仏教儀礼における音楽の位置 - J

前奏楽 の意味-
仏 教 儀 礼 に お け る音 楽 の 位 置
-仏
傳
中
の楽 とは、 ど のよ う な 音 楽 であ った の であ ろ う か。 今 日 に お
納
日本 に伝 来 さ れ た 仏 教 は漢 訳仏 教 であ り、 翻 訳 さ れ て行 く
い て、 そ の音 を 再 現 さ せ る こ と は 困 難 な こ と で あ る。 し か
天
な か で、中 国 的 に昇 華 さ れ た も の であ る と考 え ら れ て い る。
し、 そ の音 の根 本 と も な る べ き思 想 に つい ては、 現 存 す る中
形於声、声 相応故 生変、変成方謂之音、比音而楽之及干戚羽 詫謂
凡音之起、由 人心生也、人心之動、物使之然也、感於物而動故、
﹃礼 記﹄・楽 記 第 十 九 に、
国 古 代 音 楽 資 料 の諸 書 に示 さ れ て い る と考 え る の であ る。
そ の中 国 仏 教 と共 に 発 展 し請 来 さ れ た仏 教 儀 礼 に 用 いら れ
(1)
て いる寺 院 音 楽 も、 儒 教 思 想 の影 響 を受 け て い る と考 え ら れ
る のであ る。
儒 教 に お い て は ﹁六 芸 ﹂ のう ち、 とく に ﹁礼 ﹂ と ﹁楽 ﹂ を
之楽。
と記 さ れ て いる。 音 楽 は 人 の 心 か ら生 れた も の で、 感 情 が 動
重 く 考 え て いる。
す
﹃論 語 ﹄ (八倫篇) に、 ﹁子 日、 人 而 不 仁、 如 礼 何、 人 而 不
く と、 そ れ が音 声 と な って現 わ れ る の であ る。 そ の音 声 の現
わ れ方 に 変 化 が あ り、 一定 の法 則 を持 つよう にな る の で、 こ
が仁 の基 本 であ る こと を主 張 し て い る。
れを 音 楽 と いう。 そ の音 を 編 輯 し て 演 奏 し、 干 戚 (武 の舞)
仁、 如 楽 何。﹂ と あ る 如 く、 仁 を 理 想 と す る な か で、 礼 と 楽
儒 教 が 人 間 教 育 に 必要 な教 養 科 目 と考 え た ﹁六 芸 ﹂ のな か
や、 羽 施 (文 の舞 ) を 舞 う の を 楽 と 云 う と いう の で あ る。
(3)
で、 音 楽 を 二 番 目 に位 置 づけ た考 え 方 の基 盤 に は、 音 楽 と い
三七
師 ) や、 ﹃筍 子 ﹄ (勧 学 篇 )・﹃准南 子 ﹄ (天 文 訓 ) な ど に そ の 記
音 (五音) や 声 (五 声 ) に つ い て は、 ﹃周 礼 ﹄(春 官・ 楽 師・ 大
(4)
う も の は人 間 を 倫 理 的 に た か め て行 く 力 を も って い る と考 え
た か ら であ ろ う と思 わ れ る。
納)
道 徳 的 な 人 間 形 成 の た め に、 とく に礼 と楽 を 重 要 視 し た そ
仏教 儀 礼 に お け る 音 楽 の位 置 (天
-452-
こうし よ う
三八
これ を黄 鐘 と な し、 或 は損 し、 或 は益 し て 十 二 律 相 生 を行 な
納)
述 が あ り、 仏 教 音 楽 が 用 いて い る 五音 (宮・商・角・徴・羽)
う 三 分 損 益 之 法 は、 ﹃前 漢 書 ﹄ (律暦 志) に も 記 さ れ て い る。
仏 教 儀 礼 に おけ る音 楽 の位 置 (天
や 十 二律 が、 仏 教 が シ ル ク ロー ドを 通 って中 国 に移 入 さ れは
そ し て、 こ の法 を 定 め た の は、﹁黄帝 之 所 作 也 ﹂ と し て 伝 説
黄帝が怜給 (伶倫-音楽を司る役人) に命じ て、大夏 (
西 方にあ
じめ るよ り以 前 の古 代 中 国 にお い てす で に存 在 し て いた 音 律
る という伝説上 の国名) の西にある昆命山 (伝説 上の霊 山で西王
上 の天 帝 の名 を 示 し て い る。
秦 の始 皇 帝 が 中 国 を 統 一し た頃 に、 呂 不章 に よ って書 か れ
母が住す という) の陰 より、解谷 の竹 (溝節 のない竹) を取 って
であ る こと を 示 し て いる。
た ﹃呂 氏 春 秋 ﹄ (
音律篇) に、 中 国 古 代 十 二律 名 と十 二 月 名 と
来 させ、その穴 の厚 さ均 一なるも のを作 りて、両節 の間を断じて
黄 者中之色
た 理由 に つ い て、
黄鐘
う のは、 鐘 は 音 の基 本 であ る と記 し て い る の で あ って、 ﹃白
の で ﹁黄 鐘 ﹂ と名 づ け た の であ る。 つぎ に ﹁鐘 者 種 也﹂ と い
と 記 し て い る。 古 代 中国 に お け る色 の中 心 が ﹁黄 ﹂ で あ った
君之服也 鐘 者種 也
ま た ﹃前 漢 書 ﹄ に は、 十 二律 管 の基 本 の宮 音 を 黄 鐘 と名 づけ
こう し よう
作ら せた十 二笛 (
筒) が正 しい十 二律音 (鳳之鳴) の基本 である
の関 係 や、 三 分 去 益 法 に よ る十 二律 相 生 の次 第 を 次 の如 く 記
南律
月
串八
爽律
月
鐘二 爽 鐘
菱
月律
賓五 甦
太籏
月
律正 太籏 生南呂
応律
月
鐘十 応鐘生甦賓
黄
林鐘六
十且
一律
月律 林鐘生太籏
し て い る。
黄 鐘生林鐘
南呂生姑洗 姑
且律
洗三 姑洗生応鐘
夷律
月
則七 夷則生爽鐘
仲律
月
呂四
大月
二
呂律
十 大呂生夷則
無律
月
射九 無射生仲呂
賓生大呂
生無射
三 分去 益 法 が 確 立 さ れ た の は、 春 秋 ・戦 国 の時 代 であ る こ
と は、 ﹃管 子﹄ (地員) な ど に よ って も知 る こと が で き る。
一を益す れば百 八となり、 これを徴 となす。 その三分之 一を去す
の音 の基 本 であ ると ころ の九 寸 の律 管 より 発 す る音 位 の名 を
虎 通 ﹄ (礼楽篇) に、 ﹁鐘音 之 君 也﹂ とあ る と こ ろ か ら、 全 て
九九、 八十 一を黄鐘 とし、五音 の本 であ る宮 となし、その三分之
れば七十 二となり、 これを商 となす。 その三分之 一を益すれば九
いち こつ
律 名 の林 鐘 の と ころ へ置 き か え て、 黄 鐘 (おうしき) と 読 ま
は、 こ の黄 鐘 の音 位 を 一越 と名 づ け、 黄 鐘 の律 名 を 中 国 古 代
こう し よう
平 安 中 期 以 降 にお い て 日本 で改 変 さ れた 十 二律 名 に お い て
黄 鐘 (こうし ょう) と名 づ け た の であ ろ う。
十 六となり、これを羽となす。 その三分之 一を去すれば六十四と
なり、 これを角となす。
と いう 記 述 が あ り、﹃史記 ﹄ (
律 書) な ど と同 様 の 五音 の 律 数
が示 さ れ て いる。
五 声 (五音) の基 本 であ る宮 の音 位 を、 九 寸 の律 管 と し、
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せ る よう にな った のであ る。 中 国 古 代 十 二律 名 と 日本 所 用 の
は、
観 て そ の主 を 知 る こと が でき る と いう の であ る。 ま た 同 書 に
つし か え るも の であ る の で、音 を 聞 い て俗 を 知 り、 そ の政 を
礼勝則離
十 二律 名 の中 に、音 位 の異 な る 一つ の音 名 を 双方 とも に ﹁黄
合情飾貌者礼楽之事也。
楽者為同、礼者為異、同則相親、異則相敬、楽勝則流
鐘 ﹂ と名 づ け た こと に よ って混 乱 が 生 じ る こと に も な って い
(
5)
る。
て い る。 そ し て人 間 社 会 に 必要 な こと は、 人 々 の和 合 であ る
本 論 に も ど り、 中国 古 代 に お い て楽 が持 って いた意 味 に つ
と、 楽 と礼 の関 係 に つい ても 記 さ れ て い る。 楽 は人 間 関 係 に
と述 べ る と共 に、 各 々の立 場 や 個 人 の尊 厳 を お か さ ぬ よう 心
お け る 調和 の原 理 であ り、 礼 は差 別 の原 理 で あ る と意 義 づけ
怨 以怒、其政乖、 亡国
う し、 礼 が勝 て ば離 れ る であ ろ う と いう ので あ る。
が け ね ば な ら な いと述 べ て いる。 楽 が勝 って も 流 れ る であ ろ
形 於声、声成 文 謂之音、是
其民困、声之道 与政通矣。
安 以楽、其政和、 乱世之音
生人心者 也、情動 於中故
﹃礼 記 ﹄・楽 記 第 十 九 に、
い て の考 察 を す す め る。
凡音者
故治世之音
之 音 哀 以思
とあ る如 く、 古 代 中国 に お い ては、 音 楽 と政 治 に は 密 接 な 関
教 儀 礼 に お け る音 楽 の意 味 と位 置 づ け が顕 示 さ れ て いる と考
上 記 の文 中 に お い て、 と く に、 ﹁楽 者 為 同﹂ の 一語 に、 宗
音 楽 に 関 係 を も ち、 音 楽 の良 否 が 政 治 に 関 係 を 及 ぼ す と いう
え る の であ る。音 楽 と いう も のは、 身 分 や 立 場 のち が いを の
係 が あ る も のと考 え ら れ て いた こと が わ か る。 政治 の良 否 が
の であ る。 こ の考 え 方 は ﹃呂 氏 春 秋 ﹄ (巻第五・修楽) に も 次
る 力 を 持 って い ると 考 え る が 故 に、 宗 教 儀 礼 にお け る 宗 教 音
と 主 張 し て い る の であ る。 音 楽 は 多 く の人 達 の感 情 を 統 一す
而移風俗者也、俗
其政乖也、亡
り こえ て、 人 々 の心 を 同 じ 方向 に 同和 さ せ る力 を 持 って いる
通乎政
楽 とし て不 可 欠 のも のと な って い った の であ ろう。 神 仏 に対
而知其俗矣、観其政
而
其政平 也、乱世之音、怨以怒
其 政険 也、凡音楽
治 世之音、安 以楽
の如 く 現 わ さ れ て い る。
国之音、悲 以哀
定而音楽化之矣、故有道之世、観其音
す る 礼 拝 儀 礼 にお い て音 楽 が 欠 く べか ら ざ る も の とな った 原
点 の思 想 が そ こ に窺 え る の であ る。 宗 教 音 楽 は各 人 の宗 教 的
以論其教
感 情 を刺 戟 し、 宗 教 的 雰 囲 気 を 醸 し 出 し、 そ れ に 自 分 も 浸
知 其主矣、故 先王必託於音楽
これ に 記 さ れ て いる 治 世 之 音 ・乱 世 之 音 ・亡 国 之 音 と は、 ど
り、 ま わり の人 達 を も 浸 ら せ る と いう 効 果 があ り、 多 く の人
三九
のよ う な音 を指 し て い る のか を 再 現 さ せ る こ と は で き な い
納)
が、 音 楽 と いう も のは 政 治 に相 通 ず る も ので あ り、 風 俗 を う
仏 教 儀 礼 に お け る音 楽 の位 置 (天
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仏教 儀 礼 に お け る音 楽 の位 置 (天
納)
々 の精 神 的 統 一を は か るた め の手 段 と し ても 伝 道 上 ・布教 上
﹃礼 記 ﹄ の記 述 の、 ﹁感 情 が動 いて音 声 と な って現 わ れ た
重要 な も のと考 え ら れ る に 至 った の であ ろ う。
も のが 音 楽 で あ る ﹂ と いう 認 識 は、 文 字 ・言 語 を も って 理 智
四〇
﹃論 語 ﹄ (
陽貨)に、 鄭 声 の楽 は淫 声 の楽 であ って、 雅 楽 す
記 さ れ て いる。
(6)
悪利 口之覆 邦家者、
な わ ち 正楽 を 乱 す悪 し き も の であ る と 次 の 如 く 記 さ れ て い
る。
子 日、悪紫之奪朱 也、悪鄭声之 乱雅楽 也
鄭 声 に つ い ては、 拙 稿 ﹃声 明楽 理 の変 遷 に つ い て﹄ で触 れ た
的 に 表 現 し て 理 解 さ せ る より も、 音 楽 の力 は 感 情 に 結 び つ い
た も の であ る の で、 言 語 を 以 てし ても 表 現 す る こと ので き な
が、 鄭 は春 秋 の頃 ・河南 省 新 鄭 県 にあ った国 で、 鄭 声音 と は
に お ぼ れ て国 を 亡 ぼ し てし ま った と いう故 事 よ り 出 た語 であ
鄭 国 のみ だ ら な音 楽 と いう意 味 であ る。 王 が淫 靡 な亡 国 の楽
い感 動 を与 え る 力 を も って いる と いう ので あ る。
キ リ スト教 に お い ても グ レゴ リ オ聖 歌 が、 六 世 紀 以降 の ヨ
云云
自周陳 以上雅鄭稀雑而 無別、階 文帝始 分雅俗 二部、 至唐 更日部当
﹃新 唐 書 ﹄ (礼楽志) に、
いた ので あ り、 そ れ を雅 楽 と 呼 ん だ ので あ る。
と いわ れ て いる。 そ の ころ に は儒 教 の儀 礼 音 楽 も 大成 さ れ て
儒 教 が 中国 の国 教 と し て認 め ら れ た のは、 前 漢 時 代 であ る
る。
ー ロ ッパ に お け る 教 義 の宣 布 に 大 き く 寄 与 す る と ころ が あ っ
た と認 識 さ れ て い る こと は 周 知 の こと であ る。
敬 天 思 想 と祖 先 崇 拝 に も と つ い て、 仁 を 理 想 と す る徳 治 政
治 を 説 く儒 教 の宗 廟 や 天 子 の宮 廷 にお け る 音 楽 は、 神 と結 び
つき 政 治 と結 び ついた 音 楽 であ るが 故 に、 そ れ は 雅 正 な音 楽
であ ら ね ば な ら な か った の であ る。 云 いか え れ ば、 人 間 の願
いを 神 に 伝 え る音 楽 こそ 雅 正 な 音 楽 な の であ り、 舞 が あ り 歌
と あ って、 周 陳 の ころ は 雅 (雅楽) と 鄭 (鄭楽=俗楽) の 別 は
が あ り 楽 器 の演 奏 が あ っても、 決 し て それ は 観 賞 す る た め の
な か った が、 階 の文 帝 が は じ め て 雅楽 と 俗楽 の二 部 を 分 け た
仏 教 が 中 国 に移 入 さ れ、 発 展 し て い った 最 盛 期 とも 云 う べ
娯 楽 のた め のも の であ っては な ら な い の であ る。 雅 正 の楽 と
き 階 か ら 唐 初 に か け て、 俗楽 ・胡楽 を融 合 し て雅 楽 の形 式 を
と いう の であ る。
﹃漢 書 ﹄ (礼楽志 ・楽部) に、 河 間 献 王 (漢・劉徳)は、 雅 材
加 え た 大 規 模 な 宴 饗 楽 が つく ら れ た の であ る。
は宗 廟 に お け る祭 祀 のた め の儀 礼 音 楽 であ り、 宮 廷 に お け る
(風雅な才能) を も って い て、﹁治 道 は礼 楽 に非 ざ れば 成 ぜず ﹂
政 治 のた め の典 礼 音 楽 でな け れ ば な ら な か った の であ る。
と い って多 く の雅 楽 を 集 め て、 神 を 祭 るた め に演 奏 さ せた と
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鳥歌万才楽
大定楽
竜池楽
上元楽
小破陣楽
聖寿楽
光聖
﹃新 唐 書 ﹄ に は、 玄 宗 のと き宴 饗 楽 十 四曲 を制 定 した こと
が記 さ れ て い る。
天授楽
破陣楽 慶善楽
長寿 楽
太平楽
燕楽
安舞
楽
こ れ ら の宴 饗楽 は、 酒宴 の席 で奏 せら れた 音 楽 であ って、 雅
楽 の正 楽 に対 し て俗楽 と呼 ば れ た も の であ って、 新 し い流 行
楽 や 西域 地 方 か ら シ ルク ロー ドを 旅 し て来 た 胡 楽 と呼 ば れ た
三韓・渤海楽
三十曲
一二七四) に は、 そ の半 分 ほ ど の曲 が演 奏 さ れ て い る と ﹃続
と記 さ れ て い る が、 三 百年 ほ ど 下 った 文 永 年 間 (一二六四-
教 訓 抄 ﹄ に、 著 者 ・狛朝 葛 は記 し て いる。 現 在 楽 譜 が残 って
唐楽
二十 六曲
六十 九 曲
いて演 奏 ので き る楽 曲 数 は、
高麗 楽
﹃楽 家 録 ﹄(巻之 四十 四)・仏前 奏 楽 の項 に、 仏 前 で 楽 を 奏
(
8)
の合 計 九十 五 曲 で あ る と いわ れ て いる。
唐 代 に 日本 に伝 来 し た の は、 これ ら の ﹁中 国 宮 廷 宴 饗 楽 ﹂
西域 楽 や亀 鼓 楽 や 天 竺楽 をも 取 り 入 れ た も の であ った。
であ り、 正 楽 であ る儒 教 的 な 祭 祀 的 な 古 法 を 守 る中 国 雅 楽 で
ま た仏 寺 で楽 を奏 す る こ と は 三国 の通 例 であ る と も い い、仏
いと し て繊 法 講 ・舎利 会 ・十 種 供養 な ど の例 を 記 し て いる。
と 人 が協 和 し、 誠 の 心 を感 応 せ し む る た め の も の であ り、 音
す る こと は時 宜 に随 って行 な え ば よ い のであ る が、 旧例 が多
日 本 では、 こ の宴 楽 (燕楽) を 中 心 に し た 外 来 音 楽 を 雅 楽
は な か った の であ る。
と呼 ん で いる の であ る。 大宝 元年 (七〇 一)に、 大宝 令 の治 部
律 の温和 を 尚 ぶ こと に あ る ので、 曲 名 と法 会 の当否 は あ ま り
前 述 の通 り唐 の玄 宗 の と き制 定 し た宴 饗 楽 であ る。 太 平楽 は
省 の中 に ﹁雅 楽 寮 ﹂ (うたま いのつかさ) が お か れ、 こ れ ら の
武 舞 のあ る 五破 陣 楽 の 一つであ り、 万才 楽 は則 天 武 后 が鵬 鵡
関係 は な い の で は な い か と も 云 って い る。 太 平 楽 や 万 才楽 は
雅 楽 と いう語 は、 狭 義 に は ﹁雅 楽 寮 ﹂ の所 管 と な った 外 来
が 万才 と鳴 く声 を と って作 曲 し た な ど と いう 曲 であ る。 故 に
外来 音 楽 を 司 る役 所 が で き た のであ る。
音 楽 と舞 の こと を呼 ぶ語 と な った のであ る が、 広 義 に は、 そ
曲 名 と 仏事 の内 容 の当 否 を気 に す れ ば演 奏 で き な く な る。
四 一
と 仏哲 が天 平 八年 (七三六)に 日本 に伝 え た と いう 曲 で あ る。
り、 太 刀 を侃 き鉾 と楯 を 持 って舞 う曲 であ るが、 婆 羅 門僧 正
林 邑 八楽 の 一つであ る 唐 楽 の陪 膣 も 五破 陣 楽 の 一つ で あ
れ以 前 か ら行 な わ れ て いた楽 舞 や、 平 安 期 に新 し く 作 ら れ た
納)
催 馬 楽 や 朗 詠 も 含 め た も の の総 称 と し て使 わ れ る よ う に な っ
たも の であ る。
(7)
百三十曲
﹃和 名 類 聚 抄 ﹄ に は、
唐 楽 ・天竺楽
仏 教儀 礼 に お け る音 楽 の位 置 (天
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仏 教 儀 礼 に お け る音 楽 の位 置 (天
納)
こ の曲 は唐 招 提 寺 の仏 誕 会 に必 ず 演 奏 す る ので、 こ の法 会 の
(9)
こと を陪 臆 会 と名 づ け ら れ て いる と いう事 例 も あ る。 さ ら に
は 此 の曲 に合 わ せ て、 極楽 浄 土 を讃 嘆 し た ﹁極 楽 声 歌 ﹂ と い
う 声 明曲 を唱 調 す る こと が、 平 安 後 期 に 盛 ん であ った こと な
ど を 考 え れ ば、 音 楽 は ﹁仏 人 協 和 誠 心感 応 ﹂ せし む るた め の
も の であ る ので 曲 名 の当 否 は考 え な く ても よ い と いう こと に
も な る。 し か し、 曲 名 や 内容 の当 否 が 全 く 考 え ら れ て いな い
か と いう と、 そ う では な い事 例 も 存 在 す る。
四二
八 倫 舞=祭 祀 の群 舞 ・天 子=八 倫 (八 行 八 列)・諸 侯=六 倫
史 記=礼 ・楽 ・書 ・詩 ・易 ・春 秋
周 礼=礼 ・楽 ・射 ・御 ・書 ・数
考 え 方 と 相 い 通 じ る も の で あ る と 考 え る の で あ る。
1
2
羽 (鳥 の 羽) と 施 (牛 の尾 の毛) を つけ た旗 を持 って 舞 う
干 (盾 ) と戚 (
斧 ) を持 つて 舞 う
(六行 六 列 )⋮⋮
3
拙 稿 ﹃兼 好 法 師 の音 律 論 考﹄ 参 照 (印 度 学 仏 教 学 研 究 二 三 ・
4
略 し て 和 名抄 ・承 平 年 間 (九 三 一-九 三 七)・源 順 著
叡 山学 院 研 究 紀 要 ・第 五 号 ・昭 五 七刊
5
6
一 ・昭 和 四 九刊 )
7
宮 中 御 繊 法講 に 於 け る 声 明 繊 法 と い う 法 儀 の 中 で、 導 師
(調声)が 仮 座 より 礼 盤 に 登 坦 す る作 法 の と き昇 楽 と し て 演
仏前奏楽
元禄 三 年 (一六 九 〇 )・安 部 季 尚 著
仏 前 所 レ奏 之 楽、 錐 レ随 二時 宜 輔而 多 二旧 例 納 以 為 二一篇 一叙 二仏 前
太 平 楽 ・万 才 楽 之 類一、
固 慶 賀 之 名、 而 奏 二之 凶 礼 一則 近 二名 実 之
8
奏 さ れた 曲 が 唐 楽 の採 桑 老 であ る。 こ の曲 は、 舞 人 一人 が能
楽 の翁 の面 に似 た 老 人 の面 を つけ て、 松 明 持 ち 二 人 を先 導 と
し て鳩 杖 を つい て係 者 の肩 にす が って や っと 歩 いて いる よ う
失当 一
焉。 蓋 謂 下暫 為 中祝二願 主 一
之 具 上其 責 有 レ所 レ逃 也 乎。 或 人 日
奏楽之例 一
云。 或 人 日、 仏 寺 奏 レ楽 三 国 之 通 例 也。 或 人 日、 如 二
親 王 が仮 座 より 礼 盤 に登 る の であ る。 これ な ど は 曲 の内 容 と
な振 り の舞 のあ る曲 で、 こ の曲 の奏 せ ら れ て いる 中 を 導 師 法
導 師 の所 作 が 名 実 と も に 一致 し て いる例 と いえ る の であ る。
二刊 )
(叡 山 学 院 教 授 )
拙 稿 ﹃極 楽 声 歌 ・陪 櫨 の復 原 ﹄ 参 照 (天 台 学 報 一九 ・昭 和 五
しか し、 こ の法 会 中、 六根 の繊 悔 を 行 な う 六 根 段 の付 楽 とし
9
音 楽 之 所 三以 奏 二乎 仏 前 輔 使 二仏 人協 和 誠 心 感 応 一焉 耳 矣。 是 在 三
タ、
聞)
(イ
惟 尚 二音 律 之 温 而 和 一而曲 名之 当 否 非 レ所 レ関 也
て青 海 波 が演 奏 さ れ る な ど、 名実 が 一致 し な い例 の方 が 多 い
の であ る。 故 に、 仏前 に て奏 楽 す る 考 え 方 とし ては、 そ の曲
名 に こだ わ ら ず、 音 律 の和 に よ って仏 に 人 の心 が 通 じ、 人 に
る と い った 考 え 方 と、 ﹁楽 者 為 同﹂ と い った ﹃呂 氏 春 秋 ﹄ の
仏 の心 が 通 じ る 仏 人協 和 の誠 心 を持 て演 奏 す れば 良 い の であ
-457-