M NEXT イラク戦のビジネス戦略への教訓−戦わずして勝つ 2003 年、5月2日、ブッシュ大統領の「戦闘」終結宣言によってイラク戦争は政治的な 決着がついた。しかし、象徴的な意味では、フセイン像が引き倒された 2003 年4月9日だ ろう。総兵力約 39 万人のイラク軍に対し、アメリカ軍は約 22 万人であった。戦争期間は、 約 22 日、アメリカを主力とする連合軍の死者は 157 名、負傷者は 500 名である。この戦争 は、戦争戦略に画期的な意義をもたらすだけでなく、恐らく、世界史に大きな変化をもた らすことになるだろう。約2倍の敵兵数に対して、湾岸戦争の約半分の時間で、さらに湾 岸戦争よりも少ない犠牲者で政治目的を達成することができたからである。この戦争の本 当の勝者は、アメリカではなく、この戦争を世界史に位置づける歴史家であろう。 1991 年の湾岸戦争も画期的な戦争であった。あの戦争での勝利を契機にしてアメリカ経 済は浮上したと言ってもよい。アメリカから遙か遠くに展開する約 70 万人の生活に必要な 物資を補給調達する情報ネットワークシステム、圧倒的な空爆による制空権を確立し、戦 闘ヘリと一体となった機動部隊による三次元進攻などの新しい戦闘教義が、陸軍兵力で圧 倒的に劣勢にある連合軍の完全勝利に結びつけた。1970 年代のベトナム戦争で自信を失い、 1980 年代の経済戦争で日本に劣勢にあったアメリカが一挙に自信を回復したことは記憶に まだ残っている。アメリカの多くのビジネスマンが湾岸戦争から得たヒントを実際のビジ ネスに応用したであろうことは容易に推察できる。CALS、IT投資によるビジネスイ ノベーション、モジュール化など推察できるものは幾つもある。 今回のイラク戦争も数年内にビジネス、特に、戦略思考に影響を与えるだろう。今回の 戦争の持つ画期的意義は、まだ、確定することはできない。それはレオンハードの論文に 見られるとおりである。最大の教訓は、物理的諸力としての「数」あるいは「量」の原則 が崩れたということになる。 近代戦争の遂行の天才はナポレオンである。後世に理論として残したのはナポレオンに 敗北し続けたプロシアのクラウゼヴィッツの「戦争論」である。そのエッセンス、原則の なかの原則を一言で表現しろ、と無理強いされれば、私なら「戦闘場面における数の優位」 と答えるだろう。ナポレオン自身に言わせれば、「軍学とは与えられた諸地点にどれぐらい の兵力を投入するかを計算することである」( 「ナポレオン言行録」)となる。 1人が 10 人と戦う戦闘場面を想像してみる。1人が 10 人に勝つことはできる。その理 屈は、1人と 10 人がお互い対面して向き合って拳銃を撃ち合う戦い方ではなく、1人が常 に移動して優位置を確保し、1人対1人の場面を設定し、それを 10 回繰り返すことである。 つまり、武蔵の吉岡一門との「一乗寺の戦い」の戦法である。武蔵が勝ったのはこの個別 copyright (C)2003 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 1 M NEXT 撃破の原則を利用し、常に、1人対1人の戦いの局面で戦力と錬度で優位にたったのであ る。この原則の共通点は、マクロで積分的な総量戦とミクロな微分的な個別戦の違いはあ るが、戦闘場面での量的優位が勝利に結びつくという同じ論理が貫徹している。今回のイ ラク戦争は、この近代の戦略を貫く石のような原則を突き崩した。 それは情報収集によってよりリアルな状況把握ができれば量的優位がなくても勝つこと ができるという教訓である。つまり、先の例で言うなら 10 人のそれぞれの戦闘意志が把握 され、戦う意志があるのか、ないのか、どうしたら戦う意志を喪失するのか、という情報 が時々刻々と把握され、ひとりひとりに様々なアプローチができるような状況である。戦 うという行為は自由意志によって行われる。この自由意志に働きかけることができれば戦 わずして勝てるということだ。極論すれば、アメリカはメディアの上では戦争していたよ うに演出したが実際には軍事衛星などの様々なハイテク情報ツールによってイラク軍を詳 細に分析し、特殊部隊による工作と海兵隊、陸軍、海軍などが統合的に連携することによ って、イラク兵ひとりひとりの戦闘意志を挫く戦いをやった、ということである。よく報 道された精密誘導兵器は補助に過ぎなかった。 実際、約 22 日で戦死者 157 名という数字は、 22 日間の日本の交通事故死亡者数約 600 人の約四分の一であり、同じく自殺者数の約 1200 人と比べると約十分の一という数字である。数と量で戦う時代は終わったのである。 アメリカ軍が、バスラを攻略できず、チグリス=ユーフラテス川沿いにバグダッドへ進 攻する過程で、アメリカ軍の劣勢、約 500 キロへと延びた兵站、兵力の劣位が盛んに報じ られ、長期戦化、泥沼化が懸念された。日本の自衛隊出身の軍事評論家群はアメリカ軍の 劣勢を予想した。しかし、結果は総崩れだった。なぜなら、戦争戦略の原則がこれまでの ものとはまったく異なっていたからである。また、最大の疑問として劣勢であるにも関わ らずなぜバグダッドへ急ぐのかが疑問点として報じられた。 個人的にも予想を大きく裏切られた。バグダッド攻略をするためには市街戦に持ち込ま ずに包囲攻略する必要がある。ところが、バグダッドは共和国防衛軍をはじめイラク主力 部隊によって何層かの殻のように防衛されている。従って、「おとり」を利用して防衛軍を 誘き出す作戦をとっていると見ていた。つまり、兵站が長い少数部隊をバグダッドに進軍 させ、イラク軍主力が反撃に出たところを、分進進撃していた部隊を集結させ決戦に持ち 込む、という戦術である。しかし、レオンハードの分析によれば、この疑問は、我々がメ ディアを通じて得られる情報とアメリカ連合軍が認識するものとはまったく異なっていた ということである。イラク軍のどの程度が抵抗し、どの程度の反抗能力があるのかを知り 尽くしたものであった。つまり、収集された情報の分析と特殊部隊の工作によって、イラ ク軍の戦闘意志が極めて弱く、抵抗が少ない、少なくすることができるという情報が次々 と届き、その情報に従って次々と戦術目標を柔軟に変更した結果であったと言うことであ る。アメリカ軍は情報を駆使してまさに「戦わずして勝つ」戦略をとっていたのである。 レオンハードの帰結である「ハイパー戦争」とは、「もはや戦争とは呼べない戦争」のこと である。 copyright (C)2003 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 2 M NEXT 兵とは詭計なり、と言い切る孫子の兵法を文字通り実現できる軍事力をアメリカ軍は世 界に示したのである。これはビジネスの戦略論に改めて情報戦の重要性を再認識させる帰 結をもたらしたように思える。情報優位を競争力に結びつける戦略の重要性をもたらして くれているように思う。 冷戦終結後、軍事力においてはアメリカが傑出し、どの国も対抗できない状況が現出し た。ローマが永遠に続かなかったように、アメリカ中心の世界の覇権システムも永遠では あり得ない。この状況をできるだけ永続し、世界に貢献しようと考えるのは自然な考え方 である。先制攻撃や侵略戦争を通じてでもアメリカ型の民主主義と経済システムを世界に 普及させようとすることは、衰退するアメリカの将来への自衛権であり、国益だとアメリ カ人が考えるのも仕方がない。中国の覇権システムよりは「よりまし」だと日本人が考え て消極的支持をするのも自然なことである。世界史に正義はなく、賢愚のみである。後世 の歴史家がこの戦争をどう描いてみせるのか、今は誰も知ることはできない。アメリカ軍 に対抗できるものはもはや個人の戦う自由意志でしかないことは確かである。 copyright (C)2003 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 3
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