三 Number 日本の伝統文化 追駆考 さ ざ け ん す け 本に水田稲作農業が伝わったのと同 種。約千四、五百年前に大陸から日 鮒寿し作りを支えてきました」 衝で、若狭から運ばれた天然の塩が れる3つの街道で結ばれた交通の要 津という小さな町に抜群に美味い鮒 だけいるのだろうか? 琵琶湖の北 の奥、滋賀県高島市のマキノ町の海 しさを味わったことのある人がどれ ない。果たして鮒寿しの本当の美味 人は、よほどの食通か酒飲みに違い 「 鮒 寿 し 」と 聞 い て 喉 が 鳴 る と い う 発酵と熟成を繰り返すこと丸2年。 その間、毎日樽の水を替えたり、重 旨味が増すのです」 乳酸菌が棲みついて発酵し、それぞ 蔵の中には〝蔵持ちの菌〟といわれる 「仕込み蔵には限られた者しか入れ 衛門である父の姿を見て育った。 しの仕込み蔵に出入りし、六代治右 謙祐さんである。子供の頃から鮒寿 き 左嵜謙祐 天明4年(1784)という、老舗の鮒寿し店「魚治」の七代目。七代治右衛門。大学卒業後、 ご縁のあった京都の老舗懐石料理屋で修行を積んだ後、一子相伝の鮒寿しの伝統を継承する。 現在併設の作家の遠藤周作氏が命名した奥琵琶湖の絶景も楽しめる「湖里庵」という名の料亭 にて、鮒寿し懐石を供する。鮒寿しの伝統を守りながら、食文化の本質を追究している。 寿しの店がある。それが作家の遠藤 周作がこよなく愛し、足繁く通った という隠れ家的な店「魚治」だ。 「 魚 治 は、 初 代 魚 屋 治 右 衛 門 が 天 明 4年(1784)に宿場町として栄え た海津湊で鮒寿し屋、料理旅館を開 いたのが始まりです。海津は長い歴 史の中でたくさんの人々が往来し多 くの物語が生まれ、今も江戸時代の 石垣が残っていて、その上で海津の 人々は生活しています。私は七代目 として鮒寿しという郷土の食文化の 一端を守り、次の世代に正しく伝え てゆくことに喜びを感じています」 奥琵琶湖の静寂な美しい風景の中 で静かながらしっかりとした声で話 じルートで伝わったと言います。平 ような作業が続くのだという。 本物の 「鮒寿し」 には 鼻を衝く臭いがない 安 時 代 に 編 纂 さ れ た 古 代 法 典『 延 喜 も ち ろ ん 豊 か な 水 と お い し い 米、 そして「夏の暑さ」が発酵を助け、日 し始めたのは、七代治右衛門の左嵜 式 』に 鮎 寿 し な ど と 並 ん で 記 述 が 見 本海からの冷たい北西の季節風が吹 詰まっていて、身は甘く、骨は柔ら ひとつです。子は小粒でぎっしりと ます。ニゴロブナも、この固有種の いない固有種がたくさん棲息してい る琵琶湖には、琵琶湖にしか棲んで まれました。世界有数の古代湖であ 恵みと地の利が絶妙に融合されて生 「魚治の鮒寿しは、琵琶湖の自然の 食文化として発酵熟成していった。 鮒 寿 し に は 長 い 長 い 歴 史 が あ り、 じっくりと時間をかけて近江の地で わってから鮒が使われたのです」 りが行なわれます。 3か月。体内の水分や血を抜く塩切 て樽に漬け込み、重石を乗せて2〜 払っての丁寧な作業です。塩を詰め 卵を傷つけないように細心の注意を どの下ごしらえ。鮒寿しの命である ウロコ取りやえら取り、わた抜きな の う ち に 鮒 寿 し 作 り が 始 ま り ま す。 ロブナを厳選し、鮮度のよいその日 をぎっしりと持った姿形のよいニゴ 「2月から5月にかけて、お腹に子 深さを左右する熟成を助ける。 自然の恵みが結晶となり最高に美味 鮒寿しも、「蔵持ちの菌」も生き物。 徹底した「守り」をし、育てることで、 て来ました」 になれという意味がようやく分かっ 先代からいつも言われていた〝歯車〟 整えてやる〝守り〟が仕事の全てです。 をしてもらうか、その環境や条件を に乳酸菌を心地よく発酵させて熟成 間が作り上げるというよりも、いか とばに集約されます。鮒寿しは、人 するのと同じ意味の〝守り〟というこ を果たします。この時の塩梅が、鮒 よって水分を十分に出すという機能 透 圧 の 違 い で 抜 き 取 る〝 血 抜 き 〟に います。ニゴロブナの体内の血を浸 そして塩は、素材であるニゴロブ ナの水分を抜く大切な作用を担って 状態を保つ気配りが大切。冬になる す。乳酸菌は空気を嫌うため、真空 を張り、密封して乳酸菌発酵させま ます。ここで雑菌が入らぬように水 と交互に漬け込み、また重石を乗せ ご飯を詰めて、鮒、ご飯、鮒、ご飯 水に浸けて塩抜きをし、えらぶたに 未来に確実に繋げてほしい。 フード。さらなる発酵と熟成を続け、 鮒寿しは、琵琶湖の自然が生み出 し た 伝 統 食 で あ り、 近 江 の ソ ウ ル れて良かったと思える瞬間だ。 ハーモニーを奏でる。日本人に生ま と口の中で溶け合い、得も言われぬ でコクのある味わい。日本酒の旨味 切りをしたニゴロブナを取り出して、 なカラスミやあん肝などよりも豊か い鮒寿しを生み出す。魚治の鮒寿し は、これまで食べた、どんなに芳醇 琵琶湖に面し、物資を京の都へ運 ぶための積出港があった海津は、古 と寒さの中で低温熟成し、鮒寿しの かい。鮒寿しに最適の鮒です。 夏の土用の頃は鮒寿し作りに重要 な乳酸菌が最も活発になる季節。塩 左嵜さんは最後にこう付け加えた。 「鮒寿しの仕込みは、子供をお守り 石の調整をするという気の遠くなる ません。作り方は一子相伝。仕込み られます。もともとは鯉が使われて く冬の「冷え込み」は、旨味や、味の 世界が感嘆する日本人の珠玉の知恵であった。 い た そ う で す が、 近 江 に 製 法 が 伝 日本の美│ 味 「鮒寿し」 創業以来2 0年、 「魚治」 が受け継ぐ 日本の食文化伝統の味 れの店や家の味を守ってくれていま す。そのため魚治では樽を変える時 には同じ仕込み蔵で漬け、仕込み蔵 を建て替える時にも同じ樽を使って 漬けるというように、常に、どこか で以前から使っている物を受け継い で使うことで、 〝蔵持ちの菌〟 を大切 に育て、守ってきました。他の雑菌 が混ざらないように、当主と息子だ けが仕込み蔵に入って鮒寿しを漬け 込むのです」 鮒寿しと聞くと、「臭いがね」 と、 し つら かめ面をする向きがあるかもしれな いが、それは雑菌が混ざったから臭 うのだ。魚治の鮒寿しは、鼻につく 臭いなどとはまったく無縁。一切れ 口に入れ、旨口の日本酒を含むと思 わず頬が緩み、 「美味い!」 と驚嘆と 歓喜の声が自然と出てしまう。 稲作と同じルートで 伝わった 熟れ寿しの一種 「鮒寿しは、そもそも近江ではハレ の 場 に は 欠 か せ な い 食 べ 物 で し た。 伝統の美味と伝統の美酒、 その取り合わせは 来から若狭〜塩津と『塩街道』と呼ば お正月のおもてなしや結婚式、法事、 寿しの出来を左右するのです。 祭りに今でも出されています。起源 はタイ北部から中国雲南省にかけて な の地域に起源を持つ 〝熟れ寿司〟 の一 うお じ 日本には世界に誇る伝統の味がある。 「鮒寿し」もそのひとつだ。 ことに琵琶湖の固有種ニゴロブナを用い、 独特の製法で熟成させていく鮒寿しは、 製造元独自の〝蔵持ちの菌〟といわれる 乳酸菌が棲みついて発酵し、 往時からの味を今に伝えている。 まして本物の鮒寿しは、 刺激的な「臭み」 とは無縁である。 30 文・写真=山縣基与志 滋賀県高島市マキノ町海津 2 3 0 4 ☎ 0 74 0 -2 8 -10 11 こ り あん 魚治 湖里庵 March 2 0 1 5 31 3
© Copyright 2024 Paperzz