図書館員の専門性と 選書=蔵書構築の関わりについて

○ 特集 蔵書の個性化を巡って
図書館員の専門性と
選書=蔵書構築の関わりについて
高橋美子É
目次
1
2
3
3.1
3.1.1
3.2
4
5
6
1
はじめに−奥村藤嗣司書長のこと
図書館員の専門性と選書
大学図書館における専門性の確立と選書
アメリカの大学図書館
教育方法の改革と専門性の確立
日本の大学図書館
明治大学図書館における図書館員の専門性確立のための提案
専門性の高い図書館員による選書=蔵書構築の必要性と新たな選書
体制の形成の必要について
おわりに−コ−ボルトのつぶやき
はじめに−奥村藤嗣司書長のこと
夏休みが明けて間もなくの10 月7 日、先頃惜しくも亡くなられた江戸文
学の研究者、水野稔先生の蔵書を拝見するために、文学部の原道生教授、
大野庶務課長と同道して船橋市海神のご自宅に伺った。秋雨の時折り強く
降る肌寒い日で、使い込まれた和机のある書斎の窓から見える茫茫たる古
墳と海神という地名から、雨は鮫人の涙ではあるまいかと疑ったほどであ
る。書斎の隣にある書庫は、天井までうず高く積み上げられていたが、山
Éたかはし・よしこ/図書館整理課
東京伝や十返舎一九、式亭三馬らの貴重な黄表紙、草双紙は先生ご自身と
お弟子さんたちの手で、
『国書総目録』と照らし合わせ、カードによる目
録化をした上で、きちんと函に納められていた。蔵書拝見後、仏間で先生
の遺影を前に、奥様がしみじみと語られたことがある。ご自宅にある蔵書
はすべて水野先生がご自分で購入されたものであるが、先生がまだ少壮の
研究者のころ、
「研究上必要で貴重な刊本等が市場にでても、学部の個人
研究費ではとても買えないものが多かったが、当時の奥村司書長が資料の
価値を認め、その後も安永、天明から文化、文政を経て幕末にいたる草双
紙物の資料的価値の高いものを図書館が購入してくれた。主人は自分の研
究は奥村司書長と図書館に負うところが多いとよく話していました」。私
の世代では奥村藤嗣司書長(在任1944 年−1969 年) はすでに「伝説の人」
である。昭和19 年に司書長に就任し、本土空襲が激化してくると、館蔵
書を牛車で輸送し、自らはリュックを背負って書物を疎開させる一方で、
空襲下の図書館を最後まで離れなかったという。片山昭蔵元図書館事務部
長の『明治大学図書館史、増補改訂版 1996 年刊』によると「書籍にたい
する執念、愛着心が人一倍旺盛であり、雄大な識見をもっていた」と記さ
れている。ただ、有能なワンマンタイプのトップにまま見られるように、
性格は狷介で、対立する人間も多かったらしい。そのような奥村司書長の
身近で仕事をした片山氏は、司書長から奈良絵本についての調査を命じ
られたり、古本屋の書棚から明治大学図書館にない文学書を選べと指示さ
れるなど、当時のピリピリした雰囲気を懐かしく思い起こされている。ま
た、奥村司書長は、現在では古色蒼然の感もあるが、当時は最新の分類底
本であった昭和25 年12 月刊の『日本十進分類法新訂6 版』が刊行される
と同時に採用している。分類底本は時代や学問の変化とともに改訂され、
現在では新訂9 版まで刊行されているが、蔵書量の多い図書館では分類底
本変更の決断をするのは容易なことではない。明治大学図書館は、この時
奥村司書長が採用した新訂6 版を50 年近い年月を経た今日も未だに使用
しているのである。さらに、昭和40 年前後には《幻の》という形容詞が
つくが、奥村司書長が中心となって、司書課程の設立を具体的に計画して
いる。具体的にというのは履修科目、単位、担当教員名、履修年次、受講
料まで決定しているのである。この案は当時の学費値上反対運動の騒然と
した大学事情の中で、実現の運びには至らなかったというが、自らも講師
として名乗りを挙げた一図書館員のすさまじい自信と気骨を感ずることが
できる。さきほどの水野先生の研究を助けた図書館購入の草双紙物は、現
在、明治大学図書館の貴重なコレクションとして、その多くが貴重書庫に
納められている。その他、長州毛利家伝来の毛利家旧蔵書、近世の国学者
黒川春村、真頼、真道、真前4代にわたる黒川家旧蔵書、蘆田伊人旧蔵書
(古地図コレクションの他、日本地誌も多く含まれており、これらが現在も
継続して収集され、明治大学図書館の特色ある蔵書にもあげられている日
本地方史誌の礎石になっている) など、現在では明治大学図書館の特色あ
る蔵書として内外に誇る資料の多くが、奥村司書長の時代に購入されたも
のである。その当時の図書予算構成は現在のように細分化されておらず、
とくに貴重な古書や刊行部数が極少で、時期を逸してしまうと手に入り
にくい資料を購入することは、現在と比べ行い易かったことはある。奥村
司書長は自分の決断で購入した貴重な資料の整理を自ら行い、解題も行っ
た。本を選ぶにおいて資料を見極める力があり、購入する資料についても
よく研究していたのだと思う。現在、明治大学図書館に司書長という肩書
はないが、司書長の職位は今の図書館事務部長と同格程度のものであった
という。奥村氏以後、司書長の名称が途絶えたことは、専門職としての司
書という図書館員の矜持を徐々に薄れさせ、大学及び教員の意識の中にお
いて教育・研究支援業務を行う図書館員の専門性への認識・信頼度もまた
薄れていったように思う。しかし、明治大学の特色あるコレクションの基
礎部分を作った一図書館職員の選書と蔵書構築についての見識は、図書館
員の専門性を考えるにあたって多くのことを示唆してくれている。
2
図書館員の専門性の確立と選書
私が与えられたテーマは、選書=資料を見極める力が図書館員の専門性
とどのように関わっているのかということと、明治大学図書館で今後、基
本資料全般の選書に図書館員が主体者となって行うことができるかという
ことの2 点である。後者については、人の問題と体制の問題の二つの側面
から考えていかなければならない。現行の選書体制の問題点抽出とそれに
対する改善案については、
「学術資料の迅速提供ワーキンググループ」(以
下WG) で1997 年7 月に中間報告を提出したので、ここでは選書を行う人
の問題を中心として述べていきたい。
最初に、図書館員の専門性とはどのようなものなのか。今までも国公私
立の図書館関係団体が、専門性について熱心な調査、討議を行い、いずれ
の報告書でも、図書館業務には高い専門性を必要とする業務があり、専門
的図書館員をおく必要を述べている。日本図書館協会・図書館員の問題調
査研究委員会の報告書によると、図書館員の専門性の必要条件として、ç
1
利用者を知ること、ç
2 資料を知ること、ç
3 利用者と資料を結びつけるこ
との3 点をあげている。これは、館種を超えて図書館員に普遍的に求めら
れるものである。それでは、高等教育・研究支援を行う大学図書館で求め
られる図書館員の専門的能力を具体的に見てみるとどのようなものがあげ
られるだろうか。大学審議会大学教育部会や私立大学図書館協会等の報
告書では、先ず基礎学力として、大学及び大学院で図書館学・情報学、或
いはその他専門主題を修了しており、その土台の上に、次のような能力を
持つ図書館員の適切な配置が求められている。それは、幅広い主題知識プ
ラス特定分野の専門知識、二次資料の利用・編集・作成知識、書誌学的知
識、読み書き話せる外国語能力、情報検索・処理技術、利用者の求めてい
るものを引き出すコミニュケーション能力、古文献整理知識等である。そ
して、これらの専門的能力は、同時に選書=蔵書構築担当者に必要な能力
でもある。
『全国高等教育機関図書館における資料選択・収書事務・書店=図書館
関係調査結果報告書、1981』によると、選書を行う者の資質・技能として、
具体的に10 個の要件をあげている。選書を行うものは、
「図書館の目的や
サービス方針を念頭におき、常に利用者の多様な要求を敏感に察知しなが
ら、ありとあらゆる主題分野にわたる数限りない資料を評価し、個々の図
書館で諸々の条件の下で選択の最終決定をする。それは、知的集約度のき
わめて高い作業である」
。その要件は以下の通りである。
【選書担当者に求められる資質、技能】
ç
1 書物に関する知識とそれに対する愛着
ç
2
3
ç
ç
4
ç
5
6
ç
7
ç
ç
8
ç
9
10
ç
読者についての知識とそれに対する同情
思想、信条、学問などの公平性
主題の知識
言語(外国語) 能力
社会の今日的課題に対する理解、認識
蔵書内容の把握
資料の生産、流通についての知識
選書ツールを駆使する技術
資料購入、経理手続きについての知識
高等教育及び・研究支援を目的とする大学図書館の選書は、幼児から高
齢者までの幅広い利用者を持ち、趣味・娯楽から小・中学校、高校生の学習
援助まで多様な要求に応えることを目的として、おもに日本語図書中心の
公共図書館の選書基準とは異なり、大学の存立の趣旨、そのための教育・
研究に応えるため、内外の学術専門書、教養書を中心として収集を行って
いくものである。その延長線上で、個性的な蔵書が形成されていくことが
最も望ましい。先にあげた黄表紙収集などがそうである。厳しい私立大学
の財政情況の中で、個性的な蔵書構築は明治大学の研究支援という視点を
基礎として、教員が主となり、職員がそれを補佐するという形で行ってい
くものである。一方で大学は、高度な専門知識を学ぶだけではなく、ジェ
ネラルな教養を学んでゆく場所でもある。人類の知的遺産を総合的に学ぶ
ことができるところこそ大学である。大学図書館では、高等教育を学ぶ人
間には必要である、古今東西の基本文献を揃えておくことが求められ、こ
れら知的遺産を後世に伝達してゆくのも図書館の使命である。この古今東
西の基本文献の選書を主体的に行うのが、図書館の専門的知識を持つ図書
館員であると思う。アメリカの大学図書館では、図書館員の専門性確立の
歴史と、図書館員による選書業務確立の歴史は歩みを同じくしてきている
が、それは選書=蔵書構築が、利用者、資料を知り、その二つを結びつけ
ることを使命とする図書館員の専門性の極めて高い業務だからである。で
は、早くから図書館員の専門性が確立したアメリカの大学図書館の専門性
の確立の歴史と選書について見てみよう(ヨーロッパの図書館員の専門性
については、第1回明治大学図書館スタッフ研修、1995 で報告したので、
詳細はそちらを参照していただきたい。ヨーロッパの大学図書館では、行
政職員と専門職員が明確に分けられているところが多く、専門職員は高い
専門性を持つ)。
3
3.1
大学図書館員における図書館員の専門性の確立
と選書
アメリカの大学図書館
図書館は自己完結的に独立して存在するものではなく、大学の教育・研
究と緊密な連携を保ちながら存在するものである。よく図書館は大学の
心臓部に例えられるが、それは図書館機能が衰え、或いは機能不全に陥っ
てしまえば、血液が停流するごとく大学の教育・研究が停滞してしまうこ
とからの比喩である。アメリカの大学図書館はまさに大学の心臓部とし
て存在している。建物、人、蔵書は図書館の三本柱であるといわれるが、
その中でも人=図書館員は心臓の中心部に位置して、専門職として大学の
教育・研究支援業務を行っている。大学図書館がその機能を果たすにおい
て、高い専門的能力を持つ館員の必要がどの様にして起こってきたのだろ
うか。
3.1.1
教育方法の改革と図書館員の専門性の確立
第一次世界大戦後の1923 年には世界の金保有高の約半分がアメリカに
集中し、
『永遠の繁栄』とよばれた好景気を迎える。それは、大学進学者数
を増大させ、それに伴って教官数も増加した。国民の経済状況が豊かにな
れば、高等教育進学率が高くなるのはほぼ世界共通である。日本でも高度
成長期に入った1960 年以降、大学の大衆化といわれるように年々進学率が
高くなっていることは統計数値等で明らかである。大学進学者数の増大に
対し、アメリカの大学では教育方法の改革が行われた。これが、図書館が
大学教育の心臓部の位置を占めてゆく端緒になる。それは、従来のlecture
and textbook method に替わってteaching with books の方法が取り入れ
られたことである。このことによって学生の図書利用が飛躍的に増大し、
図書館の蔵書数も急激に膨張した。アメリカの図書館学者Branscomb は
このことについて、
「図書が教育計画遂行上の主要な道具となるときにの
み、図書館利用は激増するであろう」と述べている。このような教育方法
の改革によって、図書館が教室と同じく重要な教育の場となり、図書館員
は、日常的な出納業務、オリエンテ−ションにおける図書館施設、蔵書概
要、機器利用の説明だけではなく、大学で開設されている分野・科目の館
蔵資料解題、主題分野の二次資料作成及び紹介を、教員と連携・役割分担
を行い、カリキュラムの中に組み込んで、授業として行うようになってい
く。私が高校生のころ、
『ある愛の詩』というアメリカ映画が評判になっ
た。アメリカでロングランをした映画で、日本でも多くの人が映画館に足
を運んだ。内容は東部の名門大学を舞台として、不治の病に冒された美し
い図書館員と学生の悲恋であったが、多感な年頃の日本の女子高校生とし
ては、
「なんで、この程度の恋愛映画にアメリカ人は感激するんだろう」と
冷やかな感想を一緒に行った友人達と語りあったことを覚えている。ただ
印象として強く残っているのは、アメリカの大学の図書館の利用のされか
たである。授業終了後の図書館は、貸出カウンタ−には学生や教員が次々
訪れ、書庫から本を出してもらっている。参考カウンタ−で図書館員に資
料説明を受けたり、相談をしている学生もいる。そして館内の机も大抵塞
がっていたことを思い出す。たぶん、あれが試験期でも何でもない、普段
の大学図書館の姿だったのだろう。
図書館資料を日常的な学習・教育・研究に使う図書館利用のされかた、
このことが図書館員の意識変革を促し、高等教育の中心である大学、さら
には大学院の教育、研究支援者としての自らの業務の高度な専門性を強
く認識させ、教員・学生の利用者もまた図書館員の専門性への理解と要求
を強めてゆくことになったのだと思う。どちらか一方のみが片方を引き上
げるのではなく、アメリカの大学では教員と図書館が相互扶助関係を認識
し、互いの存立に必要不可欠な対等なパ−トナ−であることが確立してゆ
く。ここでいう専門性とは、2 章であげたものと同じく、利用者が何を求
めているのか聞き出す能力、書誌作成、資料の分類・解題能力、情報検索・
二次資料の利用及び作成能力であり、その基礎力となるのは図書館学の知
識と日本十進分類法でいう0 門から9 門までの(0:総記、1:哲学、2:歴
史、3:社会科学、4:自然科学、5:工学、6:産業、7:芸術、8:言語、
9:文学) の幅広い学術の主題知識である。高等教育・研究支援を目的とす
る大学図書館では外国語能力も大変重要である。それらを習得した上でさ
らに、自らの専門主題を深めていくことが要求される。アメリカの図書館
員の専門性確立の動きは、1930 年前後から始まり1951 年のアメリカ図書
館協会の図書館学校新認定基準で「図書館司書は図書館学修士号を獲得し
なければならない」と一つの目安が規定されてゆく。この間、アメリカ図
書館協会やアメリカ大学図書館協会が機関紙等に大学図書館の教育的機能
や司書の専門性を述べた論文を常時掲載し、積極的に大学及び大学図書館
関係者の啓蒙に努めた。一方、大学図書館における図書館員の専門性の必
要が認識され、図書館員自身も専門的能力を組織的な研修と個人の不断の
学習で獲得してゆくにつれ、選書の主体者が教員から図書館員に移行して
ゆく。1939 年には有名なパッテン、フレミング図書収集論争が行われた。
Patten, Nathan van はスタンフォ−ド大学の図書館長である。パッテン
の趣旨は、各学科への予算配分法をとらず、予算を館長の下に一本化する
図書費集中管理論を展開し、図書選択業務は図書館長と司書の任務に属す
るというものである。一方のFleming, Thomas P. はコロンビア大学医学
図書館員であり、図書費集中管理は一学科による独占の危険性があること
を指摘し、学科配分と館長管理分に予算を二分することを主張した。これ
以降も選書・収集については多くの論争が行われ、1953 年にはアメリカ
大学図書館協会が収集方針をテ−マとしたシンポジウムを開催している。
その中で総合大学図書館の代表として論述を展開したシカゴ大学図書館の
ファスラ−(Fussler,Hermann H.) は現在の明治大学図書館の選書とやや
似た形態の収集方針を述べている。それは蔵書を3 つに分割し、ç
1 基本文
献(図書館員が選書する)、ç2 基本研究コレクション(教員と図書館員が共
同で選書する)、ç3 短期集中研究文献(教員が特定課題を比較的短期に集中
して研究するために収集する、選書は教員) という方法である。
1956 年にはアメリカ大学教授協会が大学図書館員の加入を正式に認め
た。これは、図書館員の行っている高等教育・研究支援業務が、研究職と
同じくらい専門性の高いものであると認められたということでもある。こ
の背景には、大学の大衆化の次の段階として、より高度な専門職能教育の
要求があり、それは各大学において、大学院教育・研究体制の整備、充実
の動きへとつながり、その研究支援を行う図書館員の高度な専門性が求め
られたからである。1959 年にはアメリカ大学研究図書館協会が大学図書
館基準を公表し、その中で図書選択権は図書館長=図書館員(アメリカの
大学図書館では、19 世紀末以来、図書館長の専任化が進み、図書館長は日
本の大学図書館に多くみられる、教員の兼務で名誉職的なものではなく、
図書館学を修了した図書館員が就任することが一般的である。それは、図
書館長が組織のトップとして文字通り、経営、人事管理等のマネジメント
を含めた一切の図書館政策に直接関わり、そのためには、高等教育支援と
図書館行政において確固たる識見と信念、そして図書館業務の専門知識が
必要であると考えられているからである。日本では1952 年に作成された
大学図書館基準では「図書館長は専任を原則とし」とあるが、その後、こ
の文言は消えている) 主導を明文化してゆく。このように図書館員の専門
性と選書=蔵書構築能力は、アメリカでは早くから密接不可分な能力とし
て認められてきたことがわかる。しかし、このことは教員を選書=蔵書構
築から排除するというものでは断じてなく、自館蔵書だけではなく、他の
大学図書館の蔵書の特徴も知っており、学術情報収集の専門家である図書
館員が、自分の大学の教員の教育・研究分野をしっかりと理解し、把握し
たうえで、必要と思われる選書情報を提供し、教員がそれをセレクトし、
あるいは図書館員の選書にあたって教員は学術上の専門的なアドバイスを
行うのである。教員と職員の両輪が潤滑に稼動して、特色ある蔵書が形成
され、基本文献を網羅的に収集していくことができるのである。
細分化され、高度に専門化が進む自然科学の世界では、ある分野の研究
者のなかでは一般的でない研究課題が、別の分野では、その研究がかなり
進んでいるということもよくある。自然科学に限らず、一研究者には見え
にくい他分野の研究動向も、図書館員は幅広い主題知識を持ち、出版状況
を絶えず頭に入れており、学術情報を俯瞰することができる場所にいるか
らこそ、選書=蔵書構築に主体的に関わっていくことができるのであり、
求められてきたのだと思う。
アメリカの大学院はアカデミックな研究に比重を置くGraduate school
と高度な知識、技術を身に着け、社会で即戦力となる専門家養成を目的とす
るProfessional school の2 つに大別される。図書館学修士はProfessional
school で修得できるものであり、現在人気の高い経営学修士=M.B.A. =
Master of Business Administration 取得も後者である。図書館員採用にお
いては、図書館が独立した人事予算と人事権を持ち、採用に関する一切の
ことを図書館が行い、大学は図書館側の採用決定報告に基づいて発令す
るだけという仕組みのところが多い。採用の形態もポジション制(レファ
レンス、古籍整理、東洋諸語図書整理、経理、マネジメント等採用職種を
具体的に) であり、採用広告にも必要とされる専門能力が具体的に明示さ
れ、終身雇用というわけではない。採用されてからも図書館学及び情報学
の専門雑誌に年に何本論文を書かなければならないということなども記さ
れている。論文を書くということは、他者の評価を受けるということであ
る。アメリカでは、プロフェッショナルな職業に対する社会的な要求は厳
しい。専門職であるということは、自らの蓄積の上に常に新しい知識を加
えて行かなければならず、アメリカの図書館員の日々の研鑽は厳しいもの
がある。
大学での教育方法の変革によって1930 年代から始まったアメリカの大
学図書館員の専門性確立の歴史と図書選択権の確立の歴史を駆け足で追っ
てきたが、図書館の利用のされかたを見ればその大学の教育・研究のレベ
ルが見えるというが,アメリカの大学図書館の多くは、その施設も大学
構内の中央部に位置し、文字通り大学の情報収集・提供の中心である。今
回、アメリカの大学図書館について多くの論文、研究書を読んで、図書館
は大学の教育・研究に新しい血液=情報を絶えることなく送り続ける存在
であるからこそ、大学の心臓部に例えられるのであるということが実感で
きたように思う。それでは次に日本の大学図書館の専門性について見てゆ
きたい。
3.2
日本の大学図書館
日本の大学図書館では、現在でも司書という資格は、それだけでは専門
性の高い資格であるとは認められていない。1997 年6 月に行われた明治大
学図書館スタッフ研修で、私は明治大学も含めた首都圏にある6 つの大学
図書館の採用計画と研修計画を調査し報告したが、採用の条件として司書
資格をあげているのはK 大だけであった。大学の研修制度とは別に、図
書館独自の研修プログラムを持ち、組織的に実行しているのは、K 大、W
大、C 大の3 大学であった。日本の司書課程は、高等教育・研究支援を行
う大学図書館員を対象としたものではなく、幼児から高齢者まで、社会を
構成する様々な年齢の、図書館利用の目的も異なる多数の利用者に奉仕す
る公共図書館員を対象として作られたプログラムであることは先にも述べ
たが、高等教育・研究支援を目的とする大学図書館では、司書資格の有無
に関わらず、配属後、組織的な研修や自己学習によって、業務遂行に必要
な知識・技能を習得していくことが一般的であり、アメリカの大学図書館
のように高等教育・研究支援業務をおこなうための前提として、大学及び
大学院で図書館学或いは専門主題を修了としたものという明確な基準を設
けているところは殆どない。大学図書館員の専門的能力の必要性への認識
は、社会的にも大学の中においてもあまり高いとはいえなかったのかもし
れない。このことは、個々の図書館だけに問題の所在を見るのではなく、
日本の図書館行政、及び大学の教育方法にもその理由があるように思わ
れる。
大学に入って図書館を利用する以前に、日本では図書館が国民の生活の
中で不可欠なものとは依然なっていない。日本では戦後長い間、学校図書
館司書は有名無実の存在であり、多くの小・中・高等学校では図書館資料
を使った授業は積極的に行われてこなかった。昼休みや放課後も閉まって
いたり、開いていても読書指導をしてくれる司書や先生がいないことが多
い。このことは日本人の図書館及び図書館員への親近感の希薄さ、疎遠な
感覚につながっていると思う。では大学に入ってから、授業で日常的に図
書館資料を利用した教育方法がとられてきたかというと、明治大学(明治
大学を例としてあげたのは、自分が籍をおいて大学の教育・研究事情が見
えるということと、同規模の総合大学図書館と比較して、先駆的でも標準
以下でもない平均的な水準にあると判断したからである) を見ると、最近
は、一部の教員が図書館資料を積極的に利用した教育方法をとりはじめ
ているが、教員全体数からみると、まだまだ少ない。思い起こしてみれば
私が学生だったころ、我が明治大学図書館中央本館にはさすがに鎖付の図
書はなかったものの、参考室の辞書・事典類を除いて開架図書はなく、学
部生への館外貸出も行っていなかった(学部生を含めての貸出開始は1978
年から)。当時の図書館は図書館の蔵書を利用して学ぶ場所というよりも、
学生が座席だけを利用する自習室と殆ど変わらなかったように思う。試験
期やレポート提出時期は特定の資料に利用が集中し、座席が埋まってしま
うが、それ以外の時期は積極的な図書館利用が行われていないのは、当時
も今もあまり変わらないのかもしれない。現在、中央本館の開架書架に
は、「図書館の本はここにあるだけではなく、書庫に100 万冊以上ありま
す」という張り紙がしてあるが、図書館蔵書は目に触れる開架図書だけだ
と思っている学生も多いという。いまだに図書館に数回しか足を踏み入れ
ずに卒業してゆく学生も多い。1991 年のバブル景気崩壊後、大学レジャー
ランドと言う言葉は影をひそめ、最近の学生は、厳しい就職戦線を前によ
く勉強するようになったというが、図書館が、その本来的な存在意義(学
習・教育・研究支援) で、活用されるためにはどうすればよいのか。たしか
に明治大学中央本館では学生の図書の購入希望は年々増えているし、入館
者数も増加している。しかし、それは、明治大学に限らず大学図書館の多
くが、学生の読書離れを是正し、読書の効用、読書の楽しみの扉を開けさ
せるために、まず図書館に足を運ばせる方法として、以前ならば、きわめ
て個人的な要求に属するものであり、大学構成員の教養に資するとは見な
されず購入をしなかった、旅行ガイドブック、ハウツーもの、資格試験等
の受験参考書、詩、小説などの単行本(文学作品は、評価が定まり、全集
に採録された形でしか購入しなかった)、タウン情報誌等の希望を受け付
けるようになったことが大きく、さらに月末休館の廃止、夏期休暇や入試
期間中の限定開館の実施など開館時間、開館日数の拡大があげられる。学
習場所の提供者としての図書館を求める利用者は多いし、広い閲覧座席数
の確保に図書館が努めてきた姿勢も評価しなければならない。しかし、本
来的な意味での大学図書館の利用はBranscomb がいうように、教育計画
遂行上の主要な道具として図書及び図書館の必要が認識され、利用される
ということだと思う。学生の読書も、本来的な意味での図書館利用がなさ
れる中で、学生自身が幅広く人類の知的遺産を知りたいという要求から起
こってくるのが望ましい。明治大学図書館では、ここ数年、教員からの指
定図書が多く入ってくるようになり、指定図書を読むために図書館へ来る
学生は増えている。指定図書制度とは、教員が教育効果を高めるために、
講義に直接関連のある資料を指定して、学生に必読を課し、その結果をレ
ポート・試験・ディスカッション・演習等に反映させ、評価するという教
育方法であるが、日本の国立大学図書館では、1966 年から文部省が予算
化して指定図書制度を開始したが、日本の伝統的なlecture and textbook
method の講義方式では、教員が指定するのは参考書や推薦図書が大部分
となり、必読を課してそれを前提とした授業を展開をするというようなこ
とには至らず、1975 年に文部省の予算が打ち切られるとともに衰微して
いった。この指定図書制度は教育支援という大学図書館の本来的な存在意
義を果たすための有効な方法であることは間違いない。図書館員は、指定
図書の著者及びその授業を行う教員の図書館蔵書や雑誌掲載論文調査、主
題関連分野の自館蔵書及び二次資料の利用の仕方等を積極的に学生に教え
ていくことはできる。自館蔵書をよく知り、幅広い主題知識を持ち、二次
資料、検索ツールの利用にも巧みな専門的能力の高い図書館員が、授業展
開に参加することは、教育・研究支援において的確な選書を行っていくこ
とにもつながるだろう。教育・研究支援での図書館の必要性こそが、図書
館蔵書を充実させ、利用者をして図書館員の高い専門性への理解、要求へ
と結びつくのだと思う。
しかし、各大学の出した『自己点検・評価報告書』を見ると、図書館に
おいて、従来は経験を必要とする専門性の高い業務には、異動に若干の配
慮が払われてきたが、現在では、一律異動基準が適用され、職員の減少、
短期嘱託職員への転換、業務の外注化の進行で、専門的能力を持った図書
館員が育ちにくくなってきていると報告されている。一方で、レファレン
スのような専門的業務を遂行する部署では、人員減少のなかで、一人の担
当する業務量は増大し、貸出・返本・装備等の一般業務にも追われ、若い
館員の教育・指導も時間が取りにくい状況にある。本来の図書館員の専門
性を必要とする業務(レファレンス、書誌新規作成業務、選書=蔵書構築)
は現状の対応が手一杯であり、上記に述べたような教育・研究支援業務を
さらに拡大、充実するとなれば、専門的図書館員の育成システム及び配置
を真剣に考えなければならない。
近年、日本でも大学の大衆化が進む一方で、学術研究はより専門化、先
端化し、国際化が進んでいる。このような学術研究、研究開発における日
進月歩の状況は、日本においても高度な専門職能教育を行い、国際的水準
の研究の場、社会人の最新専門知識習得の場として大学院の高度化、充実
化の必要性を喚起することとなった。すでに多くの大学でこれからの大学
院の有りかたについて討議され、新たな試みも始まっている。今後、大学
院の高度化、拡大、充実化にともなって、研究支援業務を行う専門的図書
館員配置の必要性は高まると予想される。『明治大学自己点検・評価報告
書、1997』でも、現状を分析し問題点を抽出した上で、図書館業務を一般
的業務と専門的業務に明確化し、今後の採用・育成・配置の指針を作成す
るよう方策の立案を求めているが、図書館は早い時期に図書館専門職の指
針を作成し、大学と協議していく必要があると思う。
さて、日本の大学図書館界でも1970 年代は図書館員の専門性が盛んに
論議された時代であったが、80 年代に入ると加速的にコンピュータ化が
始まり、気がつけば大学と図書館の間で一種の了解があったといえる、専
門職としての司書職(待遇面で事務職と差別化されていたわけではない。
経験が職務遂行に重要な要素であるということで原則は図書館内異動であ
り、目録作成、レファレンス等の専門知識を必要とする部署では、館員の
定着年数が比較的長かった) は、一般事務職の異動と同列に組み込まれ、
採用条件からも司書資格を持つものという文言が消えていった。その理由
として、コンピュータ化によって図書館業務の手法が大きく変化して、長
い経験の蓄積がなくても図書館業務は行えると図書館外部から判断された
からであろう。この転換期こそ図書館業務の専門性について緻密な分析が
行われていればと思うが、多くの図書館員は新しい技術の習得、研鑽で忙
しく、図書館業務の本質にかかわるところの議論はなかなかなされなかっ
たと思う。しかし、90 年代に入ると、再び図書館員の専門性論議が活発化
し、専門性をテーマとした研究・研修会が多くの図書館員の参加を得て行
われるようになった。80 年代は、館種や規模の大小によってコンピュ−タ
化の進度もレベルも様々であったが、90 年代には、多くの大学図書館で業
務のコンピュ−タ化の土台がほぼ完成し、高度情報化社会への対応が図書
館員の共通の理解となり、そのための技術と方法を図書館員が身につけだ
したことも背景にある。現在は、議論のための座席に一応全員がついたと
いえる状況ではないかと思う。しかし、私が図書館員になって以来の図書
館員の専門性論議を見てみると、そこにいるのは図書館員あるいは図書館
学の研究者であり、大学の教育・研究に関わる教員や大学構成員が、自ら
の必要性において図書館の重要性、あるいは図書館員の専門性について積
極的に論議を行い、もしそれが必要ならば具体的な指針策定へ共同作業を
行うということはなされてこなかったと思う。1991 年大学審議会が『大
学設置基準の大綱化』について答申を行い、文部省は大学の諸規定の大幅
な改定に踏み切った。その目的は大学の多様で個性的な発展のために大幅
なカリキュラムの弾力化をはかることにあった。明治大学でも学内にカリ
キュラム改定委員会が設置されて、カリキュラムの改定作業が行われ、そ
の結果、従来は教養課程だけであった和泉校舎でも専門課程の授業が行わ
れることになり、そのために必要な図書が和泉分館に整備された。理工学
部の新学科増設の時もそうであったが、ただその分野の図書を増加するだ
けではなく、教員の教育方法、授業展開、そして新規開設分野の選書で、
図書館及び図書館員が教員ともっと緊密な連携をはかることが必要である
と思う。アメリカでは図書館専門職の基準資格は図書館学修士があるが、
これも見てきたように最初からあったわけではなく、大学における教育方
法の改革から、支援業務を行う図書館員の専門的能力の必要性が理解、認
識され、それを行うために必要な基礎学力も明確化してきたのである。日
本の大学図書館でも、古くから図書館員の専門的能力の必要性と専門的
業務の確立を訴えてきたが、日本でそれが確立しないのは、利用者が図書
館員の専門的な能力を必要としない程度の図書館利用であったのかとも考
えてしまう。カリキュラム改定の場に図書館が入らなくても、その改定後
は、教員と図書館組織が、教育方法とそれに必要な資料収集のための共同
作業を行ってゆくことが必要であり、この共同作業は一過的なものではな
く、継続的に行われなければならない。
4
明治大学図書館における図書館員の専門性確立
のために
明治大学図書館では、
『自己点検・評価報告書、1997』
『明治大学図書館
白書、1993 −1995 年』
『明治大学図書館研修制度検討委員会報告書、1994
年』等で図書館員の専門性について必要な能力をあげてきた。さきにあげ
た大綱化でも「図書館には,その機能を十分に発揮させるために必要な専
門的職員その他専任の職員を置くものとする」と定めており、この根拠と
なった専門的職員とは、1991 年大学審議会大学教育部会が大学審議会総会
に提出した報告書にある「付属図書館機能の充実」に述べられている。具
体的には「図書館の機能を強化するためには、司書のほか、コンピュ−タ
による情報処理、デ−タベ−ス・サ−ビス、古文献・専門分野別文献処理
等を担当する専門職員を適切に配置することが重要であり、... 配置が必
要である旨の規定を新たに設ける」ということである。こうした時代の要
請に対応していくために、今後、明治大学図書館では図書館の専門的業務
につく職員は、司書資格の有無ではなく、以下のような具体的施策によっ
て、採用或いは育成していくことが必要であると思う。
ç
1 図書館学或いは特定の分野の修士学位を持つ人間を採用する。
ç
2 現在の学卒の館員の中で意欲的で資質があるものを対象として学費・
地位保障を行い、図書館学の修士課程を持つ大学院に国内留学させ
学ばせる。
ç
3 明治大学の教育・研究に必要な、或いは今後強化したい主題分野を
明 治大学の大学院で学費・地位保障を行い学ばせる。
4 現在では明文化された正式な規定のない図書館研修を制度化し、専
ç
門 的業務を明確にした上で専門職員の育成をはかる(現在の副参事
は管理職予備軍と して将来はマネジメント業務を行うことを期待さ
れているが、管理的業務には向 かないが 、図書館の専門職として
の矜持を持ち、高い能力を持つ館員には、「専 門員」というような
【職位】を与えることができればよいのではないだろうか)。
ここにあげたç1 から ç4 の図書館員の専門性を高めるための方策は、明治
大学と同規模或いはそれ以上の蔵書を持つ日本の総合大学の図書館で既に
実施されているものであるが、明治大学図書館では、 ç1 については、奥
村司書長在任時に、何回か行われたことがあるようだが、 ç
2 ∼ ç
4 につ
いては行われていない。明治大学図書館の今後の有りかたを考える資料と
して、近年、図書館では、
『自己点検・評価報告書』、『明治大学図書館白
書』、『図書館研修制度検討委員会報告書』等の報告書を作成し、現状と
過去の分析を様々な角度から行ってきたが、精確な現状分析とそれに基づ
いた新たな方策の実施こそ、大学の心臓部としての図書館のより良き未来
を引き寄せ、明治大学の教育・研究のさらなる発展につながると思う。し
かし,これまでも見てきたように図書館の自己完結的な専門制論議は避け
なければならない。図書館員の専門性については、教員と共に議論の場を
作り、より良い教育・研究を実現するという目的を念頭におき、現状と将
来を見つめ、専門性の必要の有無から論を進めてゆかなければならないと
思う。最近は利用者である教員が呼びかけ人となり、図書館蔵書を知るこ
とと図書館におけるサービスを課題とした勉強会も開かれている。現在ま
でこの会では、明治大学図書館の特色あるコレクションや 貴重書の解題
や紹介を行っているが、今後は、このような教員と図書館相互の勉強の会
で、図書館員の専門性についての論議や意見交換等が行われていけばよい
と思う。一般論に終始するのではなく、教員が現在行っている授業展開の
方法、論文指導の資料収集時における図書館利 用の方法、そして日常的
な学生の読書指導まで利用者と図書館が双方の現状をよく知ったうえで、
図書館員の専門性についての議論を積み上げ、結論を出していくことが大
切といえよう。双方が知っていると思っていることが、よく話をしていく
ことによって、その認識が極めて曖昧で、実はその理解に大きな相違があ
るということを発見することがある。専門性についてもこのことがあては
まるのではないか。相互の現状認識を照らし合わせ、実際的な結論に導く
議論が必要である。図書館員の専門性については、研究者の要求に応える
ことが必要であり、先にも述べたように図書館だけの自己完結の答えを導
きだしてはならない。広い範囲の教員からの議論の喚起も必要である。図
書館のクオリティを決めるその第一は利用者だからである。
5
専門性の高い図書館員による選書=蔵書構築の
必要性と新たな選書体制の形成について
選書=蔵書構築という仕事は、図書館の背骨にあたる極めて重要な業
務である。収集するだけではなく、現行のカリキュラムと利用情況を把握
して、保存書庫へ移籍する資料の選択、さらに、何を残し、何を廃棄する
かも選書業務である。これは、新しい本を選ぶことよりも難しい。保存書
庫への移籍、廃棄のための図書選択は、それに携わる図書館員のレベルを
問われるものであり、教員、学生がその図書館に対する信頼度を図る基準
になるものともいえよう。選書=蔵書構築は、図書館員の高い専門性を集
合させた、総合力を必要とするものであるというのは、移籍、廃棄の選択
においてもっとも明らかである。明治大学図書館の場合、基本資料のうち
「学習用図書」(1997 年度図書館図書費の28 .5 %) という予算枠の、主とし
て日本語新刊書の選書は職員が行い、
「学術専門図書」(同上、30 %) は教
員が行っている。基本資料においては、このようにはっきりと選書主体は
分かれている。教員は自ら研究分野において必要な専門書は、高い精度で
万便なく選書している。しかし、研究者が現在いない、もしくは途絶えた
分野では、基本資料の蔵書層が薄いところもある。また、教員による選書
が、現在の学術動向を必ずしも的確に捉えているわけではない。大学は、
専門知識を学ぶだけではなく、幅広い教養を学ぶ場所でもある。研究者の
存在の有無に関わらず、図書館では、古今東西の人文・社会、自然科学の
基本文献を揃えておくことも大事である。私は今後、図書館業務において
高い専門的能力を持つ職員が、和書洋書を問わず、基本資料の選書全般に
関わっていくことが蔵書の充実につながり、明治大学の教育・研究を広い
裾野にわたって、一層の支援していくことになると思う。
明治大学では、関東大震災で蔵書の大半が焼失したとはいえ、21 世紀を
目前とした現在、170 万冊に及ぶ蔵書がある。図書館員はそれを後世に伝
え、教員との両輪体制のもと、新たな知的遺産を加えていかなければなら
ない。一冊の本を残し、一冊の本を選ぶということ、選書=蔵書構築の責
任はまことに大きいと思う。選書業務に携わる図書館員は、まず頭の中に
書庫内の書架配置図とそこに並んでいる図書の顔がすぐに浮かぶようでな
いといけない。明治大学図書館の特色ある資料とよばれ長い年月に渡って
コレクションを形成してきたもの、貴重図書、創立時から現在に至るまで
の明治大学関係者の著作等、そしてどの分野の基本資料が充実していて、
どこが不足しているのか。自館の蔵書を知っていることは選書に携わるも
の基本である。そのうえでカリキュラム、教員の研究概要の把握、論文及
び著書に目を通すこと、購入している学会誌の目次、巻末の書評に目を通
すこと、学生の利用状況、内外の学術の趨勢、出版動向、日本の主要新聞
の書評だけではなく、地方新聞の書評も見る。さらに内外の学術雑誌、総
合雑誌、主要新聞のブックレビューに目を通すこと、現物を見るために古
書店を歩くことも大切である。さらに、出版媒体が紙だけではなく多様化
している現在、それらの情報にも敏感でなければならない。選書=蔵書構
築の業務は、研修を受け経験を積めば誰にでもできるのかといえばそうで
はない。この業務は図書館員全員が平等にローテーションで持ち回りをす
るような性格のものではないし、できるものではない。図書館の中には、
学習用和図書の選書は、誰にでもできるという意見がある。学術書の出版
社として評価の定まっている出版社の出版物、書評にとりあげられた出版
物、学者、文化人、作家の著作、そして官庁刊行物等を一応の目安として
遺漏なく選書すればよいのであるから、誰にでもできるというわけであ
る。しかし、これは選書といえるだろうか。このようにして収集した和図
書は、どこの図書館でも持っているということになり、必ずしも利用度の
高い、自大学の教育・研究に必要なものであるとはいえない。利用度の問
題についていえば、図書館は一人でも利用者があれば図書を収集すべき
であり、現在は利用がなくても保存ということが図書館の一方の使命であ
るといわれる。しかし、書庫を歩いてみると一度も手にとられた形跡のな
い図書、10 年、20 年以上も貸出記録のない図書が本当に多く眠っている。
時代は、一館完結型の資料収集に終わりをつげつつあり、今後は上記のよ
うな選書の目安の中から、絞り込みを図り、本当に必要な図書をいかに選
書してゆくかが、選書担当者の適性と能力にかかってくるのだと思う。近
い将来始まるであろう他館との図書の分野別分担収集(雑誌、新聞は国立
大学図書館を中心としてすでに行われている) の話し合いでは、自館蔵書
と明治大学の教育・研究状況を熟知している館員でなければ、話し合いの
テーブルにつくことは難しい。
それでは、選書業務にはどのような適性と知識が必要なのだろうか。2
章であげた選書担当者に求められる資質・技能を集約すると、適性と知識
に分けることができる。適性については、 ç1 本が好きであり、よく読ん
でいるということ、ç2 知識に対する要求が強いこと、ç3 公平なサービス精
神があるという3 つであり、大学図書館の選書業務に必要な知識とは、自
館蔵書を知っており、自大学の教育・研究動向を知っていること、幅広く
高度な主題知識、書誌学の知識、さらに外国語能力、出版状況、そして現
在の社会状況の理解等である。これらの知識は本人の不断の学習と日常業
務の中で修得することはできるが、選書に必要な知識プラス上記 ç1 ∼ç
3
の適性があってはじめてよい選書業務が行えると思う。適性も ç1 ç2 だけ
では駄目なのである。図館員は書痴、紙魚ではいけない。自身の書庫を構
築するのではないからである。図書館の蔵書は開放されており、利用者が
あってこそ蔵書構築の意味がでてくるからである。ç
3 の公平なサービス精
神というのが大切なのである。はじめにに述べた奥村司書長の人間的な評
価は、私自身が同じ時期に仕事をしたわけではないのでわからない。しか
し、片山元図書館事務部長のいうように「書籍に対する執念、愛着心が人
一倍旺盛であり、雄大な識見をもっていた」奥村司書長のような図書館員
が、選書=蔵書構築業務には必要なのである。
さて、図書館員の専門性と選書=蔵書構築に必要な能力は相関関係にあ
ることを述べてきたが、私が今回与えられた命題である、明治大学図書館
において、専門性の高い図書館員による基本資料全般の選書を行うことが
できるかということは、選書体制の改変を行えば可能であると考える。現
在の明治大学図書館員には、大学の教育・研究状況を把握しており、選書
の適性があって、幅広く高度な主題知識と書誌的知識、外国語能力を持つ
専門性の高い複数の人材はいる。選書の適性は、個人的な要素に負うとこ
ろが多いが、後者は館員になってから努力して身につけていったものであ
る。私が選書の適材であると考える人材は、みな私の先輩図書館員である
が、私は彼らが若いころから広大な知識の海を泳ぎながら、早朝から日々
厳しい自己研鑽をはかり、図書館員としての高い専門性と語学力を身につ
けていったことを知っている。そしてこのことはけっして偶然ではなく必
然であると思うが、彼らの何人かはレファレンス業務の経験者であり、そ
のうち何名かは修士の学位を持っている(この学位の有無については図書
館員の専門性に必要とされる能力を考える上で参考になることである)。専
門的能力の高い図書館員が今後、基本資料選書において主体者となってい
くことは可能であるが、
「学術資料の迅速提供WG」でも報告したように、
現在のように選書を専任ではなく、主業務を抱えながら、兼務で行うこと
は問題がある。学習用選書委員会は、本館は原則として各課1 名、現在6
名であるで委員会を構成しているが、和泉、生田分館の場合は、業務が閲
覧=利用者対応の現場が中心であり、全体の職員数も少ないこともあって、
選書は1 名ないし2 名の閲覧現場担当ではない館員が行っており、選書の
基本である多くの人間による評価及びチェックが行われにくいという事実
がある。それでは本館選書は評価・チェックが厳正にはかられているかと
いうと、月2 回の選書委員会において現物選書(一度に約130 冊) は、それ
が行われているが、各自が主題分野を担当する冊子体選書(選書数は現物
選書より圧倒的に多い) においては、行われていない。
「学術資料の迅速提
供WG 報告」では、現在三館でそれぞれ行われている選書体制の見直しを
はかり、本館での集中化を提案し(情報収集・作成・提供を行う情報の専
門家として、図書館員が、大学の教育・研究状況を把握し、図書館蔵書を
俯瞰しながら、内外の出版情報を駆使して、選書=蔵書構築を行う選書情
報課[仮称] の設立の必要性を述べた)、専門性の高い図書館員による選書
が必要であることを述べた。これは、選書を迅速に行うという理由だけで
はなく、選書=蔵書構築という行為は、調査を要し、研究的要素も強く、
集中して行うべき性質の、専門性の高い仕事だからである。今後は、図書
館員が主体者となって、古今東西の知的遺産を基本資料として選書し、も
う一方で教員を補佐しながら、特色ある蔵書構築を行っていくためには、
現行の選書体制を見直し、新たに再構築を図ることが是非必要である。
選書情報の環境も、ここ数年で大きく進歩した。選書のための海外の新
刊書データベースは日々拡大しており、インターネットを利用した欧米の
書籍の検索、注文は個人レベルですでに行われているが、このメリットは
納品の迅速性と店頭販売より低価格になることである。また、ここでは、
大手の出版社だけでなく、現物見計らいやカタログ選書だけでは入手しに
くい、海外の中小出版社の出版情報も掴むことができる。従来の冊子体の
販売目録だけではなく、このような選書環境も出現している中で、各館の
現場でなければ利用者の要求を選書に反映しにくいということはない。ま
た、利用者の要求に沿った選書、収集が、必ずしも大学図書館の蔵書とし
て適切であるとは限らない。本館にいても、内外の自然科学の学術出版情
報を掴むことはできるし、教養課程にある学生に必要な選書を行うことも
できる。
明治大学駿河台校舎は日本でも有数の古本屋街を控え、それぞれの主題
に強い古本屋がある。中国書、アジア関係図書の専門書店もある。日本語
の新刊書を扱う複数の大型書店は、それぞれが特徴ある配架をして、何時
行っても本を求める人、本に触れたい人で混み合っている。神田駿河台の
書店地区は、情報の収集・提供の一大基地といえるのではないだろうか。
本(紙媒体のものだけではなく) を選ぶにおいてこれは、稀に見る好環境で
もある。何十年に渡って行われてきた現在の選書形態(主として予算の仕
組み) と選書体制を解体し、駿河台中央本館に選書を集中し、高い専門的
能力を持つ図書館員が専任となって基本資料の選書=蔵書構築を行うとい
う、新しい形を構築してゆくことが今必要であり、人材の面でも今ならそ
れができると思う。そして、彼らは選書の適性のある若い館員を指導して
いくことができる、教育者としての能力の高い図書館員でもある。
6
終わりに−コ−ボルトのつぶやき
私は図書館員になって以来ずっと昔から、よく自分はコーボルト(kobold)
のようだと思ってきた。地中に眠る宝石や鉱物を守る地霊である。閉館時
に書庫の電気を消して歩いていると、囁き交わすひそやかな声が聞こえて
くることがある。湿度変化による紙の膨張や書庫に棲む様々な虫の声とい
うこともできるだろう。生田分館では夏になると書庫内に蟋蟀の声が響い
ていた。しかし、私が聞いた囁き交わす声は、喜び、愚かさ、哀しみすべ
てを含んだ人類の霊魂の囁きではないかと思う。恨血千年土中の碧となる。
長い年月を経てそれらは紅玉、碧玉に変わり書庫にあるのではないか。自
分自身をコーボルトと感じている所以である。どれだけ多くの人が人類の
知恵、霊魂のそばに常時身を置くことができるだろうか。東西の古典を読
む時は、栞を何枚か用意して巻末の注を見ながら読んでいくが、注に上げ
られている図書で次に読もうと思って巻末を見ると、その本が書かれた時
には存在していた図書が、現在は一部が散逸したり、消滅してしまったと
書かれているのを見る時、今我々に伝わっているものは僅かで、人類の多
くの知的遺産は、災害や戦争、或いは意図的に消滅させられてしまったこ
とを思う。現在、図書館の書庫にある様々な分野の古典を手にとる度に、
それらは伝わってきたこと自体が稀有なのであるとしばし深い感慨を覚え
るのであり、現在、新たに書かれた書物もやがて後の人々をして、人類の
来し方を思うきっかけになるかと思うと、それを預かる図書館員として厳
粛な気持ちにもなる。
私は図書館の諸先輩に、休み時間には、書庫に潜って自館蔵書を自らの
目で見なさいとよく言われた。若い館員にもこれは是非行ってほしいこと
である。本は物ではない、端末の画面情報だけでは駄目なのである。目次
を見て、あとがきを読み、装丁を見る。書架を歩いていると語りかけてく
る本があり、思わず手にとってしまう。本館でも生田でも時間があれば書
庫に潜った。生田は自然科学分野の図書の比重が大きいが、人文・社会科
学分野の教養書も多く所蔵している。開館前の書庫に潜って今日一日の運
勢を占ったりもした。志異のペ−ジをぱっと開けてそこにでてくる話で今
日一日を思ったり、分厚い唐詩選をめくってその詩や詩人の運命で、今日
起こるであろう出来事を想像した。昼休みや雑誌の製本準備作業で書庫に
潜っていると、時々当時の片山生田分館事務長がダスキン片手に書架の間
からふいに現れて、
「この分野は本が少ないですね」とか「この分野は古
い本ばかりで新しいものが必要ですね」とか話しかけられたり、傷んで壊
れた図書を大事そうに持っておられることもあった。塵取りを側に置き、
ただ一人書架間を黙々と掃いておられる姿もよくお見かけした。奥村司書
長とはまた違った厳しさを持っている人であり、近寄り難かったが、彼も
また書籍にたいする愛着が人一倍深かったのだと思う。片山氏は和泉の近
代文学文庫の創設と収集に関わってこられた人でもある。
図書館蔵書係では、書架に配架する前に、裏表紙の内側に購入した教員
名を鉛筆で記入している。たまたま手にとった本の裏書きに、すでに故人
となった教員名を見るとき、死すべき肉体の有限性と時空を超える学問と
知識の永続性を感じる。書架を歩くことは楽しい。若い館員にも是非この
楽しみを知ってほしい。コーボルトのような自身の境遇には満足している。
現在は情報機器の発達で、広範な情報にアクセスすることができる。よ
く情報ナビゲ−タ−としてのこれからの図書館員ということがいわれる
が、情報は多ければよいというものではない。多くなれば適切なものを選
択する高い能力が必要となるし、大体自館の蔵書を熟知した上で(熟知と
は蔵書構成と一冊一冊の本の戸籍である目録の構成内容を知っているこ
と) 情報検索を行わなければ、自館に探している図書、論文(全集や記念論
文集に含まれていくことがよくある)、或いは利用者が求めている資料や
主題の近似文献があるにもかかわらず、他館から有料で資料を取り寄せる
ことも起こりうる。自館蔵書を使いこなさず、アクセスの手段ばかり新し
いものに進めてもそれは高価な無駄を生むことになる。現在、パソコンや
カメラ、家電製品は様々な機能を満載して高度化されたが、購入者が利用
する機能は最も基本的な機能であり、その高度化された機能の殆どを利用
することがないといわれる。それを提供する技術者の思いや理想と、実際
に製品を使用する使用者の要求が一致していない。図書館も利用者にとっ
て、何が不可欠で基本的な要求なのか、彼らが言葉に表さない要求は何な
のか。常に図書館の存在意義に立ち戻って考える必要がある。選書=蔵書
構築においても勿論そうである。
この文章を書くにあたって以下の論文を読ませていただいた。大きな収
穫であり、図書館の先人達の専門性確立のための研究と熱意には学ぶとこ
ろが本当に沢山あった。文章を書くということは、自ら多く学ぶことでも
ある。今回、自館の蔵書を縦横に利用したが、図書館書庫を自分の書庫の
ように、見たい時にいつでも見ることができる環境を整えることは、研究
者にとって非常に重要であることも実感した。欧米の研究者が研究室に自
分の図書をあまり持たず、図書館資料の利用率が高いといわれるのは、長
時間開館、職住接近(大学構内に宿舎や住居があること) 等の利用環境の整
備によるところも大きいのだろう。この実感は、今後の利用者への対応に
活かしていきたいと思う。最後に、私が図書館の仕事を始めたころ、先輩
図書館員たちに、
「利用者と同じ目線でものを見て、利用者の立場でもの
を考えるように。そのためには自分の図書館を利用してみることが最もよ
い」とよく言われたが、改めて肝に命じ、図書館業務を行うなかで、後に
続く若い館員にことあるごとに言っていきたい言葉である。
【参照文献】
è 大城善盛「アメリカにおけるライブラリアンシップの発達−大学図書館司書の専門職化研究 (1-2)」
『図書館界』28(5),1977.1, 29(6),1978.3
è 岩猿敏生「アメリカの大学図書館における academic status の問題」
『大学図書館研究』I 1972.12
è 牧野泰子「アメリカにおける大学図書館員専門職化運動の行方」
『大学図書館研究』XXV,1984.11
è 牧野泰子「アメリカにおける大学図書館員の身分と地位−財政緊迫の影響に関して」『大学図書
館研究』IX, 1976.12
è 宮部頼子「米国における図書館学教育の動向− 1970 年以降の ALA 認定校を中心として」
『社会
教育学・図書館学研究』13, 1989
è 山本順一「苦悩するアメリカ図書館学教育」『図書館界』43(5), 1992.1
è White,Herbert S 著、中司里美、片山淳訳「政治、我々が住んでいる世界」(図書館情報学大
学院プログラム閉鎖についての視点 3)『現代の図書館』30(1), 1992
è Paris,Marion 著、中司里美、片山淳訳「図書館学校の閉鎖:行動が必要」(図書館情報学大学院
プログラム閉鎖についての視点 3)『現代の図書館』30(1), 1992
è 河合弘志「大学図書館の収書方針の発展」『大学図書館研究』XXVI, 1985.5
è 河合弘志『アメリカにおける図書選択論の学説史的研究』日本図書館協会,1987
è 関川雅彦「米国大学図書館の組織について−人の問題を中心に」
『大学図書館研究』XLIII, 1994.3
è 加藤修子「大学図書館における主題専門図書館員と主題専門教育」
『Library and Information
Science 』30, 1992
è 今まど子「図書の選択権を得るために」(大学図書館の図書選択)『図書館雑誌』66(9),1972・神
立春樹「アメリカ図書館活動の一観察−アメリカ大学図書館訪問記」『岡山大学経済学会雑誌』
26(3・4), 1995
è 神立春樹「アメリカ大学図書館のライブラリアン−ライブラリアンに関する研究に学ぶ」『岡山
大学経済学会雑誌』27(1), 1995
è Breivik,Patricia Senn, Gee,Gordon E. 三浦逸雄、宮部頼子、斎藤泰則訳『情報を使う力−
大学と図書館の改革』勁草書房, 1995
è 日本図書館協会出版流通対策委員会編「全国高等教育機関における資料選択・収書事務・書店 =
図書館関係調査結果報告書」『図書館と出版流通』2, 1981
è 永田治樹『学術情報と図書館』丸善,1997
è 巨大情報システムを考える会編『学問が情報と呼ばれる日』社会評論社,1997
è 北風貴紫『早稲田大学図書館海外研修報告書』1992
è 図書館情報学ハンドブック編集委員会編『図書館情報学ハンドブック』丸善、1988