シン大学畜産学部卒業(農学士) 。78 年に帰国し、農事組合法人・共働学舎新得農場を開設、代表を務める。チーズ 職人、酪農家、事業家、科学好きの研究者など多彩な顔を持つ。フランスチーズに貢献した人に与えられる称号「フ ランスチーズ鑑評騎士(シュバリエ)」の一人。NPO法人「共働学舎」副理事長、十勝ナチュラルチーズ連絡協議会副 理事長、北海道ブラウンスイス協議会会長など。著書『みんな神様をつれてやってきた』 (2008 年・地湧社) 連載第 回 特別インタビュー (その2) 心身に悩みを抱える人たちと新たな農業の 可能性を追求する共働学舎新得農場代表 さん 第一世代の職人も訪ねて 欧州系チーズを志向する ──共働学舎が本格的なチーズづ くりに乗りだした理由は? 宮 嶋 「 年 後 に は 必 ず 売 れ る も の は 何 か 」と 考 え た ら、 答 え は〝本 物 〟で し た。 日 本 人 は 豊 か な 森 の な かで生活し、天然の食の恵みを享受 できたから、機械化をせず化学薬品 を使わないものを〝本物の味〟と捉え て い た。 そ れ は 素 晴 ら し い こ と で す。我々は大がかりな機械や化学肥 料、遺伝子組み換えなど経済の最先 端のものを使いたくない。であれば、 その方向に進んでいこう──と考え たわけです。本物を買ってくれる人 たちは、いつの時代にもいるだろう、 と。 そ こ で 狙 い は、 時 間 の か か る ハード系のナチュラルチーズになっ ていった。 ──そんななか、自閉症の子の行 為(※先月号参照)がきっかけで新得 町の特産物加工研究センターが建設 され、チーズづくりの基盤が整って きた、と。 宮嶋 1984年には同センター で 製 造 で き る よ う に な り、 7 年 間、 ク リ ー ム チ ー ズ や ゴ ー ダ、 カ マ ン ベールタイプを研究しました。その 間に僕はどんなチーズを造ったら日 年代に個人では国内初の 本でやっていけるか、リサーチした んです。( ナチュラルチーズ工房を誕生させ た )共 和 町 の 西 村 公 祐 さ ん や( デ ン マークでチーズ製造を学び、日本人 として初めて「マイスター」の称号を 得 て 帰 国 し た )せ た な 町 の 近 藤 恭 敬 さんといった、第一世代のチーズ職 人のところを見て歩いた。(先達から は)「ヨーロッパのチーズを造っても 売 れ な い よ。 や め と け 」と 言 わ れ ま したね。でも、僕が(実習・留学先の) アメリカで目にしたチーズは工業製 品であって、工業化された商品とし ては良くても我々が狙うようなもの ではなかった。だから、「今後やって いくには、ヨーロッパ系のチーズし かないな」と心に決めたんです。 渡仏してユベール氏と会い AOCチーズの原点に学ぶ ── 年代に「ナチュラルチーズ・ サ ミ ッ ト 十 勝 」を 開 催 す る よ う に なりますが、それはフランスでAO C( 原 産 地 統 制 呼 称。 ※ 次 頁 の 注 を 参 照 )の チ ー ズ に 接 し た こ と が 大 き かったそうですね。 46 THE HOPPO JOURNAL 宮嶋 望 聞き手 ルポライター 滝川 康治 地域に根ざし、世界に学ぶ。仲間 とともに挑戦し、切り開いた北海 自閉症の子の行為をきっかけに建設された新得町の加工施設でチーズづくりを研究するかた わら、宮嶋望さんは先達を訪ねて話を聞いていった。高品質なものを狙うことで新たなマー ケットを創ろうと、ヨーロッパ系のチーズに絞る。そうしたなか、フランスでの一つの出会 いが新得農場の新境地を開いていく。各種コンクールに出品して受賞し、国内外で高く評価 1951 年、群馬県前橋市生まれ。自由学園最高学部を卒業後、22 歳でアメリカに渡る。牧場実習をへて、ウィスコン 2011. 8 . 2011. 8 . THE HOPPO JOURNAL 47 90 102 されるようになった同農場の 〝本物のチーズづくり〟の陰に、どんな苦労や創意工夫の積み重 宮嶋 望(みやじま・のぞむ) ねがあったのか──。 北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く 10 70 in “農と食” 北の大地から 道産ナチュラルチーズの 〝可能性〟 “農と食” “農と食” 宮嶋 年に笹川財団の助成を受 けて、十勝の将来につなげるための 視察を目的にした国際交流のプログ ラ ム が 組 ま れ、 有 機 農 業 と ナ チ ュ ラ ル チ ー ズ、 グ リ ー ン ツ ー リ ズ ム をテーマにヨーロッパを訪れまし た。 関 係 者 か ら は 「 視 察 し て も、 日 本の食料基地である十勝には関係な い だ ろ う 」と 言 わ れ ま し た が、 僕 は 大規模・機械化して輸入食品と対抗 するのとは違うマーケットを創ろう と思っていたから、高品質なものを ズ関係者は、味のチェックを審査項 種類くらいあり、委 目に加えるよう呼びかけました。A OCチーズは 員会がその味をきびしくチェックす る こ と で 品 質 の 底 上 げ を し た。( ユ ベ ー ル 氏 は )経 済 的 に 不 利 な、 土 地 と一体になって生きている人たちの 権利を守るための仕組みを創ってき た人。だから、「日本という工業国の なかで、経済的に不利な人を守ろう としてチーズを造るのならば日本に ス に 会 い な さ い 」と な っ た。 彼 女 は 話が具体化して連絡すると、「私のボ らった。半年後、ヨーロッパ視察の ら 電 話 し な さ い 」と 番 号 を 教 え て も たら気に入ってくれて、「パリに来た ができない。うちはメンバーの半分 人間の数が増えて生活を支えること る ん だ?」と 聞 く の で、「 牛 の 数 よ り 「どうしてそんなにチーズにこだわ た 」と 答 え る と ニ ヤ ニ ヤ し て い る。 あそこのチーズには納得できなかっ う 」と。「 ア メ リ カ に い た こ と が あ り、 乳を出荷するだけでお金になるだろ り た い ん だ 」と 言 う と、「 日 本 な ら 牛 宮 嶋 ユ ベ ー ル じ い さ ん に「 俺 は 牛を飼っていて、本物のチーズを造 ──会われた場所自体、興味深い ものがありますね。 訪れるわけです。 め、ヨーロッパ中から人々が視察に いしいものが食べられます。そのた 業で作られた原材料で料理した、お 味 が 落 ち た 」と 捉 え て い て、 有 機 農 命以前にある。工業化されたときに す。「フランス食文化の原点は産業革 車、燃料は薪という生活をしていま をつくり、スタッフたちが動力は水 200年以上前の農家を再現して村 このエコミュージアムでは、今から 彼 は そ こ で 待 っ て い て く れ ま し た。 ベ ー ル じ い さ ん 」と 呼 ん で い ま す が、 わ っ て い て、 僕 は 敬 意 を 表 し て「 ユ だし、なかには3倍で売れるものも Cのマークをつけだして値が上がり だから、AOCのマークを使うと きは昔の味でないといけない。AO にしてしまった。 ん だ 」と そ の 条 件 を 書 き 出 し、 法 律 い。そこで、「このワインは昔の味な の製法でやっていた連中はたまらな は落ち、評判は悪くなる。昔ながら しました。安いので売れたけれど味 造り『ボルドー』のラベルで市場に出 は資本家が工場を建設し、売れ残っ 械を使わずにワインを造り、それが お け る 生 育 環 境 の こ と )の な か で 機 命 前、 テ ロ ワ ー ル( 注 = そ の 作 物 に ランス南西部のボルドーでは産業革 宮 嶋 「 A O C の 仕 組 み を 知 っ て い る か?」と も 言 わ れ ま し た ね。 フ ──なるほど。 が返ってきた。 れ な ら ば 教 え て や る 」と 意 外 な 答 え わ れ る な 」と 思 っ た ら、「 そ う か。 そ 途 半 端 な 気 持 ち で 造 る 気 か?』と 言 う言いながら、「しまった。『そんな中 や ら な け れ ば い け な い ん だ 」と。 そ だから付加価値の高いものの生産を 狙った。 以前、会長の秘書だったんです。 が障害を持っている連中なので、負 出てきて猫も杓子もAOCをつける。 チーズ協会のジャ ン・ユベール会長 と出会うことに なった、と。 宮嶋 きっかけ は、その前の年に 周年記 雑誌 『乳業ジャー ナ ル 』の 念講演会のため東 京 に 行 っ た と き、 フランス製品を海 外 へ 紹 介 す る「 ソ ペ ク サ 」と い う 団 体の事務局に勤め る女性と会ったこ とでした。彼女の 話し相手をしてい 翌年の春から工事を始めた。 ──当時は、〝農 家 チ ー ズ 〟の 形 で いるわけだ(笑)。 たブドウを機械でつぶしてワインを ──そのころには道の関係者など も注目するようになりましたね。 サミットが大成功だったから、「フラ 宮嶋 第一世代 が出そろったくら 研 究 セ ン タ ー に 案 内 す る と、「 こ こ 議を終え、ユベールじいさんを加工 ズ・サミットに彼を招きました。会 チュラルチーズ関係者が180人も 省、 大 手 乳 業 メ ー カ ー も 含 め て ナ 中央酪農会議(※注参照)や農林水産 親父だけだった(笑)。サミットには、 た。「 日 本 人 は な ぜ、 マ ニ ュ ア ル ば ら技術者を招いて講習会もやりまし ズ工場を稼働しました。フランスか に牛を入れ、チー 月には新しい牛舎 月のことで、冬 道具立てがないから、みんな必死で 道具作りからやって、すごくいい勉 強になった。 ──それが、のちの官能評価の企 画やコンクールなどにつながってい くわけですね。 宮嶋 僕はそれまでの 数年、こ こで牧場をやりながら、アメリカ型 でない方法を探していたんです。だ んだん目星をつけ、第一世代のチー ズ 職 人 た ち を 訪 ね て「 こ の 方 向 し か な い 」と 思 い、 フ ラ ン ス に 行 っ て ユ ベールじいさんに出会えた。でも最 48 THE HOPPO JOURNAL ──そのときに、 フランスAOC フランス東部アルザス地域圏のコ ルマールという街の郊外にあるエコ 担が多いからスピード感が持てない。 売れていた。ところが、産業革命後 ミュージアムに行くと、話は全部伝 牛舎と隣接した工場を建設 「サミット」 重ねて技術向上 かった。 ン ス と つ な が っ て チ ー ズ を 造 る 」と い で、 そ ん な に い やる人はまだ少な 宮嶋 町が間に入り、うまく補助 金を見つけてくれました。第1回の なったわけだ。 言うと、道やホクレンも含めて、「や ── そ れ が「 ナ チ ュ ラ ル チ ー ズ・ サ ミ ッ ト 」を 長 く 続 け る 原 動 力 に 宮 嶋 「 準 備 で き た ら お 呼 び し ま す 」と 言 っ て 帰 国 し、 翌 年 の 年 秋 なかった。 年2 れ、 や れ!」と。 反 対 し た の は 僕 の で、 わ た し が 言 う チ ー ズ を 造 る の 新得にやって来て、世界会議ですよ。 に開催した第1回ナチュラルチー か?」と 聞 く。 僕 は な ん の 裏 付 け も か り 追 い か け る ん だ。 チ ー ズ 造 り 年 は ア ー ト だ!」と 言 わ れ た り し て ね。 「いけるぞ!」という雰囲気になって にしました。 り、高低差で牛乳が流れていくよう せ、搾乳室から床を下げて工房を造 を書き、牛舎とチーズ工房を接近さ のイメージができた。すぐに設計図 こからコンセプトを得て、この工場 ン プ を 使 う な 」と い う 意 味 で す。 そ を 劣 化 さ せ る か ら、 電 気 で 動 く ポ ろ で 搾 っ た 牛 乳 だ け を 使 え 」「 牛 乳 という一言だけでした。「自分のとこ か?」と尋ねると、「牛乳を運ぶな!」 物を造るために一番大切なものは何 り ま す 」と 言 い 切 っ た。 そ し て、「 本 なく、「いや、新しいチーズ工場を造 92 2011. 8 . AOC=フランスの農業製品、ワイン、チーズ、バターなどに対して与えられる認証 「ア ペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ(Appellation d'Origine Contrôlée) 」のこと。 「原 産地統制呼称」と訳される。製造過程や最終的な品質評価において、特定の条件を満た したものにのみ付与される。チーズの場合、牧畜地域、生産された地域や時期、乳の 種類、搾乳法、凝固法、菌の種類、熟成法、試食検査など細かい規定がある 90 2011. 8 . 25 の間に1億2千万円の資金を集めて 官能評価の講習会で参加者にアドバイスする宮嶋さん (右端。02 年、帯広市内で) 1991 年に建設した共働学舎のチーズ工場。牛舎と工場を接近させ、 自然流下によって生乳が送られるように設計されている 90 年から通算 15 回にわたり開催された「ナチュラルチーズ・ サミット in 十勝」。フランスやアメリカの関係者を講演に招い たり、技術講習やコンクールなどを実施した (写真は 2002 年の催し・帯広市内で) ま で 教 え に 行 っ て や る 」と い う こ と 中央酪農会議=指定生乳生産者団体と酪農 関係全国機関 (全中、全農、全酪連、全開連、 農林中金、全共連)によって構成される社団 法人。設立は 1962 年。生乳の流通に関す る各種の指導を中心に事業を展開している 10 44 だったんです。 11 THE HOPPO JOURNAL 49 90 89 こういう動きをじっと見ていたチー 北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く “農と食” の反対側に位置する思想体系を持っ は 嫌 だ 」と 言 っ て は い る け れ ど、 そ ていなかった。「アメリカの思想体系 初は、AOCそのものをよく理解し るアンチテーゼとして法的に擁護し るものを、アメリカの方向性に対す 宮嶋 そう、最初は。でも、何度 も会ううちに、「昔ながらにやってい かったんですか。 で、 A O C の 深 い 意 味 は 分 か ら な ──なかなか政治的な立ち回りだ なあ(笑)。 いているわけですよ。 言われないようにアメリカからも招 ズに戻った。だけど、後でいろいろ サミットからは再びフランスのチー はあまりおいしくなかった。本物は ンシンには4年いたけれど、チーズ 自分で設計図を書いた話をしました 宮嶋 「牛乳を運ぶな!」というユ ベールじいさんの言葉は、自然の発 経緯を教えてほしい。 理を実現しています。その大まかな ──共働学舎のチーズ工房や牛舎 では、炭や微生物を活用した衛生管 炭や発酵微生物を活用して 実現させた自前の衛生管理 ていないわけですよ。 て い る ん だ な 」と 理 解 で き た。「 こ れ 宮嶋 「(アメリカ、フランスとも) 言 っ て い る こ と が 同 じ だ っ た か ら、 が、 僕 は も う 一 つ 確 証 が ほ し か っ 片っ端からインカの遺跡を見て回っ 宮嶋 そうですね。先方はアメリ カの事情を語り、「ウィスコンシンは たね。サミットを開きながら、 年 全く反対だったので色々言われまし いましたから、僕がやりたいことは うやって石や水、炭を使ったのかを 業技術だと聞いていたからです。ど 繁栄を支えたのは武力ではなく、農 まで500年間続いたインカ帝国の リカのウィスコンシン州で酪農製品 フ ラ ン ス だ な 」と 判 断 し て、 翌 年 の 「フランスの人たちなりに頑 ── 張 っ て い る ん だ ろ う 」く ら い な 感 覚 じ ゃ な い か!」と 思 い、 第 2 回 の ナ 歴 史 の あ る ほ う を 選 び ま し た 」と 言 た。そこでペルーに行き、3週間で チュラルチーズサミットには、アメ をコントロールしている組合の事務 い訳ができるじゃないですか。そん 歳ころでした。 小型の家族農業だから、品質を高め からは技術講習会を始めて毎年続け、 見 て、「 自 分 の 考 え は い け る ぞ 」と 確 ンド州、バーモント州のあたりにし ウィスコンシン州やニューイングラ ズ を 造 ろ う と す る 酪 農 家 は 少 な く、 宮嶋 農家数や牛乳の生産量は多 い け れ ど、 こ う し た 考 え 方 で チ ー の工房が増えていくきっかけになり という話になり、十勝地方で小規模 な小規模でもチーズができるんだ」 くりを視察に行った。すると、「こん フランスのアルプス地方のチーズづ 団からの補助金で酪農家の奥様方が で 許 可 し な い 」と い う 対 応 で し た が、 上離さないと衛生管理ができないの を持つ保健所は当初、「 絶対条件でした。工場の許認可権限 消す、ハエや汚水の対策──これは 設計では、チーズ工場と牛舎が近 づくことになります。牛舎の臭いを 年には、日仏財 かいません。「(ユベール氏と)同じこ ました。 僕は「炭と微生物でやる」と言い切っ 結局、フランスは 年から3年間か これは生乳を発酵させて造るフラン から臭いがせず汚水管理をしやすい。 を阻害するのでハエが湧かない。だ 酵している。微生物の分泌物が羽化 僕は 「炭や微生物を使って牛床が発 人目に入ってしまい、騒然となった。 (※注参照)の取り たのがHACCP れない。次にやっ 宮嶋 そうなる と下手なものを造 すよ。 は説得力がありま ています。 て も O K 」と な っ 乳でチーズを造っ 会 の 規 定 で は「 生 コーデックス委員 を約束したんです。 Pをやらせること ズ工場でHACC けてすべてのチー ス の チ ー ズ に 学 び ま し た 」と ス ピ ー 組みです。フラン プ チした(笑)。「こいつは、フランスの スとアメリカは当 ッ チーズの本質である、生乳の発酵作 時、コーデックス 日 本 は「 国 際 法 に 従 う 」と 言 っ て い る か ら、 そ れ に サ 用 を 理 解 し て や っ て い る 」と 認 め ら 委員会(※注参照)でHACCPにつ ハ れて、シュバリエの称号をもらった んです。 け な い。 そ れ ま で の 乳 等 省 令( ※ 注 参照)では「生乳を殺菌しなければい け な い 」と 定 め て い ま し た が、 20 03 年 の 中 央 酪 農 会 議 の 通 達 で は 「 殺 菌 す る こ と が 望 ま し い 」と な っ た。 う ち の チ ー ズ で は『 レ ラ・ ヘ・ ミ ン タ ル 』と『 シ ン ト コ 』だ け は 生 乳 を殺菌していませんが、HACCP の証明書が出ているからOKなんで す。基本的なブラインドテストや味 の勉強などの官能評価を重ね、何人 かで専門教育も受けた。それに基づ いて、現場のHACCPを立ち上げ ることにしました。今、北海道では 一定のポイントで微生物検査をして、 50 THE HOPPO JOURNAL 酵作用の極意を踏まえた助言でした。 局長を招いたんです。 なことを考えたのが て付加価値の高いものを売らなけ 本場のチーズ職人の指導を受けなが 証を得て帰ってきた。 世紀にスペインに滅ぼされる れ ば い け な い ん だ 」と 言 っ た。 あ れ、 ら十勝のナチュラルチーズは歩みを た。 どこかで聞いた言葉だな、と(笑)。 進めていきます。 十勝はアメリカの酪農を追いかけて ──アメリカでは、そうした農家 は少数派なんですか。 とを言っているぞ。でも、ウィスコ メートル以 の 本 部 か ら の 推 薦 で 僕 が「 フ ラ ン ス 16 ──実践を踏ま えた宮嶋さんの話 92 基づいた国内法を整備しなければい チ ー ズ 鑑 評 騎 士( シ ュ バ リ エ )」の 50 乳等省令= 「乳及び乳製品の成分規格等に関す る省令」の略 (食品衛生法に基づく厚生省省令) 。 牛乳やその他の乳、乳製品などについての成分 規格や製造基準、容器包装の規格、表示方法な どが定められている 94 い て の 議 論 を ガ ン ガ ン や っ て い た。 96 た。 す る と、「 じ ゃ、 や っ て ご ら ん 」 と保健所の所長さんがリスクを負っ てくれた。この地域の精神障害者対 策も所轄していたので、僕らが自閉 症やてんかんの人たちを受け入れて いることを知っており、応援してく れた。だから、こうした衛生管理も やれたんです。 ──そこでも、いい出会いがあっ たわけですね。 宮嶋 チーズ工場が稼働し、ふた たびユベールじ いさんを招きま 36 コーデックス委員会= 1962 年に国連食糧農業 機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が合同で 設立した国際政府機関。国際食品規格の策定を 通じて消費者の健康を守るとともに、食品貿易 の公正な実施を確保することを目的にしている ホエイ(乳清)を抜いたカード(凝乳)を成形した状態。 この後、札幌軟石で造った地下倉庫で熟成させる した。そのとき彼 から、「なぜ、この 牛舎は臭いがし かれた。僕は、「発 酵微生物の力で 臭いとハエの問 題を解決した。そ れはフランスの チーズから学ん だ 」と 言 っ た。 そ う し た ら、「 わ た しが東京に行く ときについてこ い 」と 言 う。 上 京 してみると、パリ 21 2011. 8 . ──それは日本でいえば中央酪農 会議のような組織になるのかな。 新得農場の主役・ブラウンスイス牛。チーズづくりに適した乳タンパク質が多く、 ミネラルの豊富な生乳を生産してくれる HACCP=「Hazard Analysis Critical Control Point」の略称。食品製造に 関わる衛生管理方式のこと。原料も含め製造・加工過程のなかの危害が起 こり得るすべてのポイントを検査・監視し、その結果を記録することが義 務づけられる。日本では、96 年度から食品衛生法の施行規則を一部改正し、 食肉製品と牛乳・乳製品にこの方式による承認制度が導入された 2011. 8 . THE HOPPO JOURNAL 51 な い ん だ?」と 聞 北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く “農と食” と公的に認められている。大手の乳 製造工程表に記録を残せばいい── 『ラクレット』が金賞とグランプリに チ ー ズ コ ン テ ス ト 」で、 共 働 学 舎 の 「第1回オールジャパンナチュラル 選ばれました。 業メーカー並みのHACCPの証明 をしなくてもいいわけです。 その後、白カビのカマンベールタ イプに力を入れたんです。(クマ笹の 粉 末 に 海 水 塩 を ブ レ ン ド し た )笹 塩 「なぜ日本には 『カマンベー 宮嶋 ル 』と い う 名 前 の チ ー ズ が 多 い ん だ。 の話をお聞きしたい。 そ の 一 つ、『 笹 ゆ き 』が 誕 生 す る ま で ── 共 働 学 舎 で は 地 域 性 の あ る チ ー ズ を 世 に 送 り 出 し て き ま し た。 生管理をどうするか考えた。 がないからね(笑)。このときも、衛 て牧場に笹はいっぱいあるじゃない の土地の個性を表現する、と。だっ にチーズを笹の葉で巻いてみた。こ 身近な笹や桜にも着目して 地域性あふれる製品を造る ノルマンディーの小さな村の名前を ──で、どうしたんですか。 いの (酸性が強い)高知県室戸岬の深 急傾斜、牛を放牧に出さざるを得な のものですが、こちらは標高が高い、 宮嶋 新得町の「町の木」がエゾヤ マザクラというのは後で知ったこと 00メートル以上、傾斜が 外にも自分たちの価値観を広げよう い、海から遠い──といった条件に 宮嶋 こっちのはもっと が高い。 深海水は飲用の許可を取っているか のところで造られたチーズを対象に、 という戦略です。 で、 き っ か け は「 山 の チ ー ズ オ リ ン ら 「水」の表記でいいんです。衛生処 フランスやスイス、スペインなどの ──そこに出場した、と。 合えばエントリーできる。外国を巻 宮嶋 建てる前ですね。「コピーも 造れない者が独特の個性のチーズは 理をしても色が変わらずOKとなっ 生産者や流通・販売している人たち ピ ッ ク 」で し た。 標 高 が 600 〜 7 できないぜ」 と言うので、 まずコピー た。自然の笹の葉を処理して、きち がやっていた。機械化しにくい地域 き込むことによって、ヨーロッパ以 を 造 る こ と か ら 始 め、『 笹 ゆ き 』が で んと風味づけができる技術を開発し ──『さくら』は、エゾヤマザクラ に着目したそうですね。 ました。 す。ほのかな桜の香りをつけている なわれています。AOCは地域限定 年から行 の生活を成り立たせるために付加価 ウ糖さえあれば乳 いるだけで、ブド フトで一番売りやすい日本独自のも といけない。小さくて白っぽく、ソ きたのは に 「この地方に一番合っている」 とユ 面 白 い 」と か 言 っ て ね( 笑 )。 で も のに、青かびが出てくるのはバラン スが悪い。出ないように工夫し、翌 発酵するという発 に入れて薄めると 値をアピールしようと、 ベールじいさんが言う 『ラクレット』 日以上たつと渋みが出 てしまうので外さざるを得なかった。 年の大会のときには白地にピンクに 想です。やってみ 年2月の のを造ろう。柔らかいということで 葉っぱだと そこでお茶屋さんに走り、桜湯に使 なった。それが金賞をもらい、どん 年春のこと です。白カビは使わず白く粉を吹い う八重桜の塩漬けをもらい、チーズ どん売れだした。 いこう──となった。 た よ う に な る 酵 母 で 造 っ て み る と、 に載せてみた。「俺は桜餅を造ってい けだ。ウォッシュ ると上手くいくわ なかなか出来がいい。でもフランス る ん じ ゃ な い!」と、 チ ー フ は 激 怒 タイプに仕上げよ うと、最後に日本 宮嶋 ありますよ。真髄を究めよ うとするならスターター(※注参照) ── ほ か に も 日 本 ら し い 素 材 を 使ったチーズは? が、自分自身で開 くらいかけました て 香 り づ け を し た。 酒でチーズを洗っ として何か使えるものはないか、と 発 し た チ ー ズ で す。 か ら は み 出 る と 受 け 入 れ ら れ な い。 います。慣れ親しんだ味のパターン テール』は食べられない」という人が に造るわけです。そこでスタッフの 宮嶋 売れるようになって注文が くるけれど、僕は忙しいから不定期 すか。 安定するまで3年 考えてね。味も日本風にしないとい 日本酒の酵母に触発されて 新しい可能性を切り開く の 『サンマルセラン』 そっくりなので、 て、いきなり銀賞をもらった。 に送ったら、ほどよく熟成されてい してね。少し若めの状態でフランス (笑) 。 ち ょ う ど 桜 の 花 が 散 っ た あ と で、 「これなら日本のイメージに合うな」 と思い、葉っぱを酸処理してチーズ け な い。 チ ー ズ 好 き で も、「( 匂 い が ──それは商品 化されているんで ならば、微生物の発酵のできるだけ 女の子に教えたら、ちゃんと造るん 強いウォッシュタイプの)『マウンス 早い時点で日本風にして、ものすご だ よ ね。 磨 く 手 が 男 じ ゃ な い か ら、 が売れるようになった(笑)。 く臭いチーズを造ればいい。それは えたわけです。 ── 試 行 錯 誤 を 重 ね な が ら、 ナ チュラルチーズの新たな可能性を切 やさしい味になって、そっちのほう 酒造免許がないので日本酒の酵母 は 買 え な い け れ ど、 生 酒 は 売 っ て (次号に続く) り開いていったわけですね。 ル濃度が高いので酵母は休眠して る べ さ、 と( 笑 )。 生 酒 の ア ル コ ー 日本酒の発酵の酵母だろう──と考 スターター=乳の発酵をスタートさせるもので、発酵を助ける乳酸菌、 カビを純粋培養した液・粉末のことをいう。タンパク質や脂肪を分解 して、特有の風味や組織をつくり、熟成を進める働きがある。前者は、 乳酸を生成し、タンパク質を分解して風味を出す。後者は、カビを利 用するチーズを造るときに、乳酸菌スターターとともに使われる を 成 功 さ せ て い ま す。 は酸凝固でヤギのチーズのやり方で 20 02 52 THE HOPPO JOURNAL というのがあります。それをヒント 訳も分からず、どうして使っている ですか。ただで手に入る。僕らは金 ん だ 」と、 ユ ベ ー ル じ い さ ん が 聞 く 宮嶋 下手な薬品は使いたくない ので、 (水素イオン濃度)が3くら 北海道もしくは十勝の特産のチーズ 海水を使った。 わ け で す。「 お 前 は コ ピ ー で は な く、 を造れるようになりなさい」 とね。 ──北海道のものではダメなんだ。 代表的なチーズ製品。手前左 がカマンベールタイプの『笹 ゆき』。同右が桜の葉と花び らをあしらった『さくら』 年くらいでした。その前 ──それは新しい牛舎を建てたこ ろの話ですか。 ブラウンスイス牛を導入して、炭や微生物を使った臭いのしない牛 舎で育て、搾乳後は自然流下でチーズ工房に受け入れる。 「牛乳を運 ぶな!」というユベール氏の教えに沿ってチーズを造ってきた。手 作業で製造されたチーズは、札幌軟石を組んで造った地下の熟成庫 で味を磨く。 ハード系では、 『ラクレット』をはじめ『レラ・ヘ・ミンタル』 (アイ ヌ語で風の遊び場)、 『 シントコ』。カマンベールタイプでは、2007 年「モンドセレクション」最高金賞の『笹ゆき』、09 年「第6回山の チーズオリンピック」特別金賞の『さくら』、 『 コバン』、 『 プチ・プレ ジール』など。 『ホエイジャム』や『フロマージュブラン』などの商品も ある。 大手デパートや札幌駅の「どさんこプラザ」などで販売されている ほか、新得農場の交流施設「ミンタル」でも扱っている。詳細は共働 学舎HPで http://www.kyodogakusha.org/ 度以上 共働学舎のチーズ製品 宮嶋 ただエントリーには条件が あって、商品として売られていない pH ──うまくいったわけだ。 宮嶋 でも、そのタイプのチーズ は青かびが表面に出てもOKなんで プリンのように固まったカードをカッティング。スタッフと談笑するひととき 2011. 8 . pH ま た コ ピ ー だ と 言 わ れ る ぞ、 と … 10 98 03 2011. 8 . THE HOPPO JOURNAL 53 98 の 上 に 載 せ て み た。「 香 り が つ く ぞ。 北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く
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