醍 醐本 ・法然 上人 伝 記 に つい て (坪 -三 井) 心料 簡 以 下 の法 語 に つい て- 坪 井 俊 二四 映 選 択 集、 逆 修 説 法、 三部 経大 意、 阿 弥 陀 経釈、 往 生要 集 の さ れ た も ののあ る と こ ろ ま で は言 及 し て いな い。 れ る著 作 語 録 の中 に異 本 が見 ら れ、 ま た、 そ の中 に加 筆・ 改窟 醍 醐 本 ・法 然 上 人 伝 記 に つ い て 一 集 のも の、親 鷺 が集 録 し た西 方指 南 抄、 了 慧 が輯 集 した 和 漢 法 然 の語 録 は滅 後 六十 二年 ま で に、 醍 醐 本法 然 上人 伝 記 所 語 燈 録 の三 回 に 亘 つて集 録 さ れ た と い われ て いる。 し か し な お い て伝 持 し て いる 間 に、 書 写 す る にあ たり 詳記、 略 記 のあ 写 の誤 り と 見 る こと が でき ぬ も のが あ つて、門 下 の各 流 派 に と称 し、 嫡 流 と自 負 し て教 説 の朱 紫 を 争 う状 態 であ り、 そ の る こ と は いう ま でも な く、 意 識 す る と せ ざ る と に か か わ ら 釈 書 等 を 見 る と異 本 が多 く、 こ れ を 比 較 し た場 合 に、 但 に筆 間、 各 流 派 に お い て、 法 然 の著 作 や語 録 が いか に 伝 承 さ れ て ず、 自 流 の教 説 に都 合 よ き よ う に 加筆 改 窟 が行 な わ れた の で がら 法 然滅 後、 門 下 は 分 裂 し て 五 流 六流 とな り、 互 い に師 説 いた か あ き ら か で な い。 こと に 醍醐 本 法 然 上 人 伝 記 を 初 め と な い か と疑 が わ れ るも のも 見 ら れ る。 例 えば 選 択 集 に つい て見 る に、 草 稿 本 と い わ れ る 盧 山 寺 し て西 方指 南 抄、 和 漢 語 燈 録 が 編 集 さ れ る にあ た り、 いか な る流 派 に て伝 持 し た も の を 集 録 し た か、 集 録 し た 原本 が いか 先 ﹂ と な つて いる に対 し、 親 鷺 が 伝 受 し た と いう 真宗 所 伝 の 往 生 之 業念 仏 為 本、 当麻 の元 久古 写本、 及 び聖 光 ・良 忠 と 次第 す る浄 土 宗 所 くわしく真 な る 流 派 の誰 れ が所 持 し て いた も のであ つたか と いう 集 録 の あ ま ね く 花 夷 を た つね 伝 のも の は巻 首 の語 句 が ﹁南 無 阿 弥 陀 仏 二 十 余年 のあ ひ だ 過 程 は あ き ら か で な い。 拾遺 和 語 燈録 の後 序 に 了 慧 は ﹁を よ も のは ﹁南 先 阿 弥陀 仏 そ 偽 を あ き ら め て、 こ れ を 取 捨 す と い へども ﹂ と い つ て、 ひろ 教 行 信 証後 序 の説 に よ る と 法然 は 真 筆 を も つて、 この よ う に 往 生之 業 念 仏 為 本﹂ とさ れ て い る。 く 諸 方 を た つ ね て真 偽 を 正 し て 集 録 し た と いう が、 真 撰 と さ -521- 書 写 し て親 鷺 に与 えら れ た と い い、さ ら に 第 八 篇 の三 心 釈 に 加筆 が行 な われ た の でな いか と 考 え る ので あ る。 し た流 派 にお いて、 自 派 の教 説 に都 合 良 き よ う に 至誠 心 釈 に さ ら にま た、 金 沢 文 庫 に 所 蔵 さ れ て い る三 部 経 大 意 は 建 長 と であ つて、 所 伝 の流 派 は明 確 な ら ず とも 内 容 に つい て他 の 由 のみ に よ つて、 古 写本 に価 値 を つけ る こ と は慎 し む べき こ 代 の古 写本 であ り、 法 然 に近 い時 代 の書 写本 であ る と いう 理 し た が つて、 法 然 の教 説 を 研 究 す る にあ た り、 但 に 鎌 倉 時 お け る至 誠 心釈 を初 め とし て、 諸処 に特 異 な 返 り 点、 送 り 仮 六年 (一二五四)即 ち 法 然 滅 後 四 十 二年 に筆 写さ れ た古 写 本 で 名を つけ て独特 な読 み方 を し て いる。 あ つ て、浄 土 宗 第 三祖 良 忠 の門 人良 聖 の手 沢 に な るも の であ 語 録 と 比較 研究 す べき要 があ る と考 え る。 二 り、 現 存 の三部 経 大 意 の中 で最 古 の写本 と思 わ れ るも の であ るが、 これ に は 三心 の至 誠 心 を 釈 し て、 自 力 の至 誠 心 と他 力 こ の 三部 経 大 意 は 石 井 教道 編 の 法然 上人 全 集 の指 示 にょ る 鎌 倉 時代 の古 本 に就 き影 写 し た も のと 思 わ れ る ﹂ と い い、内 近 世 の書 写本 であ る が、字 画、訓 点 を 見 る に頗 る古 体 を 存 し、 成 立 に関 し て、 望 月信 亨 博 士 は そ の解 説 に お い て、 ﹁本 書 は 醍 醐 本 法然 上人 伝 記 は醍 醐 三宝 院 に 所蔵 さ れ るも の で、 近 と、 異 本 とし て上 記 の金 沢 文 庫 本 の ほか に、 高 田 専 修 寺 所 蔵 題 の下 に ﹁見聞 出 (書) 勢 観 房 ﹂ とあ るに 注 目 し て、 本 書 の の至 誠 心 をあ か し、 自 力 の至 誠 心 を具 す るも の は ﹁千 が 中 に の正 嘉 二年 (一二五八) の写本、 元亨 版 和 語 燈 録 所 収 本 と、 正 全 篇 は す べて勢 観 房 の見 聞 に基 き、 或 る門 弟 の集 録 し た も の 世 の初 め義 演准 后 ( 寛 永三年=一六二六寂) に よ つて書 写 さ れ 徳 版 和 語 燈 録 収 録 本 と 都合 四 本 あ り と さ れ、 こ の法 然 上人 全 た も のであ る。 し か し、 そ の原本 はあ き ら か で な い、 本 書 の 集 は 金 沢 文 庫 本 を 底 本 と し て 校合 さ れ て い るが、 至 誠 心 に 対 であ る と さ れ て、 法然 の語 録 を集 録 し た も の の中 で最 初 のも 一も な し﹂ と いう ごと き こと は、 法 然 の他 の著 作 や 語 録 に 見 す る 自 力 他 力釈 は 金 沢 文 庫本 と高 田専 修 寺 本 と に の み あ つ の とさ れ て い る。 ら れ な いも の であ る。 て、 元 亨版 や 正徳 版 に は 見 る こ とが でき な い。 こ の至 誠 心 に 対 す る 自力 他力 釈 は 他 の 法然 の著 作 語 録 に 見 ら れ な いば か り 期 物 語、(二 禅) 勝 房 と の問 答 二五 十 一、(三 三心 ) 料 簡 以 下、 二十 七 でな く、 内 容 よ り見 て、 は た し て法 然 の説 か 疑 が わし いも の 法 語、( 四) 別 伝 記、(五 御)臨 終 日記、(六 三) 昧 発 得 記 の六篇 よ り 成 本 書 は表 題 が 法 然 上 人 伝 記 と な つて い るが、 内 容 は、(一一 ) であ る。 しか る に、 こ れ が源 空 撰 と さ れ る 金 沢 文 庫 本 と 高 田 り、 法然 の伝 記 の ほ か に 諸 種 の語 録 を 収 め て いる が、 義 演 の 井) 専修 寺 本 と に記 述 さ れ て い る ど いう こと は、 こ の 二本 を 伝 持 醍 醐本 ・法 然 上 人伝 記 に つい て (坪 -522- 醍 醐 本 ・法 然 上人 伝記 に つ い て (坪 井) 書 写 し た も のに は相 当 数 の誤 字 脱 字 を 見 ら れ る。 ノ 二六 作 や 語 録 に見 ら れな いも のであ る。 法 然 の説 く 白 道 (浄信心) こ の法 然 上 人伝 記 は 上記 のご とく 勢 観 房 源 智 ま た は そ の門 正 行 の白 道 と いう ご とき 二種 白道 説 は見 る こ とが でき な い。 は水 波 火 焔 (貧瞑煩悩)に 汚 さ れ勝 ち で あ る が、 随 犯 随 繊 し ノ 諸 行 往 生 願 生 心白 道 為三貧瞑 水 火 一 被レ 損、 以レ何 ナレトモ 白道 こ のう ち 三 心料 簡 以下 二十 七 法 語 を 見 る と、 そ の申 に は た ハ て、 釈 迦 の発 遣 と弥 陀 の招 喚 を信 じ て、 称 名 念 仏 し て浄 土 を ノ 願 生す る こ とを あ か し て いて、 白 道 に諸 行 往 生 の白 道 と専 修 ノ し て 法 然 の言 葉 か と疑問 に思 う も のが 見 ら れ る、 即 ち ﹁白 道 トサ 事﹂ の条 に、 ノ ト 願 生 心 名 二願 力 道 一 以 レ何 得 レ知、 仰蒙 二釈迦 発 ヲ ハ 釈 云 下廻 二諸行 業 一 直 向中西 方 上也 云云 ﹁白道事、雑行中願往生心 得 レ知 ノ 流 の徒 に よ つて集 録 さ れ たも のと いわ れ て い る が、 こ の ﹁白 タリ 聞、 次 専 修 正 行 道 事 ﹂ の 記述 が 法然 のも ので な い とす れば、 誰 れ か 門 下 の説 レ セ テ ノ 乗二本願力白 セリ 即喩二 弥陀 ノ 我 能 護 レ汝、衆 不レ 不レ可レ恐二貧 瞑 煩 悩 一 也 ニ ノ の響 喩 を 説 明 し て、 ノ ﹁問 日合 喩 中 第 六 者 ノ ノ ノ 也、 明 知 ノ ヌ ニ ノ ノ ノ 以二 白 道一喩 二衆 生 願 往 生 心 一 今 此 第 十 一合 リ ヌ ク ノ ノ ハ 其 前未 レ発下帰 ニ 以二 願 生心一 喩二 白 喩三 愛 心 常起 能 染 二汚 善 心 ] ﹂或 ニ リ 答 此事 有 二深 意 一 今 案 二合 喩 文 前後 一 夫 合 ノ 只以 二 自力行 一 願 二往 生 一 之故 ハ 皆 是未レ 帰 二他 力 一之 故 以 二願 生 之 心 一 為 二白道 一 帰 二入他 力 一 愛 心山 豆染 二本 願 道 脚 乎 未 レ帰 二本願一之 時 山 豆焼二本 願之 道一乎 云 ﹁火 焔 常焼 レ道者 即 喩 瞑 嫌 之 心 能 焼 二功 徳 之 法 財 こ 云云 瞑 火 フ 道 一也 ⋮ ⋮或 云 ﹁水 波 常湿 レ道 者 他 力願 一 之 心上也 喩 第 七 文 中 ﹁始 廻 二諸 行業 一 直 向 二西 方 一 云云﹂料 知 陀 願 一 有 二何 意 一 也 喩 中 以 二白 道 一 喩 二弥陀 願 一 以 二一白 道 一 或 喩 二衆 生 心 一 或 喩 二弥 ノ る。 即 ち 具 三 心義 下 には 廻 向発 願 心釈 の下 に出 つ る二 河 白道 同 じ考 え が長 楽 寺 隆 寛 の具 三 心義 の中 に 見 出 す こ と が で き が 説 く 三 心釈 及 び 二河 白 道 の解 説 を見 る に、 これ と ほ と ん ど を 収 集 し た の で な いか と も 考 え ら れ る の で、 法 然 門 下 の各 派 遣指南 一 西方又籍二 弥 陀 悲 心招 喚 一 今 信二順 二 尊 之 意 一 不 レ 顧二 水 ノ 汝 一心 正 念直 来 ク 火 二 河 一 念 々兄 レ 遣乗 二 彼 願 力 之 道 一 捨 レ命 已 後 得 レ生 二彼 国 一 文已 ノ ノ 下文是也、正行者乗二願力道 一 故 全不下貧 瞑水火損害上 是 以讐喩 ニ 申云、西岸 上有レ人喚 言 ノ ハ 畏 レ堕 二水 火 難 一 云云 合 喩 中 云、 言 二西 岸 上 有 レ人 喚 一 者 ノ 願意噸 也云云 専修正行人 道 一 堂容レ 被レ 損二 火焔水波 一 哉 云云﹂ とあ り、 これ は善 導 の観 経疏 散善 義 の中 に 説 く 二 河白 道 の響 喩 に お け る白 道 を解 説 せ る も のであ る が、 こ の解 説 に よる と 白道 に 二 種類 あ り とし、 雑 行 (諸行)に よ る願 往 生 心 の白 道 と 専修 正 行 に よ る願 往 生 心 の白 道 であ つて、 専 修 正行 の願 往 生 心 を願 力 道、 本 願 力 の白 道 と名 づ け て い る。 そ し て、 雑 行 往 生 の白 道 は水 火 の 二河 に損 害 せ ら れ る が、 専修 正行 の願 力 道 は水 波 火 焔 に害 せら れ な い と い う。 こ の よ う に白 道 を 二 種 に区 分 し て説 く こ と は 法然 の他 の著 -523- ノ 然則 今此至誠 心中 ノ 所レ 嫌之虚仮行者 余善諸行也 ニ 三業精進錐 レ 勤 以二 弥陀之願 一 為二白道 一 文相惟明 学者思而可レ知﹂ 生不可一 也、是以礼讃専 雑二行得 失中云 食瞑諸見煩悩 来 間断 之後 と いう、 具 三心 義 の説 に よ る と、 隆 寛 は白 道 を 弥陀 の願 と衆 故 廻二此等雑行 一 直欲レ生二 報仏浄 土者尤不可嫌道理也、然以二 身 ス 以二意業 尉 為 レ内者僻事 也、既云二錐起 三業 嚇 堂除 二 ニ 名 二雑毒 之 善 一 名 二雑 毒 之 行 一 云 二 往 生 の心 に喩 え、 自 力 の行 に よ つ て往 生を 願 う 心 を白 道 に響 え 口二業 蝿 為レ外 ノ て、水 火 の 二河 に よ つ て浸 焼 せら れ る が、 他 力 に帰 し て後 は 二七 れ別 々の概 念 であ つて、 三 心料 簡 の至 誠 心 釈 のご とく、 虚 仮 る の であ る。 即 ち、 法然 で は雑 行、 諸 行、 虚 仮 の行 は そ れぞ す る 一切 の悪 業 を いう の であ つて、 これ を 雑 毒 の善 と名 づけ 心釈 の下 に排 除 す る虚 仮 の行 と は食 瞑 等 の煩 悩 に よ つて 生起 あ つて、 雑行 と諸 行 と は明 確 に区 別 し て い る。 さ ら に、 至誠 け て いる。 ま た諸 行 と は念 仏 以外 の諸 種 の往 生 行 を いう ので し、 阿 弥 陀 仏 以外 の諸 仏 菩 薩 に関 す る 一切 の行 を 雑行 と 名 づ 仏及 び極 楽 浄 土 に関 係 深 い 五種 の行 を 正 行 と 名 づ け る に 対 る。 法 然 に よ る と、 雑 行 は正 行 に対 す る語 であ つて、 阿弥 陀 かか る考 え も ま た、 法 然 の選 択 集 等 に見 ら れ な いも のであ 行を も つて虚 仮 の行、 雑 毒 の善、 雑 毒 の行 と し て い る。 生 を求 む こと が あ つても 往 生 は 不 可な り と い い、雑 行 諸行 余 え ども、 貧 瞑 煩 悩 が 雑 る ゆ え に、 こ れ ら の雑 行 を 廻向 し て往 て余 善 諸 行 とし、 三業 を 精 進 し て余 善 諸 行 ( 雑行)を励 む と い あ り、 虚 仮 の行 であ る が、 三 心料 簡 で は こ の虚 仮 の行 を も つ と あ り、 至 誠 心釈 に お いて警 め、 排 除 す る と ころ は 虚 仮 心 で 意業 一 乎﹂ 貧 瞑 邪 偽 等 血毒 雑 故 弥陀 の本 願 を も つて 白道 と し、 こ れを 本願 道 と名 づけ て、 水 火 に浸 焼 せら れ な いと いう。 三 心料 簡 の白道 事 にあ か す 願 力 道 と は具 三 心義 に いう 本願 道 と 同 じ こと であ つて、 白 道 を 弥 陀 の願 と 衆 生 の 心 に 分 け て説 く具 三心義 の考 え と、 雑 行 往 生 の白 道 と 専 修 正行 の白 道 を願 力 道 と名 づけ て 二種 の白 道 を 説 ノ く 三 心 料 簡 の説 と は と も に 同 じ考 え であ る、 さ らに 具 三 心 義 テ 雑行雑修雑業雑毒雑縁虚仮 等皆 是 約二自力行 幅 所レ立二 其 には 自 力 の行 に つい て、 ﹁当レ 知 名一 也﹂ と い つて い るか ら、 三 心 料 簡 の下 に説く 白 道 事 にあ か す 雑 行 の願 往 生 心 は、 具 三 心 義 に説 く 自 力 の願 生 心 の こと を いう も のと 見 ら れ る、 し た が つ て、 三 心 料 簡 の下 に説 く 雑 行 往 生 の 白道 と 専修 正 行 の願 力 道 の考 え は隆 寛 の具 三 義 の説 と 同 じ で あ るか ら、 この白 道 事 な る 一条 は 隆寛 の長 楽 寺 義 を述 べた も のと いう こと が で き る。 三 井) さ ら に、 ま た 三 心料 簡 に 説 く 至 誠 心 の釈義 に つい て も 同 じ こと が考 え られ る。 即 ち、 醍 醐 本. 法 然 上 人 伝 記 に つ い て ( 坪 -524- 醍 醐本 ・法 然 上 人 伝 記 に つい て (坪 井) ノ ニ シ ソ スル 二八 ナルニ 是真実 心中作 凡所二施為趣求 一 亦 皆真実上﹂ と あ つて、 阿 弥 陀仏 が 因 位 法 蔵 菩 薩 た り し と き、 三業 の所 修 の行 が 即 ち雑 行 であ り、 諸 行 であ る と は考 え て いな い、 し た が つて、 こ の三 心 料 簡 に 説 く 至誠 心釈 は法然 の考 え を 記 述 し は み な真 実 であ り、 衆 生 を 化 益 し 悟 り を 求 め る 菩薩 道 も また ヲ ニ タルカ ニ ノ ノ ハ ニ テ ヲ テ ト ノヲ ノ ハ ニバク ト ッ 名 二雑 毒 善 一 今 釈 対 二正 行 一立 二雑 ノ ノ ヲ ニ ニ 依二 此行 一 コト ノ ノ ノ モ ニ ヲ ハ ヘタ リ ノ 一分煩 悩 不 レ得 二断 除 一 ノ ナレトモ 一 これ に つい て醍醐 本 の三 心料 簡 で は、 て、 菩 薩道 の真 実 を説 く も の とす る。 コソ 故云二 真実 一 也、 ナルカ 施二 此衆 生 一也、造 悪 ト ヰヘル 此 以二真 実 一 施 者、 ﹁由 下阿弥 陀 仏 因 中真 実 心中 作 上行 悪 不 レ雑 之 善 ノ り 点 が な く、 いか に 読 む か あ き ら か でな いが、 次下 の文 意 よ が、 ﹁凡所 施 為 趣 求 亦皆 真 実 ﹂ の文 に つい て、 醍 醐 本 に は 返 と い つ て、仏 の因 位 に お け る真 実 心 に つ い て は 相 違 は な い 之凡夫 即可レ 由二 此真実 一 之機也﹂ 施何者云 深心二種釈第 一罪悪 生死 凡夫 ヘハ 其 義 以レ何 得 レ知、 釈 凡 所 施 為 趣 求 亦 皆 真 実 文 ラ ん で、 法蔵 菩 薩 の下 化 衆 生 と 上求 菩 提 の真 実 を 示 す も のと し ﹁凡 そ 施為 趣 求 す る と こ ろ、 また みな 真 実 な るに よ る﹂ と読 真 実 で あ る と い う。 こ の ﹁凡 所 施 為 趣 求 亦 皆 真実 ﹂ の 文 は たも のとす る こと が で き な い。 ノニ これ に つい て隆 寛 の散善 義 問答 を 見 る に 至 誠 心 釈 に つい て、 ス ノ テ 三 業 賢善 中交 二煩 悩 毒 一故 ﹁雑 行 者 即指 下真 実 心 中 所 レ嫌 外現 精 進 内 懐 虚仮 行上 彼 名 二雑 毒 一 ヲ 行 一 是 即指 二上雑 毒 行 一立 二雑 行名 一 也﹂ ノ ルカ 以二 自 力修 行 力 一 期 二往 生 一 者 外相三業勇猛 と い つ て 雑 行 を 雑 毒、 虚 仮 の 行 と 名 づ け て い る。 そ し て、 さ ら に同 問 答 に は テ 邪偽弥起 故 ﹁次 不得 外 已 下釈 モ 貧 瞑 不 レ止 ノ ノ 念 妄 心依 二 此業 一 不 レ能 二 制 伏 一 是 故 三 業 精 進行 中尚 交 二煩 悩 毒 一 ヘタ リ と い つて、 自力 の修 行 は 三 業精 進 す れ ども、 煩悩 の賊 が交 わ 交 二虚仮惑 輔 是故名 二 雑毒善 一 名二虚仮行一不レ名二真実業 一 也﹂ るゆ え に、 虚 仮 の行 と 名 づ け 雑毒 の善 と いう、 隆 寛 のい う自 と こ ろ趣 求 のた めな り、 ま た み な真 実 な り) と読 ん で仏 の衆 生摂 化 を いう言 葉 と 見 て いる よ う で あ る。 そ れ で、 こ の文 意 り す る に お そら く ﹁凡所 レ施 為 二趣 求 一 亦 皆 真 実 ﹂ (およ そ 施 す は 阿弥 陀 仏 は因 位 法 蔵 菩 薩 た り し と き 三 業 の修 行 は みな 真 実 力 の行 と は 上 記 のご と く 雑 行 雑修 虚 仮 の行 に 名 づ け たも ので あ る か ら、 三 心料 簡 に説 く 至誠 心釈 の説 は 隆寛 の説 を記 述 し ニ ニ こ の仏 の真 実 によ る か ら真 実 と な る と いう のであ る。 真 実 であ る。 仏 は こ の真 実 を罪 悪 生 死 の凡 夫 に施 し、 凡 夫 は 心を も つ て行 ぜ られ、 少 し の悪 も 混 ら ざ る善 であ るか ら 全 て た も のであ る こ とを 知 る。 ノ モ さ ら に、 こ の至 誠 心釈 に 関 し て、 仏 の真実 に対 す る考 え を ノ ﹁由下彼 阿 弥 陀 仏因 中 行 二菩 薩 道 一 時、 乃 至 一念 一刹 那 三 業 所 レ修 皆 ナリ 見 る に、 善 導 は観 経 疏 散 善 義 に お い て、 -525- ニ ノ ヲ コト ヲ ノ 所 レ施 利 益 亦真 実 上 所 謂 凡 所 こ の仏 の真 実 と凡 夫 の真 実 に つい て、 具 三 心義 に は ノ ﹁三 明下依 二 真実行 一 所レ 成真実願故 施 已 下是 也﹂ 約二 所帰之願 一 名二 真実 心一 ﹂ ヲ と い い、 ま た、 ニ ノ ﹁以 二凡夫 心 一 不 レ為 二 真 実 一 以 二弥 陀 願一為二真 実 一 帰 二真 実 願 一 之 カ 心故 と い い、 さ ら に 散 善 義 問 答 に は、 バ ハ 善人尚以往生況悪 人乎事 口伝有之 ヲ ルヲ ノ ニ モ 私 云弥 陀 本 願 以 二自力 一 可 レ離 二生死 一 有 二方便 一 善 人為 ヲ コシ給 ノ モ ク ハス 哀二 極 重 悪 人 無 他 方便 輩 尉 ヲ コ シ 給 ヘリ、 然 菩 薩賢 聖 付 レ之 求 ニ シク シテ 往 生一 凡夫善人帰二 此願 一 得二 往 生 一 況 罪悪 瓦 夫 尤 可 レ愚 二此 他 力一 云也 悪 領解 不レ可レ 住 二邪見 一 響 如レ云二為凡夫兼為聖人 一 能 々可レ 得レ心⋮⋮﹂ と いう 言 葉 が あ る。 こ の語 は唯 円 が親 鷺 の言 葉 を 記 した と い う歎 異 砂 に出 るも のと 同 じ趣 意 を説 く も ので あ る。 こ の善 人 ソ ﹁凡弥陀如来名号相好光 明乃至地 上地下 一切荘厳等 偏 為レ 施二 求 スル 悪人 の往 生 に 関す る逆 説 的 な 表 現 に つい て多 く の人 々よ り種 スル ノ ヲ 蒙二其益 一 者十悪五逆罪人為レ 先、 と あ つて、 仏 の本願 は罪 悪 生死 の 凡夫 の往 生 を本 とし、 十悪 意密難知之義也﹂ 取レ機既違二聖道 常途之教相 一 論レ益亦非二修因感果之道理一 此其 応二其機 一 者罪悪 生死凡夫為レ本 他力 一 之 機 也、言 レ益 者 取 二必 生 彼 国 之 人 一 即 得 下乗 二他 力 一 之 益上也、 ヲ ﹁今案下随 レ 機顕レ益義上 言レ機者取下可レ発三二心 一 之人上 即可レ乗ニ 往生 に つ いて特 異 な 見 解 が 見 ら れ る。 即 ち、 々の見 解 が述 べら れ て いる が、 隆 寛 の具 三 心義 を 見 る と 悪人 念 者一 所二 成就 一 也、為レ与 二 趣求 人 一 所二 荘厳 一 也、是以結詞 云 ﹁凡 所レ施為二趣求 一 亦真実﹂ と あ つて、 仏 は衆 生 に 真 実 を 施 し、 仏 の相 好光 明 等 の功 徳 及 び浄 土 の荘 厳 はす べ て趣 求す る も の に 与 え ん とす るも ので あ る と い い、 造 悪 の凡 夫 は 仏 の真 実 に由 り、 真実 の願 に 帰 す る か ら真 実 心 と いう と説 いて い る。 こ の具 三 心義 及 び散善 義 問 答 に説 く と こ ろと、 三 心 料 簡 に あ か す と こ ろ は 同 じ意 趣 であ る こ とが 知 ら れ る。 し た が つて、 醍 醐 本 の 三 心料 簡 の説 も 長 上 述 の ご とく 醍 醐 本 法 然 上 人 伝 記 に 収 め ら る 三 心料 簡 以 下 あ る。 こ れ は三 心 料 簡 の 末 尾 に 説 く ﹁善 人 尚 以往 生 況 悪 人 ず ﹂ と い う ご とく、 善 人亜似人往 生 に つ いて 逆 説的 な考 え 方 で す と いう説 は ﹁聖道 常途 の教 相 に 違 し、 修 因 感 果 の道 理 に非 五 逆 の罪 人 の往 生 を 先 と す と い つて、 悪 人往 生 を善 人 に優 先 の二 十 七 法 語 の中 に、 長 楽寺 隆 寛 の説 と思 わ れ るも のが 相 当 四 楽 寺 隆 寛 の考 え を 記 述 し た も のであ る こ と が知 ら れ る。 混 入 し て いる のを 見 た のであ る が、 さ ら に こ の 二十 七 法 語 の 二九 手 ﹂ の考 え と同 じ意 趣 を 示 すも の と見 る こと が で きる。 具 三 井) 末尾 に、 醍 醐 本 ・法 然 上 人 伝 記 に つ い て (坪 -526- 三〇 と い つて いる。 そ し て こ の仏 の恋 心 と 衆 生 の阿 弥 陀 仏 に 帰 す 井) 心 義 は こ の悪 人往 生を 優 先 す る 考 え を ﹁意 密難 知 之義 ﹂ と い 心 と 一に な る と こ ろを 一心不 乱 と い う が、 ﹁心 発 二阿 弥 陀 一 ﹂ 醍 醐本 ・法 然 上人 伝 記 に つ い て (坪 い、 三 心料 簡 では ﹁口伝 有 之 ﹂ と いう ご と き は隆 寛 の特 異 の と は いか な る こ と を いう か、 こ の文 面 で は あ き ら か で な い 罪 ハ十悪五逆 ノ モノモムマルト信 シテ 少罪 オ モオカサシトオ モ 法 然 の悪 人 往 生 に対 す る 考 え は 一紙 小 消 息 に、 く、 長楽 寺 隆 寛 の考 え を記 述 し た も の と 見 る こ と が で き る。 為 二趣 求 一 ﹂ の考 え と併 せ見 る に、 幸 西 の 一念 義 の 説 で は な が、 これ を 他力 に帰 す る意 と考 え、 さ ら に 上 記 の ﹁凡 所レ施 ヲ 釈 義 と いう べき も の であ ろ う。 フ ベシ、罪 人ナホム マル イ ハムヤ善 人 ヲヤ﹂ の考 え が 処 々に 見 ら れ るが、 し か し、 こ の三 心料 簡 料 以下 の か く の ご とく、 こ の三心 料 簡 以 下 の法語 の中 に長 楽 寺 隆 寛 ﹁しかれども 分にしたがひて 悪 業を と ゝめよ、縁 にふれて念仏 と い い、ま た 登山 状 に、 い。 これ は凡 ら く 隆寛 の門 流 の徒 に よ つ て伝持 さ れ て い る問 二 十 七 法 語 が す べ て隆 寛 のも ので あ る と す る こ と は 出 来 な に、 法 然 の法 語 の中 に隆 寛 のも のが 混 入 し て 法 然 のも の と さ を行じて往 生を期す ぺし﹂ とあ つて、 止悪 修 善 を 基 本 的 な 考 え と し て い る。 し た が つ ヲ 阿 弥 陀 仏 心我 心 一成 スハ スル 提 院 三 密 蔵 よ り 発 見 さ れ た隆 寛 撰 の知 恩 講 私 記 は、 も と醍 醐 な お、 これ に 関 連 し て考 え ら れ る こ と は、 近 年、 東 寺 宝 菩 て、 こ の ﹁善 人 尚 以 往 生況 悪 人 乎﹂ と いう善 人 より 悪 人 往 生 一向 念 仏 申 ニ れ、 義 演 准 后 の時 に な り て無 批 判 に 書 写 さ れ た ので な いか と ム ト を 優 先 す る考 え は法 然 の考 え で は なく、 長楽 寺 隆 寛 の考 え を ニ ト 考 え る の であ る。 ヲ さ ら に阿 弥 陀 経 一心 不乱 事 と題 す る項 に、 ニ ノ 記 し た も の とす べき で あ ろ う。 ト ﹁一心者 何 事 心 一スル ソ ト云 ク ヲ 能受慕 者機念 相 投 必 ニ セハ ママ? 寺 内 の清 浄 光 院 房 玄 の所 蔵 し た も のと いわ れ、 さ ら に金 沢 文 コヒスル ニ ヲ 人 如二天台 十疑論 云一 如下世間慕 ノ ラル ヘ ト ハ 也 ル 庫 に所蔵 さ れ て いる 具 三 心義 が、 ﹁宇 治 郡 是 (小 )野 郷 ﹂ で書 ニ スル 者 我等也、既 心発二一 向阿 ノ ト 成中其事上 慕 人者阿 弥 陀 仏 也、恋 ク 弥陀一 早仏 心 一成也、故云二一心不乱 一 上小善根 福 徳 因縁念 ウ ツ は、 或 る い は隆 寛 門 流 の所 伝 では な い か と推 測 す る の で あ 写 さ れ て い る こと と考 え併 す と、 こ の 醍 醐 本 法 然 上 人 伝 記 註 はす べて略す る。 サ ヌ也﹂ と 説 いて、 仏 と衆 生 と の関 係 を 恋 慕 と い う言 葉 に よ つて解 明 し て いる。 こ の場 合 恋 慕 す る人 と は 阿弥 陀 仏 の こ と であ り、 衆 生 は 仏 よ り恋 さ れ るも の と し て、 仏 の能 動 的 な 活 動 を 恋 慕 -527-
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