akira watanabe - Tokyo Baptist Church

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東方敬信先生のメッセージ
2016 年 2 月 6 日)
(フェアトレード・セミナー、2016
私は青山学院大学で神学の名誉教授であり、大学の総合研究所のメンバーをし
ております。私の母方の曾祖父は沖縄の最初のバプテスト教会の牧師でした。
私の父も牧師であり東京の幼稚園の園長でした。
私は大学で社会倫理を教えていましたが、毎年ほぼ 300 人の学生がキリスト教
の価値判断と資本主義の価値判断を比較するクラスに出席してくれました。人
は、資本主義市場では経済的欲求としての私欲を効果的に用います。しかし我々
クリスチャンは、イエスが「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合い
なさい」と言われたように、社会のなかで聖書の価値判断に従います。私たち
は、生産者も消費者も共に幸福を分かち合うべきだと考えるのです。そのよう
な考えは、公平なコミュニティを造りだします。しかし、利己的な市場は不平
等な社会を造り出します。私たちは主要な識字能力と生存の関係を理解するこ
とができるはずです。国際的な統計によれば、今日発展途上国の 15 歳以下で字
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の読めない人たちは 8 億 6000 万人と言われています。ですから、発展途上国に
は学校と教師が必要なのです。聖書には、
「わたしはぶどうの木、あなたがたは
その枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながってい
れば、その人は豊かに実を結ぶ」とあります。ですから、私は大学で学生たち
とフェア・トレードのムーブメントを始めました。それは、イエス・キリスト
の名による信仰的な行動によって先進国と発展途上国のすばらしい架け橋を造
ることになるかもしれません。しかし私たちは自分自身の力によってはそのよ
うな橋や生き方を築くことができません。実にキリストの霊が私たちを助けて
くださるのです。ですから私たちはキリストの名による祈りを必要とします。
これが今日のわたしの「大きな物語」です。
日本ではイエスの人格にならう人々のコミュニティによって造られた、証し人
の政治が必要とされています。デューク大学の有名な倫理学者アラスデア・マ
ッキンタイアは、人格教育を強調します。彼は『誰の正義、どの合理性』とい
う本の中で、人格を造り出す言語ゲームの「大きな物語」について強調します。
私たちは「主、我を愛す。(イエス様が私を愛していることを知っています。
なぜなら聖書がそのように教えているからです。)」と歌うことができます。そ
のような歌は、教会で若者達の中に愛の人格を作り上げるのです。
私達は啓蒙主義の中立や無関心ではなく、グロリア・デイ(神の栄光)のため
にお互いに愛し合うという生き方を楽しむのです。アメリカの私の最高の友人
はタイムマ誌が最高の神学者と呼んだスタンレイ・ハワワース博士です。彼は、
『キリスト教世界の後』という著書の中で、自分が「物語を語る事を愛する」
という賛美歌の中で育ったと言いました。同じような意味で、私も「主、我を
愛す」という賛美歌の中で育ちました。ですから私は学生達に「食は政治だ」
と教えるのです。日々の活動は平凡ですが、しかしそれは長期的なヴィジョン
において政治的な意味を持つのです。
私は、1998 年に学生達と共に始め、昨年まで続けて来たフェア・トレードの活
動を賞賛します。私はキリスト教経済倫理を青山学院大学の経済学部で、社会
倫理を総合文化政策学部で教えてきました。これらのコースの中で、私は学生
達と共に、今日の疾走する資本主義に対抗する代替的な経済を学びました。20
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世紀の終わりに、私達は世界中で、会社や資本主義社会における資本主義の市
場経済の失敗を経験しました。また生態系の破壊を経験しました。
私たちは、これらの状況の中で、いかに経済的商品の分配がなされるべきかを
決定するためにはどんな基準を用いるのがよいのかということを尋ね求めなが
ら、大切にするという事を実践していく必要があるのです。
それは私たちを分配上の正義に接近する、社会的証人という立場に導きます。
その証人は、神がいかにして私たちを、今日の危険な現実をある確信の筋道へ
と導かせようとしておられるかということを尋ね求めます。その確信とは、全
ての人が神の形に造られるが故に尊厳を持つということではないでしょうか?
これこそが、私達が言葉と実践における神の国の証人についてはっきりと述べ
たいヴィジョンなのです。
申命記の中で神はこのように記述されています。
「あなたたちの神、主は神々の
中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、
賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服
を与えられる。」(申命記 10:17-18)
この節は、逆説的に、
「神が不公平ではない」ということと「神が孤児や寡婦や
見知らぬ人に対して格別な好意を持っておられる」ということの宣言です。全
ての人に対する神の平等な愛は、弱者を優先的に世話するという解釈に向かい
ます。この解放のヴィジョンは、神の国あるいは平和の国のイエスのミニスト
リーの中に展開されていくのです。
世界のフェア・トレードの起源は、Enda Ruth Byler が、プエルトリコで作られ
た針編みレースやクラフトをオハイオ州アクトンにあるメノナイト中央委員会
本部の周りの友人や親戚に売りはじめたことに始まります。このミニストリー
は、「世界のセルフ・ヘルプ・クラフト」と呼ばれ、後に 1976 年には「テン・
サウザンド・ビレッジ」と改名されました。
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マルコによる福音書 1:14 は、神の国が近づいたということの告知としてのイエ
スのミニストリーを紹介しています。イエスは、弟子達に福音を告げ知らせる
ことを委託しましたが、マタイによる福音書 10:5-8 にそのことが記録されてい
ます。「『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返
らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」
ルカによる福音書では、イエスは「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福
音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである」と言っています。
フェア・トレードは、上からの勧告によって生まれたというようなものではな
く、草の根運動としてやってきました。それは、しばしばキリスト教的な世界
観に根ざす実践的同情の応答でした。それは、勝ち組と負け組というカテゴリ
ーしかない市場の原理を受け入れることを拒否する世界観です。
フェア・トレードの概念は、貧しい生産者と共に働き、彼らが何を必要とし求
めているのかを伝えるために、様々な貿易団体が活動する中で練られてきまし
た。それは、草の根のアプローチです。それは、世界の三分の二の人たちが単
なる対象物ではなく、貿易に参与することによって益を得ることができるよう
にということに関心をもつということを言い表してきました。
1979 年にフェアー・トレード運動のひとつであるトレード・クラフトは正義を
求める預言者的な草の根運動として確立し、育ってきました。それは、貿易と
ビジネスの関係における先駆けとしての原型を提示したのです。これは、ちょ
うどアフリカのアルベルト・シュバイツァーがキリスト教の医療と教育へ参与
というパターンに従ったようにしています。クリスチャンはしばしば最初に医
療と教育の場で活動を開始します。
日本では、ルーテル教会の松木傑牧師が 1980 年代に「分かち合いプロジェクト」
とインターナショナル・フェア・トレード・ラベル運動を開始されました。私
は、1998 年に松木先生と彼の「分かち合いプロジェクト」と深く関わりながら
大学でフェア・トレード運動を始めたわけです。
(青山学院大学名誉教授、東方敬信)