第10章 長塚 節

絶対文感 5【 番外篇 】
第10章
長塚
節
陽羅
義光
もう五 十年 以上前 になる が、 学生時 代 にたまた ま親 友の家 に行っ たこ
とがある 。親 友は農 家の長 男で あるか ら 、それな りに 薄汚い 家であ ると
は想像し ては いたが 、ここ だと 云われ て 眼のやり 場に 困った 。てっ きり
隣家の納 屋だ と思っ ていた そこ が親友 の 家であっ た。 狭い狭 い汚い 汚い
一室で粗 末な 粗末な かっこ うの 家族七 人 が寄り添 って 、刻ん だキャ ベツ
だけをお かず に貧し い貧し い食 事をし て いたので ある 。咄嗟 に私は 読ん
だばかり の長 塚節の 『土』 を想い 起こ し た。
それか ら三 年経っ て今度 はた またま で はなく親 友に 呼ばれ た。出 迎え
た親友は ここ が我が 家だと 云っ て両手 を 広げた。 そこ には紛 れもな く豪
邸が聳え 建っ ていた のであ る。 聞いて み ると親友 いわ く、猫 の額ほ どの
田畑全面 にバ イパス が通る とい うこと に なって、 その 土地を そっく り県
に売った ら三 億円入 ったと 云う のであ っ た。こう いう ことは 初めて 聞く
話だった ので 、親友 のため に大 悦びも し たが、呆 れる くらい 妙な気 がし
た。今に なっ てみれ ば不思 議で も何で も なく、私 のマ ンショ ンのベ ラン
ダからは 、地 元の農 家だっ たマ ンショ ン の大家の 大邸 宅と、 大 家が 経営
する巨大 な介 護施設 と二百 台は 収容で き る駐車場 が見 える。 もちろ ん見
えないと ころ にも、 いろい ろある 。
農民は たし かに貧 しく虐 げら れてき た けれども 、現 代にな ってよ うや
く長年の 借り を返し てもら った のか。 そ れとも農 民は 元来し たたか で、
土地さえ 持っ ていれ ばいず れ何 とかな る と解って いた のか。 土地所 有を
最大の悪 と考 える私 は、や や混 乱して い てまだ研 究中 だが、 いずれ にし
ろ長塚節 の『 土』を 読んで も、 ピンと こ ない時代 が来 ている んだな あと
想われた 。
長塚節 (1 879 ~19 15 )は歌 人 である。 ただ 斉藤茂 吉ら同 時代
の歌人と 較 べ てしま うと、 歌人 として の 大きさは 感じ られな い。長 塚節
が日本文 学史 の中で 大きな 位置 を占め る のは、小 説『 土』に 於いて であ
る。実際 「日 本の農 民文学 の魁」 と呼 ば れている 。
ちなみ に長 塚節に は、
『土』の 他に も短 編小説が 七編 ある。写 生文 が一
作と紀行 文が 一作あ る。た だし 『土』 を 述べれば 、小 説家長 塚節を 述べ
たことに なる と思わ れる。 長塚 節の理 解 者である 作家 和田伝 も【こ れら
写生文や 紀行 文や短 編小説 は、 つまり 『 土』を書 くた めの準 備だっ たと
も言える し、 また、 これら が一 つの結 晶 体となっ て層 層と隆 起した のが
『土』で あっ たとも 言える 』と書 いて い る。
古往今 来、 小説家 は、代 表長 編一作 だ けを書け ばそ れでよ しとも 云わ
れてきた 。(それ 以外の こまご まし たも のは書い ても 残って いない )。 た
しかにそ の例 は日本 だけで もい くつも あ る。二葉 亭四 迷の『 浮雲』 中勘
助の『銀 の匙 』瀧井 孝作の 『無 限抱擁 』 埴谷雄高 の『 死霊』 藤沢清 造の
『根津権 現裏 』など など。 なかで も長 塚 節『土』 は好 個の例 である 。
夏目漱 石の 推挽で 、朝日 新聞 に連載 さ れた『土 』は 、長塚 節が亡 くな
る三年前 によ うやく 出版さ れた 。(『土 』 に就いて 私が ここで 解説す るよ
りも)夏 目漱 石の序 文を引 用し たほう が はるか に いい と思わ れるの でそ
うする。
【人事を 離れ た天然 に就い ても 、前同 様 の批評を どん な読者 も容易 に肯
わなけれ ば済 まぬ程 、作者 は鬼 怒川沿 岸 の景色や 、空 や、春 や、秋 や、
雪や風を 綿密 に研究 してい る。 畠のも の 、畦に立 つ榛 の木、 蛙の声 、鳥
の音、苟 も彼 の郷土 に存在 する 自然な ら 、一点一 画の 微に至 るまで 悉く
その地方 の特 色を具 えて叙 述の 筆に上 っ ている。 だか ら何処 にどう 出て
来ても必 ず独 特(ユ ニーク )で ある。 そ の独特な 点を 、普通 の作家 の手
に成った 自然 の描写 の平凡 なの に比べ て 、余は誰 も及 ばない という ので
ある。余 は彼 の独特 なのに 敬服 しな が ら 、そのあ まり の精細 過ぎて 、話
の筋を往 々に して殺 してし まう 失敗を 嘆 じた位、 彼は 精緻な 自然の 観察
者である 。】
【余の娘 が年 頃にな って、 音楽 界がど う だの、帝 国座 がどう だのと 云い
募る時分 にな ったら 、余は 是非 この『 土 』を読ま した いと思 ってい る。
娘はきっ と厭 だとい うに違 いな い。よ り 多くの興 味を 感ずる 恋愛小 説と
取り換え てく れとい うに違 いな い。け れ ども余は その 時娘に 向かっ て、
面白いか ら読 めとい うので はな い。苦 し いから読 めと いうの だと告 げた
いと思っ てい る。参 考の為 だか ら、世 間 を知る為 だか ら、知 って己 の人
格の上に 暗い 恐ろし い影を 反射 させる 為 だから我 慢を して読 めと忠 告し
たいと思 って いる。 何も考 えず に暖か く 生長した 若い 女(男 でも同 じで
ある)の 起こ す菩提 心や宗 教心 は、皆 こ の暗い影 の奥 から射 して来 るの
だと余は 固く 信じて いるか らであ る。】
夏目漱 石の 懇切で 思い遣 りの ある評 は 相変わら ずで ある。 昨今の 大物
作家とは 異な り、夏 目漱石 はい つもこ う である。 いく ら長塚 節が、 夏目
漱石の親 友、 正岡子 規の弟 子で あった か らといえ 、作 者なら ずとも 本当
に涙の出 る推 薦文で ある。
『土』 はは じめ、 お品が 主人 公であ る かと思わ せる 。この 感じの 良い
働き者の お品 が出ず っぱり であ る。と こ ろがお品 はこ の本を 十分の 一ほ
ど読んだ 際に 死んで しまい 、遺 された 亭 主の勘次 とそ の父の 卯平、 勘次
の娘のお つぎ の三人 が主人 公とな り、 物 語が進む 。
むろん 、
『 土』は この農 民一家 の厳 しい 暮らしと 、厳し い自然 描写 が中
心なので 、一 般に物 語りと 呼べ るもの は ない。物 語が ないか ら読み にく
い、読む のに 苦しい とも云 われて きた 。
だが私 はこ んど再 読して みて 、たい へ ん面白か った 。少な くとも 読む
のに苦労 はし なかっ た。な ぜなら と考え るに、
『土』には一 般に云 う物語
はなくと も 、「生 活」と 「自然 」、日々 の 生活、日 々の 自然そ のもの の一
歩一歩の 進行 が、す なわち 物語に なっ て いるから だと 考えた 。
【お品は 手桶 の柄へ 横たえ た竹 の天秤 へ 身を投げ 懸け てどか りと膝 を折
った。ぐ った り成っ たお品 はそ れでな く てもみじ めな 姿が更 にしど けな
く乱れた 。西 風の余 波がお 品の 後から 吹 いた。そ うし て西風 は後で 括っ
た穢い手 拭い の端を 捲くっ て、 油の切 れ た埃だら けの 赤い髪 の毛を 扱き
あげるよ うに してそ の垢だ らけ の首筋 を 剥き出し にさ せてい る。そ れと
共に林の 雑木 はまだ 持ち前 の騒 ぎを止 め ないで、 道傍 の梢が ずっと 撓っ
てお品の 上か らそれ を覗こ うと すると 、 後からも 後か らも林 の梢が 一斉
に首を出 す。 そうし て暫く は又 一斉に 後 へぐっと 戻っ て身体 を横に ゆさ
ぶりなが ら笑 いさざ めくよ うにざ わざ わ と鳴る 。】
いまの 時点 で考え ると、 安易 なオノ マ トペは多 いし 、文章 はまど ろっ
こしいし 、描 写はし つこい し、 同語彙 の 繰り返し も少 なくは ない。 それ
でもそん な言 語上の 方法論 や文 章上の 方 法論以上 の、 夏目漱 石の言 葉を
借りれば「独 特( ユニー ク)」な 方法論 で 書かれた 、実 に意識 化され た作
品である こと が解る 。
正岡子 規の 唱える 「写実 主義 」の、 小 説上での 具現 化と考 えられ てい
る『土』 であ るが、 たしか にこ の「眼 」 は凄い。 微細 に見 る 眼が小 説を
作ってい る。 長塚節 は、小 作人 を多く 抱 える茨城 の豪 農の出 身であ るか
ら、若い 頃に 小作人 たちを 暗い 興味を 持 ちつつ、 観察 し続け てきた ので
あろう。だがそれだけではない。今回私が再読して深く感銘したのは、
「家族」 とい うもの の繋が りで あった 。 峻厳に冷 徹に 客観的 に写実 的に
書かれた はず の文章 の、文 章と 文章の 割 れ目に微 かに 射す朝 日に似 てい
るシーン 。そ れは例 えばこ んな場 面に 垣 間見られ る。
【お品は 毎日 閉め切 ってい た表 の雨戸 を 一枚だけ 開け させた 。から りと
した蒼い 空が 見えて 日が自 分の 居る蒲 団 に近くま では った。 お品は これ
ま では明 るい 外を見 ようと 思う には余 り に心が鬱 して いた。 お品は 庭先
の栗の木 から 垂れた 大根が 褐色 に干し て いるのを 見た 。おつ ぎも勘 次の
横へ筵を 敷い て又大 根を切 って いる。 そ の包丁の とん とんと 鳴る間 に忙
しく八人 坊主 を動か しては さら さらと 藁 を扱く音 が微 かに交 じって 聞こ
える。お 品は 二人の 姿を前 にして 酷く 心 強く感じ た。】
だから 私は 長塚節 の( むろん『 土』の)
「絶 対文感 」を 、引用文 の前者
ではなく 後者 と捉え ている のであ る。
もし長 塚節 に興味 のある 方に は、藤 沢 周平の労 作『 白き瓶 ・小説 長塚
節』をお 奨め する。