大 阪 に 破 竹 の 勢 い の 外 食 チ ェ ー ン が あ る。 ホルモン焼店「情熱ホルモン」を中核に様々 な業態を展開する五苑マルシングループ(大 阪市中央区)だ。グループ売上高は 年度 150億円から 年度に220億円、 年 度 に は 2 5 0 億 円 に 達 し、 今 期 年 度 は 300億円の大台を目指す。同グループを 率いる川辺清社長は赤字店舗から格安焼肉 店「五苑」を生み出し、ホルモン焼きを若 い女性向けに打ち出すことで「情熱ホルモ ン」をブレイクさせた。かつて投身自殺を 図るほどのどん底を見た川辺社長が、逆境 を乗り越え見出した勝利の哲学を聞いた。 「ホ ル モ ン 焼 」 が 女 性 に 人 気 だ 。 ホルモ ン に は ま る 女 性 を 「 ホ ル モ ンヌ」 と 呼 ぶ 愛 称 ま で 生 ま れ 、 そ の人気は衰えるところを知らな い。 人気 の 理 由 は 一 つ で は な い 。 赤 身の肉よりヘルシーでコラーゲン豊 富とい う 美 容 面 。 種 類 は 以 上 あ り、そ の 個 性 を 知 る ご と に 興 味 深 くなる 商 品 性 。 お 腹 い っ ぱ い 食 べ ても2000円程度という価格帯。 諦めなかった 者たち 第16回 09 07 10 新しいものに敏感な女性客を惹き つける要素が溢れていたのだ。 このホルモンブームを受けて業 績を急拡大させているのが五苑マ ルシンの川辺清社長だ。同社の運 営する「情熱ホルモン」2005 年のスタートからわずか5年程で 200店舗を突破。日本一のホル モン焼きチェーンとなった同ブラ ンドは大阪から東へ西へその店舗 網を広げている。 08 「情熱ホルモン」が他社に先駆け て成功した要因は、いち早くター ゲットを女性に絞ったからだ。 女性が1人でも気兼ねなく入店 できるようにカウンターをなく し、全席仕切りのあるテーブル席 とした。剥き出しの排煙パイプは ホルモンの流通市場は一般的な 肉と比べ閉鎖的なマーケットなの 成長したのだ。 しかし、人気店は真似されるの が常。同店の人気に続いて他社も 女性向けホルモン店を展開してい った。競争が厳しくなる中でも同 社が圧倒的ナンバー1の店舗数を 誇るのには理由がある。それはホ ルモンの流通市場の古い商慣習に 起因する。 「障害」「詐欺」「経営不振」逆境に負けず 掴んだ“ホルモン焼チェーン日本一”の座 30 五苑マルシン 代表取締役社長 川辺 清 1938年大阪市西成の靴職人の4男として生まれる。幼少時に小児麻痺を患い左足が不自由になる。 その後も不幸な青少年時代を送るが、持ち前の負けじ魂とプラス思考で靴職人から這い上がり飲 食業界に進出。現在は、焼肉店「情熱ホルモン」など約300店舗を展開する。 行灯で隠し見た目にも注力。メニ ューもPOPで分かりやすい解説 書とし、飲茶感覚で楽しめるよう にホルモンを小皿で提供する取り 組みも始めた。接客は「ホルモン マ イ ス タ ー( お か み )」 と い う 接 客スキルに長け、ホルモンの知識 が豊富なスタッフに行なわせるよ うにした。 女性客の心を掴む内装、サービ スを積極的に行なう事で「情熱ホ ルモン」の客足は右肩上がりに伸 び、300店ほどあるグループの 店舗の中でも中心的なブランドに だ。過去にO157などの食中毒 による風評被害を受けた経験から 流通業者は、安心して任せられる 企業としか大きな賄をしてくれな い。同社はホルモン焼よりも前に 焼肉チェーンを展開していた実績 もあり、業者との信頼関係構築を いち早く行なった。そして、その 取扱量が増えるごとに信頼を強固に していくことで200店を超えるチ ェーン展開が可能になったのだ。 「自分の店に行列ができている」 現場で掴んだブレイクの端緒 女性の間でのホルモンブームの 波をいち早く掴まえた川辺社長だ が、当初は“オヤジ”向けにホル モン焼業態を開発していた。 「まだ皆が貧しかった頃、焼肉を 食べられない人は炉辺のホルモン 焼 屋 で 空 腹 を 満 た し て い ま し た。 ホルモンは『放るもん』と言われ るとおり、立ち飲み屋で出てくる 食べ物ぐらいの認識でした。中高 年の方たちが昔を懐かしんで食し てくれればいいなとホルモン焼を 始めたのです。しかし、これが私 の予想に反した反響を得たのです」 ある時、知り合いの経営者と梅 田を歩いていると「あの行列川辺 社長の店のじゃないの」と言われ て目を疑った。二階にある店舗の Business Chance 2010.8 6 7 Business Chance 2010.8 百 折不撓 行列が 階 段 を 下 っ て 一 階 ま で 続 い ていた 。 慌 て て 店 を 覗 い て み る と 女性客 や カ ッ プ ル で 店 内 が 溢 れ か えって い る の だ 。 川 辺 社 長 は す ぐ に「ジ ャ ズ 流 せ 、 ジ ャ ズ 」 と ス タ ッフに 指 示 を 送 っ た 。 そ の 時 、 女 性で溢 れ か え る 店 内 に は 演 歌 が 流 れてい た の だ 。 この日の光景を目の当たりに し、 川 辺 社 長 は 「 情 熱 ホ ル モ ン 」 への考 え 方 を 改 め た 。 中 高 年 が 郷 愁に耽 っ て 訪 れ る 店 で は な く 、 女 性が美容、健康のために足を運ぶ 店へと変えたのだった。 土壇場で生まれた 繁盛焼肉店のビジネスモデル Business Chance 2010.8 8 9 Business Chance 2010.8 が鳴き続けた。経営状態が厳しく ごとに仕入れや収益の上げられる なった川辺社長は、開店から 年 全 体 の 価 格 設 定 の 精 度 を 上 げ、 半 し て 閉 店 を 決 意。 「どうせなら 徐々に収益力を向上させていった むちゃくちゃしてまえ」と閉店ま という。しかし、この焼肉店事業 での ヵ月680円の には落とし穴が待っていた。例に ロ ー ス を 3 9 0 円、 よって狂牛病問題が同社にも大き 480円の生ビールを な影を落としたのだ。急速に業績 190円で売り出すこ が悪化する中で川辺社長は大きな とに決めた。するとじ 決断をする。採算が取れていない わじわ客足が増え、つ 店舗を閉鎖し、難局を乗り切っ いには満員御礼の大繁 た。 「商いは足し算と引き算どちらも 盛。スタッフから「そ 重要だと思っています。とりわけ ろそろ閉店ですね」と 引き算の見極めが肝要です。私は 言われた川辺社長は 「 い や い や、 閉 め ら れ 『 負 け た ら あ か ん、 勝 つ 』 を 合 言 葉のように言っていますが、勝つ るか」と顧客が支持し ということは負けるけんかをせん た価格で運営を続け ということでもあります。負けな た。 ビール会社から 「他 いためには素直に引き返す勇気も のお店が迷惑するから 必要なのです」 止めてください」と言 われても「そこは譲れ 今でこそ常にポジティブな川辺 ま へ ん 」 と 突 っ ぱ ね、 社長だが、かつては投身自殺を図 るほど未来に希望を持てない時期 それから 年経った今 があった。 でも生ビールの値段は 190円のままだ。 2 歳 の 時 に 小 児 麻 痺 に か か り、 左足が不自由になった川辺少年 「焼肉五苑」は瞬く は、幼くして親戚にあずけられた 間にヒット。わずか数 り、同級生にいじめられたりと不 年で100店舗を超え 遇の幼少期を過ごした。再び母親 るほどのチェーン店に の元に戻ることができ、少し元気 成長した。当初は利益 を 取 り 戻 し た 川 辺 少 年 だ っ た が、 度外視の価格設定だっ 中学校卒業後門をたたいた靴職人 たが、店舗数が増える ●事 業 内 容 飲食店運営管理、FC事業など 川辺社長が「現場か ら」飛躍の種を見つけ たのは「情熱ホルモン」 が最初ではない。今で も主力業態の一つであ る「焼肉五苑」がそう だ。 「 焼 肉 五 苑 」 の 一 号 店を大阪住之江にオー プンしたのは 年。熱 い思いを持っての開店 だった。 「 歳のときに取引先 で生まれて初めて食べ た焼肉の味が頭に残っ ていたのです。 歳に なってまた焼肉を食べ に行った時、 年ほど 前に世の中にこんな美 味しいものがあるのか と感動した記憶があり ありと蘇ってきたので す。よし、焼肉をやろ うと思いました」 しかし、川辺社長の 思いとは裏腹に「焼肉 五苑」一号店は閑古鳥 ●設 立 1991年 障害を抱えて苦しんだ幼少期 投身自殺を図ったこともあった 1 20 1 社員がやりたいと考えた業種があ ればどんどん挑戦させたいと思っ ています」 絶望を知ったからこそ川辺社長 は、周りに希望の種を振りまくこ と が で き る の だ ろ う。 「金持ちよ りも人持ちや」 と語る川辺社長は、 今日も社員が生き生きと働く姿を 見つめ、今日も口癖の「幸せでん なぁ」とつぶやいている。 ●本社所在地 東京都新宿区 88 50 30 の修行時に苦難が待ち構えてい 挑戦することの た。 毎 日 働 き 詰 め の 生 活 が 続 き 、 大切さを教える 栄養失 調 な ど も 影 響 し た の か 結 核 社員教育・ を患っ て し ま い 、 つ い に は 親 方 か ボランティア実施 ら暇を 出 さ れ て し ま っ た の だ 。 よ 川辺社長は自分が辛 うやく 仕 事 を も ら え 、 母 親 に 楽 を 酸をなめてもめげずに させよ う と 頑 張 っ た の に ど う し て 挑戦し続けることで飛 ダメな ん だ 。 思 う と お り に 行 か な い 体、 ふ が い な い 自 分 に 絶 望 し、 躍できたことから社員 や社外にも夢を持って 線路に 飛 び 込 み 死 ん で し ま お う と チャレンジすることの 思い立 っ た 。 し か し 、 や せ 細 っ た 大切さを説いている。 川辺氏 の 体 は 汽 車 の 風 圧 に 吹 き 飛 「私は成功の接ぎ木と ばされ て し ま っ た 。 「死ぬ事もできないんかと惨めさ 言っていますが、自分 と悔しさの中でふと線路を見る が培っていたノウハウ と、自 分 が 握 り 締 め て い た は ず の を接ぎ木して若い社員 五円玉 が 汽 車 に 轢 か れ て ぺ ち ゃ ん には成功を掴んで欲し こにな っ て い ま し た 。 そ の 五 円 玉 いと思っています」 を見て 自 分 の 身 代 わ り に な っ て く ボランティアにも力を たんや と 思 い ま し た 。 す る と 勇 気 入れており、福祉施設 が湧い て き て 自 分 が 死 ん だ ら 母 親 などに芸を持つ演者を が絶望 す る か も し れ ん 。 負 け た ら 宅配する「なにわ一芸 あかん と 奮 い 立 っ た の で す 」 一座」や若いお笑い芸人達に賞金 をかけたコンテストなど無償で開 五円玉に励まされた川辺社長 は、自 分 の 思 い が 詰 ま っ た 焼 肉 店 催している。周りの人を熱くする に「五苑(ごえん)」と名づけた。 川辺社長の元へは志を持った人材 が集まり、それが同社躍進の原動 どん 底 を 知 っ て い る か ら こ そ 川 辺社長 は 、 常 に 前 向 き で い る 事 が 力となっている。 でき、社員にも「負けたらいかん、 「社員にはもっとチャンスを与え ていきたい。情熱ホルモンに依存 勝つ」 と 鼓 舞 し 続 け る こ と が で き することなくこれからも新たな業 るのだ 。 種を開発していきます。その際に 者 川辺 清 ●代 表 商 550億円 ●年 本 金 4000万円 ●資 社 名 五苑マルシン ●会 21 41
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