M NEXT 不安防衛によって生まれる消費 日本が危ない ふだんの生活には心配事や不安が常にある。生活とはこうした不安や不快を取り除き安 心や快を増進しながら生きることである。六月なら梅をつけ梅酒を造り、梅雨の不順な天 候に気配りし、夏の計画や対策を立てる暮らしぶりである。 最近、新型の食中毒を背景に、日常生活での不安が増大している。 食品、飲料では、わさびや緑茶が売れている。わさびの殺菌機能が見直され、「わさび風 味ドレッシング」、「わさびマヨネーズ味のカップ焼きそば」、「わさび味のポテトチップス」 などの新製品が導入されている。伝統食品であるわさびが見直されている。事情は緑茶も 似ている。緑茶の成分である「カテキン」の殺菌機能が注目されているのである。薬品、 トイレタリー分野では、カテキンシートのマスクなどの抗菌グッズや殺菌商品が売れてい る。これらが、O-157 や花粉症対策であることは言うまでもない。 収入と支出に関わる不安も多くある。支給年齢の上昇などの年金制度の見直し、企業の リストラクチュアリング、超低金利下での資産運用など将来の収入の行方は見えない状況 にある。支出では、消費税のアップ、教育費の増大、医療保険改正にともなう医療費負担 の増加がある。幼い少年や少女を対象にした誘拐や殺人などの事件の多発、金融ビッグバ ンや財政赤字などの経済問題、出生児数の減少にともなう人口減少と加速化する高齢化、 崩壊が叫ばれる家族、激動するアジアにおける日本の安全保障などの政治問題も山積みで ある。さらに、阪神大震災の記憶も新しく、温暖化などの地球環境問題も気がかりである。 「日本の命数は尽きつつある」(サンサーラ三月号)、「株価が見抜いた日本の未来」(文 芸春秋三月号)、「日本株式会社が立ち腐れていく」(現代三月号)、これらのタイトルを素 直にみれば、「日本が危ない」(アエラ)という見方に到達する。一方で、収入は微増し、 資産はわずかながら上昇しているという現実もある。消費支出が対前年同月比でマイナス になったのは九六年度で三ヶ月に過ぎなかった。これらの不安材料である問題群をすべて 自分に引き寄せれば「私が危ない」という不安に繋がる。 「私が危ない」という危機意識が 新しい消費を生み出している。つまり、メディアが創造する「現実」が生み出す危機意識 が、「仮想不安」を生み出し、その「防衛機制」が生み出す欲望に対応した商品やサービス が消費のトレンドになりつつある。 copyright (C)1998 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 1 M NEXT 不安−防衛機制 危機意識とはメディアによって提示される新しい現実とこれまでの「自分」との乖離で ある。この危機意識が心理的葛藤を引き起こす。不安とは、この葛藤が生み出す自我の無 力感と捉えることができる。G・フロイト(精神分析学の創始者)は、この心理的葛藤を、 潜在意識下で快楽原則に従って動こうとする「イド」、現実への適応を進めようとする「自 我」、そして両親や社会などの後天的要素で形成された「超自我」の三角関係のドラマとし て分析した。現実から情報としてもたらされる「私が危ない」という認識は不安を生む。 この不安がすべての意識、行動そして消費に影響を与えている。 単純な不安−防衛消費の事例を考えてみる。インターネット利用者が 95 年度では 530 万 人に上った。2000 年には 3,200 万人に達すると報道される。驚くスピードで情報ネットワ ーク化が進む社会。激変する現実と変わらない自分の乖離は、「私は遅れている=私は危な い」という認識をもたらす。自我はこの現実に適応するために努力する。不安を防衛する ために現実との同一化をはかり、現実の一部であるパソコンを購入(摂取)する。そして インターネットを始める。超自我はこの努力をもっともっとと奨励する。しかし、この努 力のためには膨大な時間と経費を要し、潜在的なイドの要請する要求を断念せねばならな い。自我とイドとの葛藤が生まれ、自我がイドの要求の強さに無力感を感じる。つまり不 安が再び生まれる。さらに不安を防衛するために、反動として不眠不休でパソコンと格闘 することになる。あるいは、最新パソコンを購入し続けるという事態になる。「私は遅れて いる」という不安を抑圧し、「遅れているのは他人だ」というように自分のもっている不安 を周りに投影させる。 「遅れていない」証拠として、最新マシンと最新ソフトを追い求める。 多くのユーザーは、自分の利用目的を実現するためにパソコンを購入しているに違いない が、こうした不安−防衛要因があることも事実である。パソコンには習熟したが生活リズ ムをすっかり崩してしまった人は多い。 時代環境が生み出す不安があり、その防衛機制によって消費トレンドが生まれていると 読む事ができる。A・フロイト(フロイトの娘)は、防衛機制を約十の種類に整理してい る。抑圧、否定、反動、退行、転移、同一化、摂取、投射、隔離、昇華などである。不安 がどんな消費トレンドを生み出しているのか、この防衛機制によって読んでみる。 三つの消費ドラマ 消費トレンドは三つの不安−防衛のドラマとして整理される。 ひとつは、「はけ口」型消費のドラマである。新しい現実は、「激変する時代に明確な価 値観をもった女性」を要求する。こうした認識は、「私はそうではない」という不安を呼び 起こす。自我は、不安を取り除くため、新しい環境に適応しようと努力する。超自我は、 copyright (C)1998 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 2 M NEXT 適応に励む自我をもっともっとと励ます。他方、快感原則に従うイドはこの努力の犠牲と なって抑圧される。この抑圧が、商品やサービスに投影され、はけ口としての消費が行わ れる。手軽に摂取できるのは、「明確な価値観を表明するインポートブランド」を手に入れ ることである。女子高校生などのインポートブランドブームは、不安防衛機制として見本 例を模倣し、現実と自分との同一化を図ることと捉えることができる。同じことは、抗菌 グッズのブームにも見られる。O-157 などのニュースは、「私は不潔かもしれない」という 潜在的不安感を呼び起こす。そしてそれを抑圧するために、商品やサービスに強い抗菌グ ッズニーズを投影させていると見ることができる。 ふたつめは「なぐさめ」型の消費ドラマである。自我が新しい環境への努力を怠り、イ ドの衝動に従えば、自我は常に超自我の叱責を受ける。自我は助けを求め、かつてやすら ぎをもった子供時代と環境へと退行しようとする。よき子供時代への欲望を商品やサービ スに投影させる。言わば、商品に癒しを求めるのがこの消費である。 時代はどんなに激動しても、「ゆっくり、のんびり、気にしない」というプロモーション 路線がある。飯島直子を宣伝に起用した缶コーヒー、平安時代の「のほほん」を訴求する 無糖茶、「気にしない」を訴求する乳酸飲料などはこうした自我の「退行」を焦点にしてい ると読むことができる。主婦が量販店で購入するチョコレートは、かつて子供時代に食べ たロングセラーブランドだ。「キティ」ちゃんの復活もこの類である。書店を席捲するオカ ルト系の経営本の異常なまでのブームも、経営者が経営に「救い」を求め、コンサルティ ングに救いを投影させている証拠である。 三つめは、「逃避オタク」型の消費ドラマである。危機という現実を否定し、現実と自分 を分離させることで防衛する方法である。そうすれば、自我と超自我との葛藤、自我とイ ドとの葛藤も回避できる。葛藤を予測して「私の知ったことではない」と考える防衛方法 である。現実を忘れさせ、空想や夢に浸れる商品やサービスが求められる。アニメ、ビデ オ、フィギュア(人形)、ゲームなどのありとあらゆるものが消費対象として選択される。 いわゆる「オタク」型の消費である。「エヴァンゲリオン」というアニメが異常なブームを 巻き起こしている。「たまごっち」などのポケットゲームもブームが継続している。 「解離」の悪循環から「昇華」の善循環へ 不安−防衛消費はふたつの面をもっている。不安がさらに不安を生むという悪循環の面 と不安が昇華され新しいものが創造されるという面である。 激しい現実の変化とメディアによる拡大された情報は、生活での不安を生む。その不安 回避のための新しい消費が生まれる。こうした不安−防衛消費が生み出すのは、 「乖離」現 象である。乖離とは、部分と全体という形で成り立っているものが、部分が全体となった り、部分と全体が無関係なものとして捉えられることである。同じ世代や同じ趣味をもっ copyright (C)1998 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 3 M NEXT た仲間とはコミュニケーション可能だが、そこから外れると「コミュニケーション不全症 候群」に陥ることである。同じ蛸壺の中では話しが通じるが、別の蛸壺のことは一切わか らないし、関心がないという構造である。この社会の解離状況が新しい不安を生み出して いる。不安−防衛−乖離の悪循環である。 一方で、不安−防衛消費は、新しい生活スタイルを創造している。不安−防衛機制の中 でもっとも積極的な手段であり成功したものが、昇華である。昇華とは、消極的な防衛に 向けられる精神的エネルギーを、自己の本来的目的のために積極的に活用することである。 この意味で、新しい現実に適応した生活スタイルを創造している面をもっている。確かな 安心できる食品の選択、価値観にあうファッション、インターネットを通じた情報ネット ワークの形成などの未来生活のさきがけになっている。 こうした不安−防衛消費の二面性は、商品やサービスに物的属性の確かさ以上に情報性、 ソフト性、芸術性が要求されていることを示唆する。加えて、徒に不安を煽り、利用する ような提案ではなく、精神エネルギーをより昇華させる方法で提案することが求められて いることを示すものである。危機意識が新しいものを生み出すのである。 copyright (C)1998 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 4
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