「記念言説」と北欧系移民の自己形成 ニュー・スウェーデン入植記念祭

修士論文の要旨
一橋大学大学院 鈴木俊弘
アメリカ合衆国の「記念言説」と北欧系移民の自己形成
──ニュー・スウェーデン入植記念祭と人種主義──
論文要旨
本研究は、戦間期における米国社会のなかで、大規模な記念行為や祝祭行事に向かう人びとの「公
的記憶」の形成過程、およびその典拠たる歴史記述の方法論を支配した「記念言説」のなかに底流
する人種主義思想について、北欧系移民集団の動向から評価する論考である。分析事例として、大
西洋岸植民地の入植三百周年を祝う記念祭のうち、唯一国際式典として執り行われた 1938 年の「ニ
ュー・スウェーデン入植三百周年記念祭」を取り上げた。
1907 年より始まる大西洋海岸入植三百周年の記念祭群は、米国の国民意識変容の時期を背景
にしており、それらの意味について東部地域の史蹟追憶と見なすことはできない。各入植地の創設
三百周年を記念するために持ち出されたのは〈新世界〉植民地に理想的白人種の世界史的役割を見
出す歴史観であった。
「ニュー・スウェーデン」とは、北欧スウェーデンが 1638 年にデラウェア河
流域に形成した小植民地の英語呼称であり、東部諸州の歴史のなかで、英・仏・蘭による入植経験
とは異質の起源をもつ入植地の歴史は、
「多から一」という米国共和制理念を建国前史から証する事
跡として、「合衆国史」的な意義を強調された。
その三百周年記念祭は、植民者の「出身ネイション」とされたスウェーデン及び独立直後のフィ
ンランドから代表団を迎えることが連邦議会で決議され、唯一の国家主催入植記念祭として開催さ
れることになった。米国のフィン系移民による政治運動の結果、19 世紀初頭までスウェーデン王国
の東方辺境として統合されていたフィンランドが、17 世紀には国家の萌芽もない米合衆国史の観点
から、ネイションとしての独立性を歴史に認められ、合衆国の記念言説の一部たる資格を獲得した
のである。
ニュー・スウェーデン祝祭へのフィンランドの参加を承認されたフィン系移民は、祝祭の開催に
ついて「われらの血が最初期の歴史から米国民の血管に流れている事実を意識に刻む絶好の機会」
と称賛した。当時のフィン系移民がなぜ 17 世紀入植史への祝祭をめぐる「公的記憶」と「記念言
説」の操作に激しく執着したのかという問題に焦点を合わせたとき、浮上するのは米国社会におけ
る人種言説からの解放という動機であった。
フィン系移民は米合衆国内の主要欧州言語とは異なる膠着語の「スオミ語」を母語としていた。
18 世紀以降の比較言語学によってスオミ語が東方起源言語と分類されると、その話者たるフィン人
じたいの人種区分も〈モンゴロイド〉に属するとの見解が西欧世界に流布した。19 世紀末から 20
世紀初頭の大移民時代にあって移民問題が米国社会に集団的軋轢を生み出したとき、〈モンゴロイ
ド〉という有徴は「文明的な不適格者」という劣等性を付与され、法的には「帰化不能外国人」と
して市民構成から排除される「不能人種」の地位へ移民集団を追いやる危機を生じさせた。
米合衆国において外観上は「白人」とされつつも、人種論的な〈知識〉では〈モンゴロイド〉に
分類されていたフィン系移民は、社会を支配していた人種論分類の閾値を跨ぐ特異な存在であった。
かれらの完全なる〈白人性〉獲得の手法とは、ニュー・スウェーデンにおけるフィン系入植者の存
在を米合衆国史に承認させることであり、それは入植者を無条件に理想的白人種と説く米合衆国の
記念言説形成の特性を利用した人種言説への抵抗戦略であった。つまり、1938 年のニュー・スウ
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修士論文の要旨
一橋大学大学院 鈴木俊弘
ェーデン祝祭は、米合衆国の記念言説形成の機会を利用したフィン人たちによる〈対抗人種言説〉
形成の現場だった。米国内の人種論の主潮は植民地時代の入植者を無条件に理想的な白人種と断言
し、共和国建設の歴史的意義と人種構成との連関性を当然とする記念言説形成の論拠を提供してい
たからである。
米国社会における〈白人性〉の付与とは、
「社会の人びとが〈かれら〉を白人と見る」ことに究極
的な典拠を置いており、合衆国修正帰化条項の「自由白人」という文言ですら、
「その語彙を用いる
一般人の理解(the understanding of the common man)に従って解釈されるべきである」とされ、法
的実効性の基準を社会言説の布置状況に「丸投げ」して運用されていた。しかし、まさにこの非合
理な間
にこそ「過去を記念すること」(commemorating the past)が、現在の common なものを醸
造する媒体となる理由が存している。
「記念すること」とは共同的な記憶を共時的に形成することであり、祝祭とはこれから来るべき
何かについて、現在の意味を支えるように操作することにほかならない。commemorating the past
とは、常に「一般の人びとの評価する現在」、すなわち common-rating the present によって支えら
れているのだ。祝祭および記念言説の形成が、人種をめぐる「一般人的理解」の変化の契機である
ならば、そこに完全な〈白人性〉の獲得を目指す意志こそ、フィン系移民が祝祭に向けた根源的な
動機であり、同時に米国社会における自己形成であった。
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