドミノ壁紙:張りめぐらした壁紙上に長方形の
紙片を並置して貼り、模様にしたもの
截石法:石またはレンガを組み合わせて用いる
ためにデザインする技術
矢狭間:矢を射るための垂直方向の割れ目
役に立つ情報
見学に要する平均時間:1時間30分
説明ガイド付き見学:45分
身体の不自由な方向けの特別見学あり
国立モニュメントセンターは、フランスのモニュメントに関するガ
イドシリーズを翻訳版で出版しています。文化・歴史遺産バージョ
ンは書店ブティックにて販売しています。
Centre des monuments nationaux
Château de Carrouges
61320 Carrouges
tél. 02 33 27 20 32
fax 02 33 31 16 44
[email protected]
www.monuments-nationaux.fr
*裏面に解説あり
crédits photos A. Lonchampt © Centre des monuments nationaux, Paris. illustration François Brosse. conception graphique Plein Sens, Anders. réalisation beau fixe. traduction Caractères et cætera. impression Néo-Typo, avril 2008.
日本語
カルージュ城
家族の城
要塞
百年戦争期に、カルージ
ュの初代領主たちによっ
て、ノルマンディとメー
ヌの境界に要塞が築かれ
ます。この要塞は、婚姻
によってブロセ・ド・サ
ン-ピエールの所有となります。
領主の住まい
15世紀、ジャン・ブロセが住居の建築を決意し
ました。ルイ11世の腹心であったことから、
1473年に王を領地に迎えています。ジャン・ブ
ロセは、フィリップ・ル・ヴヌールと結婚した
妹を跡継ぎにしました。15世紀末から1936年ま
では、ル・ヴヌール・ド・ティリエール家が土
地を所有していました。
威信ある邸宅
フランソワ1世の大使兼施設付司祭 ジャン・ル・
ヴヌール枢機卿が、入り口の小城塞を建築させ
ます。1570年、タヌギー1世・ル・ヴヌール
が、城にカトリーヌ・ド・メディシス一行を迎
えます。革命前夜には、アレクシス・ポール・
ミシェル・タヌギー将軍が特権の放棄を表明し
ました。1927年、城は歴史建造物に指定されま
す。1936年には、城は家具調度品の一部ととも
に国有化されました。
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中庭
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1 中庭 では、城の様々な建築段階が見られます。
重厚なつくりの14世紀の主塔には、大部分の防衛
要素―矢狭間*、石落とし*―が保存されていま
す。主塔によって、要塞が軍事建築かつ居住空間
であったことがうかがえます。下層の間には、市
場で使用される量単位を決定していたと思われる
花崗岩製の測量器があります。15世紀のブロセ翼
棟には、尖頭アーチの扉、階段塔、ゴシック式暖
炉の持ち送りが、当時の状態で残されています。
ファサードは、新翼棟の建築時に改造されまし
た 。 16世 紀 末 の 「 古 典 様 式 の 」 翼 棟 は 、 フ ラ ン ソ
ワ・ガブリエルの作品で、非常に簡素なファサー
ドは、花崗岩製の胴蛇腹でアクセントがつけられ
ています。
ブロセ・ド・サン・ピエール家の住まい
この住居は、2つの貴賓用の客間と中央広間とい
う、15世紀の間取りのままです。ここには、17世
紀にフランソワ・ガブリエルが手がけた装飾が残
っています。1階には、18世紀末から1936年まで
使用された台所があります。塔の階段からは、2階
にある当初は一続きになっていた住まいに行き来
できます。19世紀に中庭側に設置された間仕切り
によって、建物内の流れが変更されました。この
間仕切りは現在も北の間を区切っています。
2 ルイ11世の寝室 には、王が1473年に滞在していま
す。暖炉にはル・ヴヌール・ド・ティリエール家
の紋章がみられます。
3 北の間 小さな扉、大きな暖炉、礼拝堂(旧政体末
期に取り払われた)へと通じていたねぎ花アーチで
装飾された開口部が、15世紀の名残を残してい
ます。
4 廊下 には2つの壁面装飾画があります。これは次
の、貴賓の控えの間の天井画(17世紀)の一部です。
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A 受付-チケット売り場
10 大広間 は、19世紀に間仕切りを取り去ってつく
られました。このことは、床の寄木張りと板羽目
からわかります。脇には小さな執務室が備わって
います。
11 正面階段 踊り場から次の部屋へとつながってい
ます。当初は偽レンガを描いた塗装が施されてい
ましたが1960年代の工事で取り除かれ、建築時の
截石法*があらわになりました。
12 祝宴の間 は18世紀末に、演劇、音楽、ダンスなど
の催しのためにつくられました。三階部分を削除
したことにより、広い空間を得られました。
奥には音楽家用のステージがあります。
ここで再び中庭に戻りましょう。
売店
B トイレ
5 貴賓の控えの間 15世紀製の暖炉は、16世紀の鷹
狩りの場面で装飾されています。17世紀の豪華な
装飾は、モーリス・ガブリエルの作品です。梁の
装飾も残されています。
「古典様式」の翼棟
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古典様式の翼棟とそれに通じる階段は、建築家フ
ランソワ・ガブリエルの作品です。
正方形の中空階段 は応接間に通じ、中世の住ま
いと連絡しています。レンガと石を描いた塗装が
残っています。
食 堂 は18世紀末に整備されました。フランス窓
(庭に面した両開きのガラスドア)と歩道橋から、庭
園に直接出ることができました。16世紀末製の大
きな暖炉は、メーヌの大理石と研磨した花崗岩、
石灰石から出来ています。
夏の間 には暖炉がなく、1993年に、ドミノ紙*と
手で模様の描かれた布を用いて修復されています。
肖像の間 には代々の城主の肖像が集められてい
ます。暖炉には当初の装飾が残されています。
庭園
13 庭 園 は 垣 根 を 持 っ た 十 数 ヘ ク タ ー ル に 及 ぶ 空 間
で、庭園、果樹園、木立、築山、芝生に分かれて
います。
南西に位置する築山の下方には池がありました
が、18世紀末に水が抜かれ、牛の飼育のために草
が植えられました。今日でも、木々に覆われた「愛
の島」を見つけることができます。
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*裏面に解説あり