老のくりごと︱八十以後国文学談儀︱︵ ︶ 歌とな る 言 葉 と か た ち 島津忠夫 岐阜県郡上市大和町の﹁古今伝授の里フィールドミュージ アム﹂で、歌人と造型作家の協同製作﹁歌となる言葉とかた ち﹂という美術展が、平成九年から毎年行なわれている。平 が、その一首を解釈し、鑑賞するのは自由であって、その歌 の作者の意図は問題外である。造型作家の手に委ねられた短 歌一首は、それを契機として一つの作品が形象される。出来 上がった作品を見て、歌人の方は、その一首がどのように解 釈され、鑑賞されて、形象されているかを見ればよいのであ る。 私の場合、さまざまな傾向の歌を提出しておいたが、結局 は、 人間の世界のおろかさ太陽があざ笑ふやうな顔出してい お しお 成二十年には、小塩卓哉氏の提唱で、 ﹁歌と書のやん ご と な る が取り上げられた。抽象的な歌で、 ﹁かたち﹂に な り に く い き関係∼コラボレーションはどこで成立するのか∼﹂をテー マに、シンポジウムが持たれ、 ﹁短歌世界の 視 覚 化 と は﹂と と思われた歌であった。造型作家は書家の直井誠氏。篆書で、 複数の紙を重ねる形で表現された。そして﹁太陽﹂が注目さ 題して、前座の講話を行なった。 この﹁歌となる言葉とかたち﹂の仕組みは、あらかじめ特 れていてなるほどと感じた。 ﹁古文字遊戯﹂と題が付されて、 短歌作品そのものが素直に﹁かたち﹂を思い浮かべやすい 定の歌人の作品数首が示され、造型作家がその中から作品化 作品もあれば、 ﹁かたち﹂が想像しにくい作 品 が あ り、後 者 まさに私 の 一 首 を 契 機 と し て の 直 井 氏 の 世 界 の 構 築 で あ っ グの折に、自分の短歌作品が、どのようなかたちに出来上が の方が、成功すれば、歌人にとっても造型作家にとってもと を考えて選び、作品を作成する。歌人は、七月に造型作家と っているかを初めて知るのである。オープニングの折には、 うぜんおもしろい。たとえば、この年の展示で、素直に﹁か た。 歌人の意図と造型作家の意図の説明があるのだが、一致する たち﹂を思い浮かべやすい作品には、 の顔合わせがあって選ばれた作品を知り、十月のオープニン こともあるが、多くは意図にずれがある。しかし、それは何 盆梅の紅白ありて和らぎぬ玻璃戸一重の寒暖思ふ 等かまわないのであって、いったん発表された短歌作品は作 者の手を離れて一人歩きをするものだからである。造型作家 19 1 0 星の降る夜に私は傘をさし遠い銀河に挨拶をする は、連歌において、自分の句がどのように解釈され、どんな 分の短歌一首が、造型作家により、どのように形象されるか するのである。 ﹁歌となる言葉とかたち﹂の 場 合、歌 人 は 自 などがあった。前者は、一首から、ほぼ造型作家の作品がす 句が付けられるかを待つ楽しみに似ているともいえよう。 かず離れずの題に興味を抱いた。当時は、短歌の世界で、題 展を見て感じたことに、絵と題との関係に注目して、絵と付 ていた。まだ、昭和二十年代の後半のことである。私は、日 ここで、私は短歌における﹁題と作品﹂の関係を思い出し ゴ・トマト・赤唐辛子などで囲んでいる見事な絵画を描いて く嘱望されている画家の奥村晃史が、鯛一匹を真中に、リン 色の妖しさ﹄を歌集の題名にしたいと思っている。これを若 う一冊歌集を出すとするならば︵それは遺歌集でもよい︶ 、﹃赤 が取り上げられた。この歌は、妙に気に入っていて、もしも 緊急の通報装置の赤色の妖しさわれも夜もふけてゆく 絵は言葉のない世界です。歌は言葉の世界。私は言葉に ︵しまづ ただお/大阪大学名誉教授︶ 20 老のくりごと などがあり、 ﹁かたち﹂が想像しにくい作品には、 ぐになるほどと理解され、後者は、両者の鬩ぎ合いがおもし 詠は歓迎されなかったが、私は、題と短歌が付かず離れずの 平成二十二年度は、私のいくつかの作品から、 形で効果を持ち、新しい短歌ができないか、古い題詠という くれている。私はすっかり感動した。老いを視覚的に感じ取 ろい。 形を新しく甦らせることができないかと考えていた。展覧会 った一首だったが、この歌から完全に﹁老い﹂は捨象して、 ﹁題﹂に相当するのではないか と 思 う。造 型 作 家 も﹁題﹂を 対してあまりに無知ですが、匂いやたたずまいは敏感な く の絵画や彫刻を見て、和歌・連歌 の 用 語 で い う、 ﹁疎 句﹂の ﹁赤色の妖しさ﹂に焦点を絞っているのだ。彼は、 付けられている作品が多いが、それは短歌作品との関わりで ほうだと思います。言葉にも匂いがあるでしょうから、 そ 関係を思っていたのである。短歌一首は、造型作家にとって はなく、造型作家の作品に対する造型作家の﹁題﹂であろう いきたいと思います。 五感を駆使し、感じ、更にそこから自分の作品へ いで これは、連歌の付合の妙味にも通じるのではないか。連歌 とコメントを記している。 と思う。 の場合、前句に付句を付けるが、その付句は、また次の作者 によって前句となり、どのように付けられるかは、作者には わからない。付句の作者は前句を解釈し、新しい付句を創作 }
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