トランスジェンダー をいきる

トランスジェンダー
をいきる
(18)
「自己物語の記述」による男性性エピソードの分析
牛若孝治
リアルライフの構築に向けて(2 )
名前と自称詞(前編)
1 始めに
ここ でい う「 自称 詞」 とは 、 他 者に 対し て 自 己 のこ とを なん と言 うか 、で ある 。た とえ ば 、 一
般的 に 女性 であ れば 「私 」、 男性 であ れば 「僕」、 もし くは 「俺 」、「 わし 」、「 わい 」な どな ど 。
体の 性別 とジ ェン ダー の 性 別 が 不一 致で あり 、 しか も自 分の 名前 が、 自他 共に 男女 いず れか の
性別 と はっ きり 認識 され る場 合 、 堂々 と自 己 の 名前 を 名乗 るこ とが でき ない 、と いう のは 苦痛 で
ある 。 その 苦痛 は、 堂々 と 名 前 を 名乗 るこ とが できな い 自 己に 対す る 恥 ずか しさ や、 親か らも ら
った 名 前 を 人前 で堂 々と 名乗 るこ とが でき ない 恥 ずか しさ の 2 重 う大 別 す ること がで きる だろ う 。
また 、 日 本語 には 、男 女 に よっ て自 称詞 を使 い 分け る 特 性が ある 。こ の 特 性 に よっ て、 筆者 の
ように 、 体 の性 別 と ジェ ンダ ー の 性別 が不 一致 である と 、 多く の 場 合 、 体の 性別 に基 づい た自 称
詞 を選 ばさ れて しま う 。
体 ・書 類上 の性 別 は 女性 、 ジ ェン ダー の性 別 は 男性 の 筆者 は、 子ど もの ころ から 「私 」と 言っ て
いた 。いや 、本当 はジ ェン ダー の 性別 を優 先 し て 、
「僕」もし くは「 俺」と 言い たか った が、両親
や 周囲 の 大 人た ちか ら 、体・書 類上 の性 別 に 基 づいて 、
「 私 」と いう こと を強制 され た 、と 言 った
方 が正 確 だ ろう 。
今回 は、 リア ルラ イフ 構築 の 2 つ 目の テー マの前 編 と して 、「 名前 と自 称詞 」に つい て、 子
どもの ころ から 抱い てい た 女 性名 に対 する 激し い 嫌悪 ・一 般的 に女 性 の 自称 詞と して 使用 され て
いる 「 私 」 とい う自 称詞 への 違和 感・ 男性 名に して、 一般 的に 使用 され てい る 男 性の 自称 詞で あ
る 「僕 」、 もし くは 「俺 」と いう 自称 詞を 使用 するま での 過程 につ いて 詳述 する 。
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女 性名 に対 する 激し い 嫌 悪 と 、「 私 」 とい う自称 詞へ の 違 和感
①女 性名 に対 する 激し い 嫌 悪
当然 と 言 えば 当然 であ るが 、 女 性と して 出生 した 筆 者 は 、両 親 か ら 女 性名 を付 けら れ、 牛若 家
の 長女 とし て位 置 づ けら れて 育 っ た。 将来 結婚 して 、 牛若 家か ら 出 て行 くこ とを 想像 して 、父 の
名前 を 1 字付 した とい うこ とを 、筆 者 は 後 に な って知 った 。
ところ が筆 者 は 、、 子供 のこ ろか ら 、 視覚 障害 と 共に 、身 体・ 書類 上の 性別 (女 性) に対 して 、
常 に違 和感 を持 って いた 。 つ まり 、体 、書 類上 の 性別 は女 性で ある にも 関わ らず 、心 理的 には 男
性 であ ると 認識 して いた 。 両 親 や 盲学 校の 先生 や 友達 から 女性 名で 呼ば れた り 、 女性 名を 省略 し
た 愛称 で 呼 ばれ たり する 度 、 恥 ず かし くて まと もに返 事 を する こと がで きな かっ た。 また 、女 性
名 で呼 ばれ るこ とで 、体 や 書 類 の 性別 だけ で女 性 と判 断 さ れ、 ジェ ンダ ー の 性別 が軽 視 さ れて い
ること への 苛立 ちや 悲哀 缶を 覚 え てい た。そこ で筆者 は 、友達 に手 紙 や 年賀 状を 書く とき は 、
「牛
若 」と いう 苗字 だけ を書 いて 、 下 の女 性名 は書 かずに 投函 した 。
家業 が 美容 院と 理髪 店と いう 職業 柄か 、両 親 は そのよ うな 筆者 に対 して 、特 に服 装 や 身だ し
なみの 面 で 「女 らし さ」 を 強 制 し てき たの で、 そのた びに 喧嘩 が絶 えな かっ た。 その 喧嘩 の際 、
両親 か ら 、女性 名で 叱責 され たと きは、
「 名 前で 呼ぶな !」と大 声 を 張り 上げ て 怒 った もの であ る 。
また 、 当時 は父 方 の 祖母 と 同 居 し てい た。 明治 生まれ の祖 母は 、男 尊女 卑 の 考え 方が 寝ず よく 残
ってい た 人 であ った 。そ こで 、 筆 者の さま ざま な 「女 らし くな い態 度 」 に対 して 「あ なた は 、 眼
が 見え ない 女性 であ るこ とを 意識 しな がら 生き ていか なけ れば なら ない んだ よ 」と説 教 し てい た。
祖母 も よく 、筆 者 の 女性 名を 呼ん で 叱 って いた が、
「 祖母 の言 うこ とに は 口 答 え をし ない こと 」と
いう 、 牛若 家の 家訓 に逆 らう こと がで きな かっ たので 、ぐ っと 耐え るし かな かっ た。
②「 私 」 とい う自 称詞 への 違和 感
女性 名を 付け られ たこ とに 伴 い 、両 親 や 周囲 の大人 たち から は 、他者 に対 して 自分 のこ とを「 私」
と 言う よう に強 制 さ れた 。 筆 者 は この 「私 」と いう自 称詞 に対 して も、 違和 感が あっ た。
2 歳年 上の 兄は 、筆者 からみ て男 らし い 名 前 であっ たの で 、自 分 の こと を「 僕」、も しく は「 俺 」
と 言っ てい た。筆者 は子 ども のこ ろか ら 、言 葉 の 響 き方 や音 に対 して 興味 があ った ので 、こ の「僕 」、
もしく は 「 俺」 と言 う自 称詞 に 対 して 密か に 憧 れを 抱 いて いた 。兄 は、 男ら しい 名前 を付 けら れ
たこと で 、 この どこ か自 由 で 力強 い「 僕」、も しくは 「俺 」と いう 自称 詞を 自由 に使 える んだ な 、
その 反 面 、 女性 名を 付け られ たこ とに 伴っ て 筆 者 に強 制 さ れた 「私 」と いう 自称 詞に は 、 どこ か
重苦 し く 自 由さ がな いな あ 、 とい うの が 、 筆者 の 自称 詞に 対す る 率 直 な 感想 だっ た。
とこ ろが ある とき 、ひ ょん なこ とか ら、 ある 男性 が 「私 」と いう 自称 詞を 使用 して いる こと に
気 づい た 。そ れま で 、
「 私 」と いう 自称 詞 は 、一 般的に 女性 が使 用 す るも の 、と 思っ てい た筆 者 は 、
ある 男 性 が「私 」と いう 自称 詞を 使用 して いる ことに 、最 初 は 違和 感を 覚え た 。しか し、
「私 」と
いう 自 称詞 を使 用 し てい たの は 、 その 男性 だけ ではな く、 複数 の男 性 、 それ も、 テレ ビ番 組 や 講
演 など の公 的な 場で 「私 」 と いう 自称 詞を 使用 してい たこ とに 気づ いた とき 、筆 者は ほっ とす る
と 同時 に 、 それ でも 、筆 者自 身 が 「私 」と いう 自称詞 を使 用す るこ とに 対し ては 、根 強 い 違和 感
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を 覚え ずに はい られ なか った 。
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男 性名 にし て、「僕」、 も しく は「 俺」 とい う自称 詞を 使用 する
① 男性名 にす るま での 経緯
鍼灸 マッ サー ジ 師 の 資 格 を 取り 、就 職 し てか ら 一人 暮ら しを して 数年 経っ たこ ろ、 祖母 が
亡 くな った 。そ のこ とを きっ かけ に 、 筆者 はひ そかに 、次 のよ うな 計画 を立 てる よう にな った 。
それは 、
「 両親 のど ちら かが 亡く なっ たら 、男 性 とし て生 きて いく ため に 男 性名 にす るこ と 」であ
る 。視 覚 に 障害 があ るた め 、 書類 など の名 前 の 記入欄 に女 性名 を代 筆 し てい ただ くと きの 恥ず か
しさは 、 今 思い 出し ても ぞっ とす るほ どで あっ た 。
20 05 年1 1 月 、 立 命館 大学 の社 会人 入試 に 合格 した こと を 母 に知 らせ る電 話 を した と
き 、母に 大腸 癌が 見 つ かっ たこ とを 、母 自身 か ら 告げ られ た 。そ のと き 、
(いよ いよ 、男性 と して
生 きて いく ため の決 心 を 固 め て 、 男性 名を 決め なくて は ) と考 えた 。そ して 、こ のこ ろか ら、 性
同一性 障害 に関 する 手記 を 読 み 、 名前 を男 性名 にする には 、ま ず 、 病院 で性 同一 性障 害の 診断 書
をもら って 、そ れを 申立 書と 一緒 に家 庭裁 判所 に 提出 する 、と いう 手順 を知 った 。
20 07 年5 月、 母が 亡 く なっ た。 実家 に帰 り 、母 の遺 体と 対面 し、 通夜 ・葬 儀に 参列 した と
き 、近 いう ちに 病院 で性 同一 性障 害の 診断 書を もらっ て 、 男性 名に する こと を 決 意し た 。
20 08 年2 月、 ぼう 大学 病院 のジ ェン ダー クリニ ック に通 い始 めた 。そ こで 真っ 先に 聞か れ
たのは 、
「 通 称名 は決 まっ てい ます か? 」と いう ことで あっ た。そこ で筆 者 は はっ と気 づか され る 。
男性名 にし たい とい う 気 持 ち はあ って も、 子供 のころ から 視覚 に障 害 が あり 、点 字を 使用 して い
たので 、 視 覚に 障害 のな い人 たち より 、漢 字 の 知識 が 乏し いこ とを 理由 に、 今ま で具 体的 にど ん
な 男性 名に する かを 決め てい なか った 。そ こで 、 筆者 の女 性名 に由 来 し た 名 前 で 、と っさ に 出 て
きた 1 時 名 で 、その 日1 日診 察を 受け たが 、ど うもし っく りこ なか った 。ちょ うど その ころ 、あ
る 授業 で 、「儒 教文 化」 につ いて 学ん だ 。 その 儒教文 化に ヒン トを 得 て 、考 え出 した 1 時名 をし
ばらく 使 っ てい たが 、こ れも しっ くり こな かっ た 。そ こで 今度 はパ ソコ ン で 、ジ ェン ダー クリ ニ
ック で 診察 を受 けた 際の 男性 名 と 、儒 教文 化 に ヒント を得 た男 性名 が一 緒 に 使わ れて いる 男性 名
がある かど うか を 調 べて みる と 、
「孝 治 」とい う名前 が出 てき た 。最 初 は 、こ の 名 前 に 対し て 、あ
まり 乗 り 気 では なか った し 、 なん だか 古め かし くてど うな のか ?と 疑問 を抱 いて いた のだ が、 そ
の 一方 で 、 なん だか この 「 孝 治 」 とい う名 前 が 気 にな って 仕方 がな かっ た 。 そこ で、 点字 の感 じ
の 辞書 で 調 べて みる と 、 女性 名 を 逆に して 、そ の 上に 冠を 付け て 完 成 さ せた シン プル な名 前 で あ
ること が 分 かり 、ぱ っと 電流 が走 った よう な シ ョック を 覚 えて びっ くり し た 。
( この 名前 なら 、家
族 を納 得 さ せる こと がで きる )と 確信 した 筆者 は、そ の 日 から 通称 名と して 、
「 孝治 」と いう 名 を
使用 す るこ とに した 。
②「 僕 」、も しく は「 俺」 とい う自 称詞 を使 用 する
やっ と決 めた 男性 名を 使用 し て 2・3 日 経過 したこ ろ 、あ る集 会 で 筆者 は 、通 称名 で参加 し た 。
そして 、 集 会の 場で 、次 のよ うに 言っ てみ た 。「私は これ から 、「 孝治 」と いう 名で 生き てい きま
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す 。そ こで 、「 私 」 とは 言わ ずに、「僕 」、 もし くは「 俺」 と言 って もい いで すか ?」。す ると 、 も
のすご い 拍 手の 嵐。
だが 、実 際 に「僕 」、もし くは「俺 」とい う自 称詞を 使用 して みる と 、最初 はや はり なん だか し
っくり こな いよ うな 気が した 。 ま るで 、新 しく かぶせ た歯 が、 なか なか 他の 歯と なじ まな いよ う
な 感覚 であ った 。特 に、「俺 」と いう のは 、「僕 」 より 強く てか っこ いい 印象 があ る分 、な んと な
く 気後 れが しそ うだ った 。
( 自分 のジ ェン ダー の性別 は男 なの に、そし て男 性名 を通 称名 とし て使
用 して いる のに 、な ぜ「僕」、も しくは「俺 」と 言った とき 、こ んな にも 気後 れが するの か)と 少々
悩 みな がら も、いつ しか この「僕 」、もし くは「俺」とい う自 称詞 が、筆者 の 自 称詞 とし て自 然 に
使用 す るこ とが でき るよ うに なっ てい った 。
4
終 わり に
次回 は 、「名 前 と 自称 詞( 後編)」と して 、戸 籍上男 性名 にし てか らの 自己 の変 革に つい て 詳 述
する 。
牛若孝 治 ( 立命 館大 学大 学院 先端 総合 学術 研究 科 )
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