【研究者インタビュー No.123】 情報をわかりやすく伝えるマンガの力でスーパー社会人を育てる 別府大学 文学部 国際言語・文化学科 教授 田代 為寛 (たしろ・ためひろ) 専門: マンガ。マンガ単行本の企画・構成・実作。 ▲学生や講師の作品と共に。 ●別府大学のマンガ講座について教えてください マンガを描く技術を使い,行政やビジネスの分野で 必要とされるコミュニケーションツールを企画・制作 できる実作ノーハウを伝えています。 もちろんマンガを描く描画力は必要ですが,絵を描く 技術を磨くことだけを目的にしているのではありませ ん。絵は下手でも全然かまわないのです(笑い)。そ れよりもっと広い視野や発想でもって,テーマを読み 手に伝えるための企画力とか発想力や構成力を養 うことを重視しています。 マンガ雑誌に連載する漫画家を目指すのも良いで す。しかし,現実は不安定な仕事です。生活を安定 させるためにはマンガの技術を使って社会で活躍で きる幅をもっと広げてもらうという戦略が適切と考え ます。そのためには,学生が社会に出た時,発注 者・読者・作り手という関係の中で仕事をするという 基本的な前提の上で活躍できるようにしたい。学生 時代から,発注者が伝えたいことをいかに工夫すれ ば読者に効果的に伝わるかを考え,具体的に提案 できる人になって欲しいと考えています。これは教育 のポリシーにもつながっています。 発想力や企画力をつける手法をひとつご紹介しまし ょう。誰でも知っている「桃太郎」の話を材料にして, 2 つの視点で分析します。1 つは登場人物ごとの時 系列表作り。もう 1 つは物語が起こっている地域の 地図作り。おじいさんは山に芝刈りに行き,おばあさ んは川で洗濯をします。どういう山なんだろう,どうい う川なんだろう,家はどんな間取りだろう,庭はどうな っているんだろう,毎日どういうスケジュールで生活 しているのだろう・・・を考えてもらいます。どうです, これだけで頬が緩んで来ませんか? この手法は題材 の全体像を時間的・空間的に把握するのにとても有 効です。それに脚色を加え桃太郎話の地図や物語 のマンガを描いてもらう。そんな演習を重ねます。 もちろんキャラクターづくりやひとコマ,4 コママンガ, ストーリー性のあるマンガの技術や構成法などもし っかり鍛えます(笑い)。(写真と文/安部博文) 【田代 為寛 (TASHIRO Tamehiro)プロフィール】 ▼1948 年,東京都大田区久が原生まれ。5 人兄弟の末っ子。2歳から 10 歳までは大阪 府吹田市千里山で過ごす。文化人や転勤 族が多く,竹藪・畑・空き地も混在する郊外 住宅地域。小学校低学年からマンガを描く ようになる。学級の壁新聞作り活動などが 好き。4 年の 2 学期の途中から東京の小学 校に転校。牧歌的な千里山の学校生活か ら,一転して勉強中心の学校に変わりカルチャーショックを受 ける。国語の宿題で先生に誉められたことが小学校生活を乗 り切る自信につながる。▼区立大森第十中学に進学。大田 区の町工場の子どもが多く,仲良くなる。成績も向上し,学校 生活が楽しくなる。新聞部に所属。中学 1 年の担任(英語)が サッカー部を指導し都の大会で優勝。サッカーの試合を見て 面白さに目覚める。担任が現代詩人であることを知り,私淑。 3 年時から尐しずつマンガを描き始める。▼都立小山台高等 学校に入学。サッカー部に所属。フォワード人気が高いなか 逆にディフェンスこそ知性のポジションと自説を展開,レギュ ラーになる。1 年時はサッカー漬け。春休みの時,ひとこまマ ンガを描き,東京新聞に掲載される。2-3 年のクラスは,詩集 や SF 同人誌の発行活動が盛ん。自分なりに工夫したマンガ を寄稿。2 年時,作品「宇宙の出来事」を『ガロ』編集部に持ち 込む。長井勝一編集長に個性があると評価され,ガロ 1966 年 8 月号に掲載。マンガ家としてデビュー。将来は国語か歴 史の教師になり,趣味でマンガを描きたいと考える。▼1967 年 3 月,高校を卒業。城北予備校で 1 浪。古文の文法の理路 整然とした説明を聞いて納得。▼1968 年 4 月,早稲田大学政 経学部政治学科に入学。早大漫画研究会(漫研)に所属。当 時の漫研はひとこまマンガが主流で,ストーリーマンガを下に 見る傾向があった。ガロにも年に 1 度寄稿し,漫研名物のパ ネル展でもストーリーマンガを発表するうち,次第にストーリ ー派が増加。3 年時は学生運動のため大学が閉鎖。混乱の うちに大学生活が終わる。▼1972 年 9 月,同大学を卒業。月 刉誌の連載と似顔絵描きの個人事業者として独立。翌年,漫 研メンバーの 1 人と結婚。漫研仲間と「まんが似顔絵工房」を 結成。実業之日本社から似顔絵本出版の相談があったのを 機に,企画から制作までの全体を工房仲間と共に手がける。 同社から 1976 年に「こどもポケット百科,人気タレント似顔絵 大行進」として発行。その後,教育評論家の阿部進による子 ども向け通信教育用教材のマンガ脚色などを担当,多忙な 日々を送る。▼1978 年,マンガ業務を休止,長野県の入笠山 に作業場つき別荘を建築し,木製クラフトの製作を開始。販 売は八ケ岳付近のペンションに依頼,50 軒ほどと取引を行う。 ▼1984 年,「ガロ」二十年史『木造モルタルの王国』が発刉。 「宇宙の出来事」が収録されていた。これを機に漫画業に復 帰。翌年から、田代タメカンのペンネームでプロレス漫画を描 く。クラフト制作と並行し,東京スポーツ「週刉ザ・プロレス」, ベースボールマガジン社「プロレスコミック」(表紙),世界文化 社「ニコニコ・コミック」などに連載を持つ。▼1987 年,芳文社 の「まんがタイム」誌,古島當夫編集長(故人)からファミリー4 コママンガの制作を勧められる。これを機に絵のスタイルを 一新し,ペンネームも「田代しんたろう」に改める。▼1999 年 から 2008 年まで,中央美術学園講師としてマンガ関連ワーク ショップを担当。教育者としての活動を開始。▼2006 年,別府 大学文学部芸術文化学科客員教授としてマンガ関連集中講 義を担当。▼2008 年 4 月,別府大学に着任。 平成 22 年度大学等産学官連携自立化促進プログラム / 地域連携研究コンソーシアム大分 / 取材時期 平成 23 年 3 月
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