には宇宙 から見 よと云う。 つまり庭 歌 であ る。 天地即ち地球を庭と見 る 宮本武蔵 が四百年も前 に詠 んだ和 我 は天地 の外 にこそ住 め た り 、 城 下 の都 市 計 画 ま で手 懸 け の中 に植 木 屋 敷 と 云 う 庭 園 を 作 っ 四十才 の頃 には寺院 の庭 や、明石城 歌 、茶道 、絵画などを独学 し ている。 次郎と の試合 が最後 で、そ の後 は詩 武蔵 の六十数 回 の決闘 は佐 々木小 目に見えな い所を悟 りて知 る事 。 て大切な要点 があげられ て いる。 頭 には、兵法を学 ぶ者 の心掛けとし な性質 が好きな のであ る。 の実 や虫も見 つけ る。 この鳥 の鋭敏 空 から広 い地上を見渡 し、小さな木 乾坤 をそ のまま庭 と見 るとき は は居乍 ら にし て天地 の外 に住ま いさ て いる。庭作りをしながら剣 の工夫 わず かな事 にも気 を つける事 。 この教え は武 蔵独特 のも ので、心 の 武蔵 が晩年 に著 した ﹁ 五輪 書﹂の冒 すと 云う のだ。 こ の歌 は作庭 の極意 をし、また剣 の理をも って作庭を試 みたと いう。 であ る。 武蔵 が庭作り が好 きだ った事 はあ 日は肉 眼 で見えな い物 が観え ると 云 べても評価 は高 い。重要文化財 の武 蔵 の絵 四点 は全 て鳥 の絵 であ る。鳥 何事 にもあ てはま る教え であ る。 心 の鏡 を磨 かね ばな ら な いと 説 く 。 絵画 は江 戸初期 の有名な画家と比 の好 き な武 蔵 。﹁ 乾 坤 の歌 ﹂も 有名 な って いる。日 に見え ぬ物を映 し出す 風貌 や人柄 を語 って いる ﹁ 渡辺幸庵 モズ の絵 ﹁ 枯木鳴購図﹂からも武蔵 まり知 られ て いな い。 徳 川家康 の家来が実際 に武蔵と会 い、 対話﹂と いう書物 には、庭作 り は大 いる枯木 の中程 に虫 が描 かれ て いる ﹁ 枯木鳴賜 図﹂ には賜 の止ま って 変 面白く 石を動 かす こと により 天地 の鳥取的な感性が読み取れる。鳥は 探す。背景 の空 。風に揺れる葉。水面。 環と いう真理を 、 こ の 一幅 の絵 で示 云う心 の大事と 、大自 然 の無常と循 ・ ﹄はく ら いげ さ ず が出来 ると武蔵 が語 ったとあ る。 木 。秋風 に吹 かれる若木 に は この時期 に有 る べき実 が 無 い。新 たな命 の実だ。武 蔵 は五輪書 に兵法 の実を解 き明 かすと述 べて いる。 つ まり 、描 かれ て いな い実を 心 の眼 で発見 させ る為 のヒ ントに虫を描 いた のであ る。 が 、武 蔵 は何故 虫を 描 いた のか ? 本 の根 元 には地面 があ るはず。火 が し た武 蔵 の工夫 は誠 に素 晴 ら し い。 見えな い所を悟り て知 ると あ ま り こ の事 は論 議 さ れ て いな い。 乾坤 の歌﹂と 寸庭 の心は武蔵 の ﹁ 賜 、虫 、本 の生 死を武蔵 は間う て ようとす る。そ の時 に、鵬 は魚を捕 1943年生。寸庭作家として伝統を生かした 庭の創作活動を続けている。 岡山︶に伝承される竹内 流古武 道の また作州 ︵ 北区︶で多数 の間人を 師範として聴 風館道場 ︵ 指導 。京都造 形芸術大学客員教授 京庭師 おの よう たろ う 火 の巻﹂の 見当たらない。火は五輪書 ﹁ いる。虫が木 の葉を食 べ枯 らしたと え る作戦 で魚を狙 って いる日付き で 心掛 け の二 ヶ条 を念 頭 に この事を考 見 る。次 に鴫 が虫を食 べて殺す のか あ る。武蔵 は生 死を じ っと見 つめ て ﹁枯 木 鳴 鵬 図 ﹂の教 え の中 にあ る。 と よく見 ると 、鵬 の目 は虫 よりも 川 いる。 では、賜 はどう し て殺 される 事 で作 戦 。賜 が虫を脅 し て落 と す 。 底を見 て いる。武蔵 は購をどう行動 か。鵬 の天敵 カ ッコウに子供を殺 さ そ の虫を 川底 から魚 が出 てき て食 べ させ るか ?五輪書 にこれを解く鍵 が れ る。孤高 に天を指 し朽ち て行く枯 え てみた い。 あ る。絵 の中 の地水 火風即ち 五輪を た 裕
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